弐章 片利奈、死す その3
片利奈は二度死ぬ。
片利奈の封じ込められた異空間、その洋館にて。
小さな部屋があって、そこにはベッドとタイプライターと大きな鉄製のボックスが置かれていて、白熱電灯がほのかな明かりを灯していた。
「ん……あ、あれ……?」
そこで、『死んだ』はずの片利奈は目を覚ました。
大鎌で突かれた胸は、メイド服に穴こそ開いていたが、傷がなかった。
服だけがダメージを負っていて、噴き出たはずの血は、どこかに消えていた。
「わ、わたし死んだはずじゃ……!? こ、ここは……んー……洋館のどこかなのかな?」
そう思って起き上がるが、『死ぬ』前に刻まれたトラウマの数々が思い出される。
「うっ……そ、外に出たらまた何かに襲われるんじゃ……」
カタカタカタカタと震える、十五歳の少女。
だが、外に出て探索を続けなければ脱出の手がかりを知ることはできない。
結局は再び部屋の外に出ることにした。
「あっ……よかったです。ハムは取られてないみたいですっ……」
鉄製の箱を覗くと、冷蔵庫から手に入れた『ハム』が残っていた。
これを取られると食事がなくなる。何はともあれメシは必要だ。
片利奈は小部屋のドアを開け、廊下へと出た。しかし……
「……ひっ!?」
出たばかりのところの壁に、激しく大量の血糊が噴きつけられている。
そう、それは自分の『死んだ』場所。おそらく壁に噴かれているのは……自分のもの。
「わ、わたしゆうれいかなんかじゃないですよね? よね?」
がくがく震えながら頬をつねったり体を探ったりするが、自分は確かに生きている。幽霊ではないようだった。
「とにかく『鍵』を探すんですっ……。鍵をそのままにしていたら、また『死神』に見つかって、殺されてしまうですっ……!」
そう心に決め、片利奈はふたたび洋館の探索を始める。
手近な部屋に入ると、そこには電気のついたままの机があり、上に携帯ラジオが置かれていた。
「ラジオがあるです。もしかしたら、何か放送が聞けるかも……」
そう思って電源を入れるが、全く聞こえない。
背面を見ると電池が抜けていた。これでは聞こえるはずがない。
「電池があれば、聞こえるかもしれないですね……持っていくです」
片利奈はラジオを手に入れた。
そして同じ机の上に、何やら日記のようなものが置かれていた。それを読むと……。
『……に騙された。奴は敵国政府のスパイだったんだ。この洋館で行われている生物兵器実験のサンプルを盗み出して、それを売りわた……』
英語で書かれていて、そこまでは読めたが、ところどころ破れていて全部は分からなかった。
「何かのヒントかもしれないです。これは要チェックですっ!」
片利奈がそう言った瞬間。
バゴァと背後のクローゼットが開き、全身を腐敗させたゾンビが現れたッ!
「いぁっ!? えっちょまっんああああああああああああああああああっ!?」
両手を前に突きだし、のそりのそりと迫る屍人。
武器も何もない片利奈、あまりの唐突さにビビって慌てて部屋を出る。
「ひぃえええええええええええっ!? た、た、たすけえええええええええっ!!」
部屋を何とか抜け出し廊下に飛び出て、ドアを勢いよく閉める。
ゾンビは知性がないのか、扉を開けて出てくることはなかった。
「はぁ……はぁ……こ、怖かった……ですっ……」
片利奈はドキドキドキドキしながら、身を竦め、なるべく音を立てないように歩きながら廊下を進み、別の部屋へと入る。
そこは名画の飾られていたギャラリーだった。
「絵……?」
細長く伸びた廊下にいくつもの額縁が飾られており、赤ん坊の絵、若者の絵、中年男性の絵、そして老人の絵と続いている。
「……これ、どこかで見たことがあるような……気がするです」
部屋の一番奥にはメモが置かれている。
『我の生まれし時を動かせ』
それを見た片利奈は、すぐにやるべきことが分かった。
「んー……赤ん坊の絵を動かせばいいんですか?」
そう思って、赤ん坊の絵が書かれた絵のところに歩き、額縁をズラすと。
壁に窪みがあって、そこにはハートをかたどった鍵が置かれていた。
「やったッ! これで鍵が開けられそうですっ!」
そう喜ぶ片利奈。ハートの鍵を手に入れた。
だが。
「これって、他の絵を動かしたらどうなるんですかっ!?」
そこで止めておけばいいものを、片利奈は欲張って、別の絵の裏を探してみたくなった。
隣にあった青年の絵に近づき、同じように額縁を動かす。
すると。
「えっ」
壁に窪みがあって、そこには切断された人間の『手』が置かれていた。
そしてその『手』は、指だけで飛び跳ねて片利奈を襲い、首筋を掴んできたッ!
「っ……!? がっ……!? ぐ……ぐ……!!」
人間の物とは思えない凄まじい力で締め上げてくる『手』。
片利奈は苦痛に身を歪め、どうにか『手』から逃れようと必死で引きはがそうとする。
思念力を全力で込めて無理矢理引き離し、地面に叩き付け、さらに足で踏みつけた。
「はぁっ……はぁっ……」
『手』は骨を砕かれて動かなくなったが、片利奈は自身の甘い考えを後悔する。
この洋館には侵入者を死に至らしめるようなトラップもある、と悟った。
「何はともあれ、『鍵』が手に入ったです……。これで先に進めるですっ……」
そう思って、先ほど自分が『死んだ』場所に戻り、袋小路になっていた扉を開ける。
そこは音楽室とおぼしき場所だった。ピアノ、ギター、ベース、ストリングス、サックス、トランペットなど様々な楽器が綺麗に並べられていて、近くにはバーもあり、今すぐに演奏会ができそうな設備が整っていた。
だがそんな雰囲気に浸る間もなく、持っていたラジオがガガッ……と大きな音を立てる。
「え……、ちょ、ちょっとうるさいですっ。あまりうるさくすると『死神』に見つか──」
片利奈はそこまでつぶやいて、思い出した。そのラジオには電池が入っていない。
「ひっ!? ひえええええっっ!? な、ななな何で電池はいってないのにラジオ鳴るんですかっ!?」
パニックになって叫ぶと、さらにガガガガガッ……とラジオが大きな音を立てた。
「こ、この近くに何かあるんですか? も、戻った方がいいのかも……」
片利奈は怯えた様子で引き返し、ドアを開けて音楽室から出た。
扉を閉めたあと、音楽室のピアノの裏に隠れていた『死神』が、ぬうっと身を起こした。
「チッ……ウンノイイ……ヤツメ……」
ラジオは、『死神』に近づくと大きな音を立てる。つまり彼女はラジオに助けられたのだが。
そのことを理解できなかった片利奈。いったん小部屋に戻って、ラジオを鉄のボックスに入れてしまった。
「こんなの持ってたらうるさくて『死神』に見つかってしまうです。電池が見つかるまでお預けですっ!」
ぷんすかと頬を膨らませながら小部屋を出て、別の部屋に探索に出てしまう。
片利奈は手当たり次第に色々な扉を開けようとするが、多くの部屋は鍵がかかっていて、手に持っているハートの鍵では合わなかった。
「なんだか、ドアノブにダイヤとかスペードが描かれてますね……」
それを見た片利奈、同じマークの鍵を探さなければ扉を開けられないことに気付く。
「そっか、同じマークの鍵じゃないと開かないんですね? 次はダイヤかスペードの鍵を探してみるです」
マークが合えば、その扉は開けられる。
片利奈はとりあえずハートのマークがついたドアを開けて、その部屋を探索することに決めた。
一階をあらかた探し、特に手に入るものもなかったので、二階に行く。
「ハーブ……ですか」
階段を登ってすぐの廊下には、緑や青や赤のハーブが植えられた鉢植えが置かれていた。
「ハムにまぶして焼けば飽きずに食べられそうです。もらっていくです」
などと料理部員らしい発想に至って、ハーブを持っていく片利奈。
ちなみに、それは正しい使い方ではないのだが、彼女には知る由もない。
それから少し歩くと、重い鉄製の扉があるのを見つけた。
そこには南京錠が掛けられていたが、何者かに壊されたのか、簡単に入ることができそうな状態だった。
「うっ……何か凄く『死神』が出そうなところですっ……!」
片利奈はその場のヤバそうな雰囲気に気圧される。
だが先に進まなければ何も得られない。勇気を振り絞って扉を開ける。
そこは……総コンクリート製の窓のない部屋で、後付けで作られたような鉄格子があり、中には髪と髭をぼうぼうと伸ばした囚人のような男が監禁されていた。
「う……? だ、大丈夫ですかっ!?」
ひどく痩せ衰え、飢えた様子の男に話しかける片利奈。
「め……し……」
男はか細い声で、牢屋の中からつぶやく。
片利奈は優しいので、すぐに手持ちの食糧をあげることを思いついた。
「ご飯ですか? ここにハムがあるです! 半分ゆずってあげるのです!」
そう言って、ハムを布袋から取り出す。ナイフが無かったので、仕方なく思念力を込めた手刀でスパっと割り、牢の中の囚人に手渡す。
囚人はがつがつとハムを食べ、全てを平らげた。
「あの……あなたの名前は?」
「ばー……ろー……」
「バーローさんですか。覚えたですっ。後で気が必ず助けてあげるのです!」
などと思い付きで異世界の住民に言ってしまう片利奈。
「か……ぎ……」
囚人は震えた手で、隠し持っていただろう、スペードをかたどった鍵を手渡した。
そう、ハムはこのためのアイテムだったのだ。
「えっ!? や、やった!! ありがとうございますっ!」
片利奈は喜び、うきうきした顔で部屋から出ようとする。
だが。
「あらあら、この『バーロー家』に侵入したお馬鹿さんはどなたかしら?」
ばんっと扉を開けて、ライフル銃を持った女が侵入してくる。
「え……あっ……あ……」
片利奈は心底震えた。目の前にいる、長髪にブラウスとロングスカートを着て、ペンダントにブレスレットを身につけた女が、黒光りするライフルの銃口を片利奈に突きつける。
もっとも創覇大学生なら、銃を持った女ごときなら簡単に倒せるはずだ。
しかし問題は──
「ぶ……ぶ……部長っ!? そんな、どうして……!?」
目の前にいた女が、料理部の部長である真田ゆかりと全くうり二つだった。
これでは銃が無くても確実に殺されてしまう、と片利奈は恐怖した。
「その方はわたくしの夫ですのよ。バーロー家の正統なる後継者……だった。今は息子のジョーンズに譲っておりますけどね……ふふふ……」
などとストーリーめいた話をするが、片利奈には全く聞こえていない。
ただただ『部長』が目の前にいるという事実だけで恐怖している。
「迷子の子猫ちゃん、貴方のお家はどこですか?」
「あ……あ……ぶ……ちょ……」
片利奈は後ずさり、コンクリートの壁にどんっと背中を預ける。
『部長』はライフルを持ったまま少しずつ少しずつ歩み寄る。
そのことは魔犬よりゾンビより死神より……遥かに怖いッッ。
「ふふふ……もっと恐怖なさい。恐怖こそがわたくしの息子、ジョーンズを強く育てますのよ」
と、女は再びストーリーめいたセリフを言うのだが。
もはや片利奈には聞こえていなかった。
「いっ……いやぁ……!! いやあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッッッッッ!!」
あまりの恐怖に絶叫し、絶叫し、絶叫する片利奈。
そして間を置かずに、ばんっ、と乾いた音を立ててライフルが発砲される。
弾は彼女の頭部に命中し、脳漿を壁面にぶち撒けて即死。
片利奈は……また、死んだ。