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深志弾正少弼貞春と云うモノ

第十五部をお送りいたします。


さて今回は深志弾正少弼貞春の話になります。以下略…。


では、お楽しみくださいませ。






     五月二十三日



 儂、なんか悪い事したっけ?


 野を越え山を越え、頭のいかれた汚爺(おじい)(さま)の朝まで自慢にもめげず、ほっとしたのもつかの間、何故だか今、白洲の白くて固い砂利の上に座らされているのだ。


 世の中とは、誠に以て無情である。


 今より一刻ほど前、国主様の御膝元(おひざもと)である、季の松原の城下に辿り着いた兵庫介率いる神鹿勢は、茅野勢の先発として到着したことを伝えるべく、国中に反乱討伐の陣触れを行った深志家当主、(ふか)志弾(しだん)正少弼(じょうしょうひつ)(さだ)(はる)の屋敷に出向くことにした。


 今年の春に新築されたばかりの深志屋敷は、木材の香りも濃く、聞くところによるれば門構(もんがま)えも大仰(おおぎょう)で立派らしく、大きさこそ季の松原城の表御門に劣るものの、重厚さではそれを上回るそうな。

また屋敷の内装にしても、今様(いまよう)の都の様式を取り入れた豪奢(ごうしゃ)な作りだそうで、建築物が大好きな兵庫介としては、出来うるならば上がり込み、心ゆくまで隅々を見て回ってみたいものだが、茅野家の陪臣で外様身分でもある自分と、国主様第一の寵臣で、三番家老で、実質上の敵対者でもある弾正の住まいと云う事実を思うにつけ、ホイホイ気軽に入れる処でも、入っていい場所でもなかったのだ。



 さて、これまで歩いてきた裏街道筋から表街道筋への進出を果たした神鹿勢は、此の国を南北に流れる國分川に寄り添いながら、飛び石の状に点在する町屋の中を進んだり出たりしていたのだが、程なくして左膳や三太夫、ついでにひょろひょんらとは、御城の西の谷間にある茅野屋敷へと繋がる大路(おおじ)で別れ、少数の近習のみを連れて深志屋敷の門の前までやって来ていた。


 深志屋敷の門の作りは聞きしに勝るほどの豪華さで、たかが国主家の陪臣の身上(しんじょう)ではありえないくらい見事な出来栄えであった。


 しかも、深志の家紋を黒々と描いた旗が所狭しと林立しており、これらが一斉に風にたなびく度、無用に周囲を威圧しているように感じてしまい無性に胸糞悪くなって堪らなかった。


 それに、恐らく深志領から大量に引き連れて参ったのであろう、鎧を身に付けた武者共が道々に群れとなり溢れており、彼らが放つ熱気と汗の臭いで思わず()せてしまい、咳き込んでしまう破目になってしまってもいたのだ。


そんなこんなの腹立たしさを胸の奥にしまい込んだ兵庫介は、出迎えの役人への挨拶もそこそこに済まし終え、表門近くの番所の一角を借り受けて、武士の正装である直垂(ひたたれ)に着替え終えると、新たに屋敷内から現れた案内役の侍に導かれるまま、屋敷の(みやび)(にわ)優雅(ゆうが)な池を横目で(なが)め楽しみながら歩み、やがて通された場所というのが……。


 ここ、御白洲であった。


 一緒に居た近習らは皆、御白洲を囲む塀の向こうにとどめ置かれ、兵庫介のみが白洲に座し深々と頭を下げている(さま)は、もうなんかね。途轍もない大罪人になった気分である。


 せめて茣蓙(ござ)でも敷いてくれていれば良いものを、足が(じか)に小石の上で痛いのである。

でだ、儂本当になんかやらかしたのか?である。


 見る処、目の前の一段高いところに縁台(えんだい)があり、ここに四人の正装の侍が控えている。そのまた一段上の縁側には、こいつらよりも上質な直垂を纏った侍共が控えて座しており。更に、またまたその先には、縁側の奴らよりも益々上等な衣装を着こなした武士達が控え……と云う風に、とっても物々しい雰囲気である。


 ああ…それと忘れていたが、厳つい顔ではあるものの、ダブつきまくった皮膚のゆるみ(ゆえ)、影では〖(かわ)(ぶくろ)〗と云う見たまんまの渾名(あだな)(かん)された忌々しき(くそ)(じじい)

いや、確かに容貌は大分だぶついてはいるが、あんなぶやぶやした容姿でも、これまで幾多の戦場で勇名を()せた歴戦の勇将。他国にも其の名を轟かせる深志弾正が座るのは、縁側よりも更に奥の奥、恐らくは畳らしきものが幾枚も重ねられた数段高い座敷であろうな。


 儂が言うのもなんなのだが、皮袋こと深志弾正は、死が直ぐ(そば)で待って居る戦場において、味方が危難に(おちい)れば落ちる程、しゃにむに勇戦敢闘する類の武将である。


 例えば、雲霞(うんか)の如き数の敵兵が味方を蹴散らし、ぐいぐい押し込んで来る只中であっても顔色一つ変えず、自らの本陣を敵兵に向かい逆に押し出しだしていく、誠に肝っ玉の()わった男であった。


 それ故に一時(いっとき)たりとも油断は出来ぬ。とか考えていたのだが、兵庫介を上から目線で覗く侍共や、果ては彼の傍に控える中間や小者の態度を見るにつけ、早くも国司(こくし)気取りの偉そうな深志家の連中の在り様に、兵庫介の皮袋に対する畏敬の念はあっさり消え失せてしまい、少し裏切られたような面持ちでまたも胸糞悪を感じながら、性根も見た目も緩み切ったであろう皮なんとかのお出ましを、向う脛の薄い肉に砂利が食い込んでいく痛みに堪えながら、待つのであった。


 すると突然、身分ごとに分かれていた侍共が、一斉に衣擦れの音を白洲に響かせて兵庫介に背を向け、広間の奥に正対し深々と平伏したのだ。


 ほう、いよいよ皮袋のお出ましか。


 つられるように兵庫介も砂利石に額を擦りつけ平伏した。痛い。


「そちが神鹿兵庫介か」


 小石の角が額の皮膚に当たって裂けそうなのを我慢していた兵庫介に、弾正、いや、皮袋からの最初の問いかけがあった。


「はは!仰せにより茅野家が家臣、神鹿兵庫介、先手衆三百騎を率い罷り越しました!」


 少し間が空き。


大儀(たいぎ)である」

「は!有り難き幸せ!」


 ちょっと間が空き。


(おもて)を上げよ」


 ここは我慢である。言われるままに面を上げたら礼節にもとるからな。


 それからまた間が空き。


「…(おもて)を上げよ」


 まだまだぁ~!此方は如何にも恐縮した姿勢でいなくちゃならない。ギリギリと、小石が(すね)にめり込んでいくが、我慢だ。


 やっぱり間が開き。


「……(おもて)を上げよ」


 よし来た!お望みどおりに面を上げてやろうじゃないか!ゆっくりとだけだけどな!


「そこもとが武勇の誉れ高い、兵庫介であるか?」


 て、お前かよーーー‼ 


 なんと声の主は縁台に座る下級武士であったのだ。

 もうね、余りの事に、体がちょっと浮いてしまったわ。


「……如何(いかが)いたした」


 儂の態度を不審に思ったのだろう、居並ぶ侍共が同じ動作でこちらを注視した。


「…いえ…なんでもありませぬ」


 突然また間が空き。


「左様か」


ああ、疲れる。


 しかし奴らの行動をよく観察していると、縁台の侍が儂に語り掛ける役を担っておるようなのだが、それについても一定の手順と決まりがあるのが判ったのだ。


 まず、薄暗い奥の間の畳の上でふんぞり返っている皮袋が、手直にいる近習を近寄らせ言いたい事柄(ことがら)を伝える。すると、これを(うけたまわ)った近習は部屋の隅に控えている別の近臣に近付き内容を言伝し、その近臣は縁側に控える上級の侍に伝達、最後に縁台にいる侍が最終確認を行ってから儂に言葉を発していたのである。


 全く、実に難儀な事をしておるわい。てか、そうすることに何の意味があるのか?


「して兵庫介よ。あの話はつつがなく進んでおるのか」

「はて……?」

「はて?ではない」


 本気で判らぬのであるから仕方なかろうが。


(ちなみに、やたらと会話に時間が掛かりそうなので、以後、言葉のやり取りの間は端折(はしょ)らせていただくことにする)


 お互いの意思疎通の悪さに、だんだんイラついてきた兵庫介と同じく、あちらもこのままでは(らち)があかぬと今更ながら思い至った様子で、きっちり聞き出したい重要案件を尋ねる事にしたらしく。


「孫四郎様の婿入りの話である」


と、単刀直入に尋ねてきた。


 まあ、でしょうね、でも何故だろうおかしいな。儂のイライラが殺意に変わったぞ?向う脛に喰いこみ続ける砂利の(うら)みもあるしな!これ、スゲ~痛いんですけど。


 しかし皮袋の奴め、さっそく我が茅野家の至宝であらせられる、恐れ多くも飯井槻さまの旦那に、バカ息子の深志孫四郎勝貞を当家に送り込む話をしてきたか!。


「その様子では、上手く事が運んでいないとみえるのだが…」


 当たり前だ。進んでたまるか!ああ、足が足が……いまにも壊れそう。


「茅野家にとって悪い話ではないはずだが、どうか?」


 物凄く悪い話だわい。もういいから、とっとと皮袋は奥に引っ込みやがれ!こっちは小石どもと戦うので忙しんだ! ……ちょっと体勢を変えてみよう。


 俯いたまま、大した返答もせぬ兵庫介に苛立ちを隠せない深志側は、弾正の目配せを受け面会を打ち切ることに決したらしく。


「もう、よい。其方(そなた)らが着いたことはこちらから国主様に御伝えする故、安心めされよ」

「ははっ!有り難き幸せ!!」


 おお、やっと着陣の挨拶が終わった。これで解放されるぞ!早く立ち去れ皮袋!


 しかし、兵庫介よりも圧倒的に身分が高い弾正が、座を立って奥に引っ込まなければ自分も立ち去る訳にはいかないのがもどかしい。ああ、まっこともどかしい。


 だが、生来お気楽な性分でもある兵庫介は、解放される喜びを、つい全身から醸し出してしまった事にも気付かない。


「そうそう、一つ確かめたき事があるのだが、よいか」

「へ?ど、どのような事柄にござる」


 痛くてたまらぬ白洲からようやく立ち上がれる。そんな高揚した気分を害された兵庫介は気の抜けきった返事を返したのだが、それが気に入らないのか皮袋は、立ち上がった姿勢のままで更に質問を浴びせてきた。


「ふと思ったのだが、内膳(ないぜん)(のかみ)殿の官名は(まこと)のもであったかな」


 畏れ多くも飯井槻さまの官職を詐称呼ばわりする気か。無礼にもほどがある。


 ちなみに儂の兵庫介は僭称(せんしょう)だがな、本当の官名ならば兵庫助だけどな! ああ…座り直したら…足がもっと痛いよう。


「…恐れながら、拝受のおり、か…、いえ、弾正様も御同席為()されたはず…

 殴りかかりたい気持ちをどうにか根性で抑え込み、なんとか問いに応えたが、うっかり皮袋様と云いそうになり、少し焦ったのは内緒の話だ。あれ?足の感覚がない……だと!


「左様であったか、昔のこと故、つい忘れておったわ」


 うそつけ!今すぐ裂けろ皮袋!儂の(すね)の皮が裂ける前にな!おかしいな、全然足が動かないんだが。


「では、内膳正殿には良しなにと弾正が申しておったと伝えよ。大儀であった」


 よし!皮袋、全速で走って奥に引っ込め!


「そう云えば、甚三郎殿は息災か?」


 うそ~ん、帰らないの?もう帰ってよ。こんちくしょおぉおお‼


 脛をいたわりながら立ち上がりかけた兵庫介に、再度声が掛ったために、仕方なくまた白洲に座り直した。


 あっ、もしかして今日は仏滅であったかな。もう死にそう。


「そ、そ…息災でありまするが、何か御伝えする事柄でもありましょうや?」


 確か甚三郎様と云えば、確か深志相手の交渉を一手に引き受けておられていたな。


「ふむ息災であるか、しからば(はげ)まれよ。そう申し伝えよ」

「ははっ!」


 こう言い残して、やっと皮袋は気鬱(きうつ)げな足取りで座敷から去っていったらしく、深々と平伏している儂には、奴が立ち去る所作(しょさ)衣擦(きぬず)れと引きずる様な足音しか聞こえないが、あの当家の災厄(さいやく)は、ようやく奥に引っ込んだらしい。


 くそう、あの皮袋の親父め、いつか痛い目にあわせてやる。


 そう兵庫介は心に固い誓いを立てた後、すぐ脇に控えていた侍に(うなが)され、脛やひざに食い込んだ砂利をごっそり手で払い落とすと、感覚がなくなった両足を丁寧にさすり、時間をかけてよろめきながら立ち上がった。


 ここに参ってから幾時(いくとき)の時間が過ぎたのやら、来た時には天辺(てっぺん)におわされた御天道(おてんとう)様は、すっかり西に傾いていた。


 憂鬱な気分を引きずりつつ兵庫介は、深志屋敷の豪奢な門を(くぐ)って暗くなり始めた道に出たところで、右左膳が配下を伴い儂が出て来るのを待っていてくれた。


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