(18)
その時、轟音を立ててタクシーの車道に入ってくる車があった。
薄いクサビ型の車が入ってくると、横のおじさんが何かぼそっとつぶやいた。
「スーパーカーだ……」
タクシー待ちの人の前に止まり、こっち側のドアが跳ね上がる。
「坂井先生」
そこから出てきたのは林だった。
「タクシーなんて待ってたってこないよ。今日はすまなかなった。お詫びに家まで送っていくよ」
信じてはダメだ。
大きな声で言った。
「結構です」
「すまなかった。信用をなくしたのはわかってる。だから、お詫びに送らせてくれ」
林も大きな声でそう言う。
タクシー待ちの何人かが、ジロジロとこっちを見ている。
「結構です」
私が言うと、タクシー待ちの人々は、耳を抑えて、うるさい、という仕草をした。
そんなに大きな声じゃないのに、まるで迷惑だからどっかよそに行ってくれという感情がみてとれた。
「すまない。あやまる。この通りだ」
林は車道で土下座した。
タクシー待ちの人たちは私を睨みつけた。
これだけ謝っているのに、許さないのか、とでも言いたげだ。
「……」
乗らなければならないような圧力を感じる。
許さなければいけないような。
タクシーが一台こちらに入ってきて、クラクションをならした。
「早く行けよ」
「車をどかせよ。タクシー入れないだろ」
「許してくれ」
林はまだ土下座している。
「許してやれよ。早く乗って車をどかせ」
見知らぬ人たちが追い立てる。
またタクシーがクラクションを鳴らす。
「早くいけよ」
あからさまに私を睨みつける。
この男がどんな男か知らない人たちが。
「……」
「許してくれ」
「車を動かしてください」
「坂井先生が乗らなければ動かさない」
こんな場所で名前を呼ぶのか。
「タクシーが入れません。車をどかしてください」
「坂井先生が乗らなきゃ動かさない」
「乗るだけ乗れよ。俺たちだって帰らなきゃならないんだ!」
泣きたくなった。
「もう!」
私は林の車のドアに立った。
どうやって開けていいのか分からなかった。
「早くして!」
状況に気付いた林がやってきて、ドアを跳ね上げた。
寝そべるような低いシートに座ると、林がドアを閉めた。
「坂井先生…… 許してくれてありがとう」
「許してません。そこの先でおろしてください」
「おろしませんよ。開け方も分からないでしょう?」
やっぱり、この男はそのつもりで……
私は大声をだした。
しかし、エンジン音が大きくて、そとの人に気づいてもらえたか分からなかった。
駅を出ると、人通りもまばらで、加速する車から降りることはできそうになかった。
ハンドルを横から操作してしまえば止まれるかもしれない。でもこのスピードだ…… 運が悪ければ自分の命がどうなるかがわからない。
運転している間は少なくとも林は手が出せないと考えるべきか。
片側二車線の広い道に出ると、林は更に加速した。
やはり、このまま乗っていては……
「止めて!」
この車のどれが何のレバーだか分からなかったが、こちらから操作出来るレバーを引いた。
轟音が響いて車が急に減速した。
「危ない! 死にたいのか」
林の右手が顔面に当たった。
後頭部を強くシートにぶつけた。
私の中で何かが切れた。
やっぱり惚れたとかそういう感情ではない。
ただ征服したいだけなのだ。
私が傷つこうが、私にどう思われようが関係ない。
ただ思うがままにならない私に腹をたて、それを支配しようとしているだけだ。
下手に抵抗したらコイツに殺される。
ならば殺される前に殺さないと……
『承知』
頭上方向から声が聞こえたような気がした。
甲冑の男の声。
あの屋敷でどうかなったのかと思っていた。
「ん? 変だな……」
林が何かつぶやいた。
車は減速しながら、左の端に寄っていった。
私はいつでも車を出ていけるようミラーをみていた。
車が止まりかけた時、運転席側で、ドカン! と大きな音がした。それと同時に車が完全にとまった。速度は大して出ていなかったが、止まった衝撃はすごかった。
私は、視界の左端に映るものを確かめようとゆっくりと横を向いた。
「ひっ……」
林が…… 動かなくなった林がいた。
電柱のようなものが…… 電柱そのものが、縦に貫いていた。屋根は破れ、歪んでいた。そのまま下にいた林の体を血だらけにして貫通しているようだった。
林の顔と手が私に助けを求めるように動いた。
「いや!」
後ろを確認しないまま、車のドアを跳ね上げた。
全身がガタガタ震えていた。
道路に手をつきながら這い出ると、ようやく立ち上がった。
人が死んだ。
いや、殺された?
……まさか、私が願ったから?
林の死は、事故として処理された。
電柱を使って人を殺せるような環境が作られた訳ではなかった。その場所で工事をしていたとか、近く資材置き場があったとかもない。事故としても変だった。上の高速道路から落ちてきた可能性は考えられるが、その時間通行していたトラックに電柱を積んだ車はなかった。
それに加え、事件を見た者が、私しかいなかった。
深夜の時間帯だったし、目撃者が出てこなかい。今後も捜査は続くだろうが、この事件を解決するような証言が出てくるとは思えなかった。
私はこう予想していた。
甲冑の男がやったのだ。
人の手でこのコンクリート製の電柱を持てるとは思わないが、こちらの世界に出入り出来るのなら、その応用でものを移動させることも出来るのではないか。突然、車の真上にコンクリート柱を出現させれば、落下して突き刺さるだろう。
考えはしたが、誰にも言わなかった。
一つには、信じてもらえないだろう、ということがある。
そして、もし信じて貰えた場合、林の死を望んだのは私…… つまり私が林を殺したと告白するようなものだった。どちらにせよ私にメリットはなかった。
警察も私が林に言い寄られていて、それを拒否していたことは知っているようだった。だからと言って、落下してくる電柱の真下に車を誘導することが出来ることにはならなかった。
事故。
それ以外の表現は出来ない死に方だった。
そして、この事故を、おもしろおかしくテレビや雑誌が取り上げた。
おかげで、マスクををして歩かねばならなかった。コンビニに行くにも、夕飯の買い物をするにも、気晴らしに街を歩くだけでもだ。
騒動の間も、XS証券との合同研究は進められていたた。ワンマンだったはずの林がいなくなって、どこに向かうかわからないと言われたが、以外と後任の社長が優秀だったのか、それとも元々しっかりした組織だったのかは分からない。
フラフラと迷走するのではなく、やるべきことを進めていくような雰囲気があった。
研究所への資金提供も続けられ、『水晶の棟』は完成を迎えた。
「研究所のゾクに『水晶の棟』と呼ばれていた研究棟が完成しました。そこで今日は所長の中島梓さん、主任研究員の坂井知世さんをお呼びしまして、お話しを聞きたいと思います」
アナウンサーが話し終えると私達の姿がカメラに映った。私達が頭を下げると、アナウンサーが続けた。
「それは本日の竣工式の様子からご覧ください」
どうやらそれがキッカケで、録画分の再生が始まったようだった。
アナウンサーは段取りを確認するために小さい声で私達に確認した。
やり取りは至極普通のことで、私達がわざわざここで話すほどのことではなかった。
棟が出来てどう思っているか、中はどうですかとか、何階に入るんですか、とか、そんなことだ。竣工式後の所員へのインタビューとさして変わらない。
「後、スタジオからの質問がいくつかきます。答えられないような時はこちらで仕切りますから安心してください」
「……」
「答えられないような質問は困るのですが」
中島所長はきっぱりと言った。
アナウンサーはスタジオ側のキャスターやコメンテーターにどんな質問をする気なのか聞いてくれた。