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水晶のコード  作者: ゆずさくら
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(9)

 取引の理論は頭に入った。

 後はどうやってコード化し、かつ、何ミリ秒でもいいから速い処理にしてくれ、という林の要望にどう応えるかが問題だった。

 割り算掛け算を減らすとか、そういうレベルまですすめるべきなのか、色々と悩むことは多かったが、これはこれで楽しめそうだ、という気がしていた。

 光ケーブル作成は進んでしまっている。製造などで新たな課題が出てくるまでは、私がこのコードに取り組んでも問題ないだろう。

 少し、林の様子が変だった。

「坂井先生」

「どうしました?」

「坂井先生、単刀直入にききます。私をどう思いますか?」

 妙に体を寄せてきている。

 迂闊だった。林は男、私は女だ。

 いくら私が男、林に興味がなくても、向こうがどう思っているかを読むべきだった。

 危険だ、と思い立ち上がった。

「待って」

 手を取られ、引っ張られた。

 反動でまた椅子に座ってしまった。

「答えを聞きたい」

 林の顔が、私の限界を超えて近づいている。鼻と鼻がぶつかりそうだ。

 私は右手で林をはたいた。

「好きだ。あの飲み会の時に、分かったんだ。知世さん、すごく良い匂いがする」

 怯むようすもなく、一度は離れた顔を近づけてくる。私は声を上げた。

「大丈夫ですよ。ロックしてますから」

「訴えます、今回の提携はご破産です。さっきのコードも作りません」

 私は転び、仰向け状態で手と足をバタバタと動かしながら扉方へ向かった。

「……」

「ともよ、なんて呼び方しないで。本当に契約を破棄します」

「……」

 林は立ち上がって頭を垂れた。

「すみません」

 私はなんとかドアノブに捕まって立ち上がった。扉を開けようとしたが開かない。ロックされているようだった。

「自分には妻も子供もいます。本当にどうかしています。このことは誰にも話さないでください」

 頭を下げているが、謝っているような口調に感じなかった。

「この部屋に入った時から、貴方が私を受け入れてくれるものと信じていました。まさか答えがノーだなんて……」

 何を根拠にそんな風に思ったのか、この部屋に入ったことで行為に及ぶであろうことに同意したとでもいうのか。仕事の話ししかしていないのに。

 林が腰の辺りに手を当てて何かしている。

「開けて! このドアを開けて」

「坂井先生。せめてこれを鎮めてもらえないだろうか」

 林はズボンとパンツをおろし、下半身をさらけ出した。

 私はドアノブの上にあったカバーを思い切り叩いて壊し、カバーの下にあったサムターンを回した。

 同時に錠が開き、ノブを回すと社長室を出た。

 何がなんだか分からない。

 なんで突然、勃起物を晒して、私が受け入れると思ったのか。

 おそらく、何度もああやって成功していたのだろう。だから、私にも同じようにした。そうとしか思えない。

 あそこで林と行為に及ぶ女性(ひと)はどういうつもりなのだろう。

 お金? 安定した生活? 林に体を許して、代わり林が何をくれるというのか?

 もうひとつの部屋のドアを開けると、秘書が座っていた。

「お帰りでしたら、下に車が……」

 秘書は何があったのか察したのか、最後まで言わなかった。私は秘書の前を通り過ぎ、XS社を出ると開いていたエレベータに乗り込んだ。

 ビルはそのまま地下鉄の駅に直結していて、そのまま地下鉄の改札を抜けた。

 タブレットを見ると、何事もなかったかのような林のメールが入っていた。

 謝罪の言葉も何もない。

 ただ仕事の依頼をしているメールを読んだだけで、こんなに怒りが湧くものなのか。

 タブレットを閉じて、高校の頃から何度も読んでいる本を取り出し、開いた。

 素敵な世界へと繋がるタンス。

 タンスにかかっているいくつもの服を避けて、奥へと入っていくと、たどりつくのは別世界。魔法の王国の、森の中。

 そこで繰り広げられる美しい王女と騎士の恋。

 魔法に冒険、見知らぬ文化に見たこともない絶景。そこにはワクワクするものの全てが詰まっている。

 時々、こうやって気を紛らわせる。

 何度も読んだ部分を読み返してみたり、忘れていたエピソードを思い出す為に、てきとうに頁をめくり、そこを読んだり。

 そうやって読む度、気分が紛れたり、気分が穏やかになったりするのだった。

 しかし、今日は違った。

 文庫本が透けて、その先に林の体が見えた。

 周りにはXS証券の社長室の風景が。

 そうだ、XSビデオオンデマンド……

 いやらしい行為をしている男と女。

 ……そもそも、始まりはそいう会社の社長か。

 私は、急に周囲の男性の視線が気になって、動揺しはじめた。動悸が早くなっている。

 何かこっちを見られているような気がする。

 林が私の服を破ってないだろうか。変なアプリを起動させて、私の場所がバレてないだろうか。あの男は林の変装ではないのか……

 私は思い立って、全然知らない駅で下りてしまった。

 混雑してきたた車内にいることが耐えられなくなったのだ。

 何本か電車が止まり、何本かの電車が通過した。電車が来る度、壁側を向いて顔を隠した。

 電車が来ない時はファンタジー小説を読んだ。

 そうやって時間が立つ内、車内が空いていることに気がつくと、再び電車に乗った。

 林がいないことを何度も確認すると、小説を開いた。

 しかし、そこには不思議なソースコードがオーバーレイして映し出された。

「!」

 何なの、と言ってしまいそうだった。

 自分のこの不思議な力に、今日は無償に腹がたった。そのコードを読んでいくと、何のソースコードか分かった。林が依頼していたコードだった。

 小説を読んでずっと駅で待っている間、電車に乗って周りを見回している間にも、少しずつコードが組み立てられ、いつの間にか構築されていたのだ。

 出来上がったのは純粋にロジックの部分のみだった。

 実際の株取引の部分をどう呼び出すのか、あとはそういう手足だけを調べて付け足せばよかった。だから、自分の仕事でいえば、八割九割は終わっていた。

 タイプする必要もあるから、実際はもっと残りの作業は多いのだが、ざっと見渡しても気になるステートメントはない。打ち込みさえすれば、おそらく何もデバッグせずに動いてしまうだろう。

 後は、林が言っていた、擬似市場、擬似株取引で確認すれば、これが有用であるかどうか判明するだろう。さっさと打ち込み、送って、林のことと一緒に全てを忘れよう。

 念の為に、ソースコードを頭の中で何度か見返し、問題がないことを確認したころ、電車が自宅のある駅についた。

 そのまま家に戻り、ノートパソコンを開くと、頭の中のコードをタイプした。

「ふぅ……」

 部屋の灯りをつけていないことを思い出し、立ち上がってスイッチに触れようとした時、ボゥっとした光りが見えた。

 その光りは人の高さ程、縦に伸び、次第にくっきりと人の姿を作り出した。

「ホログラム?」

 灯りをつけたら消えてしまう。

 私は立ち止まってその光りを見続けた。

 それは何度も『読め』と言ってきた、あの女性だった。

「あなたは、何なんですか?」

「わたし…… ガザッ…… は…… バザザッ…… の……」

 酷い電波状況で聞くアナログのラジオのようだった。

 そういえば、生まれた家の近くに小さなトラックで八百屋が来て、野菜を売っていた。高齢のおじさんは、ラジオをぶら下げ、ナイターを聞いていた。『ワンストライクワンボール、振りかぶって投げました!』そんな風な、意味の分からない言葉がガサガサした音と一緒に、夕暮れの空に混じって思い出される。

「すいしょ…… ザッ…… おう…… あなたたた…… グバッ…… あなたです」

「私?」

 自分の鼻を指差すと、立体映像のような女性がうなずく。

「あなたは……」

「……」

 私は灯りのスイッチを入れた。

 LEDの強い光に照らされ、女性の姿が一瞬で消えた。

「何よ」

 私は怒ったようにそう言った。

 灯りをつけて、消したのは自分なのに。

 ホログラムのような光の女性が、何を言うか、確かめるのが怖かった。

 何もかも全て失ってしまう気がした。

 命にかかわるほど、大切なものを。

 辺りを見回しても、その女性の姿はもう見えなかった。もう忘れよう、そう思った。

 机に戻って林に返信するメールを書き、ソースコードのファイルを暗号化して添付した。

 後は勝手に暗号化のパスワードが書かれたメールが別送される。

 未だに社長室での林の姿が思い出される。

 もう恐怖はなかったが、代わりに当初を上回る嫌悪感が満ちていた。

 直接会いたくない。

 同じ空気を吸いたくない。

 思い出して鳥肌がたつのが分かった。

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