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壱章 虚空間と思念生物 その1

 「虚空間」を操る能力者、斎藤と勇輔の、ちょっとした喧嘩。

 そして二人は仲良く講義に行くのであった。

【壱章 虚空間と思念生物】

 時は現代。東京都、超怖市ちょうふにある最低の国立大学。名前を創覇大学。

 そこは力こそが全てであり、勉強とかどうでも良く、強者だけが報われる学校だった。

「……ふう」

 だがしかし。中には真面目に勉強をしようと考える学生もいる。

 体育館脇の自販機でコーラを買い、飲もうとしている武田勇輔たけだゆうすけがそうだった。

 漆黒のジャケットの下に白シャツ、ジーンズを穿き、やや幼さの残る端正な顔立ちの十八歳。

 彼は大学最強の称号、『ユニバーシティの覇者』として君臨する存在であった──が。

「おう、テメェか。大学の覇者ってやつは」

「……」

 またか、と思いつつ勇輔は背後を向く。

 肩書きというものは厄介な物である。彼は大学最強の称号を持つが故に、四六時中、眼前にいるような馬鹿どもの相手をしなければならない。

 言っても無駄だとは知っているが、勇輔は一応、定型句のような挨拶をする。

「何の用だ? 俺はそろそろ講義こうぎに行く時間なのだが?」

「へっ、余裕ぶっこいてやがんのか? ユニバーシティの覇者」

 朱色に染めた長髪に、ラフな半袖姿をした勘違い野郎がニヤッと笑う。

「オレは斎藤さいとうって言うんだ、覚えておきな。これから長ぇ病院暮らしすんだからよ?」

 などと凄みつつ、歯を見せて破顔する斎藤。勇輔は呆れて溜息をつく。

 大学の覇者になりたいだけのイカレポンチの相手は飽き飽きだ、と怒りながらに思う。

「そうか。斎藤とやら、言っておくがな──」

 勇輔はイメージの力、『思念力しねんりょく』を高めて臨戦態勢をとる。

 彼は物体に思念力を通して強化したり、手にした物から記憶を取り出すことができる。

 即ち、手にしたモノは全て兵器となるッ!

「俺をなめるな……!」

 勇輔は苛立ちをぶつけるように先制攻撃を加えた。

 未開封のコーラに思念力を込め、炭酸の発泡力を数百倍に高め、缶を投げつけるッ!

「おっと……!」

 斎藤は身を屈めて素早く回避。缶が肩をかすめて後方へ!

「え……ぐゲぼァッ!」

 コーラの赤い缶が遠方で異常膨張して炸裂し、全く関係ない学生たちを吹き飛ばした。

 創覇大学では決闘行為への巻き込まれは自己責任である。逃げない奴が悪い。

「ほぉ……これが『物体操作能力』って奴か。怖ぇ怖ぇ……!」

 斎藤は楽しそうに笑い、両手を広げて思念力を高めた。

 全力で戦うに相応しい相手、余裕など見せている暇はない。彼は必殺技を繰り出した。

「戦場を変えるぜ……戦闘領域展開カオステックフィールドッ!」

 などと良く分からない技名を叫び、斎藤は思念力で異次元空間を創り出した。

 彼は『思念空間しねんくうかん』を作る能力を持っている。勇輔は一瞬にして異空間に引きずり込まれた。

 ぐにゃりと歪む眼前。周囲の風景は虹色に輝いて消失し、全く異なる世界へと変わる。

「む……? 何だ、いきなり変な所に飛ばされたぞ……」

 首を捻る勇輔。どこまでも続く暗黒の背景に、透明な地面だけがあるような不思議な場所。

 そこに自分と、斎藤が二人きりになっていた。

「見たことのない能力だな。お前の力か?」

「くっくっく……その通りだぜ。これが『思念空間しねんくうかん』さ。テメェはもう、出られねえぜ!」

 斎藤は勝ち誇った様子で長髪をかき上げる。

 そして愚かにも、自ら能力の説明を開始。

「この世には三次元の世界に加えて、『虚空間きょくうかん』と呼ばれる、もう一つの世界がある。思念力で好きなように形を作れる空間がな……」

 虚空間──別名をi空間とも言う。

 現実世界はXYZの座標で表す三次元で構成されるが、思念力を用いてi座標を作りだせば、いわゆる四次元空間を任意に作りだすことが可能になる。

「おめーが頼りにできる『モノ』は、ここにはないぜッ!」

 そして、この虚空間を構成するものは、現実から引き込んだ空気と斎藤の作った床しかない。

 モノのない世界で戦うことで、勇輔の得意技である物体操作能力を封じる算段だった、が。

「なるほど、賢い選択だな。だが──」

 勇輔は自らの『靴』に思念力を込め、透明な床を蹴って、人外の速度で斎藤に飛びかかった。

「ん……? どガべぼブッ!」

 反応の遅れた斎藤、まともにアッパーを顔面に食らい、縦回転して吹き飛ばされる。

「モノが無ければ俺に勝てると思ったら、大間違いだ」

 勇輔は呆れた顔で諭す。

 人間は誰しも衣服を身に纏っているものだ。

 たまたま着ていたシャツ、その日の気分で履いてた靴、懐にある財布や小銭。

 何もない異空間であろうとも、勇輔は手持ちのモノだけで十二分に戦うことができるのだ。

「く……くくく……なる、ほどなぁ……!」

 斎藤は顔面を真っ青に腫らして、イケメン台無しにしながら辛うじて起き上がる。

「お、オレとしたことがうっかりしたぜ……! あ、危うく気絶するところだった……!」

 致命傷レベルの打撃を食らい、膝をガクガクさせながら情けない言葉。

 気絶すれば思念力が失われ、思念空間が消え去り、勇輔を現実世界に戻すことになる。

 そうなれば負けだ。

「次は顔が腫れるどころでは済まさんぞ。さっさとここから出せ。講義に行きたいんだぞ俺は」

 勇輔は半ばキレ気味に脅すが、斎藤は再びニヤリと笑った。顔半分だけで。

「残念だが、そうはいかねえな……第二の能力ッ! 無量大数騎士ルナティックナイツッ!」

 斎藤は窮地に至り、思念力を全開で発動し、奥の手を出した。

 勇輔の全周から西洋風の鎧を着た幻想の兵が大挙して現れる。数百体はいるッ。

「はぁ……はぁ……このオレに奥の手まで使わせるとはな。テメェを侮ってたぜ……!」

 斎藤の奥の手。この異空間限定で、思念力の兵士を作ることができる能力。

 その数に制限はないが、彼の疲労とダメージ、兵士の性能を考慮して、実際の数が決まる。

 全力で思念力の兵を作り出した結果、二百五十六体を展開するに至った。

「幻想の兵士を創り出す能力か、下らんな。こういうのは数だけの雑魚と相場が決まってる」

「うるせえ黙れ武田ッ! オレは一度も負けたことがねえんだぞッ! そう今もなッ!!」

 勇輔に煽られた斎藤。自らの思念力で作った軍隊に、怒気を込めて指令を発する。

「かかれッ! 勇輔をブチ殺せ無量大数騎士ルナティックナイツッ!」

了解イエッサー!』

 兵士たちは手にした剣を勇輔に差し向け、軍隊のごとき完璧な規律で一斉に襲い掛かった。

 一人一人が一騎当千の剣技を備えた幻想の兵。それが二百五十六体。

 勇輔は人波に呑まれた。

「はぁ、はぁ……どうだッ! このオレを馬鹿にした罪だッ! 蜂の巣になって死ねッ!」

 全力の思念力を展開して疲労困憊な様子の斎藤、勝利を確信して吐き捨てる。

 だが。

「……うむ。見た目は中々面白い……」

 鎧の集団に飲み込まれた一角から、勇輔のつぶやきが聞こえる。攻撃が通ってない。

「え……」

 それを聞いた斎藤、たらたらと冷や汗を流した。

 無量大数騎士ルナティックナイツは自分の命令に忠実に動く。トドメをしくじるはずはない。たぶん。

「斎藤とやら、今は何時何分だと思う? 朝の十時四十分だ。二時限の講義こうぎが始まる時間だぞ」

「んな……」

「もはや一刻の猶予も無い。貴様は三十秒以内に倒す……!」

 驚愕する斎藤に向けて、勇輔はやや回りくどく、てめーをブチのめす宣言をする。

 思念力で具現化した兵士は『モノ』だ。勇輔の物体操作能力の対象となる。

「ガラクタども、そこの馬鹿を気絶させろ……!」

了解ラジャー!』

 覆い被さっていた無量大数騎士ルナティックナイツに思念力を込めて、全て──勇輔の部下に変えていたッ!

「な……ちょっと待てッ! 何でお前らオレに向かってぐべガぶゴべァッ!!」

 斎藤は自分で作った人波に飲まれた。

「お前は馬鹿か? せっかくモノのない空間を作ったのに、自分からモノを作るとはな……」

 勇輔は呆れた。いくら強い能力を持っていても、使う学生がド低能では意味がない。

 物体操作能力を封じるために作った虚空間なのに、その場で思念物質の兵士を作りだす。

 これでは自ら、勇輔の武器を用意してやったようなものだ。

「ぐがべびげぶげびでぶだばッ!! だ、だずげでぼべぼべばァァッ!!」

 無量大数騎士ルナティックナイツに殴られ蹴られ潰されてボコボコにされた斎藤、断末魔と共に卒倒。

 イメージが尽きれば思念力は使用できない。思念空間と無量大数騎士ルナティックナイツは霧のごとく消失した。

「ちっ、五分もかかってしまった。完全に遅刻だな……」

 現実世界に戻ってきた勇輔、不機嫌そうに時間を気にして足早に講義室へ行こうとする。

 だが、ほとんど意識のない斎藤。震える声で小さくつぶやく。

「ち……くしょう……。お……めーを倒して……『講義』に行こう……と思ってた……のに」

「……何の講義だ?」

 勇輔は何となく聞いてみる。

「思念……すう……がくっ……」

 斎藤は言うやいなや気絶した。

「そうか……」

 勇輔は憐れむような顔をして、ぐったりした斎藤の体を起こし、肩を貸した。

「俺と同じだな」

 そう言って、二人で一緒に講義に行くことにした。


 思念数学しねんすうがくの講義は、植生に囲まれた一角にある西八号棟で行われる。

 やや遅刻した勇輔は、気絶したままの斎藤を担ぎながら講義室に入ってきた。

「……まだ、おっさんは来てないのか」

 勇輔は少し安心して、最前列の折り畳み席を倒し、白目を剥く斎藤を無理矢理に座らせる。

「良かったな斎藤。教員は遅刻だ、ちゃんと講義が受けられるぞ」

 そう言って隣の席に座り、肩掛け鞄からお気に入りの自由帳じゆうちょう戦闘用鉛筆バトルえんぴつを取り出して待つ。

 まるで小学生のような文房具だが、周囲の学生が突っ込んだり笑ったりすることは、無い。

 からかう奴は間違いなく子供用文具の真の力を思い知ることになるだろう……!

「はぁーはぁー! ごめんなさいね皆さん! 遅れてしまいましたよ!」

 間もなくして、思念数学しねんすうがくの講義を担当する、眼鏡をかけた肥満の中年教員が現れた。

 名前は山田敏夫やまだとしお。創覇大学を代表する教員の一人である。

 勇輔にとっては一番の恩師であり、逆に言えば、最も警戒する相手である。

「遅いぞおっさん。早く講義を始めてくれ。俺はこれが一番の楽しみなのだぞ?」

「ふぅ……ふぅ……分かってますよ勇輔君。ただちょっと待って下さい。院生と決闘になって蹴散らすのに時間が掛かりました……」

 山田はぜいぜいと息を荒らげて説明する。慌てながら講義の準備。

 創覇大学の教員は多忙である。血気盛んな学生に決闘を挑まれることは良くある。

 一〇分しかない休み時間のうちに挑戦者を倒さなければ、講義に遅刻するハメになる。

 彼が疲労しているのは遅刻を取り戻すために走ったからではない。決闘で消耗したからだ。

「さて……遅れましたが『思念数学しねんすうがく』の講義を始めます。まずは前回の小テストからです」

 創覇大学は、どちらかと言えば理系に属する大学だ。

 講義の最初に前回やった内容の小テストをする。成績が悪ければ『単位たんい』が取れない。

 そこは他の大学と似ているが、創覇大学では講義中に再起不能になると単位が取れないので注意が必要である。

「テスト時間は一〇分です。もらった学生から始めて下さいね」

 山田が席を回って学生全員にプリントを配り、早速とばかりにテスト開始。

 その内容は驚くべきものだった。

分数・・の割り算か……苦手だ……『書く』のが……)

 プリントに慣れない様子でぐちゃぐちゃの筆算を書きながら、勇輔は苦々しく思う。

 思念数学の小テストと言えば、小学校レベルの算数と相場が決まっている。

 創覇大学の学力は日本最低レベルであり、国立大学としてはぶっちぎりで最悪だ。

「勇輔君、ちゃんと読める字で書いて下さいね?」

「ぐ……。くそ……」

 山田に煽られ、勇輔は悔しそうに唇を噛む。

 小学校にすら通ったことがなく、まともに文字が書けない勇輔にとって、大変な苦労だった。

(暗算ならできるのに……テストが始まった瞬間から全部の答えが分かっているのに……!)

 やきもきしながら、震える手で、一文字ずつ頑張って筆算を書いていく勇輔。

 彼は学者としては天才の部類である。暗算なら電卓より早く数式を解くことができる。

 『文字をうまく書けない』という、大きなハンディを抱えていなければ、東大やハーバードやケンブリッジでもどこでも好きな大学に行けるだろう。

「はい、小テストは終わりです。後ろから前に答案を回して下さい」

 山田が終わりを告げ、テストの回収が行われる。

 勇輔は一〇分の制限時間を使い切ってどうにか全問を解く、というか書くことができた。

 ちなみに隣の斎藤は気絶していたので問題が解けず、〇点となった。

「おっさん、なぜ筆算をしなければならない? 答えだけを書けばいいだろう、無駄な苦労をさせないでほしいのだが?」

 そう勇輔がいちゃもんをつけると、山田はニコニコと笑って諭す。

「コミュニケーションというやつですよ、勇輔君。なぜ答えが出るのか、その『根拠』を書かなければ、あなたの考えが私に伝わらないでしょう。根拠なしには点数をあげられません」

「むう……」

 勇輔は完璧に論破されて閉口する。

 根拠を論理的に示した上で、その過程を他者に示すことで回答とする。

 数学では基本的なことだ。

「では本題に移りましょう。今日はイマジナリーナンバー、すなわち虚数きょすうについて学習します」

 山田はホワイトボードにマジックで講義の内容を記していく。

 これは思念力の極意に通じる学問である。学生たちは真剣な眼差しで講義を聞く。

虚数きょすうとは実数じっすうでない複素数ふくそすうのことです。二乗にじょうするとマイナス1となる数、つまり、Xの二乗イコールマイナス1となるかいのうち、ルートマイナス1、要するにiとなるものを虚数単位きょすうたんいとして定義します。実数a、bがあるとしてaプラスbiとなる数を複素数と言いまして、aを実部じつぶ、bを虚部きょぶと呼びます。ところで複素数Zについて、Zの絶対値ぜったいちは……」

「う……ふわー……」

 学生たちはバタバタと机に倒れ、次々と深い眠りについていく。

 内容的には高校生レベルだが、創覇大学の学生にはいささか難しすぎたようだ。

「なるほどな、実にタメになる……」

 しかし勇輔は聞くだけで大体理解した。

 手元の自由帳に、他人にはとても読めない字で講義の内容を書き写していく。

「虚数、即ちイマジナリーナンバーは、実際には存在しない数です。しかし、現実の科学では虚数がなければ必要な計算を行うことができません。なぜだと思いますか、勇輔君?」

 学生諸君があらかた全滅いねむりしたところで、ひとり起きている勇輔に質問する山田。

「……それが、イメージの産物。『思念力』の現れだからか?」

「そうです。ありもしない数をあれこれ考えること。これ即ち思念力に他なりません」

 難解なやりとりをする二人。山田は要約するように結論を述べた。

「我々の創り出した科学とは、思念力そのものなのですよ」

 人間はイメージによって科学を作ってきた。

 空を飛びたいと思えば飛行機を作り、速く走りたいと思えば自動車を作った。

 イメージを形にするという意味では、超能力としての思念力と科学は、共通点が多い。

「隣にいる斎藤が、俺をさっき異空間に閉じ込めた。アレは虚数と関係があるのか?」

「斎藤君と戦ったのですか? もちろん関係あります、彼は優秀な『虚空間きょくうかん』の使い手ですよ」

 山田はホクホクと笑んで勇輔の問いに答える。

虚空間きょくうかんとは、四つ目の次元のことです。我々はX、Y、Zの軸を持つ三次元の空間に生きていますが、思念力を使って、もう一つ次元を作ることができます」

「……思念空間しねんくうかんとも言っていたな、こいつは」

「それは虚空間きょくうかんの別名ですね。思念空間しねんくうかんは能力者の気分で色々な世界を作ることができます。どんな物でも入るポケット、好きな所に繋がるドア、過去や未来に行ける機械。それらは全て、思念空間しねんくうかんによって説明できるのですよ」

 などとファンタジックな説明をする山田。彼は丸型ロボットが好きなようだ。

 この世に伝わるあらゆる異能は、思念力で説明できる。

 そのための学問を研究する場所が創覇大学であり、山田を含めた多数の教員と学生が、日夜ありとあらゆる思念力の研究と学習に明け暮れているのだ。

「なるほどな……」

 勇輔は腕組みをして考える素振りをし、素朴な疑問を投げかける。

思念空間しねんくうかんを使えば、『タイムマシン』が作れるのか?」

「ええ、恐らくは。虚空間においては時間の流れも変えられますからね」

 山田が言うと、勇輔は目をつぶって静かに押し黙った。

 もし過去を変えられるのなら、自分がやってしまった過ち……物体操作能力で家族を殺してしまった過去……それを変えることができるのではないか?

 彼はそう考えた。

「おっさんは思念空間しねんくうかんの研究をしているのか?」

「はい、そうですけど?」

「……後で、おっさんの研究室に行ってもいいか?」

 勇輔が物欲しそうに尋ねると、山田は頭を掻いて、微笑したまま言う。

「タイムマシンを使ったところで過去は変わりませんよ、勇輔君」

 それは当然と言えば当然だが、勇輔にとってはショックな一言だった。

「……そうなのか?」

「仮にタイムマシンを作ることができたとして、それによって変えた過去は、未来に含まれている事実です。要するに、未来は変わらないということです」

 山田はタイムパラドクスについて自らの見解を述べる。

 勇輔は納得せざるを得なかった。過去を変えようとしても、徒労に終わる可能性は高い。

 少なくとも目の前で爆散して死んだ母親は、絶対に助からない。それは間違いないのだ。

「そうか……残念だな……」

「君がタイムマシンを欲しがるのは、辛い過去を消したいという、ただ一点のためでしょう?」

 そう山田に言われて、勇輔は物憂いげに腕組みをした。

「……俺は自分の能力で悪戯をして、家族を殺してしまった。そのせいで今になっても文字を書くことが辛い。できるなら物体操作能力こんなちからを忘れて、普通の人間になりたいと思っている」

 勇輔は天才だが、天才ゆえに苦しんでいる。

 普通の人間なら悩まずに済むことで、非常に陰鬱な思いに駆られていく。

 物体操作能力を持たなければ、今頃は東大にでも通う優秀な学生として過ごしているだろう。

「ははは……君は随分と、下らないことで悩んでいるのですね」

「……何だと?」

 山田に笑われて、勇輔はムッとした顔で教卓の方を睨む。

 流石にイラついて、決闘してやろうかとも考えたが。

「過去なんて今さらどうしようもないのですよ。大事なことは『今』をどう良くしていくか、これからの『未来』をどう築いていくか、ということではないですか?」

「それは……」

「できないことを考えても仕方ありません」

 勇輔は再び押し黙った。反論の余地もない正論だった。

 彼はまだ若く、十八歳である。経験豊富な山田に人生論で勝てるわけもなかった。

「……それもそうだな。おっさんには敵わないと思った」

「ははは。まあ、僕もこの大学で色々ありましたからね……」

 そう言って山田は手元の腕時計を見る。そろそろ正午になり、講義が終わる時間だ。

 勇輔には話さなければならないことがある。この機会に伝えておこうと考えた。

「話を変えますけど、君はミミカさんの『所有者』になったそうですね?」

「あまり大きな声で話すな。アレは国家機密だ……」

 勇輔は露骨に不機嫌そうな顔をして言う。

 イスラエル製の思念強化兵器しねんきょうかへいきであるMKⅡミミーカ……日本名、鳳仙院ほうせんいんミミカ。

 勇輔は彼女の『所有者』であり、同じ学生寮で暮らす同居人だった。

 もっとも、これは国家のトップシークレットである。気軽に話してほしい内容ではない。

「僕のところにも色々なツテで情報が入ってきましてね。君は随分苦労してると聞きましたよ」

「大したことじゃない。ちょっと故障・・があるだけだ」

 風呂場でMKⅡに押し倒されたことを思い出して、勇輔はぶすっとして答える。

 彼女には人間ミミカ機械マークツーの人格があり、MKⅡになるとリミッターが外れる。

 リミッターがない状態ではあらゆることを完璧にこなすようになるが、いささか制御に問題があり、例えばえっちぃことをヤリ始めるともうイくとこまで完璧にヤリきろうとする。

 勇輔は恋愛を全く知らないので、そのことを『故障』と呼んでいた。

「ミミカの『所有者』として、管理はしっかりやっているつもりだ。問題ない」

「まあ、君がそう言うなら心配なさそうですが……気をつけることです。思念強化兵器しねんきょうかへいきの存在を嗅ぎつけて、各国のエージェントが大学に出入りしてますよ?」

「分かっている。アメリカ、イギリス、ロシア、中国、EU……色々な連中が大学を監視しているな。ミミカを連れ去るようなら容赦はせんぞ」

 勇輔がそう言うと、山田は眼鏡を外して、クリーニングクロスで綺麗に拭き始める。

「外国勢もそうですが、日本政府にも気をつけなさい。彼らの中にはミミカさんを防衛産業に取り込もうとする輩がいます。我々としても学生の軍事利用は避けたいのですがね……」

「……灯台元暗し、ということか」

「そういうことです。みなさん起きて下さい、これで講義を終わりますよ」

 正午になり、二時限の講義が終わる時間となった。

 勇輔と山田が片付けを始めると、熟睡していた周りの学生たちが元気に起き上がり、メシだメシだとばかりに凄まじい勢いで講義室を出ていく。モラルとか無い。

「め……し……」

 気絶していた斎藤も起き上がり、体を引きずりながらふらふらと出ていった。

 そして二人きりになった静寂の講義室で、勇輔は山田に言う。

「あんたの言うことは分かった。だが一つ言いたい。嘘をつくのはやめろ」

「嘘、ですか?」

 首を傾げてとぼける山田だが、勇輔は鋭い洞察力を持っている。嘘は通じない。

「あんたはタイムマシンを持っている。そしてそれは実際に使うことができる」

「どうしてそうだと? どんな『根拠』で?」

「返答はいらん。あんたの私物を触って記憶を辿れば済む話だ」

 そう言って、勇輔は席を立って山田の方に歩もうとする。

 勇輔は勘で言っているだけである。しかし九割方は正しい洞察だった。

 もしタイムマシンを持っていないのなら、わざわざ勇輔を説教する必要などない。

「……ははは、なるほどバレましたか」

 山田は観念したのか、誤魔化すように苦笑した。

「確かに、タイムマシンの試作品を作ったことはあります。しかし……アレは失敗作でした」

「……失敗作?」

 勇輔は興味ありげな眼で山田を見据える。

「そう失敗作です。僕はSFが大好きでしてね。机の中にタイムマシンを作って、好きな時代に旅行するのが子供からの夢だったんですが、実際に作るのは非常に困難を伴いました」

 山田は昔を懐かしみつつ失敗談を語る。

「時間の流れが緩やかな思念空間に自分を転送し、一定の時間が経った後に現実世界に戻れば、理論的には未来に行くことができます」

 未来に行く方法。それは思念空間に自分を移して戻す、という単純な方法だった。

「思念空間の時間軸は現実と違うベクトル、つまり方向を持たせることができますから、同じ理屈で過去にも行けるはず、だったのです」

「……それが、なぜ失敗したんだ?」

 勇輔が問うと、山田は首を横に振って、お手上げといった感じのポーズを取る。

「僕の作ったタイムマシンでは、ごくごく短時間しか未来に行くことができなかったのです。それこそ数秒間だけ未来に行けるだけでした……過去に行くのは全て失敗しましたね」

 山田は昔、研究室で様々なSF機器の開発を行っていた。

 それは単に論文を書くためのものではなく、彼自身が望んだ夢……彼の好きな漫画や特撮の世界で使用される、便利な道具を作るためのチャレンジだった。

「ま、現実は非情です。タイムマシンを作ったはいいですが、所詮は未来への片道切符ですね。それに、仮に開発を一生懸命に進めて、十年先の未来へ行けるとしましょう。そしたら二度と元の時代に戻ることができないんですよ? 友達とも家族とも会えません」

 研究を進めれば進めるほど、彼は理想と現実の違いに打ちのめされた。

 思ったよりも研究の成果が低く、メリットの無さだけが明らかになっていく。

 そうした日々を続けた末に、山田は『研究をやめよう』という結論に達した。

「僕は自分の人生全てを投げ打ってまで、危険なことをするつもりになれませんでした。研究自体の出来も大して良くなかったですからね。あなたもタイムマシンの研究なんてつまらないことに時間を割くのはお止めなさい」

「……そうか。良く分かった。忠告として聞いておこう」

 勇輔はいつもの冷淡な顔に戻って、残念そうに講義室を出て行った。

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