(2)
上条くんが真剣な眼差しで各員からの結果を集めて、私に向き直った。
「先生。全員で確認を行いました。問題なしです」
私はうなずいた。
上条くんがハイタッチをしようとして、私はそれに応えた。
「ありがとう」
実験室内に拍手の音が響いた。
「まだ続きがあるよ、慎重に」
上条くんがそう言った。
「そうね。もう少しだから、皆、頑張りましょう」
椅子を戻して、実験に戻った。
超高速のコンピュータ。
超高速の光通信。
端反射しない半導体回路。
この実験はそういった技術のベースになる。
私は言った。
「250倍へ」
上条くんが指示する。
「クロック上げてください」
画面表示の波形が更に細かくなる。
細かくなった分、綺麗な波を描かず、少し歪みがかかる。
「!」
ファイバの中に水晶構造が入っている。
ガラスのファイバではなく、水晶ファイバというべきだ。
「こんなに歪みが……」
「大丈夫です。想定よりは少ないです」
「上条くん、想定ってどれくらい」
「あと1〜2%は歪むかな、と思っていました」
「1〜2%ですって? そんなに? もしかして、私の計算が間違っていた?」
上条くんは首を振った。
「納品時にファイバをチェックした時に、注文よりも質が悪かったんです。もう時間的に間に合わなかったので」
「それ、早く言って」
「結果は変わらないと思ったもので」
「けど、出力は高めに設定したままなのよ? ファイバフューズが起こったら……」
「質が悪くてもファイバフューズが起こらないのが先生の理論です。もっと自信を持ってください」
確かに、ケーブルの質が悪くとも、水晶構造が信号のガス抜きをしてくれる予定だった。端反射も同時に軽減し、ファイバフューズがなくなる、という想定だった。
だから、質がわるくとも成功しないと、理論が間違っていることになってしまう。
質を高めるとケーブルが高価になってしまい、長距離に使えない。長距離ほど高速な通信がひつようなのにも関わらず、だ。
「ま、まあ、そうなのだけれど」
「言わなかったことは申し訳ありません。けれど実験の結果には影響ありませんよ」
「……」
もうこの実験の40〜50%は上条くんのものでもある。アイディアは私のものかもしれないが、メーカーへの発注から現実化する為の調整や打ち合わせの類は殆ど上条くんに任せてしまった。
確かに結果としてうまく行けば問題ない。
私は決断した。
「安定した計測ができたら、そのままの状態から275倍へ移行してください。ノイズとファイバの温度については目視でもしっかり監視して」
口頭で指示が出来ない部署には、杏美ちゃんと上条くんがそれぞれタブレットで指示を出してくれた。
「坂井先生、275倍に達しました」
「やっぱり厳しいわね。けど、これなら……」
上条くんはうなずいた。
イケる。これなら目標の300倍でも全く問題ないだろう。
これが終われば、所長に報告出来る。
長年書き上げてきた水晶の論文が出来るのだ。
「せ、先生、ちょっと来てください」
「杏美ちゃん?」
私は慌てて近寄ると、杏美ちゃんはタブレットの画面を指差した。
「これ計測器側の問題でしょうか?」
「……ちょっと見てきます」
「実験は……」
「そのまま監視を続けて。275倍をキープしてください」
私はそう言うと、杏美の指摘した計測器へ走った。
とりあえず計測器をリセットして……
けれど、それで治らなければ?
不安定な機器のリセットは、機器を壊してしまう可能性もあり、非常に不安だった。
「大丈夫ですよ。リセットしましょう」
「か、上条くん。勝手に持ち場を離れない」
「怖かったら、ボクがやりますから、戻っていてください」
実際、機器に触れようとする自分の手が、震えているのに気づいていた。
この状態でやったら何か悪いことが起こる、と思えた。
「……お願いするわ」
何もかも見透かされているような気がした。
頼りになる、という気持ち以上に、嫉妬のようなものが上条くんに対して沸き起こるのを感じた。
しばらくすると上条くんが戻ってきた。
「坂井先生。正常化しました」
「続けましょう」
皆がうなずくと、最終目標の300倍へ移行した。
「300倍です」
「……チェックして」
杏美ちゃんがタブレットで画面を切り替え切り替えてチェックをしていく。
上条くんも同じようにチェックし、各員の応答も同時に確認してくれた。
「OKです。先生」
「成功、ね」
「そうです」
上条くんが微笑んだ。
自分自身で画面を見れば分かる話なのに、上条くんの顔で結果を確信している自分が情けなかった。
「皆、ありがとう。実験は成功したわ。測定器の記録をローカル側にも保存しておいて。保存したらこっちに集まって」
タブレットでも同じ指示が飛んだ。
張っていた気持ちが緩んだせいなのか、涙が出てきた。
全員の前で何を話したのか、もう覚えていなかった。
拍手と笑顔で囲まれて、とても幸せな気分だった。
普通の会社に就職したら、こんな体験はなかっただろう。同じように一つのことをやり遂げることはあっただろうけれど。
皆が後片付けを終えて、一人、一人と帰っていった。
私は座って背もたれに体を預け、少し眠りかかっていた。
「打ち上げ飲み会の日までに実験が終わってよかったですね」
杏美ちゃんが、ポツリ、と言った。
「あっ、もう予約だけしてたんだっけ……」
「そうですよぉ。私、キャンセル料のこと考えて、ちょっとドキドキしてたんです」
「そんなことまで心配かけて、ごめんね」
ピッとカードが操作される音がして、扉があいた。
「坂井先生、第一応接室にお客様がお待ちです」
「?」
そう言って、上条くんが目の前に立ち止まった。
何も予定はないはずだった。
実験が終わるかどうかすら不明だったからだ。
「所長がどうとか、とにかく今会うことになっている、と……」
なんだろう、と思ったが上条くんが通す、ということはそれなりの人物ということか、と思った。
私は立ち上がると、杏美ちゃんが寄ってきた。
「先生、お顔を少し」
タオルで軽く拭ってくれた。
多分、涙の後が残っていたのか何かだろう。
「上条くん、少ししたら行くと伝えてください。後、上条くんも一緒に会ってくれる?」
「はい」
化粧室でメイクを整えてから、私は第一応接室へ向かった。本当は、メイクを整えたというより、汚くなったところを拭ったにすぎなかった。
部屋に入ると、上条くんがコーヒーを置いているところだった。
来客は急に立ち上がって、名刺を突き付けるように出した。
「XS証券の林です」
「はじめまして」
「坂井先生の研究、実にすばらしい。我々はこの研究を早く実用化したい」
「……」
何もかもがいきなりだった。
手に押し付けられた相手の名刺は、XS証券とは書いていなかった。XS外貨オンライン、確かにそう書いてある。
取締役 林小太郎。
この段階で、取締役が出向いてきている。
「ああ、すみません。社名は前のままなんです。私の名前も、会社の住所と連絡先も同じですから」
いや、そういうことじゃない、と思った。
その人の行動や名刺は信用をつくる上で重要な部分ではないのだろうか? すくなくともこの人はそうは思っていないようだ。
「座りませんか。早く話をしたい」
またそんな話だ。
この人は何を焦っているのだろうか。
上条くんが椅子を引いてくれた。
「すみませんが、上条も同席していいでしょうか」
「……ええ、かまいません」