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水晶のコード  作者: ゆずさくら
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(8)

「もう帰っちゃうんで。先生もあまりいると負担でしょうから、少し話をしたら私も帰ります」

 上条くんが、横の椅子に座った。

「光ケーブルの試作は、先ほど林さんがおっしゃった通りです。非常に早く、順調です。特許は後で、という形になります。早く敷設して実際に使いたいそうです」

 言い終えると、上条くんが視線をそらした。

「?」

「病室にいる先生には言い出しにくいんですが……」

 杏美ちゃんと婚約したとか?

 研究室からXS証券に引き抜かれた、とかだろうか。

 何か、嫌な予感がした。

「コードを、ソースコード見てもらえませんか」

「あ、なんだ。そういう話?」

「あ、すみません。あの、困っていて。どうでしょうか?」

「良いわよ。なんのプログラム?」

「実は、XS証券側のプログラムです。株取引の」

 現状態でも、上条くんは、なかば引き抜かれたようなものだ…… 今更そんなことを報告はしないか。

 少し寂しいような気持ちになった。

 私はうなずくと、上条くんはタブレットからコードを見せた。

「全体が必要でしょうから後で送ります。ここなんです」

「ああ…… なんかかなり変な比較式使っているけど…… もっと簡単に判断出来るんじゃないの?」

「そうなんです! ボクもそう思って」

 上条くんが自分のことを『ボク』というのも珍しい。

「あ、すみません。声が大きいですよね」

 ざっとコードを眺めると、なんだろう、やたら多い変数名が気になる。

 何度も何度も別の変数に代入してしまっている。

「資料はソースコードだけなの?」

「林さんが怒ってソフト会社との契約破棄してしまって。これ以上の資料はもらえないんだそうです。この箇所かな、と思ったのも、私がソースファイルの差分をとったから分かっただけで……」

「林さんがソフト会社に要求した内容は?」

「こっちです」

 林の指示、という文書も、不思議な言葉で書かれていた。

 証券会社の用語なのか、良くわからない言葉が続く。

 上条くんに解説してもらいながら、指示の内容を読み解く。

 この短時間で分かるようなことじゃない、と思ったので「時間くれる」とだけ伝えて、コードを送ってもらうことにした。

「すみません。頼むだけ頼んで帰るなんて…… あ、違う違う。お見舞いに先生の好きなケーキ買ってきました。食事の制限があるか確認してませんけど、大丈夫ですか?」

「大丈夫よ、ありがとう」

「後で食べてください。冷蔵庫に入れておきますね。それじゃ」

「うん」

 私は軽く手を振った。

 しばらく寝たきりだったのにもかかわらず、ちょっと会話して、考えごとをしたら、急に疲れてしまった。確かに倒れたのは、あの病気のせいだろうけれど、病気はこんなに体力を奪ってしまうものなのか、と恐ろしくなった。

 そんなことを考えているうちに、いつの間にか寝てしまった。

 気がつくと、部屋が夕日の色に染まっていた。

 看護師さんが運んできた食事を食べ、その後に上条くんが持ってきたケーキを食べた。

 看護師さんが、その分も合わせて記録していた。

 私は「私、食事制限があるんですか」とたずねたら、単純に食中毒可能性や、摂取カロリーを記録が必要だから、ということだった。

「消化の良いものならば、何を食べてもいいですよ」

 ちょっとの間だが、入院している為に体が弱っている可能性があるという。油っぽいものを食べると、消化が悪くて体に負担をかける可能性がある。

「だから、すぐ疲れちゃうのかしら」

「そうですね。退院したら普段より少し体を動かすようにしないと、動かさないと体は弱っていきますから……」

 私は少し納得した。

 食事の後、少し休むと私は上条くんのコードを改めて確認した。

 気になる行がいくつかあって、目をつぶるとそこがハイライトされた。

 多分、ここがおかしい。

 都度、比較用の変数に代入しないで、直接変数同士の計算をさせるか、全部をまとめて計算した結果を代入すれば良いのだ。

 一体、この計算は何をしているのだろう。

 林がソフト会社へ指示した式と同じ、とは言い難い。

 何かどこかの解釈を間違えている、としか思えない。

 私は上条くんに気になる行と、林が指示した計算はこうなのでは、とメールを書いた。

 昼間と同じように、急速に疲れてしまい、消灯時間より先に灯りを消して寝てしまった。

 翌日、上条くんからの返信と、その先の林からの興奮したような返信を受けた。

 正直、林からの返信はどうでも良かったが、今後もこういうことがあった時に頼ってきそうな雰囲気を感じた。

 その日より後は、誰もお見舞いには来なくて、次第に体調も安定してきた。

 林がお金を払っていった、というので私は退院まで、同じ個室で過ごした。その数日の間に、テレビや雑誌で、自分の姿が掲載されはじめ、何人かの看護師さんに「雑誌で見ました」、とか「テレビで見ました」と話しかけられた。どんな写真にも、中島所長がこだわっていた『水晶の研究棟』が写り込んでいて「水晶の女王」みたいですね、とも言われた。

「水晶の女王…… ですか」

「ほら、あの…… この所長さんと坂井さんが……」

 私と所長が二人とも女性なせいで、まるでアニメ映画であったダブルヒロインのようだ、と言いたいらしい。

 女性同士で好きあっている、明言されている訳ではないのに、ぼんやりと匂わせている、そんな関係。

 おそらく、実際の研究を報道したいのではなく、そういう演出を加えて、大衆の興味を引くよう、雑誌やテレビが創作したに違いない。

「所長と研究員なんで、そんなに仲がよいわけでじゃないんですよ」

「ああ…… わかります。【長】がつく人とはあんまり仲良くできないですよね」

 看護師社会でも、その説明で何か腑に落ちるところがあるようだった。

 そして、それ以上は突っ込んでこないことが分かり、私は少し安心した。梓と知世と呼び合うとか、この前も家に泊まったとか、そんなこと言ったらどんなことになるかは目に見えていた。

 退院の日はXSの林がやってきて、入院費を払いたいと言い出した。

「共同研究しているだけであって、林さんに何かお金をいただく訳には」

「この前のコードの件ですよ。上条くんから聞きました。先生の指摘だって」

 そんなことまで林に伝わってしまったか、と私は思った。

「あれはあれで、入院の退屈が紛れてちょうど良かったです」

「こちらにとっては非常に重要だったので。ソフト会社ってやつはやっかいですよ。自分で作ったバグを直すのに、また金を請求してくる。こっちのミスに漬け込んで、変な不具合を混入させてくるんだ。自分で仕掛けたタネでまた自分が儲ける。そうやって骨までしゃぶってくるんだ」

「そうですか? そうは思いませんが、そういう会社もあるんですね。とにかく、それが私の入院費を払っていただく理由にはならないので」

「気にしないでください。私にとってそれだけの価値があったっていうことなんですから」

「……ここで払ってもらうと、なんか他にも頼まれそうで嫌なんです」

 ハッキリ言ってしまった方が話しが早い気がしていた。

「ズバリその通りですよ。鋭いなぁ。まあつまりは、割に合わない。金額が少ないってことですよね。じゃあ、こうしましょう。ここの入院費は先生が支払って、後でちゃんと倍がけの報酬を振り込みますよ」

 そう言って林は引っ込んだ。

 病院の会計を進めると、金額にびっくりした。

 果たしてこの額を払って、自分の貯蓄は大丈夫なのだろうか……

 保険会社の人から電話があり、私はスマフォを手にとった。

「すみません。入院一時金のことなんですが、支払いは出来ないということになりました」

「そんな、保健契約の時、確かどんな入院でも一時金が出るという話だったと……」

「そうなんですが…… 坂井様の病名が、約款にある『高頻度入院が予測される病気』に該当しまして、支払いが出来ないということに」

「そんな、全くでないんですか?」

「はい」

 私は怒りでスマフォを切った。

 ただでさえ入院費は高いので、一時金が出たところで焼け石に水ではあったのだが、出ないという事実に腹がたった。この病気のままでは、手術時の一時金も出ないのだろう。

「坂井先生、振り込みの一部を前払いしましょうか?」

 林がしゃがみ、うつむく私の視線に入って、そう言った。

 払えない金額ではない。そう思いながらも、私は林にこう言った。

「お借りできますか」

「貸すんじゃないですよ。正当な支払いの前払いです」

「すみません」

 これで今日持ってきた次の話も対応せざるを得ない。

 病院の手続きを終えると、林が切り出した。

「先生の光ケーブルはもう敷設されます。そして我々のXS証券の、新たな株式市場が開かれます。これの完成には、坂井先生のプログラム能力が必要なんです」

「私はプログラム能力はないですよ」

「上条くんから色々と聞きましたから。コードを直す力だけじゃないのは分かってますよ。そんなに短期間に長いコードを書いて欲しいとか、そういう無茶なことではありません。上条くんにあらかじめ見てもらってますからね」

 何を作れというのか、まったく乗り気ではない私は、憂鬱な気分になった。

「私の書いたこの株取引アルゴリズムを、プログラム化して欲しいんです。環境とか言語とか詳しいことは上条くんから連絡が行きます。概要を説明しますから、一緒にXS証券まで来てください」

 病院の前のタクシーに乗り込み、林は会社の住所を告げた。

 後はずっとスマフォでメールを打ったり、頻繁にかかってくる電話に出たりしていた。

 思ったよりも早くXS証券につくと、導かれるまま社長室に入った。

「まずは文書で説明します」

 株取引の用語を知らない私にとって、株取引のルールなどは全く分からなかった。

 とにかく金額の大小、買うのか売るのか、具体的なレベルに落としてもらって説明を受けた。

 そして、なにやら数式を書いて説明が始まった。

 分割して、何度も何度も売りと買いを繰り返す。どこで儲かるのかということは分からない。とにかく早く、高頻度でトレードすることで他社を出し抜くことが目的だった。手数料が非常に高くついて損をするのでは、と思ったが、そこは問題にならない、と言っていた。

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