小鳥はいつ歌をうたう
風はまるで君の元に集まるかのように髪を弄んでいた。
その柔らかな髪を花冠がそっと彩る。
囁かなこの幸せを祝福するかのように。
あんなにドレスを嫌がっていたけれど、その真白は君のためにあったんだと僕は思うよ。
「その健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、
これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、愛し続けることを誓いますか。」
二人だけの結婚式に神父はいなかった。
互いに向かい合い、互いに誓い合う。
「誓います。」
その言葉に笑みがこぼれる。
これが幸福ってものなんだろうか。
ふいに風が止んだ。
まるで時が止まったかのような静寂が訪れ、すべてのものはその時をただただ待ちわびていた。
いつもは見せないそのまっすぐなまなざしがこの空間を神聖なものにする。
唇が触れ合ったのはほんの一瞬のことであった筈なのに、それは永久を孕んでいた。
嗚呼。
「本当におめでとうございます。お嬢様。」
木の陰から二人の睦まじい姿を眺めながら、これから二人を待つ未来を想う。
二人の未来は決して優しくない。
この結婚は幾人もの反対を振り切って行われている。
本当は彼女には婚約者がいた。
彼女は政略結婚を求められていたのだ。
それでも彼女は己の愛する人を諦めなかった。
真実を述べるとすると、彼女を唆したのは間違いなく僕だった。
何故なら、何故なら僕は彼女を愛していたのだから。
彼女の幸せを望んでしまったのだから。
自分でも捻くれたガキだったと思う。
思春期だったのか、反抗期だったのか、衝動で家出をした僕を拾ったのが彼女だった。
「貴方、私の嫌いな目をしてる。自分が不幸なことに酔っているのかしら。でも、まだまだね。それくらいなら私でも貴方を笑わせられるわ。」
荒んだ心に彼女の言葉は響かない。
いっそ脅してお金を奪ってしまおうか。
「い゛ーー」
凄い声がして思わず顔を上げる。
???
何をしてるのだろうか?
思い切り歪められた顔はせっかくの美貌を台無しにしているし、そもそもそんな顔をする意図がさっぱり分からない。
「あれ?可笑しいわね。この変顔をすれば大抵の人が笑ってくれるのに。じゃあ、これはどうかしら?」
彼女の顔は次々に表情を変えていく。それに対応するように僕の顔は表情を失っていた。
真顔。
「貴方って案外手強いのね。舐めてごめんなさい。」
納得のいかないようにこちらを睨む彼女があまりにも可愛らしくて、というか間抜けで、僕は思わず笑ってしまった。
「あー!なぜ今笑うの?私の傑作集の数々で笑わないのにどうしてよ。」
あれだけ僕を笑わせようとしていたみたいなのに、いざ僕が笑うと不満そうだ。
「もう!貴方が私の変顔で笑うまで帰してやらないんだから。」
そう言って彼女はまた変顔を始める。
なんだか、本当に馬鹿だなぁ。
いつの間にか荒んだ心はひどく凪いでいた。
「そうだ!貴方、私の執事にならない?そうしたら、私が貴方を笑わせるまで一緒にいられるわ。」
まるで名案だと確信しているかのように、いや、名案だと確信しているんだろう、彼女は瞳を輝かせる。
この時既に僕のすべては彼女のものだった。
誰に指示されたわけでもなく、妙に芝居がかって僕は彼女に跪く。
「お嬢様の仰せのままに。」
絶対、笑ってやらねぇ。
そうしたら、君の傍にいられるはずだから。
君は満足げに頷いた。
あれから幾年か経った。
君は自らの愛する人と出逢った。
それは決して両親に受け入れられるものではなかったのだけれど。
「彼とは一緒になれない運命だったのかしら。」
そう呟く彼女が虚ろって消えてしまいそうに思える。
「お嬢様、ぜひ僕に変顔を見せていただきたいのですが?」
「今、そんな気分じゃないわ」
「どうしても、です。お願いいたします。」
彼女は訝しげに僕を見る。
はぁ、と溜息をつくと、一旦顔を俯かせて、ばっと顔を上げてみせた。
あぁ、本当に愛おしい。
「ふ、ふははは。」
何時ぶりだろう、こんなに笑ったのは。
彼女は歪めていた顔を元に戻し、意味が分からないとこちらを見つめる。
「ふはは。あーあ。これでもう僕は貴女の執事ではありませんね。」
彼女は途端に不安そうな顔をする。
「お前までも私のもとから去ってしまうの?」
「いいえ、お嬢様。僕は今から貴女の指示に従う必要がなくなったのです。貴女がどんなに拒絶したって、僕は貴女に幸せになってもらいますよ。」
君は泣き笑いを浮かべた。
どうにか、彼女の母親を説得し、今日まで漕ぎつけた。
ウェディングドレスというにはおこがましい、白のワンピース。
タキシードは少し擦れていて輝きを失っていた。
それでも、二人はただただ今のこの瞬間が幸福だと笑ってみせた。
本当によかった。
たとえ、これからの未来が一筋縄ではいかないほど大変なものであっても。
たとえ、たくさんのものを失ってしまっていたとしても。
それでも世界は彼らを祝福していた。
そう信じていたい。
だって、小鳥の口ずさむ歌は慈愛に満ちていたから。
お読みいただきありがとうございました。