(11)
しかもご丁寧に所長の考えに反抗的な態度をとってしまった。
酔いが回っていたせいなのか……
「おい!」
足を引っ掛けられて、ドン、と肩を押された。私はどうにもならず、尻もちをついてしまった。
所長は肩を押し込んでくると、そのまま馬乗りになった。
「若い娘の方が良いんでしょ」
「そんなんじゃありません」
「ウソ!」
パチン、と左の頬を叩かれ、肌がじんじんした。
「梓のことが好きなんです。誰よりも」
「ウソよ!」
右手が逆方向からくるか、と思った時、所長は何かに気付いたようだった。
「!」
そして手を戻し、もう一度、同じ方から、私の左の頬を叩いた。
頬は痛かったが、所長がただのヒステリーで怒っているのではない、と思った。
右手の甲で、私の右頬を叩かなかったからだ。
「じゃあ、私から電話がかかってきたらどういう表示になるの?」
「かけてみてください」
所長はスマフォを持ってきてささっと操作した。
しばらくして私のスマフォが応答した。
「あっ……」
所長は自分のスマフォを置いて、私のスマフォを両手で持った。
「……もう何年もたつし、知世の持っている機種が変わったから、消してしまったと思っていたわ」
スマフォを置くと、両手を広げて私を包むように抱きしめた。
「ありがとう……」
それは私が所長に言いたい気持ちだった。
ありがとう。
先が見えない私を、救ってくれるのは中島所長、あなただけです。
私は何度も繰り返した。
翌朝、所長の家を出ると、急いで自宅に戻った。実は、杏美が困っている部分がどこなのか、電話で聞いた時に、さっぱり分からなかった。
杏美が受け持っているのは検査用のプログラムだったが、品質を保つための検査で、これで低品質のものを見抜けないと実際に現地についてから通信出来ないとか、大きな障害を引き起こしてしまう。
自宅から一体どんな機器のどういう類のものを書いているのかを確認し、服を着替えて研究所へ向かった。
移動中に、何度も所長からメッセージが来て、都度内容は確認したが、既読はつけなかった。
「見れない、って言ったのに」
杏美…… 山田さんの困っているのを助けにいくから、明日はすぐに帰ります、と話したら所長はものすごく寂しそうだった。今日一日一緒に過ごせると思っていたらしかった。
『時間が出来れば、夕食食べに行きませんか』
所長にそう伝えていた。
だから、メッセージは何が食べたいとか、あそこの店がどうだった、とか、そういう話しが多くなっていた。
『山田さんのコードの修正が長くかかりそうだったら連絡します』
もし、直前で夕食をともに出来なかったらどれだけがっかりするだろう、と思って先にそれを言っておいた。やはり所長は悲しそうな表情を浮かべた。
だから、メッセージは読んでいないことにしたかった。研究所に着けばもうメッセージなんて確認しなくなるわけだし、今の時点からみていな方が、変な期待をさせなくて済む。
研究所に着くと、奥に建設用のフェンスが作られ、鉄筋が組み上がっていた。あれが、XS証券に金を出させて作る『私の』水晶の研究所らしかった。
デザイン画の通り、水晶のクラスターのような形が見て取れた。私は少し足を止めて想像した。
「坂井先生!」
声をかけられて振り返ると、そこには杏美ちゃんが立っていた。
走ってきたように息が上がっていた。
「どうしたの? 走ってきたようだけど?」
「先生と約束していたのに、遅れちゃったから……」
私はスマフォを取り出して時間を確認したが、別に遅れたという時間では無かった。どちらかというと、私が約束より早く来ているのだ。
「お休みのところワザワザ来てもらっているわけですから。時間を無駄にしたくないです」
「そんな、いいのに」
杏美ちゃんはニコッリと笑い返してきた。
走ったせいか、メイクなのか、ほんのりとほおが赤かった。
自分が歳を重ねたせいなのか、杏美ちゃんがキラキラと輝いて見えた。若い女性というのは、皆こんなにキラキラしているものなのだろうか。
「先生。何かありましたか?」
今度はキョトン、とした表情をみせる。私は杏美ちゃんへの自分の気持ちがわからなくなっていた。
若い女性への嫉妬? それとも憧れ? どれとも違うような気がしていた。
所長会って感じることとは違うけれど、何かが似ているような。
「……なんていうのかな。杏美ちゃん、ピカピカしている」
「えっ、キラキラとかじゃなくてですか? なんかちょっとイヤな感じですね」
「あっ、そうじゃなくて、ツルツルというか」
「ピカピカとかツルツルとか、まるでハゲてるみたい」
クスクスと笑う。
「ごめん。違うの。そうそう。新型のスマフォを買ってきて、箱を開けて、本体のフィルムを剥がした…… そんな感じがするの。新型スマフォの新品のような感じ」
「?」
「よく分からないよね、そういう感じ」
「ほめていただいている、ってことで良いですか?」
こちらの表情をうかがうように体を曲げてたずねてきた。
「そうよ。もちろん」
杏美ちゃんは、それこそ『キラキラ』とした笑顔を見せた。
「良かった…… 先生に褒められちゃった」
気持ちが高まるのを感じた。
この娘といたい。ずっとこんな感じに話していたい。もっと体を寄せたい。
自分は、この娘に恋をしているのか、そんな気がする。
美味しいものを一緒に食べたり、美しい場所に一緒に行ったり、楽しい映画を一緒に見たり…… 一緒なら、さらに嬉しくなる、そんな気がする。
研究棟に入ると、杏美ちゃんは白衣を羽織って、メガネをかけた。
検査機器を持ってきてケーブルでつなぎ、デバッグが出来る状態を作った。
私はもう一度全体図を見ながら、この検査機器が何をすべきなのかを思い出した。
午前中に家でみたコードが勝手に頭の中に表示される。
ざっとしたコードの塊を眺めるなかで、不明な部分ーーおそらくバグを含むところと、その他の正常な部分に色分けされた。
「坂井先生、準備出来ました」
「まずは杏美ちゃんの説明を聞きましょうか。大まかな塊ごとに何をするのかを教えてもらって、どこが怪しそうなのか杏美ちゃんが見当つけているところも」
杏美ちゃんが画面にコードを映しながら説明を始めた。
説明の一部は、ソースコードのコメント部分に書かれていて、細かい部分もわかりにくいと思われると、コメントが入っていた。ソースの更新とコメントのズレもなく、良く手入れされていることがわかる。
杏美ちゃんの横に座り、画面を見ながら少しだけ彼女に近づいた。
見かけがピカピカしているだけではなく、杏美ちゃんの香りは心地よかった。鼻が開いてしまっているのではないか、と何度か鼻をこすってしまった。
「先生、もしかして何か私何か匂いますか?」
「あっ、違うのよ。なんか私の鼻、変なになってない?」
杏美ちゃんが顔を近づけてきて、鼻をじっと見てきた。
「普通ですよ。何も変な感じないです」
そのまま顔を突き出せば、そのキラツヤした唇に触れられる、そんなことを思ってめまいがした。
その瞬間。
杏美ちゃんが目をつぶったかと思ったらキスをしていた。
私は自分が顔を突き出してしまったのだ、と思った。
「あっ、ご、ごめん」
「いえ、謝るのは私です。坂井先生のお顔が可愛かったから、つい唇を寄せてしまって」
「えっ、あっ、そんな可愛くなんかないわよ。おばさんだし」
「そんなことないですよ。でも、突然キスなんかしたら嫌ですよね、ごめんなさい」
「いいの。謝らなくていいのよ」
「けど、女の子同士でキスなんて」
杏美ちゃんの手が少し震えているのがわかる。
「そんなの普通よ、普通」
私の中で、パチパチと電荷がはぜるように飛び散って、興奮状態にあるのが分かる。
なんで杏美ちゃんはこんなことをしてくるんだろうか。単純で難解な疑問が浮かぶ。
本当に行った通りの戯れか、それとも……
「コードの説明はこれで終わりよね」
「そうですね」
「じゃあ、私の考えを説明するわ」
コードとコード。プロシジャーとプロシジャーの同期。
おそらくそこが杏美ちゃんの予想とは違うタイミングに起こっている。
ソースコードを指し示しながら、二つの箇所が想定じゃないタイミングで動いた時に、互いに影響を受けてしまうことを説明した。
杏美ちゃんは最初はどうして想定しているタイミングで処理が発生しないのか理解できないようだった。何度かそのイベント条件を噛み砕いて説明すると、想定しているタイミングでも起動されるが、そうじゃない時にも起こりえることに気がついた。
「ありえます。そうですか、それなら、ここの値が」
「そうそう。あと、これもタイミングに影響受けるわよ」
「あっ、そうですよね。わかりました。少し考えてみます」
あらかじめ分かっていた部分、説明を受けて分かった箇所を順に指示して杏美ちゃんの修正に任せることにした。
「じゃあ、邪魔にならないように向こうの部屋に……」
杏美ちゃんの手が震えた。
「坂井先生」
手を重ねてきた。行かないで、立ち上がらないで、といわんばかりだ。
「えっ?」
手を抑えただけではなく、杏美ちゃんは私に抱きついてきた。




