(15)
私は気になってたずねた。
「カードを落とした時はどうすればいいんですか?」
「管理用のサイトにアクセスして当該のカードを使用停止にすればいいんです」
「管理用のサイトって、まさかインターネット上?」
業者はシステム構成図を見せながらいった。
「研究棟の中に置く予定です。インターネット側からのアクセスは作らない、と聞いています」
「わかりました。所長、なくしたらカードは使用停止にしますから」
「……まず、なくさないわよ。今のカードだって無くしたことないんだから」
業者がうなずいた。
「まあ、いいわ。じゃ、この計画で行きましょう」
私はうなずくしかなかった。
所長は業者と水晶の研究棟を見て回るから、一緒に来ないか、と言った。私もこのまま研究室にもどってやることもなかったので、ついていくことにした。
内装はまだまだこれからとのことだった。
全員でヘルメットを被り、内装工事しているところを右に左に避けながら進んだ。
扉がついているところもあったが、まだ実際に設置されていないところもあり、業者はポイントで立ち止まって図面に何か書き込んでいた。
私は私で図面を見ているのに自分の居場所がわからなくなっていた。
「所長、なんでこんなに複雑な構造なんですか?」
「別に複雑じゃないでしょ? 工事しているから見通せてないだけよ」
「図面をみていると、完成したら、この状態より複雑になりそうじゃないですか」
「実際に歩いて覚えればいいのよ。私はもう何周もしたから図面見なくても歩けるわよ」
私は自分の実験室まで行ければ、とりあえずそれで用は足りる。それ以上のことは後で覚えようと思って諦めた。
この規模の研究棟をつくるということは、いままでの研究棟からほとんどの研究室をこちらに移転させるつもりだ。
古い棟はいずれ別の用途の建物にするのだろう。
「!」
何か、後ろに気配を感じた。
「どうしたの? 行くわよ」
怖くて振り返れない。何か先の鋭いものが背中たに突き立てられているような感覚。
「私の後ろに誰か居ますか?」
「居ないわよ?」
私は一歩前に踏み出した。すると、その気配が急になくなった。慌てて振り返るが、所長が言った通り、そこには誰もいなかった。
「システムを入れる箇所を一通り回るから、急ぐわよ」
所長の早足に、業者の人もついていくのが大変そうだった。
私は半ば走りながら、ついていった。
曲がり角にくる度に後ろを振り返るが、やはり誰もいなかった。
「ここが坂井先生の研究室ね」
「だいぶ上のフロアですね」
「上にあるだけじゃないわ。かなり中心部にあるのよ」
タブレットで確認した。
「えっと、ここに来るまで何回カード操作しなきゃいけないですか?」
業者の人は即答した。
「七回です」
「な、七回?」
「何驚いているの?」
「研究室に入るのに七回もカード操作なんて……」
私はさっき言われたことを思い出した。扉が開いているからと言って操作をしないで入ると閉じ込められるのだ。
「念の為聞きますが、途中でカード操作を飛ばしたらどうなるんですか?」
「たとえば、ここで操作わすれたら、この色が変わったエリアに閉じ込められます」
「……」
真剣にそのエリアを追ったが、何もない。抜け道がないのだ、誰かに合わないかぎりこの閉鎖された空間で閉じ込められてしまうのだ。
「大丈夫です。これも管理用のサイトで復旧することができます」
「けど、こんなところにはパソコンは…… もしかして、タブレットからも?」
「もちろんです」
いや、逆に普段はタブレットを持ち歩かないから、その時はアウト、ということだ。
まだ何も汚れていない真っ白で綺麗な廊下が、私にとっては牢獄の壁のように見えてきた。
「事務の方に電話して復旧してもいいですから」
「そもそもカード操作をわすれなければいいのよ。開いているからって、飛び込まないの」
所長が当たり前のことを言った。
しかし、当たり前のことがなかなか出来ないのが人間だ。私は特にそういう傾向がある。
「……」
「じゃあ、先に来ましょう」
中島所長は建物内の残りのエリアを案内して回った。私もついてあるいた。何がどこに取り付けられるとか、そういう情報はよく分かっていなかった。
「一応、主装置をつけるところはここでお願いします」
既にサーバラックが幾つか立っている。
「ここはサーバールームじゃないんですか?」
「そうよ」
業者もうなずいた。
「え? カード装置の主装置ってなんですか?」
「サーバーパソコンになります」
「パソコン? そんなもので……」
「大丈夫、ここは電源バックアップもされている。それこそカードでサーバーラックも制限してるのよ?」
「カード操作しないとサーバーラック開かないんですか?」
業者と所長がうなずく。
端のサーバーラックのところにくると業者が指差した。
「ここにカードリーダー装置をならべて、それぞれの許可されたカードが操作されたら、それに相当する場所のラックの鍵が開きます」
「なるほど」
確かにここまで入ってしまえばやり放題になってしまう。ここでも時間稼ぐための防衛手段が必要だ。これだけしっかりしたラックを壊して操作しようというのは相当時間が掛かる。
「私はサーバーラック開けられますか?」
タブレットを見ながら、自分の権限をみていたが、どれがこのサーバーラックについてなのかが分からなかった。
「えっと、坂井先生は、開けられますね。何個か権限がありますよ」
「このシステムのラックも開けられます?」
「開けたいなら、業者さんじゃなくて私にいいなさい。いくらでも権限つけてあげるわ」
所長がムッとしてそう言った。
「あっ、お、お願いします」
「ということなので、お願いね」
「はい、承知しました」
そう言いながら、業者はメモをとっていた。
エレベータが作業で専有され、殆どこなかった。
この棟を殆ど塗りつぶすように歩き回って、疲れのせいか気分が悪くなっていた。
「所長、みなさん、私はここで」
工事中の研究棟を出るなり、私はそう言うと、軽く会釈してわかれた。
「はい、おつかれさま」
所長は先陣を切って外構の確認に向かった。
私は構内の自動販売機でペットボトルの水を買い、ベンチに腰掛けた。
キャップを開けようとした瞬間、また背後に気配を感じた。
「!」
何か鋭いものが首筋に突き立てられているような感覚。
またあの甲冑男の幻覚か『読め』とか、『読むな』の続きだろうか。幻覚ではないか、と疑いつつも、ベンチにより掛かる勇気はなかった。
万一、幻覚ではなく本物なら、首にその尖ったものが突き刺さってしまう。
私は恐る恐る後ろを振り返った。
『幻覚ではない』
そう言うと甲冑の男は、私の首をつついていたと思われる長槍を、まっすぐ上向きに持ち替えた。
「なんなの? 何がしたくて私につきまとうの」
こんなことを一人で話しているのを、誰かに見られたら気が狂ったと思われてしまうだろう。タクシーの時と同じだ。きっと私以外にはこの甲冑の男の姿は見えない。
『私は女王の命令により貴殿を守っているだけだ』
「守っている? 私は病気なのよ? ほっておいても死ぬわ」
『……』
表情を変えない甲冑の男に、私の中で何かが弾けた。
「守っているとか言って、私を囮にして馬に乗っていた男を倒そうと思っているんじゃないの?」
『違う』
「私の命なんて関係ないんでしょ? じゃあなんで私を刺そうとしたの?」
『あれは貴殿の意識下に、こちらの存在を感じてもらう為の方法にすぎない。脅したように感じるのなら、謝罪する』
頭を下げた。同時に、ヘルメットの目隠しが下がった。
『くるぞ。私が相手をするから、貴殿は動かないでいい』
「死にたくなかったら動くけど」
『どうせ病気で死ぬ、というのであれば、度胸を決めてここを動くな』
甲冑の男は姿を消した。
研究所の中庭とは思えないほど、木々の葉が生い茂り、辺りに暗い影を落としていた。
じっと見回すが、研究棟らしきものが見えなくなっていた。
「まさか……」
慌ててスマフォの地図で確認すると、一面が緑で表されていた。
「どういうこと?」
地図の縮小していくと、研究所のあるべき場所ではなかった。いわゆる別荘地と呼ばれる地域の地図だった。
自分が座っていたベンチも、よく見ると古めかしい装飾が付けられている。
「瞬間移動でもしたってこと? 動くなって言っておいて」
どこかの大金持ちの別荘の庭? だろうか。
馬のいななく声が聞こえた。
「来た……」
音ではどこに馬がいるのか、近いのか通りのかすら、全く判断がつかなかった。
さっきまでと違い、少し寒い。