(17)
機械のところにぶら下げている操作ガイドをもう一度確認する。
最初のやり方で間違っていない。
最初の方法で、同じ扉から出ようとすると、やはり警備をセット出来ない。
私は部屋をでて、棟の管理室に電話した。
「……そうなんです。警備を入れてもらえますか?」
『ちょっとまってください。全部閉まってますよね?』
「確認しました」
『やってみますから、待ってください』
おい、坂井先生の研究室をセットしてみて、と小さい声で会話しているのが聞こえる。
さらに何か、ボソボソと話し声が続く。
『……先生、まだどこか開いてるところがあるんじゃないかな? じゃなきゃ、人が残ってるとか。もう一回だけ見てもらえます?』
管理室の人間がこっちにきて確認すればいいじゃないか。そう思ったが、言わなかった。
「……はい」
開け閉めのポイントは全部見た。
あとは居室に誰かいるかどうか…… まさか、いるはずがない。
カードを操作して、もう一度研究室に戻った。
「やっぱり誰もいないじゃない」
部屋をすべて見て、最後に自分の机に戻ってきた。
警備機械が故障したんだろう。
私が帰ろうという時に迷惑な話だ。
ふと、目の前のディスプレイを見ると、動くものが写り込んでいた。
「だれっ」
長い髪の女性だった。
霧にプロジェクターで投影したような、おぼろな姿だった。
私はその光源を探して手を伸ばした。
『投影した映像じゃないの』
そこから声がした。
そんなバカな。私は振り返ってもう一度、消えているディスプレイを見た。私以外に、その女性の姿を写り込んでいる。私の幻覚ではない、ということなのか。
「話が出来るの?」
女性はうなずいた。
「私に、読め、と言っていた人ね?」
『あなたのこの世界での命は短い。あなたの命のコードを結ぶ替りにあのコードを詠んで欲しいの』
「私はあの言語を読めない」
女性は笑った。
『読める』
「読めない」
『ウソ』
私は椅子から立ち上がった。
何が根拠なのか示さない相手に苛立ちを憶えていた。
『私はあなたに継承してほしい。だから、あなたにコードを読む力を与えたのよ。その力を使ってきたくせに。今になってあのコードを読めない訳はないじゃない』
「……」
女性は首をかしげた。
「どういう意味?」
『どのみちこの世界では生きられないの。遅かれ早かれ読むことになるわ。早く継承しないと、不利になるのはあなたなのよ』
風で霧が吹き飛ぶように女性の姿が消え去った。
「ちょっと。話が出来るって言ったじゃない。 待ってよ!」
私は叫んでいた。
何を継承するというの? この世界で生きられないって…… 病気の事?
私は力が抜けたように椅子に座った。
あの女性の姿がただ発光しているだけではないとしたら、警備機械が反応したのかもしれない。
気を取り直して警備機械の方へ戻る。
「警戒を開始します」
私はため息をついて、ドアの方へ向かった。
椅子に何かぶつかったような、ガタッという音がした。
「誰?」
やっぱり部屋に誰かいたのだ。
警備機械の近くに戻り、部屋の灯りをつける。
「誰? いるのは分かっているのよ」
ガタッとまた音がした。
どの椅子が動いたのかまでは分からなかった。机の影に隠れているに違いない。
私はさっき読んだ警備機械の操作ガイドのことを思い出した。
「誰? 出てきなさい」
ま、真下?
私は足首をつかまれた。
振りほどこうと足を動かそうとしたら、転んでしまった。
「林!」
「坂井先生!」
XS証券の代表取締役の林だった。
「やさしくするから」
「どこが? 部屋に侵入して待ち伏せていたのに」
「頼むから」
林は私の足にしがみつくようにして、離さなかった。私が反対の足で蹴っても、林は離さなかった。
「イヤッ、絶対にイヤッ!」
「頼む」
いっそ、この口を…… 顔を蹴ってしまおうと思った。血だらけになろうが、痣になろうが、林を受け入れるよりましだ。
「良いのか?」
林が一瞬止まった私のお腹の上に馬乗りになった。
「いやっ、イヤに決まってるでしょ」
「騒ぐな」
頬を叩かれた。
「……」
「坂井先生! 坂井先生! どうしました?」
「!」
管理室から、私の異常に気づいてここに来たのだ。私の異常は、この警備機械を操作して伝えた。
林は私の目線を追った。
「こいつか」
「先生、坂井先生、どうしました?」
私は慌てて立ち上がって、管理室からきた警備の人へ走った。
「助けてください」
「私は何もしてないよ。倒れた坂井先生を引き起こそうとしていたんだ」
「ウソです、捕まえてください」
「中島所長に電話して、つかまえていいのか聞いてみろ。お前らの給料だっていくらかはこっちの懐から出てんだぞ」
「坂井先生はすこし離れててください」
警備の人は林を追い詰めるように動いた。林は林で、追い詰められていることが判って、チラチラと左右を見回した。
「障害」
私は大きな声で言った。
「器物破損。人を殴ったり、モノを壊したらそれこそ警察に届け出なければならないわ」
そうでなくても警察に突き出したいところなのだが、この研究所のスポンサーである話をされたら、おそらく警備の人は示談にしようとする。
「くっ……」
林は実験用の機材から手を離した。おそらくそれで殴るか、投げるかしようと考えたのだろう。
棒立ちになった林に、無造作に警備の人が近づく。
捕まえようと手を伸ばすと、トン、と警備の人の肩を押して林は走った。
「待てっ」
林が研究室を出ると、警備の人が追て出ていった。
「はぁ……」
警備機械の操作ガイドに書いてあった『緊急通報』の操作を覚えていてよかった。機械のトラブルもあって、こちらの状況は管理室でモニターしていることも幸いした。
警備の人がこなかったら、今頃私はどうなっていたのだろう……
そう考えるにつけ、林という男の行動原理が分からなかった。
林の資金で、光ファイバーの実用化を共同でやっていて、林の考えた株取引のアルゴリズムをコーディングした。つながりはその程度で、何か考えを話し合ったり、気持ちを伝えあったりしていない。お互いにお互いを何の感情も持たない状態…… 少なくとも私はそう思っていた。
それなのに、林はウソの仕事の依頼をして呼び出し、体を求めてきた。拒否したら今度は研究室で待ち伏せていた。
自分の体をみても、男が欲情する体とは到底思えなかった。
仕事で関係しているから、プライベートでトラブルになったらそっちに影響する。だから、私に手を出すメリットはひとつもない。
だったらなぜ求めてくるのだろう。
惚れた…… とか、そういう感情なのだろうか。
最初に私が拒否したせいで、復讐、とか遺恨とかそう言うものも含まれ始めているのだろう。
執着。
どうすればそういう感情を捨ててもらえるか、考えた。
「遅かったか……」
最終電車が行ってしまって、改札が閉まっていた。駅の反対側へ降りると、そこにはタクシー待ちの短い列が出来ていて、私はそのうしろに並んだ。
よっぽど嫌われるようなことをすれば嫌ってくれだろうか。
ぼんやり嫌われるようなことを考えていた。
暴力を震えば嫌われるだろうか。
好きなものをけなせば嫌うだろうか。
乱暴なもの言いをすれば……
タクシーはなかなかやってこない。
短い列でも縮まないなら長い列に並ぶのと同じことだ。