(14)
『だから、あなたは、誰?』
甲冑が突然正面に現れて、私に向かって剣を突いてきた。
避けるような反射神経がなかった。目を閉じるのが精一杯だった。
『女王の近衛兵……』
後ろからそう聞こえた。
私は目を開くと、キラキラ光る剣が左肩の上にあった。
『読んではいけない。あなたの世界に災いが起こる』
『……』
背後の気配が消えた。
剣を収めると、甲冑の人はヘルメットを開けて、目を見せた。
すべてを覚えているわけではないが、この甲冑の人は、タクシーで現れた近衛兵だ。
『大丈夫ですか?』
『いきなりだけど、聞いてもいいですか? ダメと言っても聞きますけど。これはなんなの、私の後ろに居た人は誰?』
『現女王の姉です』
『姉? 普通、姉が女王になるものではないの?』
『姉には女王になる力がなかった』
『力? 何それ、能力ってこと? 社交性とか?』
こちらの常識で何か答えがでるとは思えなかった。
『しかし、あなたには……』
『?』
『すみません。干渉を禁じらているので、私はこれで失礼します』
近衛兵は一瞬のうちに姿を消した。
干渉…… もう充分干渉しているじゃない。私の質問に答えてよ。
力、がなんのことか分からない。
けれど、読め、読むな、と言っているのなら、あのコードに関わるものだ。
コードを読むことが出来る、出来ないの違いだろうか。
姉は、読んだら死ぬ、と言っている。
妹は読め、と言っている。
妹の近衛兵はタクシーで襲われた私を守った。私を守った?
ということは、姉が私を襲わせている、と考えるのが正当だろうか。
読んだら死ぬ、とか世界に災いが、とか。つまり、読んだら『姉』は女王にはなれない。
待って! 私が読んだら、私に読む『力』があったら、私が女王になるとか、そういうことなのだろうか?
自問自答しながら、起こった出来事を整理していた。
もう一人の自分が、その事が無駄だと気づく。幻の世界の女王が誰になろうと、現実の私は全く関係ないじゃない。
その通りだ。
きっと疲れているのだ。
なんとなく、受け入れてしまっていたが、電車の中で読む小説の世界のようなものだ。
エンターテイメントの世界だ、小劇場で広がる、人生とは別の、空想の世界。それと同じだ。私が見ている夢、と言ってもいい。
そんなことを考えても、現実は何も変わらない。
楽しい夢に逃げるのはよそう。
早くお金を用意して、手術を受け、治療を始めなければ。
重く、苦しい気持ちが、私の心を暗くしていた。
光ファイバーは特定の条件下でファイバーフューズという現象を起こす。
今の証券取引は某国のルールのまるまま受け入れたためにHFT(高速株取引)が主体となっていた。これはアルゴリズム取引だけではなく、取引所と取引所の間を早く情報を渡したものが勝つ、という単純な面もそなえていた。
先回りして利鞘を稼ぐ、一瞬のインサイダーとも言えるが、まさかこのコンピューターの一瞬の処理速度や、光ファイバーの通信の遅れが株取引に影響すると考えていなかったのだろう。それは制度の抜け穴である。
その制度の抜け穴においては、速さが勝負を決める。今、この株取り引き中でファイバーフューズが起こったら…… のろのろともう取引が終わったクズ株のマヌケな取り引きだけが残ってしまう。だから、XS証券は高トラフィック下でも安定した光ファイバーが欲しかった。
そういうことか。私はXS証券が今回の共同研究に関してだしたIR情報を改めて読み返し、一つ一つの謎のキーワードを調べるなか、ようやく証券会社と光ファイバーの関係を理解した。
この株取り引きの世界で、何百倍ものデータを流しつつ、ファイバーフューズというトラブルとは無縁、だとしたら。
まさにHFTをするための光ファイバーと言える。
XSの林が上条くんに作らせていた部分…… 結局、私が作った部分でもあるが、いわゆる『アルゴリズム取り引き』をする部分だ、ということも分かった。
多数が売る時には売り、多数が買う時には買う。利益がでたら、値動きの鈍い、別の株に移る。ウォッチする為に様々な株を定期的に少量ずつ売り買いしながら、値動きを監視する。ある基準の値動きを超えたら、多数が売るなら売り、買うなら買う、という動作を始める。
林から出された暗号文のような指示は、もっと変なことがいっぱい書いてあったが、大まかな動きはそうだった。特定株で基準の利益を上げたら、即時に動きの鈍い株へ分散する。その二つのモードの繰り返しだった。
書いてみたが、面白みのないコードだった。
しかし、多数が売る時に売り、多数が買う時に買う、という動作には様々な例外が書き加えられていた。
安くなる株を更に売って、最終的に利益を確定する為に、空売り、という注文をだす。他の多数が買う時に買うが、一定の根付になったら今度は一気に売り始める。
もしかすると、どの証券会社も同じロジックだったら、と思うとゾッとした。
売るなら売る、買うなら買うを加速させ、急激な株価のカーブを描き、その会社が傾くほどの株売買をしてしまうのではないか、と。
興味を持った私は自分で複数のインスタンスを作って同じ取引所にアルゴリズム取り引きが動き出している実験をした。何度か実施したが、殆ど株価は波立たなかった。実際の株式市場にアルゴリズム取り引きが複数存在しても同じはずだ。
だとしたら、現実で似たような過激な株価のカーブは、だれの仕業か。考えた結果、株価の激しい変動のトリガーを引くのは、多分、人間の売り買いなのだ。
自動取引で怖いのは取引停止になるほどの安値や高値であって、その前に利益を確定しようとする。だから、乱高下の一番損をする部分、というのは人間が後乗りでやってきて行ういるに違いない。私はそう結論づけた。
ただ、自動取引は人為的であるが為に、きっかけのカーブがなだらかな上昇や、なだらかな下降にならない。その変化が人の目に捉えられる大きさだった時、人が後乗りで動き出し、大きな株価の動きになる。
目隠しをした人の臆病な動きよりも、目を開いている人がするスポーツの中での方が、衝突した時の度合いが激しいようなものだ。
ノックの音がした。
どうぞ、というとドアが開いて杏美ちゃんが顔を出した。
「坂井先生、中島所長がいらっしゃいました」
「わかりました、すぐ行きます」
タブレット端末を手にとって、近くの打ち合わせ室へ向かった。
打ち合わせ室は空調をいれていないせいか、蒸し暑かった。灯りを付けて空調を入れると、そこでノックの音がした。
ドアを開けると、中島所長が三人ほどの業者をつれ、通路にいた。
「どうぞ」
席につき名刺の交換が終わったところで相手が話し始めた。
「新しく出来る研究棟ですが、入退室について厳しくコントロールなさりたい、との要望がありまして、案をつくってまいりました」
タブレットで配ってあった資料をみると、研究棟のフロア毎の図面があった。そこには権限のレベルが書いてあった。
「この図面に書いてあるレベルに応じて、扉の開閉の許可がつけられます。レベルは三段階。一般事務の方、研究員の方、室長以上の方、としています」
そういうと、個人にどういうレベルをつける予定かが書いてある資料を見るようにと案内された。
その資料を表示させると、室長以上の氏名が書かれたリストに、権限のレベルが併記されていた。
「……ダメね。私にはもうひとつ上レベルをつけて」
所長がそう言うと、業者の人はお互いの顔を見合わせた。
「……」
図面を見てくれ、と言った後、真ん中に座っていた人が切り出した。
「どの部屋に入らせたくないのですか? 部屋の意味的にはこのレベル以上を付けても意味はありません?」
確かに、図面上、入室のレベルは3種類しかない。この室は所長のカードだけでしか開閉しない、という部屋があれば意味はあるのだが。
所長はタブレットで何か資料を探しながら話し始めた。
「カード操作を徹底させる為に、操作しないと出たり入ったり出来なくする機能があったわよね?」
「……」
業者はまた顔を見合わせた。
「……あった。アンチパスバック。私はこれを無効にして」
業者は安堵したように言った。
「分かりました。一つレベルを高くして、所長様はアンチパスバックの対象外とします」
「そのアンチパスバックってなんですか?」
「坂井先生にもお渡している資料の機能編のこのページに記載して……」
もう一人の業者が割り込んできた。
「簡単に説明しますと、カード操作なしで部屋を出たら入れなくなり、カード操作なしで入ると出れなくなる機能です」
「扉が開いていても操作がいるということですか?」
「そうなります」
「随分不便ですね」
業者は苦笑いしていた。
「本来、研究室だから、これくらいのセキュリティは当然なのよ」
所長は権限は強いがセキュリティレベルが低い、ということになる。
「けど、所長はセキュリティレベルが低くていいんですか? カード取られたらそれこそ抜け穴になってしまいますよね?」
業者はまたお互いの顔を見合った。
「それでしたら、落とさない方法がありますよ」
「どういうことです?」
「生体認証です」
「具体的には? 指紋はもう懲りましたから」
業者は引きつったような笑顔になった。
「大丈夫、今回は指は指でも静脈を認証しますから。それとも虹彩でもいいですよ?」
業者は自分の目を指さしていた。
「いくら違うの? 金額によるわ」
中島所長がタブレットに概算見積もりを表示させ、そこをコツコツと叩きながら言った。
「一台につき四万……」
「三倍じゃない。カードのままでいきます」