壱章 虚空間と思念生物 その3
ODN50、アイドルデビュー。
「あっ! きたきた、シェフが来ましたです!」
サークル棟の前で待ち構えていた片利奈、勇輔を見るなり嬌声を上げた。
「……? お前ら、何をしているんだ?」
勇輔はその場の異様な雰囲気を感じ取り、片利奈に問う。
決して広いとは言えないサークル棟入口前の広場を、フリフリのアイドル服を着た料理部員五十名が占拠し、大型のおでん鍋の後ろにマスゲームのごとく三角に整列している。
「シェフ……私たち、このままじゃいけないと思ったんです! シェフにいつもいつも助けられてばかりの、ただの料理部員でいちゃいけないって! ……だからっ!!」
片利奈は何故か目を潤ませ、あまりにも唐突に、マイクを両手で持って決意を述べる。
「さあみんな、今こそ日頃の練習の成果を見せる時ですっ! 音楽を入れてっ!!」
先頭に立つ片利奈、エコーのかかった声で部員全員を鼓舞した。
一番後ろの目立たない女の子が音響装置のスイッチを入れ、ミュージックスタートッ!
「シェフ!! 聞いて下さい!! これが私たち……『ODN50』のデビュー曲っ、『とあるコンビニの実話だけど』っ!!」
でででん、とやたら気合の入ったギターとドラムの音響がスピーカーから鳴り響いた。
「こーれーはー!! とーあーるーコーンビーニのー!! じーつーわーだーけーどー!! きーいーてーくーれーるー!?」
五十人の部員が織りなす、一糸乱れぬ激しい振り付けのダンスと歌唱ッ。
「いっしゅうかーん!! にーこーみー!! つーづーけーたーおーでん!! とーけーるー!! とーけーるー!! そーおーどーろーどーろーにー!!」
歌声を聞きつけた学生たちが、サークル棟から、あるいは遠方の道や学棟から続々と駆けつけてくる。
「ちーくーわー!! だーいーこーん!! はーんーぺーん!! いーろーんーなーぐーが!! おなべのなーかーに!!」
あっという間に大量の観衆が広場を取り囲み、学生たちは女の子いっぱいのあまりの眼福に感激、手持ちのスマホやら携帯やらデジカメで写真を撮りまくった。
「じーいっくーりにこんだ!! あつあーつおーでん!!」
センターを務める片利奈、おでん鍋に大量に立てられた串を一本、やたらと派手なモーションで引き抜くッ!
「おーでーん!! おーでーん!! いーっぽーん!! いーかーがーでーすーかー!?」
どぉんと後方で演出の火柱が吹き上がり、熱唱を終えた片利奈が、勇輔にとてもカッコいいポーズでおでん串を差し出すッ!
湧き上がる観客。凄まじい熱狂と歓声が広場を包み込み、新たなアイドルたちの誕生を祝福したッ!
「……」
勇輔は何から突っ込んでいいか分からない様子で静かに眺めていたが、片利奈に釣られるようにおでん串を受け取り、もぐもぐ食べる。
「……なかなかいい味だ。上達したな」
「ぶわっ……!!」
褒め言葉を聞いた部員たち、五十人全員がどわっと大量の涙を流す。
この『とあるコンビニの実話だけど』の振り付けを身につけるために、彼女たちはそれこそ死に物狂いで練習を重ねてきたのだ。
一日の睡眠時間はわずか二時間、忙しいサークル活動の合間を縫って全体練習を毎日十五時間も行い、練習中に疲労で倒れる者が続出、何より毎日の食事が全ておでん……!
そんな苦しみに耐えて耐えてやっと得た、勇輔のお褒めの言葉。感激しないわけがない。
「ところで、オーディーエヌ・フィフティ、とは何のことだ?」
当然のごとく、何も知らない勇輔は素朴な疑問を片利奈に投げかけた。
「ODN50というのはですね、アイドルグループなんです! 私たち、ずっとアイドルになりた……いえ、ずっと部費の調達に困ってたんです! 部長のために高級食材を集めなきゃいけませんからね!」
「アイドルと部費に何か関係があるのか?」
彼女の言ってることが分からない勇輔、さらに問う。
「それはですね……まあ、見ててくださいですっ!」
片利奈は大勢集まったオタク丸出しの観客の方を向き、そしてマイクで呼びかける。
「みなさーん!! 私たち『ODN50』が作ったおでん串、一本千円でーっす!! もーしー!! 串に『あたり』の文字が入ってたらー!! 私たちの中から一人選んで!! 握手ができまーっす!!」
「えええええ!?」
観客たちは一斉に驚愕し、そして誰もが、何としてもお気に入りの子と握手をしたいッ! と思った。
「片利奈。『当たり』とはこれのことか?」
勇輔は食べた後の竹串を指さして言う。そこには確かに『当たり』と書かれていた。
観客たちに衝撃と電流が迸る。あまりにも……うらやましいッ!
「あったりー!! さあシェフ、私と握手しましょーう!!」
「む? まあ、別にいいが……」
片利奈はマイクで大紹介すると、勇輔の胸に飛び込んで密着し、まるで恋人か何かのように積極的なアプローチで握手会を敢行する。
言うまでもないが、片利奈は当たり串と知ってて勇輔に渡した。やらせ。
「うああああああああ!! 俺も!! 俺も握手がしたあああああああああああああああああああああああああああああいいいいいいいいいいいいいッッッッッッ!!」
もはや観客の情動の迸りは止めることができなかった。
女の子との握手に釣られた男どもが我先にとおでん鍋に殺到する。
料理部員たちが会計用のマネーケースと机をぱきぱきと準備し、瞬く間におでん即売会が始まった。
あまりにも予想通りすぎる展開に、片利奈は満面の笑みを浮かべる。
「ご協力ありがとうございますシェフ! 後は完売を待つだけですっ!」
「良く分からんが、これが部費を集めるということか?」
勇輔は首をひねる。
大量に用意されたおでん串が飛ぶように売れ、何人かは実際に握手権を手に入れるが、ほとんどの者がハズレを引き、再びおでんを買うために並ぶ現象が眼前に展開されていた。
「そうですっ! アイドルデビューで人気を上げて、こうして当たりつきのグッズを売れば、ちょっとくらい高くても売れてしまうんです! 今日の売り上げは百万円を見込んでるのです!」
何ともあくどい商売だ。
「あらあら、随分と騒がしいですわね?」
「!?」
片利奈は背後からの声に驚き、戦慄すら覚えながら振り向いた。
そこに現れたのは料理部の部長、真田ゆかり。
五つ星レストランの食事でも一口食べるか怪しいと言われる最強の舌の持ち主であり、同時に、栄養失調でなければ理事長すら屠るほどの最強の実力者の一人である。
「アイドルグループを始めるなんて意外ですわね。私も参加させてくださります?」
などと輝くばかりのセレブリティを放ちながら、高級ブランドのワンピースと帽子とネックレスとペンダントとブレスレットとバッグと靴を身に揃えたゆかりは尋ねる。
ちなみに彼女は二十歳である。
「えっ!? そ、それは……」
片利奈は大いに悩んだ。まさかの部長のアイドル化。しかし彼女はどう見ても単体女優だ。
既にODN50という名前で売り出している以上、メンバーを一人クビにしなければ50というネームに矛盾する。
何より美人で輝くセレブで男からの熱い人気を誇るゆかりがサイドバックや後方というのは有り得ない。どう考えても最前衛の主役になるしかない。
センターを譲るのは……嫌だッ!
「ご、ごめんなさい部長! それはダメですっ! 歳を考えて下さいですっ!」
片利奈は何とか断ろうとしたが、最後の一言が余計過ぎた。
「……」
ゆかりはニコニコと笑顔を浮かべながら、凄まじい殺意の波動をその身から放つ。
激しいオーラのごとき思念波動が空気を揺らし、まるで陽炎のように身体の周りの空間を歪ませる。
思念波動は空気と共鳴し、雷雲が轟くがごとき重低音を響かせる。
よく漫画などで見られる『ゴゴゴゴゴ……』という表現は思念波動による共鳴現象として説明できるのだが、片利奈はまさにその圧倒的かつ危険な重圧と緊張感と修羅場に晒された。
「……かたりな?」
部長はニコニコ微笑んだまま首をひとつ傾げて見せる。
「はっ!? し、しま……つい……」
片利奈は青ざめ、目を丸くして口を四角にして硬直し、全身を震わせてカタカタ怯えた。
「ねえ片利奈。これ……何だと思います?」
「だ、ダイヤモンドです……」
部長は首についていたペンダントから……五百カラットはあろうかという、世界でも最大級の美しく磨かれたダイヤモンドを外し、右手に取って見せた。
その価格は一千万ドルは下らないだろう。
「そうね」
ひとこと言って、ゆかりはダイヤモンドをグシャッッと握りつぶす。
「ところで片利奈。あなた……わたくしと決闘して、勝てると思っておりますの?」
などと言いながら、ゆっくり右手を開く。
ダイヤモンドの美しい『粉末』が、砂のようにさらさらと流れ落ち、無残ながらも美しい輝きを放ったッ!
「ななな何ですかそのありえない握力はっ!? いいい一体いつのまにそんなにお強くなられてそんな私まだしにたくやめてくだごめんなさホントマジごめんなさああああああああああああああああああああああああああああああああああああああいいいッッ!?」
大パニックに陥った片利奈、腕と身体をぐるぐる振り回して激しく錯乱して謝罪する。
その様を見ていた勇輔、冷や汗を流した。
ゆかりは自分と決闘したがっている。これほどのありえない馬鹿力を相手に戦うとなれば、その結果はどうなるか想像に難くない。
「そういえば、まだ貴方たちには話しておりませんでしたわね。わたくしの能力について……」
「は……はあ。どんな能力なのですか?」
片利奈はいまだ顔面蒼白になりながら応える。
「貴方たちが料理に込めた思念力を、食事によって体内に取り込む能力ですの。これは最近になって知りましたわ。おかげでわたくし……とっっってもお強くなりましたのよ♪」
「!?」
片利奈、勇輔、そして残りの部員一同。全員して驚愕する。
ちなみに料理部員の名前を書くと、武田勇輔が料理長のシェフ。籠目片利奈が主任のリーダー。
江原乃衣恵、山咲久麗亜、古犬栗栖亭、吉幸摩江洲輝が調理工程の担当。
そして下働きとして鯵野、波臼、恵須毘、九尾、密柑、衛亭、丸米、大正、大日本、円美矢、江崎、国分、御多福、角屋、博多、天与、山木、宝、色剣、桃夜、結城、花丸木、北蓮、三井、樋下田、甘潮、玉野井、理賢、清樹家、歩津香、丸禅、東丸、長野、謙公、双美、碇、織葉、高橋、蜂が所属。
さらに最近は留学生の受け入れも進め、ギャバン、オイリオ、デルモンテ、ハインツ、モランボン、ブレアーズと外国人まで揃っている。
「……なるほどな。俺たちが調理のために込めた思念力を『食べる』ことで、五十一人分の力を得た。つまり……食えば食うほど、強くなるッッ!」
勇輔が説明すると、ODN50のメンバーは全員して真っ青な顔をした。
五十一人分の思念力を吸収したゆかりに敵う者など、この世にいるものか?
「ど、どこのアリの王様ですかっ!? シェフっ、このままじゃ部長は料理部どころか地球をも支配してしまいますっ! ただちにお食事の供給をやめないと……」
「……かたりな?」
ふたたび余計なことを言った片利奈、微笑んだままのゆかりに凄まじい殺意の思念を放たれる。
「ひっ!? な、なんですかこのドス黒い思念波動はっ!?」
片利奈は漆黒のオーラのごとき思念波動を浴びて、心の底からビビった。
凄まじい殺意の乗った思念波動は、光の屈折をも歪める。
光の流れを遮断するほど強力な思念を放てば、その場所が黒く霧かかったように見えるのである。
「わたくしの見立てでは、全力の5%も出せば、あなたを宇宙のチリにできますのよ?」
「どこの冷蔵庫さんですかっ!? わわわ、た、助けて下さいですシェフぅっ!」
ゆかりに気圧された片利奈、隣の勇輔に助けを求めるが。
「ダメだ片利奈……もはや部長を止めることは不可能に近い……! なるべく刺激しないように注意して対応するんだ……!」
大学の覇者ですらサジを投げてしまった。
「そうそう勇輔君。この前の電話のこと、覚えてらっしゃる?」
ゆかりが話を変えてきた。勇輔はびくりと体を震わせた。
先日の電話。理事長をボコボコにしたゆかりが、勇輔と決闘を望む旨の電話。
勇輔を倒した暁にはムコとして迎えるとの趣旨だった。
「この機会だから立ち合いましょう。大丈夫、痛みを感じないように瞬殺してさしあげますわ♪」
などと全く冗談に聞こえない台詞を放つので、勇輔が逃げ出そうとした、その時。
「いたっ! ちょっとゆーすけっ! 何よこの騒ぎはっ!!」
お腹をすかせたミミカ、サークル棟広場にやってきた。
夏服にミニスカ、ニーソックス姿の可愛らしい女の子が嫉妬に狂い、大量の女の子に囲まれた勇輔を問い詰める。
「あんたねぇ、あたしという存在がありながらゆかりさんや片利奈や女子部員に囲まれてハーレム作るってどーいうことなの!? つーかまずメシよこせ! もぐもぐ!」
とりあえず腹が空いてたらしい。鍋に残っていたおでん串を金も払わずに強奪してモシャッと食らいつくミミカ。
その様子を見たゆかり、静かにミミカに近寄り、挑発の弁を述べる。
「あらあらミミカさん。あなたいつから勇輔君のお嫁さんになったのかしら?」
「嫁じゃないわっ! あたしはゆーすけに近寄る不穏な女どもからゆーすけを守ってるだけなんだから! 勘違いしないでもらえる!?」
圧倒的強者のゆかりに、全く物怖じしないミミカ。
勇輔は悩んだ。このままMKⅡを起動してゆかりを倒せば、物事は丸く収まるのではないか、と。
防御型思念強化兵器のMKⅡならば、あるいは推定戦闘力が一億のゆかりに対抗できるかもしれない。
しかし結局は──
「やめろミミカ。お前と部長じゃ格があまりにも違いすぎる」
そう言って喧嘩をやめさせようとする勇輔。
MKⅡの起動に精神的なリスクが生じる以上、無闇な使用は禁物だ。
なるべく話し合いで収めるのが望ましい。
「ななな何ですってぇ!? あたしよりゆかりさんの方が女として魅力的で性格も好みで相性もぴったしでゆくゆくは妻に迎えたいからゼヒ付き合いたいって言うの!? ぷすんぷすん!!」
だがミミカは違った意味で受け取った。
両耳からぶすんぶすんと黒い煙を吐いて、焦げ付いた香りを撒き散らしながら激怒。
勇輔は若干心配になった。冷却装置が老朽化しているんじゃないかと不安になる。
MKⅡを起動すれば精神的に落ち着くので、こうした現象は起こらないのだが。
「何を怒っている。いいか? 俺は平和主義者なんだ。何でもかんでも決闘で解決するのは良くないと思っているんだぞ? 喧嘩はやめろ」
そうたしなめようとするが、ミミカは興奮冷めやらぬ様子で能力を発動。
思念力兵器のバルカン砲をぶぅんと思念物質化して、両手で構えて威嚇する。
これは彼女の能力で、思念物質を作りだす技の応用。現実にある爆弾や銃器を具現化して、実際に使用して攻撃できるが、制限モードでは花火やゴム弾に毛が生えた程度の威力にしかならない。
「んだとボケが!? ゆかりさんより先にあんたを倒してやるっ! あたしと決闘しろっ!」
などとハリウッド映画のごとくバルカン砲をカッコよく勇輔に向けるミミカだったが。
「ミミカ……やっぱりシェフの恋人なんですねっ!? 子供も試しに創ってたし、もう結婚まで考えてるんですねっ!?」
片利奈がはやし立てると、ミミカは顔を真っ赤にして呆然とし、バルカン砲を地面に落とした。
「あら……そうなの。もう……結婚相手がおりましたのね……」
それを聞いたゆかり、もの凄く残念そうにしょんぼりする。
決闘して勇輔を倒して結婚するつもりだったのに、先客がいたのでは目的を達成できない。
「ごめんなさい勇輔君。わたくし……失恋ですわっっ!!」
目に涙を浮かべたゆかり、光り輝く涙の粒を振り撒きながらサークル棟の部室へと走り去っていった。
宇宙人クラスの桁違いに強い女と言えども、やはりお嬢様。恋愛には疎いというものだ。
最悪の事態は回避された。勇輔は内心ほっとしてミミカに言う。
「助かった、ミミカ。お前はよくやった」
「えっ、ちが……あたし……そんなつもり……じゃ……」
ミミカは顔面を沸騰させながら、何とか何とか否定しようとがんばる。
制限モードの彼女は恋愛にも制限がかかっている。結婚とか恋人とかいうワードは乙女には刺激が強すぎる。
「恋人じゃないんですかぁ? 本当に? 本当に? 本当に? えっちなことのひとつくらいしてるんじゃないですかぁ?」
「ぼふっ!?」
片利奈がジト目で煽ると、ミミカは先日の風呂場での一件を思い出して耳から蒸気を噴いた。
そう、彼女は確かにえっちぃことを交渉モードでやろうとしていたのだ。
もっともそのことは、制限モードのミミカには記憶がない。気が付いたらお風呂上がりの裸で勇輔の上に馬乗りになっていた。ナニをしたのか全く記憶にございません。
「何かあの子……様子がおかしいですね……」
「さっき、『自分という存在がありながら』って言ってたですも……」
「完全にクロですやん……」
「要調査……です……」
後方にいるアイドル姿の料理部員たちが、寄り集まって口々に噂を始める。
あることないこと、あることないこと、色々な噂と情報交換が女の世界で展開される。
「ちがう! ちがう!! ちっっがああぁぁぁぁぁぁぁああああああうっっ!! 変な噂を流すんじゃねえええええええええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」
ミミカはドゴボァッと激しく水蒸気爆発を耳から放ち、恥ずかしさのあまり、白目を向いて卒倒した。