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未来世の旅人  作者: 尾黒
1/1

クロウ商会とヴィヴィ


 枯草のような、と他人に称される色合いの髪を、すっきりと短く刈った人間の男が雑踏の中を歩いていた。

 髪色に合わせたような前開きの裾の長いシャツ、その下に隠れるように大振りのナイフが腰のベルトに吊るされている。

 誂えた頃より色が落ちてはいるが丈夫そうな茶色のブーツで地面を軽やかに踏みしめる様は、まるで疲労の色が無い。

 背には散歩にしては大きめの、旅にしては小さめの背負い袋が負われている。


 彼の名は、ヴィヴィ。人種族で言えば、見た目には20半ばといったところか。

 ヴィヴィという名をその身に受け入れるずっと前に、彼は別の名前を持っていた。

 それを思い出したのは、彼が物心ついたとき。


 思い出した、というのも語弊があるかもしれない。

 その古い名前は、ずっとずっと彼と共にあったのだから。

 ただ、それがどういう意味を持つものか、理解するだけの能力が幼い彼には無かっただけだ。

 魂というものがあるのなら、彼の魂は、彼の記憶の中では2度、血の通う生きる身体を得たことになる。







 古い名を名乗っていた頃の彼は、日本という国の片隅も片隅、片田舎で人間として生きた。

 戦争を体験し、伴侶を得て、豊かとはいえない生活も苦にせず子を得、しかし最初の子は死に、二人目の子も死んだ。

 三人目の女子はなんとか命をつなぎ、長く共に生きた。

 やがて子は更に子をなし、また共に暮らし、そして。


 ある雪の日、彼はその命を終えた。


 雪の中で心臓が強張り命を終えたとき、最後に見たのは白い世界。

 近所に住まう青年が、雪の中倒れた彼に気がつき、拙いながらも心臓マッサージと人工呼吸を必死に施した。

 そして、青年は大きく大きく、何度も叫んだ。

 意識が朦朧としている彼に、そして、家に向かって、何かを。

 すると、家から誰かが飛び出してきた。

 口論ばかりしかしていなかった妻が駆け寄ってくるのが、彼の霞みつつある視界にうつった。

 足が痛い、腰が痛いと文句ばかり言っていたにもかかわらず、雪の中、裸足で彼に向かって駆けてくる。


 だが、もう間に合わない、と、彼にはわかった。


 もう、感覚が無い。

 意識も無い。


 彼に残されたのは、ただ、数瞬の時間のみ。


 古い名を持つ彼に残された時間は、少ない。


 けれど、新たな何かが始まろうとしていることも、彼にはわかった。


 なぜなら、彼には聞こえていたからだ。


 古い世界の何もかもが聞こえなくなっていくその間に、別の新しい世界からの呼び声が。






 古い世界からも、新しい世界からも、彼の未来世を祈る声が、強く朗々と響いていた。






----------------------




 ヴィヴィは軽い足取りで道を行く。

 道といっても、馬車や人の足で踏み固められただけの雑なもので、でこぼこと起伏が激しい。

 起伏が激しいと、足へとかかる負担も大きく、それが長旅をする者の疲労をさらに煽る。

 長距離を歩き続けてきた旅人たちは、やっと安全な町へ入れた安堵感と、気が抜けたことで気づく疲労感に足取りが重くなっている。これから彼らは宿を探さねばならないのだ。

 そんな人並みにあって、さほど疲れた様子もない者たちは、馬車に揺られるだけであったり、近場の村や町から移動してきた者たちだけである。

 ヴィヴィはまっすぐ前を見つめて歩き続けているが、そんな彼に並走する立派な体躯の馬がある。馬上には、壮年の男が一人おり、楽し気に笑いながらヴィヴィに向かって何事かを話しかけている。

 その後ろを、ギシギシと重量を感じさせる音を発しながら3台の馬車が続く。馬車の周りには護衛と思しき厳つい男たちが固めている。

 大所帯の先頭を、ヴィヴィと馬上の男が先導するように進む。町の入口から中央へと向かって進む一団は、やがてさらに大きな通りに出た。そこからは、どうやら舗装された道のようだ。とはいえ、煉瓦敷きであり、劣化が進んでいるため、道の良し悪しでいえばあまり変わらないと言えた。

 その通りの境目で、馬上の男はヴィヴィに向かって声をかけた。


「ヴィヴィさん、それじゃぁ、私らはこの辺で。さっき話していたウチの商会の『クロウ館』という宿がこの先の通りにあるもんで、そちらへ話を通しておくからね」


 わざわざ馬から降りて、男はヴィヴィに話しかけた。男の伝手で、ヴィヴィはこれから宿を探すという手間が省けた。そして、この時には何も言わずにいたが、男はヴィヴィの宿泊に関する費用を彼からもらおうなどとは思っていなかった。宿を出るときにヴィヴィは驚くことだろう。この町に数件ある宿の中でも最高ランクの宿を、タダで利用できることになるのだから。

 そんなこととはつゆ知らず、ヴィヴィは、こくり、と頷いた。どうも、と、短く答えを返し、そして、さっと手を出した。その仕草に、男は微笑みながら手を出ししっかりと握った。やがてどちらともなく手を離し、一歩、下がる。

 別れ際ヴィヴィは、懐から小さな紙片を取り出し男に渡した。


「オレの家の場所だ。何か困ったことがあったら連絡を」


「ヴィヴィさん……。ありがとう、大事にするよ」


 二人は手を振って別れた。

 男は、名残惜しむように去っていくヴィヴィの背を見送り続けた。

 やがてヴィヴィの背が見えなくなると、なんだか寂しいもんだね、と、男はつぶやいた。

 それを耳ざとく拾った護衛のうちの一人が、数日前に会ったばかりとは思えませんな、と、笑った。

 そこから、確かにねぇ、と、彼ら一団は楽しげに笑った。


 最初は、なんて図々しい旅人が紛れてきたものか、と思った。前の町から商品を伴って移動するべく手続きを行っているところに、役人から押し付けられたのがヴィヴィだった。


 なんでも、役人の詰め所に、次の町へ移動する商人の一団を紹介してくれ、と、数日前から居座っていたらしい。

 旅人が町の間を移動する際、自前で護衛を用意できない場合、護衛のいる商団についていければ安全度は上がる。商品を守るために金を払って護衛をつけているのだから当たり前だ。だが、盗人になるかもしれない見も知らぬ者を傍に置いておくわけにもいかず、旅人たちが堂々とその恩恵にあずかれるのは稀なことである。

 とはいえ、勝手に後ろをついてくることくらいは黙認している商団は多い。そうした際の利益も無くはない。客商売ゆえの葛藤もある。元々移動するのに大所帯になるのはやむを得ず、それならば推奨はせずとも黙認はする、ということである。

 とはいえ、真っ向から交渉して一団に加えてもらう旅人もいる。そういう場合、護衛としての腕があるだとか、利益を提示できるなにがしかを持っている者が多い。それが無い者たちは、コネを使う。コネが無い場合は金を払う。旅の安全を確保するため、旅人たちはそれぞれ知恵を絞っているのだ。

 そんな中、役人を経由して、どこかの商会の一団に加えろと言ってくるような男……ヴィヴィが現れたのだから、それをコネと言っていいのか脅迫と言っていいのか、ともかく、埒外の事である。

 役人たちも、最初は何とか追い返そうとしたのだが、のらりくらりといつの間にか役人用の宿舎に泊まっていたのだという。それも、上役にあたる役人の部屋に転がり込んで、まわりの役人を巻き込んで酒盛りまでするという何とも豪胆な所業でもって、だ。


 仕事にならんので連れて行ってくれ、と、笑い混じりに言われて男は驚いたものだ。聞いた話では何とも面倒事のようではないか。それなのに、その面倒事をしばらく引き受けていた役人たちは、なにやら楽しそうであるのだ。満更でもないような様子に、断ろうかとも思った男は、考えを改めた。


 彼を引き連れて移動を開始した商会の男は、翌日にはヴィヴィを伴えたことを楽しみ始めた。


 楽をする為に馬車に乗せてほしいと言うでもなく、商品を融通してほしいと言うでもなく、ただ、ヴィヴィは男と共に旅をした。話しかければ寡黙な性質なのか言葉は少なかったが、様々な町のことを知っているようで話は弾んだ。話しかけているのは殆どが男の方であったけれど。

 新しい店の出店場所について悩んでいることを何とはなしに口にすれば、いくつか候補を上げ、誰それへ相談するといい、とまで助言をくれた。ヴィヴィの口から告げられた名は、その界隈で有名な名士の名であった。


 酒が好きで、煙草が好きで、魔物が現れれば武器を構えはするが逃げの体勢を常にとるヴィヴィ。

 魔物相手に無理はしないが、どうやら借金があるらしい。詳細は口にしなかったが、生活苦ゆえの借金では無いようだった。護衛のうちの一人が、故郷へしばらく帰っていないと言えば、ヴィヴィは自分の財布から金を出し握らせようとする。こんなことが日常であるなら、借金も増える一方であろう、と、その場にいた者たちは心ひとつにため息をついた。

 仲間たちから盛大にどつかれ、眼元に涙を浮かべながら、この仕事が終わったらその金で一度帰るから、と、その護衛は金を返していた。




「ウチはねぇ、結構な大店だよ。国中に名の知れた」


 様々な町に支店を置く、大きな大きな商会、クロウ商会。馬車に刻印された商会の紋章を見れば、誰もがあのクロウ商会であると知れる。その天辺がこの男なのだ。それをわかっていながら、ヴィヴィは。


「なのに、ヴィヴィさんは困ったことがあったら自分に言えって。なんて面白い人なんだろうねぇ……」


 それはヴィヴィではなく、男の台詞であるのだろう。世間一般から見れば。

 けれど、男は思う。

 きっと、自分に何か困ったことが起こり、助けをヴィヴィに求めたなら、借金をしてでも助けようとしてくれるのだろう、と。

 暫くの間余韻に浸っていた男とその護衛達は、感傷を振り切る様に、再び目的地へ向けて馬車を移動させるのだった。








「はいはい、どちらさんで……あんれまぁ、ヴィヴィさん! ヴィヴィさんでねぇの! あんたー! ヴィヴィさんだよーぉ!」


「はー!! ヴィヴィさん、どうしただ! こっちさ何か用があってきたんだべか!? え? ワシらに会いに……?」


「ヴィヴィさん……! それだけの為にあんな遠くから……!! ……ささ、狭い家だけど、どうぞどうぞ、入ってゆっくりしていって!」


「娘たちも嫁にいってしまって寂しいと思ってたとこなんだ。おい! 酒だ! 酒!」


「あいよ! この町のうめぇものも用意すっから!」


「ヴィヴィさんには、前の村で本当に世話になったもんだ……。遠慮しねぇで食ってってけれ!」






「……酒があれば、十分だ」





 ヴィヴィの放浪の旅は、まだまだ続く。



:じいちゃんは、何も深く考えてません。

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