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気味の悪し男。【改稿版】(5)


「……くっそ顔が近い」

「にょひひ。なんか言われましたかにょ?」

「いえ……。お、遅まきながら、御出迎え痛み入りまする」


 兵庫介は老人の余りに生臭い息を浴びせられて息苦しさを感じつつ、命がけの返答に成功してみせた。


「にょうにょう兵庫介どにょよ、かの内膳正さみまはにょ、ご健勝であられるかにょ?」


 話をするのに、そんなに儂に近寄る必要がどこにあるのか?てか、にょうにょうって……。しょんべんでも漏らしそうなのかお前?


 金三郎の独特な、あちこち【にょ】で話すしゃべり方に、兵庫介の気分がすこぶる悪くなっていく。


「御健勝に…ござる」

「それは、それは。誠に目出度き事よにょ♪」


何がだ。つか、その話し方いますぐやめろ!全身に虫唾むしずが走ってかなわんわ!


 兵庫介にとって誠にイラつく話し方を一向に止めない金三郎は、よく見ると奴の口中にまともな歯が一本もないのに気付かされる。


 あるのは黒く溶けた歯だったらしき残骸か、そらが抜けた穴ボコか、または虫の喰った黄ばんだナニかだけだ。道理でコヤツ息が異様に生臭いわけだ。


 …ああ、とってもゲロりそう。


 それにしてもコヤツ。相も変わらず顔も洗わないのか浅黒く垢塗あかまみれで、白髪を短く刈り込んだ頭髪からは血色の悪い皮が透けて見え、まるで首から上が腐って黒ずんだ琵琶の実のような容貌をしておる。


 まあいい。儂が今度からコヤツの事を内心で【汚爺様おじいさま】とでも呼ぶこととしよう。


「にゃんぞしたか?顔色があからさまに悪いようしゃが?気分でも悪いかにょ?どれ、背にゃり胸にゃりさすってやろうにょ♪」

「お、お構いなく…。我が主に過分な言葉を頂き誠に有り難き幸せに存じまする。此の事、しかと我が主にお伝え致します」

「まことかにょ?まことにかにょ?いつわりではにゃーーーか??」


 兵庫介は絶え間なく襲う吐き気に耐えに耐え何とか社交辞令を発したのだが、この言葉に金三郎が思いもよらぬ反応をした。


 なんだなんだ?汚爺様おじいさまいったいどうした?


「…こ、この兵庫介。し、しかとうけたまわり…」

かならじゅ、必じゅ御伝えくだされにょ!お願い致しましたにょ!」


 おいこら!最後まで言わせてくれよ。それに、たかが飯井槻さまの御機嫌をうかがっただけのお前の言葉に、汚爺は何を期待してるのだ?…さの段すらおかしくなってまで。


 無い歯を剥いてニタリニタリ、黄ばんだ嗤いを振りまく汚爺様おじいさまの一種執拗な態度に心底うんざりした兵庫介は、少しでも精神の回復を計りたいと考え、自身のうしろにいるはずの可愛い娘の方へと振り返った。


 だか癒しの女神さね様は、天岩戸あまのいわと(馬鎧の狭間)にとっくに御隠れされていたのだった。


 くそ。


 おい、誰か!ひょろひょんの馬の前で裸踊り。する強者つわものはいないか!


「兵庫介どにょよ。如何いかにされちゃ?」


 遂に。た行の発音すらもダメになった汚爺様が、あと少しでお互いの口がくっついてしまうのではないか?と云うくらいに馬の背を寄せて迫ってきたですので、兵庫介は堪え切れず後方に身をらせて刀のつかに思わず手をおき、汚爺を真っ二つに斬って捨てようと所作しょさしたのは内緒の話だ。


「にゅ?気分でも優れにゅのか?」


 お前のせいでな。


兵庫介は思わず心で突っ込みをいれていた。


 兎に角この場から早くどこか遠くに行きたい気持ち一杯でいたところ、汚爺様おじいさまは遠慮なく糞ほどに汚らしい身体を兵庫介にくっつけようとして来るので、これを意地でも避けようと、兵庫介は身体と顔を不自然なくらい左に左にへと馬上でらせ、なんとかして避けなければならない破目はめおちいってしまった。


 誰かコヤツを何とかして!!ああ近い近い!!もうダメだ。反り過ぎて息が苦しくなってきた!!


「そ、そ、それはそうと金三郎様。何故に我らのような外様の手合に対し、これほどまでに手厚く接して下さりますのは如何なる理由で?」


 必死の思いでどうにか話を作り出した兵庫介は、手を使わず気合で押し切り、汚爺を元の位置へと押し戻した。


「聡明であらせられる内膳正様ないぜんのかみさまとは末永く、じゅっと末永く仲良うしておきたいのでにょ~お♪」

「さ、左様でありまするか。それに付きましては我が主も同じ思いでござりましょう。誠にかたじけない限りにございまする」


 ここは適当に話を合わせておこう。


 左様決意した兵庫介であったが、金三郎の次の発言に色を失った。


「ひひひ。なにせ内膳正様と弾正様は、いずれ縁戚になられる身だからにょ♪さすれば弾正様と親しくさせて貰うておりゅ、わちゃの出世の手助けにもなるやも知れぬからにょ♪良しにゃに良しにゃに♪ふひひひひィー♪」



 【殺す】



 兵庫介は思わず心で本音を吐露した。


 自らの出世の為に我があるじ【飯井槻さま】を出汁だしに使うか!なんと浅ましき男だ!しかも斯様な場所で斯様な時に深志家との繋がりをスラスラとバらすなど、コヤツの頭の中身はどうなっておるのか。ああ、クソ忌々しい。いっそコイツを直ちに切り捨て合戦に及ぶにしくはなし……。


 思わず刀のかしらに添えられた左手が柄に移ろうと動く。


 ここでもし体勢を右に素早く切り替えせば、左腕だけ力で汚爺のそっ首くらい軽く宙に飛ばせるだろう。そのあとは知れたこと、即座に鱶池の城を奪い取り兵どもを蹴散らして我が茅野の領地にしてくれん!



「兵庫介様」



 いきなり真後ろにからだを引っぱられる感触がした。


 ついっと横目で確認すると、ひょろひょんが穏やかな表情でかぶりを振り目線を下げる。


 その動きを眼で追った先には、真一文字にギュッと口を結んださねが、馬鎧の隙間から白く細い手を伸ばして兵庫介の刀のさやを力一杯につかんでいた。


 わかったわかった。すべては飯井槻さまの御為おんため…だったな。幾らコイツが馬鹿で臭くて憎くとも、耐えねばならんのだな。


 兵庫介はまぶたを閉じて済まなんだ。と、それとなく合図をしてやると、さねはそっと刀のさやから指を離して安堵した顔を見せた。


ああ、さねよ。可愛らしい娘侍よ。その小さな身の内を心配させてしまって相済まなんだ。


 お詫びに後でまた干魚を分けてやるからな。…ああ、一尾くらいならば、ひょろひょんにも呉れてやってもよかろうがな。


 てかね、この状況でなんで儂の家来はなんも言ってこないの?


 チラ。


 ぷい。


 こいつらはぁーー!儂が眼を向けると一斉に顔を背けやっがたぁーー!!


 ウソだろおい。なんでなの、おい。そしてなんで皆揃って肩を小刻みに震わせてんの?ねえ、なんで?どうしてなの?儂ってば、これでも神鹿家かぬかけの御当主様だぞ!?


 汚爺様と兵庫介を中心に少し距離を置いて、神鹿家の【忠勇なる家来ども(笑)】は腹立たしいことに皆が皆、これまでの二人のやりとりをひそかに嗤っていたのだろう、時折耐え切れぬのか、吹きだすさまを見るにつけ、兵庫介はあとで全員殴らずにはいられない気持ちで一杯になった。


 ぶっは!


 兵庫介の困り切った顔をチラ見していたうてなの左膳さぜんは、大粒のつばまで飛ばして盛大に噴き出した。


 よし決めた。先ずはコイツから自害に追い込もう(´;ω;`)


 …儂、こんな薄情な奴らを引き連れて国主様の本拠地に行って、潜在的な大敵である深志弾正と面談する気が全く起きなくなってしまったわ…。



 世の中ってホント世知辛い。涙ってしょっぱのな…。と、兵庫介は目頭を押さえて涙を指で拭いた。



《兵庫介様。お楽しみのところ申し訳ありませぬが、そろそろ鱶池様の屋形やかたに着きまする》

「楽しんでないから!!儂これぽっちも楽しんでないからね!!ひょろひょんよ、誤解されることを気軽に云わないでくれぬかな!?」


 キョトンとした。ように感じられるひょんひょろの態度に対して兵庫介は、愛馬の手綱たづなを放した両手をこれでもかとブンブン空中で回して、いらぬ風評被害を生み出しそうな奴の発言の全否定に必死になっていた。






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