第8話 奇跡への軌跡
「ここ辺りでいいかしら? レイオス隊長。よろしくお願いしまぁ~す」
「はぁ……分かりました」
レイオスは渋々といった様子で、シルファの指示した場所に手を触れた。たちまち地面が陥没し巨大なクレーターが出来上がる。
「………すごい……」
レイオスが大地の高位神霊術師であることは、彼が生み出した空間へと案内された時から知っていた。知ってはいたが、実際にその現場を見ると改めて驚かされる。見れば隣でジュラもあんぐりと口を開いている。
「うんうん、いい感じじゃぁない?」
何やら一人でウキウキ、ワクワクしている様子のシルファ。彼女はたった今レイオスが作り上げたクレーターへと入っていく。そして……
「な……何を?」
事もあろうか自分の掌を懐から取り出した短剣で深々と突き刺したのだ。それも何度も、何度も……
「ちょっと、止めなくていいんですか?」
「そうだ、止めさせろ!」
「問題ないよ。彼女が傷つくことはほぼ在り得ない事だから……」
慌ててレイオスへ詰め寄るケーニッヒとジュラの兄弟。しかし返ってきたのは良く分からない答えだった。
そうこうしている間も彼女はひたすら剣を突き刺し続ける。突き刺してはゆっくりと移動し、また別の場所で突き刺す。
「今見たこと、それからこれから起こる事……絶対に他言はしないと誓えるか?」
唐突にレイオスがケーニッヒ、そしてジュラへと告げる。
「それは……構いませんが……」
「……ちゃんとユラ達が治ればな」
「それでいい。今の言葉くれぐれも忘れるな。良く……胸に刻み込んでおけ」
レイオスの真剣な眼差しが二人を貫く。今までで初めて見る真剣すぎる……怖いほどの眼差し。いったい何が彼をここまでさせるのか……
三人がそんな事を話している間も、シルファは刺しては歩くを繰り返していた。その歩き方にはどうやら法則があるようで、血の跡によって五つの頂点を持つ五芒星が描かれていた。
「こんなとこかしらぁ……我ながら良い出来じゃぁない」
シルファは満足げに頷くと、ケーニッヒ達が待つ場所へと戻ってくる。
「シルファさん! 手は……」
「大丈夫よぉ、ほら」
勢い込んで尋ねるケーニッヒに、シルファは刺した左手を掲げて見せる。
「うそ……」
そこには傷痕一つない、綺麗な掌だけがあった。しかしその反対側の手には確かに血に塗れた短剣が握られている。
「なんで……」
「信じられん」
不思議がるケーニッヒと驚くジュラ。そんな二人の前でシルファはさらに驚くべき行動に出た。
「レイオス隊長、ちょっとだけぇ、血を分けてくださるぅ?」
そう言うと、返事も待たずにレイオスの左足へと短剣を突き刺す。
「な……な……は、え?」
まったくもって訳の分からない、理解できない行動。しかし刺されたレイオスは顔色一つ変えない。
「はぁい、ありがと」
シルファは短剣を引き抜き、左手へと持ち替える。そして空いた右手をさっとレイオスの左足へと触れさせた……
「うそ……」
足の傷が……次いで敗れた衣服までもが修復される。その時にはシルファはもう踵を返していた。
「さて、仕上げ仕上げっと♪」
楽しそうに口笛を吹きながら、シルファは再びクレーターへと降りて行く。そしてシルファとレイオスの血に塗れた短剣を地面へと突き刺す。そこは円形に広がるクレーターの中心で、同時に五芒星の中心でもあった。
「少女の涙、母の雫、赤子の滴、天の泪……」
それは不思議な響きを持った"うた"であった。詩、歌、唄、唱…………
「大地よ、命芽吹きし大地よ……海よ、命宿りし海よ……癒し給え……清め給え……」
シルファはそこで二回柏手を打つと、深々と腰を折り頭を垂れた。すると途端に蒼い光が溢れ出す。シルファの足元から、瞳から、そして髪の毛から……
「すごい……」
思わずケーニッヒの口から出たのは感嘆の声……
「なんだ…これ?」
ジュラの口から出たのは畏怖の声。
シルファが舞い、踊る。その度に雫が跳ね、光を反射し、水面が波立つ。シルファは今、蒼く澄んだ水面に立っていた。
この世の物とは思えない幻想的な光景。そして神秘的な輝き……
あまりに美しい光景に目を奪われる二人。その為、隣にいるレイオスが険しい表情をしていた事に二人とも気付かなかった。その表情は何かに堪えている様でもあり、憐れんでいる様でもあり、そして悲しんでいる様でもあった。
「な、なんだったんですか? 今のは……」
舞を終え、水面の上を歩み寄ってきたシルファに、ケーニッヒがさっそく問いかける。
「今のは神霊術であり、神霊術ではないものよ。失われし古の言霊にして、祷りの誓句。今では知っているのも、扱えるのも私ぐらいのものでしょうね……」
普段とは違う雰囲気で、言葉で告げるシルファ。その変化に戸惑いながらも、ケーニッヒは湧き上がる好奇心を抑える事が出来なかった。
「それはどういう―――」
「ケーニッヒ、すまんが私の方の時間が無くなった」
「えっと……どういうことです?」
ケーニッヒがシルファにいろいろと問い質そうとしたその時、それを遮るようにしてレイオスが口を開く。訝しげにしながら問いかけるケーニッヒに対し、レイオスが石膏化の限界時間が近いことを告げる。
「そろそろ皆の石膏化が解ける。そうなった時、私とシルファが此処に居る訳にはいかない」
そう言うなり、レイオスはレオルグへと近づく。そして懐から布きれを取り出すと、それをレオルグの目を覆うようにして巻き付けた。簡易目隠しとしたのだ。
「決断した褒美だ。お前の女は腕を失っていたんだったな?」
「――そうだ」
不機嫌そうにジュラが答える。気持ちのいい話題ではない。
「どっちの腕だ?」
「左」
「なら同じことをして見せろ」
そう言ってレイオスが剣を手渡す。同時に指を慣らすとたちまちレイオスの石膏化が解け、顔に、体に血の気が戻り始めた。
良くは分からないが、別段レオルグを傷付ける事に躊躇いなどある訳がない。ジュラは借り受けた剣を一閃。上段から下へと斬り下ろした。
「え……? あ、あ、あ、うぁぁぁぁぁ……腕が、僕の腕。痛い、痛い、イタイイタイイタイ」
「見苦しいな」
喚くレオルグの襟首を掴み、強引に泉へと引きずっていくレイオス。そしてそのままレオルグを泉へと投げ込んだ。
「うぉっぷ。なにを……僕の手……え?」
途端に左腕の切断部分から大量の蒸気が噴き出す。そしてレイオスが、シルファが、ジュラが、ケーニッヒが見ている目の前で、ゆっくりとその蒸気は腕の先へと移動していった。腕の再生と共に……
「まさか……」
「信じられない! こんな事!!」
驚愕を露わにするケーニッヒとジュラ。どう考えても普通ではない。
「この泉はあらゆる傷を癒す。斬られた傷も……刺された傷も……持病でさえも」
ジュラは思う……そんな事が本当にあるのだろうか。そんな事を人ができる訳がない。出来るとしたらそれは――
「これでお前の妻も、集落の娘達も癒すことが出来るだろう」
その言葉にはっとなる。それこそが彼が望んだことではなかったか……
「約束だ。こいつは貰っていく」
心持ち早口で告げると、レイオスはレオルグの首筋へと手刀を叩き込む。声を出すことなく崩れ落ちるレオルグ。その体は斬られた左腕は再生し、殴られた全身の打撲は綺麗に癒えていた。完全に元のままの姿。
「それから絶対に約束を忘れるな。絶対だぞ」
「はい」
「分かってる」
「ならいい、すまんが時間がない。後はお前達に任せる」
そう言い捨てると、レイオスは慌てた様子でシルファを伴い、その場から立ち去って行った……
「ユラを治せる……」
それは絶望の中、復讐の代わりに手にした一筋の光だった。
◇◇◇
「すまんな、気を遣わせて……」
ぎくりとするほどのしわがれた声……そしてそれだけ言うと、シルファはその場に崩れ落ちるようにして気を失った。
「まったくですよ……」
レイオスは慌てることなくシルファを抱き留め、そっと一人呟く。そして愛おしげに彼女の薄水色の髪の毛を撫でた。
「おっと、忘れるところだった」
レイオスはそう言って表情を元に戻すと、一度だけ指を鳴らす。これで農民達の石膏化が解けるはずだ。それから彼は、そっとシルファを抱き上げた。
「地と地、血と血、地と血、血と地。一つとなりて道と成せ」
言い終わった時にはもう、そこにレイオスの姿もシルファの姿もなかった。
◇◇◇
人気のない暗く細長い通路。そこに突然少女を抱えた男が現れる。もしこの場に誰かいたならば、その人物はまず間違いなく腰を抜かすだろう。なぜなら、そんな事はたとえ高位の神霊術師であっても出来ることではないからだ。
男が歩みを進めと、その先に一つの扉が現れる。その扉には、黒き剣と蒼き盾が交差する紋章が描かれていた。扉は男が近づくとひとりでに開き、そして中には…………
「よ! お帰り!!」
「ご苦労だったな」
出迎える二人の友人達……そこは不思議な部屋だった。
縦に長い空間。その壁一面には本棚が螺旋状に広がっている。床には毛足の長い豪華な絨毯が敷き詰められ、真ん中に大きめの寝台が二つ。片方には青年が寝かせられていた。
「お館様、キリュウさん……」
寝台のすぐそばに机が置かれ、そこに腰かけていた二人にレイオスは声をかける。
強張っていた彼の顔からすっと力が抜けた……
「シルファさんに無理をさせてしまいました……」
「そうか……」
その言葉と、レイオスの腕の中の少女を見ただけで二人は大体の事情を悟った様子だった。
◇◇◇
「私の我儘に、付き合わせてしまいましたね……」
寝台に横たえられたシルファにラウルがそっと声をかける。
見て見ぬ振りも出来た。無視してさっさと自領に帰ることも。しかしそうしないことを決めたのはラウル。そして彼ら農民達に手を貸すことを望んだのも……
その代償としてシルファも、そしてシュウエンリッヒも今、寝台に横たわっている。
シュウエンリッヒは慣れない曲刀に身を慣らす為、不眠不休で鍛錬を行った。その心労もあって、再び眠りに落ちていた。
「彼女は誓句を使ったのか?」
「はい……」
「そうか」
ラウルはそれだけを口にした。それ以降はじっと押し黙って、シュウエンリッヒとシルファの眠る寝台を見つめている。
彼は今回、刺されたと言っても痛みも伴わなかった上、命に危険性はなく、既に治っている。そもそもそれを提案したのはラウル本人だった。そしてキリュウはラウルの娘ニーナを安全な場所まで護衛しただけ。レイオスはただ芝居をし、大規模な神霊術を行使しただけ。
間違いなく、今回最も無理をし、苦労したのは今横になっている二人。一人は年端もいかぬ青年。もう一人は長い時を生きているとはいえ、体は未だ幼い女性……
「釈然としないな……」
三人が、三人共に感じていたことだった。
「まだ最後の仕上げが残っている。二人の為にも、ここが俺らの踏ん張りどころだ」
キリュウが気を取り直した様子で告げる。
「頼む」
ラウルが見送る中、キリュウとレイオスは部屋を後にした。