(13)
とにかく、部屋までは面倒みないと……
タクシーを走らせ、杏美ちゃんが告げた住所についた。
「ここで合ってる?」
杏美ちゃんはうなずいた。
タクシーの支払いをすませると、肩を貸してマンションへ入った。
なんとか部屋の前について、亜美ちゃんが鍵を開けた。
「ふぅ…… もう大丈夫よね。私ここで……」
「まぁってください…… 先生っ」
私の肩から滑るように体が落ちていった。
「危ない!」
そのまま倒れたら杏美ちゃんが頭を床に打ちそうだった。
私と杏美ちゃんは一緒に倒れ込んだ。
杏美ちゃんの頭を支えた手が床に打ち付けられて、ひどく痛かった。
オートロックの扉が閉まった音がした。
「先生、好きです」
「えっ?」
杏美ちゃんが顔を寄せてきて、キスされた。
柔らかくて、とても良い香りがする。
合わせた体の温もりが、私の中のスイッチを入れた。
杏美ちゃんから舌を入れてきた。拒む理由はなかった。
自分の腕の中にいる子が、酒に酔った面倒な部下、ではなく、以前から気になっていた若い娘に変化していた。
何も言わず二人は寝室に移動していた。
一分一秒を争うように服を脱ぎ捨て、二人は裸で抱き合った。
杏美ちゃんは、酔っていたこともあったのか、行為の後、すぐに眠りに落ちてしまった。
私は少し物足りなさを感じながら、上を一枚羽織り、ダイニングを探した。
コップに水をくみ、床にある小さな照明で照らされている中、それを飲み干した。
部屋の玄関の方へ、服やカバンが散乱しているのに気づき、私はそれを拾って回った。リビングのテーブルに二人の荷物や服をまとめて置くと、ゴトリ、と何かが落ちた重い音がした。
「杏美ちゃんの?」
落ちたと思ったものはスマフォだった。手に取った瞬間、ブルブルとバイブレータが動いた。
「これ…… どういうこと」
ディスプレイにメッセンジャーソフトの通知表示がされていた。
私も知っている人物からだった。
何も考えられなくなった。
もう夜は遅く、電車では帰れなかったが、私は寝室に戻って服を身につけると、リビングに置いたバッグを持って部屋を出た。
なんだろう。
通知の人物が分かっただけではない。
メッセージの内容も読んでしまった。
偶然とはいえ、杏美ちゃんの個人情報を見てしまったのだ。私の方が悪い。
見たことを忘れてしまえばよかった。しかし、知ってしまった事実を忘れることなんて出来なかった。そして、その事実を知れば、そのまま杏美ちゃんのベッドに戻って寝る気分にはなれなかった。
私は住所を告げると、タクシーの運転手にはそのままナビに入力していた。
もやもやとした気分のまま、私はぼーっと外の景色をみていた。
『お客様、困ります』
何が困るというのか、と思い私は運転手の方を見た。
『そういうものを後部座席に乗せると、シートが痛むんですよ』
『なんのこと?』
言いながら、目の端に入っていた金属の光を確認した。
『……か、カッチュウ?』
私の隣に置かれていたのは金属製の鎧だった。
人の姿のように積み上がっていた。
いや…… 待て。
空じゃない、中身が入っている。
『ガシャッ!』
ヘルメット部分が開いて、こっちを睨んだ。
彫りの深い西洋人のような目元だった。
『お客さん、その甲冑のせいで燃費がガタ落ちだ、料金倍払ってもらいますよ』
『私が乗せたんじゃないわ、最初から乗っていたんでしょ?』
『トモヨ、ここは危険です』
『なんで私の名前っ……』
その時、甲冑の男が私の後頭部目掛けて腕を差し込んできた。
『伏せて!』
ガツン、と大きな音がした。車の後部ガラスが割れ、破片が散った。
『何!』
振り返ると、甲冑の男の腕が、尖った槍のようなものの先端を握っていた。
ガツガツと蹄の音がする。
左を向くと、少し後ろに鎧を付けた馬が走っていた。
『これはランスという武器で……』
言うと、槍は引き戻された。
甲冑の男は後部ガラスを振り払って、半身を乗り出した。
『違う! そういうことじゃなくて!』
後ろに甲冑の男が来たために、助手席の背もたれにしがみつきながら、そう叫んだ。
『どういうことです?』
『馬にのっている奴と、あなたは何!』
車に槍を振り下ろしているらしく、ガツンガツンと金属が歪んでいく音がする。
『トモヨを女王にしない為に、暗殺者が動き出したのです。私は現女王の近衛兵』
『王女? 暗殺者? 近衛兵?』
タクシーの運転手が叫ぶ。
『お客さん! 暗殺者とか、近衛兵とか物騒なものはお断りなんだけど!』
『こっちだって知らないわよ!』
「お客さん!」
「知らないって言ってるでしょ?」
「お客さん、着きましたよ。起きてください!」
「?」
カチカチカチとハザードランプが点滅する音が聞こえる。
後部のガラスはしっかりとはめ込まれている。
甲冑の男も、馬から槍を突く男もいない。
幻? 全くの幻影と幻聴…… 私、どうかしてる。
「ここでよろしいですよね?」
窓の外をみる。
自分のマンションの玄関口についている。
「……は、はい。カード使えますか」
なんだったのだろう。
自分は寝てしまったのだろうか、けれど、意識が切り替わったような境目に一切気づくことがなかった。それとも、まだどこかこのままさっきの世界につながっているのだろうか。
私はタクシーの支払いをすませると、前後左右を警戒しながらゆっくりと車を降りた。
深夜のこの道は、車も人通りも殆どなかった。
ちょっと先で信号が黄色く点滅しているだけだった。
タクシーは、ゆっくりとUターンして元来た道を戻っていった。
何も動くものがなくなった道を眺めていると、さっきの蹄の音が聞こえてくるような、そんな幻聴に襲われた。私は走ってマンションに逃げ込んだ。
部屋に入ると、机に座ってノートパソコンを開きかけ、そのまま閉じてしまった。
メールとか、メッセージとか、他の人とのつながりを確認したくなかった。
すくなくとも今は見たくない。
そのまま立ち上がってベッドに倒れ込むと、仰向けになって目を閉じた。
『読んではいけない』
背後をとられている。誰も姿は見えない。
『あなたは死んでしまう。決してアレを読んではいけない』
気配がある。見ないということは、やっぱり背後だ。
『あなたは、読め、と言っていた女性なの?』
『読んでしまえば、あなたは体を失う』