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水晶のコード  作者: ゆずさくら
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(12)

 なんだろう、今までの杏美ちゃんもずっとこの気持ちを隠していたのだろうか。

「坂井先生、行かないでください。ここで見ていてください」

 そ、それだけ?

 何かもっと重大なお願いをされるか、、重要な告白をされるのだと思っていた。

 それが、ここで見ていて、だけ……

 私は静かに座り直した。

 杏美ちゃんも、引き止めた恋人をほったらかすように、パソコンに向かってコードの見直しを始めた。

 しばらくすると、杏美ちゃんが口を開いた。

「ここの判定文はこれでいいんでしょうか?」

「ちょっと見せて」

 何もロマンティックではない。

 恋愛要素のかけらもない。

 あの引き止め方と結びつかない。

 私は余計なことが気になって判断文の条件を冷静に見直せなくなっていた。

 少しキーボードを借りて、前後を確認している振りをしていると、冷静さが戻ってきた。

「これね。この変数の意味が合っていればOKなんだけど、この行の処理が違うのよ。だからこの判定文でおかしくなるの」

「あっ……」

 本当に気がついていないのだろう。

 プログラムを書く時と、読む時では見ているポイントが違う。やっぱり冷静になって読み直せるかが重要だ。

「少し休むわね。戻ってくるから」

「は、はい」

 給湯室でコーヒーを入れ、自分の研究室の椅子に深く座った。

 私は抱きつかれて頭がおかしくなっている。

 コードを見る為だけではなく、自分自信を冷静に見直さないと行けない気がしていた。杏美ちゃんの行動には何か理由があるような気がするからだ。

 XS証券の林に何か言われた?

 中島所長に何か指図を……

 上条くんと何かあった?

 どれもマトモな答えとは言えない。

 組み合わせても全く理由にならないものばかりだった。

 人を好きになるのは突然ということはありえる。好きか嫌いか、で、嫌いから好きになったりもする。けれど何でもないところから、突然好きになるのだろうか。好きに変わる前に、予兆はあるのではないだろうか。

 私は杏美ちゃんが何かサインを出していなかったか、もしくは今の杏美ちゃんから本当はどう思っているのか、を引き出したかった。

 過去の言動を思い出しても、私に気があるとか、女性が好きだ、という印象は全くない。

 二人きりになったから、抑えられていた感情が爆発した?

 研究の途中、何度か夜遅い時間に二人きりになったことがある。なぜその時にはときめくような出来事がなかったのだ。

 いや、単にこの若いぴかぴかした娘の気持ちを、私が素直に受け入れられないだけなのではないか、と思い始めた。

 素直に受け止められないのも無理はない。

 年の差があるし、立場も違う。

 これが逆に、私が一方的に杏美ちゃんを好きになったと言うなら合点がいく。私は立場を利用して杏美ちゃんと二人きりになれるし、体に触れたい場合に、立場の違いを使って強制出来るだろう。それが正しい解決方法かは別として。

 とにかく、杏美ちゃんが私を好きなのだとして、私がそれを受け入れれば、外で会った時に感じた、きらきら、つるつるしている、この若い娘と、一緒に食事にでかけたり、若い肌を飽きるほど眺めてみたり出来るのだ。

 少し考えても杏美ちゃんを嫌う理由はなかった。

 好きになる理由はやまほどあった。

 ただ、気持ちが納得できなかった。

『読んではいけない』

 私は例の女性の幻だと思って立ち上がった。

 しかし、どこにも何も見えてこない。

『あなたは死んでしまう。決して読んではいけない』

 気配がある。見えないが、確実にいる気配があった。

 これは、幻のような、以前の女性とは異なる感覚だった。

「あなた、読め、と言っていた女性(ひと)とは違うの?」

 私は声に出してそう言った。

 どうすればその気配だけの人物に伝えることができるのか、分からなかったからだ。

『読んでしまえば、あなたは体を失う』

 体を失う、だって? さっきの死、と同じ意味だろうか。体を失う、つまり、死んでしまうから、読んではいけないのだ。

「アレは何なの? 何が書いてあるの?」

『水晶…… 水晶のコード』

 そう。

 あの女性も同じことを言っていた。

 水晶の動作コード。

 世界をあらゆるものを記述したコードも存在し、世界はその記述に従い動いている。

 私が読むのは水晶のコード。水晶の動作をどうするのだろう。

「大丈夫、私、読み方なんか分からないから」

『誰っ!』

 その女性(ひと)が叫ぶ。

 杏美ちゃんが入ってきたのか、と思い振り返った。

 誰もいない。

「……」

 元に向き直るも、その気配も消えていた。

 姿は感じられないが、確実に気配はあったのだ。

「なんだろう。読め、と言うひと、読むな、という人が来たり……」

「先生、ちょっといいですか?」

「ん? 杏美ちゃんどうしたの?」

「すみません、ちょっと来てください」

「分かったわ」

 杏美ちゃんのいる実験室へ踏入り、元居た研究室の灯りを消した。私はその小さな暗闇をみて立ち止まった。この小さな暗闇で起こっている何か。その何かに巻き込まれ始めている。そんな気がした。


  


 杏美ちゃんの検査プログラムの修正が終わり、ふたりは立ち上がって伸びをした。

「は〜、終わったね」

「先生のおかげではかどりました。ありがとうございます」

「久々に集中した感じ」

「退院したばかりなのにこんなご無理をお願いしてすみませんでした」

「いいのよ」

 入院中も結局コードを書いていたも同然だったし、退院の日を狙って押しかけてくる社長とかもいたから…… と心のなかでつぶやいた。

「お礼といってはあれなんですけど、食事に行きませんか。お、おごります」

「食事行きましょう。けど、いいのよ、おごらなくても」

「えっ……」

 杏美ちゃんの手が震えていた。

「じゃあ、やっぱりそういうことですか」

「?」

「……」

 杏美ちゃんは少しうつむいた。

 なんだろう、今日はこの手が震えているところを何度か見ている。

 緊張とか、そういうことなのだろうか。

「どうしたの、杏美ちゃん。今日……」

「平気です。先生が喜ぶなら、私大丈夫です」

「?」

「そうと決まれば、早く行きましょう。私、お腹ペコペコなんです!」

 杏美ちゃんに腕を引かれた。

 手が震えた後は、表情も行動も自然に思えた。

 気になる発言がいくつかあるが、あまり突っ込まないことにした。

 それが杏美ちゃんの緊張につながっているような気もしたからだ。

 二人で駅の反対側の和食屋に入った。

 料亭まではいかないが、居酒屋までくずしていない、キレイ目な店だった。

 私達は畳の個室に入って、向かい合わせに座った。

 おすすめのコースと、お酒を頼んで食事を始めた。

「どうですか」

「美味しいね。どこでこの店知ったの?」

「ネットで見て、いいなぁって思って上条さんとかに見せたら、行こうって言って一度来たことがあるんです」

「へぇ、上条くんと飲みいったりするんだ」

「たまたまですけどね」

 少し料理の間隔が空いた時に、飲み過ぎたのか、杏美ちゃんが私の隣に座ってきた。

「上条さんて、少し強引なところがあってそこが嫌なんです」

「そう? そんなに強引だったっけ」

「隠れてプレッシャーかけてきたり、陰湿なんですよ」

 本当に自分の知っている上条くんとは違う。ウワサでもそういう話は聞いたことがない。

「先生…… 助けてください。坂井先生……」

 そう言って杏美ちゃんが私の肩に頭をのせた。

 酔ったせいのか、本当に助けを求めてきているのか判断がつかなかった。

 店員が障子を開けて入ってきても、杏美ちゃんは寄りかかった姿勢を正そうともしなかった。

 テーブルは片付けられ、残るのはデザートという状況になった。

 杏美ちゃんは半分寝かけていた。

「杏美ちゃん、お家どこだっけ? 大丈夫?」

「まだダメです……」

 杏美ちゃんはデザートが出てきても手も付けない状況だった。

「ほら、しっかりして、住所は言える?」

「先生、私の家に止まっていってください」

「立てないの?」

「家まで連れてってください」

「そうするから、ね。ほら、立ち上がって」

 私はなんとか杏美ちゃんを抱き起こすと、店に呼んでもらったタクシーに一緒に乗った。

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