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3-1

「ほ、本当に大丈夫なんでしょうか」


 繁華街の外れとは言え、十分一等地と呼べる立地に店を構える仕立て屋「プール・トゥジュール」。

 その建物の五階にある倉庫部屋の様子は、仕立て屋というよりも図書館に近かった。


 ちょっとしたパーティでも開けそうなほど広い空間には、背の高い棚が何列にも渡ってずらりと並べられている。その中には折りたたまれた布地や、箱に入った小物や金具などが整然と詰め込まれ、背表紙のようにこちらに顔を向けていた。


 店主の持った手燭が薄暗い倉庫部屋を照らそうとするが、高い棚のせいで部屋の全容を見渡すことはできない。

 ただ、細い通路の向こうには、べっこう色の満月を透かす大きな窓が見えていた。


 その部屋で、パリ警視庁のペイラード警部は、怯えたように彼を見上げる「プール・トゥジュール」店主に、力強く胸を叩いて見せる。


「勿論、大丈夫ですとも。この間こそあの盗人に不覚を取ったが、前回の教訓を生かし、今回は総員二人一組を作って行動しております。こうすれば、彼奴が我々の姿を真似たところで、そこに紛れ込むことは不可能!」

「二人一組……?」


 ペイラードの隣の誰もいない空間をみつめて、店主が不安そうに尋ねる。


「あの、さっきまでいたもう一人の警部さんはどちらに行かれてしまったんでしょう……?」

「うっ……」


 そこにいるべき人間は、さっきペイラードが巡回に向かわせてしまった。


「……その、彼は優秀な警察官ではあるのですが、優秀すぎてちょっとその……協調性が足りないというか、あまり出しゃばられると困るというか……」


 ペイラードは歯切れ悪く言葉を重ねるが、彼をみつめる店主の目が不安を通り越して不信に変わり始めているのを見て取って、慌てて軌道修正する。


「――ではなく! いやっ、この現場の責任者は本職でありますので! 彼には本職の判断で別の仕事をしてもらっていると言うか、ハハッ」

「それならいいんですが……」


 まだ少し目に疑うような色が残っている店主に愛想笑いを浮かべながら、ペイラードは内心で冷や汗をかいていた。


 半年前、このパリの街に初めて怪盗リュミエールが現れてからというものの、ペイラードはずっと怪盗を追い続けてきた。

 だが、ペイラードにとって怪盗は、致命的なまでに相性が悪い相手だったのだ。


 かたや、直情家でかっとなりやすく、言ってしまえば浅はかなペイラード。

 かたや、その裏をかくようなハッタリで、彼を翻弄する怪盗リュミエール。


 こうなると、ペイラードは圧倒的に分が悪い。そんなこんなで、これまで幾度となく怪盗を取り逃がし続けてきた。

 ペイラード自身、そのことを歯がゆく思っているのはもちろん、そろそろ上層部からも厳しい視線を向けられ始めている。


 前回の事件から現場に現れるようになったコランタンはその象徴だ。

 コランタン本人は否定していたが、ペイラードは、彼が自分の働きぶりを監視するために上層部が送り込んできた偵察要因であると確信している。

 ペイラードは正念場に立たされていた。


 ペイラードは店主の肩に手を置き、決意を新たにするように頷いて見せる。


「お任せください、今宵こそ、必ずや彼奴をお縄に掛けて見せましょう」

「そ、そうなれば、助かります。我々も、奴には随分手を焼いてきましたから」


 勇ましいペイラードとは対照的に顔色が悪くなるばかりの気弱な店主の手には、小さな化粧箱が握られている。

 この中の金のボタン――太陽をモチーフにした、『陽光のかけら』という名のそれこそが、今回怪盗リュミエールが標的としているものだ。


 店主の言葉に、ペイラードはふうむ、と口髭に触れる。


「でも確かに、言われてみれば彼奴は何故仕立て屋ばかり狙うのか……」

「……あれは、関係ないんだ。だってあの子はあのまま――って、いやっ! それハ……マッタク、メイワクナコトデ、ハハハ」

 店主の笑い声はいやに不自然だったが、浅はかなペイラードは取り立てて気にかけることはない。


「あの……」

 室内にか細い声が響いたのは、ちょうどその時だった。


 振り向けば、開けっ放しにされていたドアのそばに、いつの間にか一人の女が立っている。


 店主が不意に表情を明るくした。


「ああ、何かあったかい?」


 女へと歩み寄る店主に、ペイラードが尋ねた。


「……失礼ですが、この方は?」

「最近新しく入れた、住み込みのお針子です」


 女はペイラードに軽く目礼を寄越すと、うつむきがちに言った。


「今夜この店に怪盗リュミエールが現れると思うと、私、不安で……」


 目鼻立ちの整った美しい女だ。不安のせいか表情は儚げだが、それが余計に言い知れぬ色気を醸し出していた。

 同時に、男の庇護欲が掻き立てられる。


「大丈夫だよ、私が守る」


 さっきまでの気弱な様子はどこへやら、店主はボタンの入った化粧箱をポケットに押し込むと、空いた腕でぐっと頼もしく女を抱き寄せた。拍子に、女の上品ながら決して控えめではない胸が店主の身体に柔らかく触れる。彼の鼻の下がだらしがなく伸びた。


「む……」

 それを見せつけられたペイラードも、気づけば張り合うように声を上げていた。


「安心してください、お嬢さん(マドモアゼル)。我々も……いや、本職も死力を尽くし必ずや怪盗を……!」

「怪盗リュミエールは、随分手練れの怪盗と聞きましたわ」


 店主の腕の中で女が振り返る。ペイラードは店主に見せた時よりも数倍勇ましく胸を叩いた。


「ははっ、あんなのは単なる姑息な小悪党です!」


「――あら、でも」


 その瞬間、舞台の照明が切り替わるかのように、さっと場の空気が変わった。


「確かに、怪盗リュミエールは小悪党かもしれませんわ。――けれどそれこそが、大悪党と呼べるような本物の悪漢どもが別にいるという証拠なのではなくって?」

「それは、どういう……」


 ペイラードが女の言葉の意味を理解するより早く、


「――店主、その女を離せッ!」


 室内に研ぎ澄ました氷のように鋭い声が響いた。

 一拍遅れて銀の軌跡が奔り、


「ちっ――」

 女が舌打ちと共に店主を突き飛ばし、その反動で強く飛びのいた。


「ギャッ!?」

 標的を失ったそれ――投げナイフはどすっ、と重い音を立て、尻餅をついた店主のすぐそばの床へ突き刺さる。


 ペイラードが叫んだ。


「コランタン君、危ないじゃないか! 君は一体何を!?」

「それは私の台詞です、ペイラード警部。そいつは――」


 その声に応じるコランタンの言葉を、女は遮った。


「――へえ、どうやらあんた、ナイフの腕だけじゃなく、鼻も利くようだ」


 女の姿は、ペイラードたちから少し距離を取った場所にあった。手には、店主からひったくったらしい手燭が握られている。


 その声自体は、よく聞けばかろうじてさっきの女と同じものだとわかる。だが、発声の仕方や、声のトーンがすっかり様変わりしていて、まるで別人のもののようだった。


「でも、まあ、バレちまったなら仕方ねえな」


 うつむきがちだった女の背筋が、すっと伸びる。紅の引かれた唇が口づけを求めるように窄められた。


「……む!?」

 ペイラードは、その時初めて強烈な違和感を抱く。

 ――この女、こんなに背が高かったか!?


 だが、ペイラードがその違和感を言葉にするより早く、女は手燭の明かりをいっぺんに吹き消した。


 暗転。


「――――!」

 用意なく現れた暗闇に、ペイラードと店主、そしてコランタンの視界は奪われた。


 そして、窓から差し込む月明かりで目が慣れた時にはもう、

「怪盗、リュミエール……ッ!」

 そこには、あの男の姿があった。

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