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物語は、慶長の世から紡がれて。【改稿版】（１）

改稿版に変更♪

慶長八年五月十日　

「さてもさても、懐かしくもあり、また可笑（おか）しみの多き時代であったのう」

　とうに百を越えたとおぼしき老尼（ろうに）は、深く吸い込んだ息をゆっくり吐き出し、皺（いわ）深（ぶか）い手を揉（も）み眺め見ては、遠い、遠い記憶の彼方（かなた）から話を紡（つむ）ぎはじめられた。

「享徳のころの彼の国ではの、世に蔓延（はびこ）り出しおった戦国の気風にそよがれての、古くは鎌倉殿や、昔は花の御所様から直々（じきじき）に守護職（しゅごしき）に任命されて居った【国主家（くにぬしけ）】と、これに付き従っていた家老や中老どもに土豪連中の間での、国や自身の行く末を巡り何やかやと面白い雲行きになりはじめておったのじゃ♪」　

　戦国の、身分の上下を問わず人々が荒くれ互いに争い奪い合った時代から、泰平（たいへい）の世を迎える支度をはじめていた江戸の時代初期。

　大した武功も無く、さりとて兵粮（ひょうろう）や武具を賄（まかな）う算術に、無からでも銭を稼ぎ出す商才などの才覚にも、一向に恵まれなかった私は、それでも少しでも、なにかしら此の世に名を遺（のこ）したいと思い立ち、近在（きんざい）の古寺（ふるでら）に庵（いおり）を結んだばかりの、見るからにいわくありげな老尼と顔見知りになったのを奇貨（きか）とみて、ちょいと話し込んでみるのも一興（いっきょう）かもしれないと考えるに及び、さも、人さみしいらしき面持（おももち）の彼女に誘（いざな）われるままに、彼女の住まう庵の中へと入ることにしたのだ。

　さて、その庵の中はと云うと、既（すで）に世は初夏だというのに、部屋の真ん中に設置されている囲炉裏（いろり）には赤々と炭が焚（た）かれており、おかげで肌がじっとり汗ばむほどに蒸し暑く、そんなぼわっとした煙の中で彼女は両の手を炉に当て、包んで揉んでかざしては、いかにも寒げに身体を丸めているのである。

「其方（そなた）と昔話がしたい」

　庵に入るなり私にそう言った老尼は、世捨て人とは思えぬ澄んだ眼差しでゆっくりと私を見つめ、とある国の昔語りを勝手にし始めたのだった。

　その行為は、まるで

「何故（なにゆえ）ことほど左様（さよう）に国中が、不穏（ふおん）な雰囲気になっていたのでござりましょうや？」

　すると老尼様は、ふししし♪っと含み笑い。私の眼をジッと見つめてゆるり、こう云われた。

「…世の流れと云うものかのう。あるいは身の程知らずと謂（い）うものかの。皆が皆、夢や野心の為と云う得体の知れぬモノに取り付かれておったのじゃ。それに……のう…」

「それに？」

「戦国の世じゃというに、当の国主様が根っからの阿呆だったと言うのが、本当のところかもしれんの」

　ふしし。。と、ただでさえ細い目を更に細めて含むように老尼はまた笑った。

「それも戦国の世の習いというモノにござりまするか？」

「さてのう。彼（か）の国ではのう、その成り始めであったがの」

「…して、彼の国を巡り相争ったは、どのような御歴々でありましょうや」

　顔を少し右に傾け目を瞑（つむ）り、しばらく考え込んでいた老尼は、ゆっくりと目を開けて…。

「左様の。まずは国主家の守護代であった一番家老の添谷家（そいやけ）に、二番家老の穂井田家（ほいだけ）、三番家老の深志家（ふかしけ）。それにの、国境東側の守護を任されておった東の三つの家と、中老筆頭で守護代でもあった神主出の茅野家（かやのけ）。……まあ、ざっとじゃがの。関わった主（おも）な者だけでもこれだけ居ての、毎日飽きもせず人知れず相争っておったかのぉ～」

　老尼様は、薄ぼんやりした面持ちを為（な）さり、新築だと云うにすっかり煤（すす）けてしまっている天井を仰（あお）ぎ見ながら、ぽつぽつと答えてくれた。

　老尼の語る彼の国とは、形がまるで刀の尖った切っ先だけを切り取り、この切っ先を南に向けたような姿をしており、その刀の波紋に当たる部分には、此の国随一の大河である國分川（くにわけがわ）が横たわり、その名の通り国の地を東と西に左右に分けつつ朗々と流れて土地を潤（うるお）し実り多く、戦国の世であっても逃散する人少なく、誠に豊かな御国柄（おくにがら）であったそうな。

　そのお陰か此の国の総貫高（そうかんだか）は、実に【二十五万三千五百貫】。

　今様《いまよう》の石高で表（あらわ）せば、【五十七万石】の国であった。

　さて、此の国の姿を思い浮かべてもらったところで、各々《おのおの》が相争う家が領有する土地の話を致すとしよう。

　先ずは守護職（しゅごしき）として国を治める【国主家（くにぬしけ）】であるが、この家は、刀の中央に位置する広大な盆地を中心に国を統治しており、また当時としても稀に見る豪勢な造りをした平山城であった、【季の松原城】を居城として大いに権勢を張り君臨していた。

　その領する貫高《かんだか》は、此の国の半分近くを占める【十二万五千貫】。即（すなわ）ち石高で【二十五万石】であった。

　次は此の国に於（お）いて主（あるじ）である国主家に先祖代々従属し、一番家老を務めていた【添谷家（そいやけ）】についてである。

　この家は國分川（くにわけがわ）の上流にあたる山間部と、細きながらも、南北に広やかで実り豊かな田畑を領有しており、家柄も国主家最古参を誇る筋目ただしき有力な武家であった。

　この家の貫高は【四万貫】。即ち【八万石】である。

　その添谷家と領地を接した南西部に位置していたのが、同じく国主家で二番家老を務める【穂井田家（ほいだけ）】である。

　この家の支配地域は、丁度刀の切っ先部分に当たる木々生い茂る山地に存在しており、細流でしかない國分川からの水の恩恵《おんけい》は全くと云ってよいほど受けられず、その所為で、米をはじめ作物の取れ高が誠に以て貧相な盆地が山間《やたあい》のあちらこちらに点在するだけと云う、ただただ広大な山間部を根拠地としているだけの、主従ともども貧しい家であった。

　この家の貫高は【一万五千貫】。即ち【三万石】と云う、三家老で一番領有が少ない武家でもあった。

　三番家老の【深志家（ふかしけ）】は、國分川の下流より西側の小高い山々が点在する肥沃（ひよく）な平野部の丘に、居城にして要害【柳ヶ原城（やながはらじょう）】を構えた、元は足利幕府に仕えていた“奉公衆（ほうこうしゅう）”つまり【幕府直属の軍事官僚】の一人で、三家老の中でも特段武門の誉れ高く、国随一とも呼ばれる軍事力を誇る家であった。

　この家の貫高は【七万五千貫】。即ち【十五万石】。此の国の守護職である国主家に次ぐ大勢力であり、第二の権勢を誇る家でもあった。

　深志家の領域と、添谷家の東の国境（くにざかい）を守護する三つの家とは、即ち【印南家（いんなみけ）】・【河埜家（こうのけ）】・【神嶌家（かみしまけ）】の三家の事で、彼らは添谷家と深志家の狭間に位置する此の国東部の山間(やまあい)を領有しており、京へと続く裏街道を見下ろすには、角も絶好な場所に城塞（じょうさい）を幾（いく）つも構え割拠（かっきょ）していた。

　これらの家の貫高は、【印南家・七千五百貫。一万五千石】【河埜家・六千貫。一万二千石】【神嶌家・六千貫。一万二千石】であった。

　最後に【茅野家（かやのけ）】とは、此の国の西北部、つまり海沿いから内陸にかけて存在した古い家で、小土豪を十家ほどを挟（はさ）んだ國分川東側に位置する深志家と、老尼様が仰せられるには何やら良からぬ事があられたるらしい、此の国の随一（ずいいち）の名家であった。

　…その名家足《めいかた》る所以《ゆえん》は、此の国を神代《かみよ》の頃より護《まも》る【香弥乃大宮《かやのおおみや》】の神職を、都が平安京に遷都される時分に畏れ多くも朝廷より委ねられておるが故《ゆえ》で、この為もあり他国の名家と名高き貴人からも、一目も二目も置かれ、ついでに手広く交易までも手掛ける商魂たくましい家柄でもあった。

　この家の貫高は【二万三千貫】。即ち【四万六千石】である。

　ちなみに此の国の貫高は、一石あたり銭五百枚。二石で銭千枚。即ち一貫文で換算されていたことを付加して置く。