Enchant
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「エマったら、昨日は一体どんな魔法を使ったのよ⁉︎ミスター・リードは、私が隣にいる間少しもこっちを見なかったのに・・・。あんたが隣に座ってからは、大分お喋りが弾んでたじゃないの」
サマンサが、ドレスに着替えながら話しかけてきた。悔しいというよりは、面白がっているように見える。
「彼は新しい取引のことで緊張していたの。私が、あなたと交代したときには、ミスター・アンジェロは上機嫌だったし、丁度、彼の緊張が解けてきた頃だったのよ」
「ふ〜ん・・・。本当にそれが理由かしら」
サマンサは、エマの説明に納得がいかないというような顔をしている。エマには、彼女の言いたいことが分かっていたが、無理やり話を終わらせた。
「そうよ!他には何もないわ」
しかし、本当のことをいえば、エマ自身も納得がいっていなかった。
エマには、ジャスティンが、緊張などしているようには見えなかった。もっと違う、感情が彼にはあったように思えた。それに、なぜ彼は、私が来てから急に態度を変えたり、デートに誘ったりしたの?
エマは、胸まで流れる髪を梳かしながら、昨夜の様子を思い返した…。
エマが、入り口付近で接客していると、若い男性客が入ってくるのが見えた。最初に店に入ってきたのは、ノア・ルーカスだった。昔、一度だけデートに誘われたことがあったが、エマが断るとあっさりと諦めて、今では客というよりは、友人ような関係になっていた。といっても、普段はめったにこの店に来ることは無い…。彼がここに来るときは決まって同じ女性に会った後だということに、エマは気づいていた。ハンサムで弁護士でお金持ち・・・。女性なら誰でも口説き落とせそうなノアが、どれだけせまっても落ちない女性がいるらしい。誰かは知らないが、エマはその見たこともないその女性が、自分と似ているような気がしていた。そして、その女性が、いつかノアの手に落ちる日を見てみたいとも思っていた。
ノアに続いてもう1人、男性が入ってきた。店に来るのは初めてだが、誰かはすぐに分かった。NYで最も成功している実業家、ジャスティン・リード・・・
世間の注目を浴びる彼は、仕事だけでなく私生活もマスコミに追われていて、テレビや新聞で目にすることはしょっちゅうだった。
しかし、実際に実物を前にすると、エマの目は彼に釘付けになった。長身で180センチは軽く超えていそうだが、バランスよく筋肉がついているおかげで、決して大き過ぎるようには見えない。完璧なまでのスタイルで、高級感のあるグレイのスーツをカジュアルに着こなしている。服越しからでも、シャツの中に隠れている引き締まった身体が想像出来た。真夏の海を思い出させるような、澄んだブルーの瞳は、長い睫毛に覆われ、すぐ上に生えている眉毛は自然な形に整えられていた。口元を覆う上品な髭がたまらなくセクシーだ。ツヤのあるダーティブロンドの髪は前髪をアップにまとめ、綺麗にセットしてあった。これほどまでに、完璧な男性を見たことはない。彼が、いつも女性たちに取り囲まれていることにも頷けた。エマは、しばらくの間ジャスティンから目を離すことが出来ず、自分のいる場所が、彼から死角になっていることを幸運に思った。
ジャスティンは、両手の親指をパンツのポケットに引っ掛けて、じっくりと店内を見回していた。その時の彼の表情・・・。緊張などではない、この店への嫌悪や、不快を浮かべていた。
彼は、ここで働く私たちのような女性に対して、差別的な感情を抱いてるのかもしれない。
昨夜のジャスティンのとっていた態度を思い出し、エマの中に怒りの感情が沸き立った!もしかすると、デートに誘ったのは、私をバカにして遊んでいるつもりだったのかも・・・。きっと、そうに決まってるわ!
エマは、自分の中で膨れ上がる怒りの感情を、必死に抑え込んだ。産まれた時からお金持ちの彼には、仕方のないことよ・・・。きっと、そうやって人を見下しながら生きてきたんだわ。
それに、私だって、彼らのような恵まれてる人達を嫌って生きてきた。同じようなものだわ・・・。
どっちみち、彼がこの店に来ることはもう無いのよ。二度と会うことは無いわ。
そう思うと、胸の奥がチクリと痛んだが、急いでその思いを消し去った。
エマは、長い髪を束ねて持ち上げると、慣れた手つきでセットし終えた。口紅が取れかかっているのに気づいて塗り直していると、鏡越しに、案内係りのセスがこちらに向かってくるのが見えた。
彼は、エマの後ろまで来ると、鏡に映るエマに向かって話しかけた。
「エマ、ミスター・リードが来ている。彼は、君に会いたいと言っている」