気味の悪し男。【改稿版】(2)
ひょんひょろのせいで緊張感が一挙に低下してしまった兵庫介ではあったが、これをなんとか気力で持ち直し、こんどは自身の兜と鎧の僅かな隙間に指を入れ、首筋を三度掻く真似をした。
すると、この何気ない仕草を見た後続の騎馬武者がこれ見よがしに大きな欠伸をし、続いて軍勢の者達が口々に欠伸をした騎馬武者を笑い囃し立てて、お互いに馬をを寄せ合い談笑し始めたのだ。
おのずと神鹿勢の隊列は麻糸の如く乱れ、遂には小部隊が固まり合ってまるで団子の寄り集まりみたいな崩れた隊形になってしまった。
「己ら、シャキッとせぬか!」
突如、隊列の前方から神鹿勢の先鋒を司る右左膳の怒声が轟き、慌てた武者どもは一斉に談笑を止めて列を整えだした。
「出来た」
兵庫介は自身が率いる軍勢が、【臨戦隊形】の行軍陣形に変更させた事実をひょんひょろに告げた。
「なんじゃこれは?まるで纏まりがないのじゃ」
ひょろひょんの馬と鎧の隙間からもっそり這い出てきた娘侍のさねは、ひょんひょろの跨る馬の背に器用に立ち上がり、神鹿勢の隊列をザっと眺めて言った。
「お前、またそんな危ない所で寝ておったのか?」
いきなり馬から湧き出て来たさねに「落ちれば死ぬるぞ」と、彼女の身を気遣い忠告する兵庫介に対してさねは、にぃ~♪っと真ん丸の目をキュッと細めて可愛らしい微笑みを見せて「気合で何とかなるモノなのじゃ♪」などと云い放った。
気合ってお前……。
なにいってんだコイツ?と兵庫介は呆れたが、続けてさねが、
「それよりもなのじゃ。何故こんなへんてこな隊列なのに、兵庫介さまは『出来た』と申されたのじゃ?」
気合を入れてまで馬の腹を搔き抱いて眠るという〝意味不明な行為をする童女〟がなにやら擬義を申し立ててきたので、女子供には気の優しい兵庫介はヤレヤレとばかりに肩をすくめながらも、その訳について詳しく聞かせてやろうと思ったのだ。
「さねよ、目を凝らしてとくと見よ。我が隊列が小分けにされながらもそれぞれ纏まっておるのが判るか?」
「こわけ?まとまる?」
「左様、判らぬか?」
「わ、判る、判る筈なのじゃ!ちょっと考えるから、今しばらく待てなのじゃ!!」
さねよ、それは判ってないと白状しておる様なものだぞ。
馬の鎧から這い出して、ひょんひょろの甲冑の背に尻を押し付けてピョコピョコ。馬の歩む動作に併せて立ち上がったり座ったりを繰り返しているさねは、行軍する神鹿勢の各隊を眼を見開いてつぶさに観察を始めた。
のだが、彼女の身体が馬の歩みと道の凹凸によって小刻みに翻弄されて転げ落ちそうなる度に、ひょろひょんの兜やら肩甲やらにギュッとしがみつき、その都度。《これこれと》か、《やれやれ》とか言いながら、ひょんひょろの奴が巧みに体勢を変えてさねが転げ落ちぬよう気を使ってやっている微笑ましい光景が目前で繰り広げられ、
「お前ら親子かなにかか?」
などと兵庫介がついつい突っ込みを入れるという、こちらも微笑ましい風景が繰り出された。
しかしひょろひょんめ、こいつ意外と子煩悩なのか?それとも配下の者を気遣える優しい性質なのか、或いは、飯井槻さまがさねをひょろひょんに預けた際に申された通り【アレ】な関係でも結んじまった仲なのか……どうか。
兵庫介が、そんな不毛な思考を巡らせて悶々としていた間も、さねは相変わらず〝ピョコピョコ〟動作を続けていたが未だ答えが見付けられない様子なので、では仕方ない教えてやるか!と、口を開きかけた時。
「判ったのじゃ兵庫介さま!タヌキとキツネの化かしあいなのじゃ!」
パア~~ッと、太陽みたいな明るい表情をしたさねが、嬉しそうに兵庫介の兜の後ろにある小札しころをギュウギュウ引っ張り、意思表示をしてきたから堪らない。兵庫介は首に回した兜の紐が締まって瞬時に息が止まっしまい、一瞬で意識が暗く遠くなってしまった。
「がは!げほん!ごほん!お前!儂を殺す気か!」
「あっ、これはすまんのじゃ」
慌てて兜から手を放したさねが、さも済まなそうな表情をして謝った。
「まあよいわ。で、その化かし合いとはなんだ?」
息を整え直した兵庫介が、首に食い込んだ紐に指をかけ引っ張り息ができる隙間を作ってから尋ねた。
「ふむ♪然らばなのじゃ♪こわけと、兵庫介さまが申されたじゃろ?あれが決め手じゃったのじゃわ♪」
ほほう~。この娘、意外と頭は悪くないのかもしれぬな。
「何故それが決め手と思った」
「こわけは、騎馬武者や徒士が小さな集団に分かれている事を申すのじゃろ?なら簡単じゃ。主集団の皆がお互い補い合うて、四方から向かってくるじゃろう敵に備た陣形であろうが。違うか?」
「そうだ。よく気付いたな」
「えへへ♪」
得意げにひょんひょろの肩に跨って照れるさねは、なんとも可愛らしい年相応の少女の笑みを見せた。
「して、お主から見て我らの陣形をどう見る?」
「皆を生かすための、逃げると見せかけた攻めの陣形じゃ」
成程、其処にも気付いたか。
「ほう、で、我らはどこに攻め込む?」
「あれに攻め込む」
さねが指差した先には、鱶池家の城館がある。
「よくぞ見抜いた!!」
兵庫介は笑みを浮かべさねを盛大に褒めてやる。
「ふししし!そじゃろ、そじゃろ♪♪」
さねは口角を目一杯上げて白い歯を見せる。満面の笑顔である。益々可愛らしい。
「兵庫介さまが逃げ散る百姓たちを見ても動ぜず、関所の侍にも気軽に話しかけていたのを思い出したのじゃ」
「ほうほう」
「あれじゃろう?そのうちに我らを見ても逃げ出さない百姓どもが出てくるのじゃろ?」
「出て来るやもしれんな」
「それは敵じゃな?そん時は我ら足を止めず、周りからわんさかと湧いて来る敵勢を【こわけ】した隊で防いだり逆襲してしのぎ、その隙に兵庫介さまの本隊はなりふり構わず鱶池の城に取り付き一気に乗っ取るつもりじゃろ?」
さねはワクワクが止まらない様子で兵庫介を見やる。
「足を止めれば、この狭き道端で戦をせねばならなくなる」
只でさえ不利な一本道で十重二重に取り囲まれ攻め込まれれば、哀れ我らは全滅するやも知れぬからな。
だから暫くの間は、歩数を敵に気付かれぬ様にゆるり少しづつ早め、突破の障害になりそうな関所を出来得る限り早く多く通り抜けてしまい、一歩でも二歩でも鱶池の城館へ近付くことを優先していたのだ。
「しかしなさねよ。儂は別に鱶池の城なぞ攻め取らなくても良いのだ。わかるか?」
「金玉?だっけか?鱶池の大将首が取れれば良いのじゃろ?」
「金た……。まあ、そうだ。であるから奴が野に本陣を構えていてくれれば、そちらに向かって儂は突っ込む所存だ」
「狙いは敵の大将のみという訳じゃな。でもあっちにも判らぬことがあるのじゃ。連れておる小荷駄の小者達はどうするのじゃ?あれらは武士では無いのじゃ、よもや置いていくのか?」
どうなんじゃ?と、さねは兵庫介を覗き込み、身をにじり寄せ聞いて来る。お前ら主従は揃いも揃って、いちいち儂を上から覗き込む仕来りでもあるのか。やめろよ、すっごいむかつくから。
「その点については心配いらん。重い荷車は道に打ち捨て、軽いのを引かせ共に走らせる所存だ」
「重いのは連れて行くに遅いから邪魔か?」
「それもあるが、荷車を餌にするのだ」
兵庫介は如何にも重そうに引っ張られてくる、白布の覆いが掛けられた荷車を見やる。
「餌?」
小首を傾げながらさねは荷車を見つめているが、よくわからないと云った面持で兵庫介の方に顔を振り戻した。
「判らぬか、襲い来る敵勢も只で働いて居る訳ではない。出来れば恩賞以上の物も欲しかろう。違うか?」
「それはそうじゃ、行きがけの駄賃くらいは欲しいのじゃ♪」
「となれば、兵粮なりなんなり、鐘になりそうなモノがたんまり詰まっていそうな荷車は格好の得物だ。だがな、儂はあんなもの頼まれても欲しくはない」
「なんでじゃ?」
「あの荷車には【霹靂】が沢山積んでおるのでな」
「ドッカ~ン?」
「ドカンと、よく燃えるぞ。それにほれ、儂も一つ小さきものを腰に下げておる」
「おお」
「もしも我が行く手を塞ぎおる者あらば、これを手にする主立つ者共が投げつけ、粉砕して踏みにじる所存だ」
兵庫介はニヤリと笑みを浮かべたドヤ顔で、腰ひもに吊るした丸いブツを得意げにみせた。
それは手に握って投げるには丁度よい大きさの、紙を重ね張りして作られた【炮烙玉】であった。




