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参章 勇輔、『地獄』にて その1

 『地獄』に侵入した勇輔。彼を待っていたのは……。

(ここが……『地獄』……か?)

 勇輔は虹色に輝く空間転移を終え、夕日に輝く一件の住宅の、その玄関に飛ばされた。

 この世界は、かりそめの幻想と分かっているが、勇輔は動揺を隠せなかった。

 そう、そこは……。

「俺の……家……?」

 片利奈が見ている世界とは異なる、勇輔専用の『地獄』。

 思念空間に入り込んだ者が、自らが持つ最も恐ろしい恐怖体験を具現化する場所。

(ふざけた所だ……! 俺がこの場所に、『恐怖』を感じているというのか……!?)

 勇輔は唇を噛み、苛立ちながら土足でフローリングに上がろうとする。

 その時。

『ゆうちゃん! ちゃんとお靴を脱いでから上がらなきゃダメでしょ!』

『はーい、おかあさん!』

 青白く透明な幻影が玄関に現れる。『六歳の勇輔』と、彼が殺した『母親』。

 一般の家庭で普通にありそうな会話を交わしたのち、幻影は……消えた。

 勇輔はびくりと体を震わせ、冷や汗を流した。

(落ち着け……! これは……俺の記憶が生み出した幻影だ……!)

 そう分かっていても、彼はひどく動揺して、身体の芯から震えが来るのを抑えられなかった。

 ごくありふれた家庭の日常──それこそが、勇輔にとって最も恐るべき、封印された記憶だったからだ。

「……どこかに片利奈がいるはずだ……!」

 過去を振り払うように、勇輔は土足で『自宅』の中へと進み、廊下を走る。

 だがすぐに。

『あははははッ!』

『ゆうちゃん、廊下を走っちゃダメよ!』

 背後から母子の幻影が再び現れ、勇輔は再び、どきりとする。

 『六歳の勇輔』は廊下を元気に駆け、『母親』はそれを追いかける。

 そう、勇輔が良く知っているシーン。忘れがたき、暖かな想い出……。

「……くッ。こんな……ものに……俺は……!」

 勇輔は手を震わせながら、『自宅』の居間の扉を開ける。

 すると。

「!?」

 そこは部屋中、血まみれになっていた。

 血で染まった手の跡が、床に壁に天井にびっしりと、引きずるように描かれている。

 そして、居間のテーブルの上には、勇輔の『父親』が寝かされていた。

 数十本もの包丁を突き立てられ、無残な死体となって。

「……!!」

 勇輔は無言のまま、心臓を激しく高鳴らせた。

 顔も思い出せなかったはずの『父親』が、リアルな姿でそこにいる。

 いつもは全く思い出せない、思い出すつもりもない父の姿だが。勇輔の記憶の深層では、はっきりとその姿を覚えていたのだ。

(殺されている……!? 一体、誰に……いや落ち着けッ! これは幻想の産物だ……、本物の父親は、俺が……)

 そう思い出すと、勇輔は苛立ちを募らせた。

 目の前の『父親』も、自分があの日、家を焼き払って殺したのだ。

 死体の幻影が置かれていることよりも、その事実を再認識したことの方が、勇輔には辛かった。

「くそっ……!! 何なんだこの場所は、何なんだッ!!」

 勇輔は怒りとストレスのあまり、付近にあったソファーを蹴りつけた。

 物体操作の思念が乗り、中身の綿が爆発し、飛び散って、ソファーは窓ガラスをブチ破って屋外に飛んでいく。

「はぁ……はぁ……。くそ……!」

 勇輔は『地獄』の姿を見るだけで疲労しながら、隣の部屋。食卓に行こうとするが。

 鍵がかかっているのか、ドアは開かなかった。

「……」

 ドアの奥から、話し声が聞こえた。

『だいどころさん、おっきくもえてね!』

 それは、勇輔がこの家を焼き払ったきっかけ。

 物体操作能力で台所のガス台に思念力を込めた時。

 その時の声だった。

「やめろッ!!」

 勇輔は拳に全力の思念を込め、ドアを殴り破った。

 木製のドアは中央から真っ二つに折れて、ドアノブや蝶番ちょうつがいごとブチ壊して地面を転がる。

 そして入った先、食堂。そこにある台所では。

 『六歳の勇輔』の幻影がガス台の上に立っていて、こちらを振り向き、無邪気な顔をして消失する。

(……俺を『殺す』つもりだったのか? もし俺がいま止めなければ、あるいは、俺があの日見たようにガス台から火が付き、建物ごと焼け死んでいた……のか?)

 勇輔はそうなることを恐れた。

 ガス台に近付き、思念力を込めて、『六歳の勇輔』が掛けた思念力を解除する。

 さらにガス台の元栓を閉めた。これで防火はバッチリだ。

(やはりな……物体操作の思念力が込められていた。このまま時間が経てば、『母親』が過去の通りに着火して、大惨事になるところだった。『地獄』は、俺に恐怖を与えた上で殺そうとしている……!!)

 そう勇輔は推察した。

 『地獄』は、迷い込んだ者の恐怖の思念力を吸い取る思念空間だ。

 そのために幻影を見せ、怯えさせ、かりそめの死を与える。

 彼はこの時点では、そのように思っていた。

「……おにいちゃん?」

「!?」

 勇輔はびくりとして、背後を振り向く。

 そこには……彼の良く知る四歳の女の子がいた。

「おとうさん、どうしたの? まっかになってうごかないの……ねえ、どうして?」

 幼い女の子は、よく事情が呑み込めていないような様子で、不思議そうに聞く。

 惨殺された父親の無残な姿を見たのだろう、と勇輔が思ってしまいそうな顔をして。

 そこにいた子は……。

「……莉緒りお……?」

 武田莉緒たけだりお。勇輔の二つ下の妹。

 勇輔はその顔をよく覚えていた。とても可愛がっていた妹だった。

 小さな女の子らしくだぶついたピンク色のパジャマを着て、プラスチックの球がさくらんぼのように連なる髪飾りを頭につけた、ショートツインテールの髪型で──

 『お兄ちゃん』として、勇輔は幼心ながら、誰よりも可愛がっていた。

「そう……『りお』だよ……。お兄ちゃんが『殺した』……」

 それは幻影だと勇輔は分かっていた。

 だがその台詞は、何よりも激しく彼の心を切り刻む。

 勇輔は錯覚しつつあった。

 目の前の『莉緒』は、自分の心の弱さに付け込むために『地獄』が作りだしたものではない。

 あるいは、本当に、家族の霊が目の前にいるのかもしれない……と。

(ただの……幻……影……じゃないのか? アレは……妹の……『霊』……なのか……?)

 そう思う根拠はあった。

 勇輔は莉緒の顔は覚えているが、その時にどんな服装をしていたのか、どんな髪型でどんな体型だったかまで正確に覚えているわけではない。

 しかし、眼前には精巧な『妹』がいる。そのことが、単なる過去の記憶の産物では説明できない。

「りお……ね、ここでずっと、おにいちゃんをまっていたんだよ?」

 その心を読んだかのように、『莉緒』はさらに、勇輔の心をえぐるような言葉をかける。

 勇輔はさらに困惑した。

 彼女が、本当に『妹』の『霊』だとすれば、自分はどうしたらいいのか。

 ただの幻影であるならば、思念生物の身体を破壊することに何の躊躇いもないだろう。

 しかしもし、本当に『莉緒』が肉親の『霊』だとすれば──戦うわけにはいかない。

 問題は、彼女が『ただの幻影』だと断ずるに足る証拠が、何ひとつ無いということだ。

「ずっとまってた……。じゅうにねん……。おにいちゃんに『ふくしゅう』するために……!」

 幼き日に聞いた、可愛らしい声そのままに、『莉緒』は狂気を込めてつぶやく。

 勇輔は冷や汗を流し、ぞくっと体を震わせる。

 莉緒は懐から包丁を取り出し、血まみれになったそれをゆっくり勇輔に向けて言う。

「じつはね……おとうさんをころしたのは……わたしなの。うそついてごめんね……!」

 『莉緒』は目をギョロつかせ、顔を蒼白にし、両手でしっかりと包丁を握って、勇輔に一歩ずつ静かに近づいていく。

「おにいちゃん、おにいちゃん……アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッッ!!」

「う……っ……!?」

 『莉緒』は甲高く叫び声を上げ、飛びかかるわけでもなく、毎秒三十センチのペースで迫っていく。

 勇輔は怖かった。恐ろしかった。

 目の前の少女が、『妹』が、あんなにも弱く、儚い様子で自分を殺しに来るのだ。

 それはあまりにも、リアルで、現実的な、幼子の殺意だった。

(ダメだ……! 倒すわけにはいかない……!)

 勇輔はその場から逃げるしかなかった。テーブルを回って莉緒を振り切り、ドアを開けて食堂を出て、『父親』の死体がある居間を抜け、廊下へと出る。

 『莉緒』は幼い少女だ。ぶかぶかのパジャマのせいで走ることもままならず、時々転びながら、ドアを開けることも大変そうな様子で少しずつ勇輔を追ってくる。

 すぐに追いつくことはない。だがそれが、恐ろしいのだ。

(とにかく……追跡を振り切らなければ……!)

 勇輔は焦りを募らせながら階段を登り、自宅の二階へと行く。

 手近なドアを開けると、そこは子供部屋だった。

 莉緒の部屋──自分はあまり見たことのない部屋だった。

 フローリングにカーペットが敷かれ、赤く小さな可愛らしいキャラクターの描かれた手提げかばんが床に置かれ、小さなベッドと、小学生になっても使えるようにと親が買った学習机が並んでいる。

 壁には莉緒の描いた稚拙な落書きが貼られていたが、勇輔はそれらを見たことがない。

(やはり……俺の記憶にない部屋までも、精巧に……いや、それを考えるのは後だ!)

 勇輔は近くの窓を開けた。夜闇から風が吹きこむ。

 そして後ろを振り返り、付近のクローゼットの開けて中に入り、しずかに扉を閉めた。

(……)

 勇輔はひどく緊張しながら、追手が来るのを息を殺して待つ。

 間もなくして、『莉緒』はガチャガチャとやかましくドアノブを開き、自分の部屋へとやってきた。

「アハハッ! おにいちゃん! どこにいったの!?」

 ぶんぶんと包丁を振り回しながら、『莉緒』はきょろきょろと室内を探す。

 窓が開いている。それを見て、彼女は簡単に結論を出してしまった。

「まどのそとににげてもむだだよ! おにいちゃん!!」

 そして開けられた窓枠をよじ登り、外のバルコニーへと出ていく。 

 所詮は四歳の子供である。まさか勇輔が室内に隠れているとは思わない。

 勇輔は陽動に成功し、『莉緒』の追跡を振り切った。

「……ふぅ」

 キィ……と静かにクローゼットの扉を開け、隠れていた勇輔は出てくる。

(冷静さを失いすぎだ……。少しは落ち着け、武田勇輔)

 そう自戒して、息を整え肩をほぐし、勇輔は子供部屋の調査を始める。

 彼にはサイコメトリーの能力がある。部屋にあるモノを触って思念力を込め、『残留思念』を読み取れば、自分の悩みを根拠を持って解決することができる。

(山田のおっさんが言っていたように、『根拠』のないものに価値を与えてはならない。妹の霊が俺を殺しに来ている、などと勝手に想像してはいけない。まずは調べることだ)

 思念数学しねんすうがくのテストで、山田に諭されたことを思い出しながら、勇輔は調査を進める。

 部屋にある、あらゆるモノに触って『残留思念』を調査したが、その痕跡は無かった。

「やはりな……ここにある『モノ』は全て、思念力で作られた思念物質ガラクタだ。実在の物体ではない……!」

 勇輔はいくつかの結論に達した。

 この『自宅』は、ミミカの能力のように思念物質を具現化して作りだした代物であること。

 『莉緒』は『地獄』にあるこの家に、元から住んでいるわけではないこと。

 精巧に作られたように見える衣服や家具、妹の姿などは、よくよく考えたら大学周辺や百貨店や昔の仕事で断片的に見たことがあり、全く記憶にないわけではなかったこと。

 幻影の正確な正体を知ったことで、勇輔は現実に立ち返ることができた。

「サイコメトリーをしても、記憶が取り出せなかった。つまり、この『世界』は……俺が入った時に初めて創られたんだ……! だから過去の記憶がないんだ!」

 勇輔は確かな根拠をもって事実を悟り、怒りに体を震わせる。

 それは『地獄』にではない。

 ましてや、『妹』にでもない。

「なぜこんなことが起こるのか……その理由は……ひとつ!」

 怒りを感じていたのは、自分。

 こんなクソったれのファッキン空間を作っている、張本人。

「『地獄』を作っているのが……『俺』だからだッ!」

 勇輔は……頼子もそうだが、思い違いをしていた。

 『地獄』は取り込まれた者の過去の恐怖を具現化して、幻を見せる思念空間だと思っていた。

 首謀者がいて、そいつが自ら世界を作って侵入者を苦しめていると思っていた。

 だが実際には違う。

 取り込まれた者が自ら、自分の持つ記憶や恐怖を用いて、このような世界を作りだしているのだ。故に、『死んだ』としても、その者に実際の危害が加わることはない。

 『地獄』は、侵入者が持つ思念力を強力に発揮するように後押しをする空間。そうして彼は独り相撲をして恐怖に怯え、莫大な思念力を放ってさらに広大な世界を作り、『死者の霊』は、その残骸を食っている生き永らえるというわけだ。

(これほど自分に腹が立ったのは初めてだ……! 俺が『恐怖』に打ち勝たない限り、この悪夢が消えることはない、ということ……!!)

 勇輔はそう思い、子供部屋の窓を閉め、静かに待った。

 自身の『恐怖』の権化は、しばらくしてやってきた。

「あっ! いた!」

 勇輔の『妹』は、開け放っていたドアから現れる。

 包丁を片手に。兄を殺しに。

 だがそれは、勇輔が創り出した悲しみと後悔の権化だった。

「もう、にげちゃダメだよおにいちゃん! かくれんぼはおしまい!」

「そうだな」

 勇輔はつかつかと歩み寄り、『莉緒』の頭を優しく撫でる。

 顔に狂気を隠さない少女、包丁を突いて容赦なく刺そうと思ったが、金縛りにあったように、全く体が動かなかった。

「えっ……」

 『莉緒』は目を丸くして、血だらけの包丁を落とす。

 眼前の『妹』は自分が創り出した思念生物。そう分かってれば扱いようがある。

 勇輔は物体操作能力を発揮して、思念生物である彼女の体に思念力を込め、そのコントロールを奪取していた。

「お前は俺の『妹』じゃない。俺の作ったクソったれのゴミのガラクタに『死者の魂』が乗り移ったものだ。『妹』と同じ年で亡くなった、大学の隣の幼稚園にいた女の子の魂がな……!」

 創覇大学の隣には幼稚園がある。

 それは創覇大学とは全くの無関係だが、『地獄』は『死者の魂』の集まる場所。

 学外も含め、様々な所から『役者』にふさわしい魂が集まっている。

 勇輔はそのことを、『妹』へのサイコメトリーを通じて知ることができた。

「だが安心しろ。現世の呪縛は俺が消してやる。お前はもう、死んでいるんだ……」

 勇輔はさらに思念力を込め、『妹』に奪われていた自分の思念力を回収し、『思念生物』の身体を分解しはじめた。

 足元からすうっと、溶けるように存在が薄まっていく『妹』。

「え……い、いや! わたし……きえ……たく……!」

「安心しろ。あるべき所へ還るだけだ……」

 そう優しく言うが、『妹』は子供ながらに恐怖を感じたのか、何とかして生きようと必死になった。

「お、おねがい! わたし、しにたくないの! たすけて! どんなことでもす」

「うるさい消えろ」

 勇輔はさすがにイラっとして、全力で物体操作思念力を込め、『妹』を完全にこの世から消してしまった。

 『地獄』にいる『役者』は、魂のままで身体を持たず、現世に戻ることもできない存在だ。

 だから、かりそめだとしても肉体を持つことはとても嬉しく、『役者』は全力で演技をこなして、少しでも長く肉体を持とうと必死になる。

 消えたくない、死にたくないと言うのは、生きている人間と同じ理屈の上での行動だ。

「……お前の『魂』は、俺が引き取ってやる。やかましく『成仏』されるのは嫌だからな……!」

 ただ、死亡当時四歳の女の子がそうしたことを──勇輔は少し哀れに思ったらしい。

 物体操作能力の応用……自らの身体を操作して『妹』の魂が取り憑けるように計らい、彼女の魂まで取り込んで、その居住を許したのであった。

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