神鹿兵庫介。【改稿版】(5)
早速参集した皆々に親しく話しかけた六郎は、肴と酒を甲斐甲斐しく注いで回り、まずは『遊びじゃあ!』とばかりに連れて来た芸人たちに都で流行りの謡や舞を披露させ場を盛り上げさせて、皆の耳目を楽しませ、会談の場を和らげさせた。
さらに六郎は、朝廷にかつて仕えていたという料理人に作らせた食膳を自ら進んで運んで皆の前に据えて回り、唐渡りの磁器や膝器に美々《びび》しく盛られた美味い料理と濁らず透き通る清い酒を、心ゆくまで楽しませたのだった。
この宴会の間も、六郎様はふらりふらり土豪たちの狭間を練るようにして歩きまわっては楽し気に皆々と語らい。やがてふらりと神鹿氏の横に現れて座わり『どうじゃ?』と、漆塗りの酒器を傾かせ盃に酒を注ぎながら、気さくな振る舞いで語り掛けてきた。
「お主にはすまぬが、皆に水を振るまってやってくれぬか?」
こう神鹿氏の耳元で囁くように言ったこの言葉に、神鹿氏は盃を口元まで運ぶ手を止めざるを得なかった。
「先ず土豪達の土地に入り彼らのために水路を開く、その代わりにの。其方の領地に近隣する他家の領地を其方の領地と致す所存じゃ、どうじゃ、悪い話ではあるまい?」
なんだと!?
神鹿氏は疑念を孕んだ眼を六郎に向けたが、これを笑顔で押しのけ六郎様は話をドンドン続ける。
「もちろん、土豪めらから譲られる一つ一つの土地の広さは大したものではないし、見るからに痩せた荒れ野ばかりじゃが、其方なれば水を通し田畑に致すこともたやすかろう。それにの、今は荒地とは申せ、全ての土地を併せればかなりな広さとなろう。だがそれらを足せばどうなる?恐らくは五百貫《一千石》、いやさ千貫《二千石》程度にはなるのではないかの」
あっけに取られ、口をぽかんと開けたまま呆けた顔を向けきた神鹿氏に対して、終始ニコニコ笑顔で応じる六郎様は、まるで子供でも諭すように話を紡いでいった。
確かに、土木工事をするだけで荒地とは云え易々《やすやす》と他領の土地が手に入る話は悪くない。
それに、山地の傾いた土地を耕してきた我らのしてみれば、平らな土地はそれだけで垂涎の的。なにせ所詮は山は山は地均しをするだけで一苦労なんてモノではないからな。
そう、神鹿氏がつい考えてしまっても無理はなかった。そしてそこに六郎は追い打ちを掛ける…。
「そうじゃ!新しく作る水路に沿わせ広き道も作るのじゃ。そうすれば、お互いの行き来も楽になり、商いを成すにも運搬するにも都合がよかろう。それにの、他領の土地の者も来やすくなって気心も知れて昵懇の間柄にもなれるやも知れん。いずれそれで何かと助かることもあるかも知れんからのう」
六郎様は将来に関する明るい展望を神鹿氏に矢継ぎ早に聞かせたあと、都合よくこうも付け加えた。
「ついでに、わしのところにも水を引いてくれると助かるのじゃが、どうじゃな?」
これを聞いた途端。わっはは!!と、神鹿はひとしきり大笑いして、誠に面白きことにてと引き受けてしまった。ついでに、六郎様に誘われまま茅野家に臣従することまで決めてしまったのだった。
もちろん、酒の席での軽々しさから決めた訳ではない。この際に、茅野家の配下になった方が後々《あとあと》都合がよく、今後何かと動きやすかろう。そう計算した上での事であった。
話が纏まるや、六郎はそそくさと奥に消え、少しばかりして、またひょいと姿を現した。
香弥乃大宮の宮司の衣装を身に纏ってである。
「まとまった!」
拝殿に深く一礼し、そのまま上座にのっしと座った六郎は、居並ぶ皆に破顔して見回し、こう言い放ったのだった。
これを聞いた土豪共は一斉に六郎に平伏し、釣られて神鹿氏も平伏した。
すぐさま用意された合意の誓書が三枚持ち出され、確認後に各自署名した。
これらのうち、正書は国主家にすぐさま送付され、副書は全員にその場で渡された。また誓書については香弥乃大宮にそのまま奉納される運びとなった。
あとは、水争いの解決を祝うドンチャン騒ぎと相成り、皆が皆、食を楽しみ酒を浴びるように呑んだ。神鹿氏もしたたかに泥酔し、難儀な奴らだと蔑んでいた土豪連中とも仲良く肩を抱き合いながら笑い合い、酔いつぶれて寝てしまったのだった。




