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神秘の泉  作者: hiko
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第7話 真相

「――――私の気持ちは先に述べた通りだが、私は動くことができない。また、動くつもりもない。…………私からは以上だ。皆はそのつもりでよろしく頼む」


 そう言って侯爵は頭を軽く下げる。

 絶望と悲しみと虚脱。この時のケーニッヒの感情はおよそ言葉では言い表せないものだった。しかも、そこに更なる追い討ちがかかる。


「ま、妥当なところだな」


「まぁな。それよりも俺は、侯爵が自分が何とかするとか言い出さないかそっちの方が不安だったよ」


「確かに」


「あの方なら言い出しかねんもんな」


 そう話すのは、彼をここまで導いてきたシュウエンリッヒだったのだから……


◇◇◇


 信じられない思いで見つめていると、ふと目が合ってしまう。睨みつければいいのか、逸らせばいいのかケーニッヒには分からない。そんなケーニッヒの下へとシュウエンリッヒが近づいて来る。


「な~に泣きそうな顔してるんだ?」


 よりにもよって笑顔でそんなことを言い始めるシュウエンリッヒ。突如怒りが沸いてきた。


「うるさい!! 人の気も知らないで!」


 つい大声が出てしまった。当然周りからの視線が一気に集まる。だがそんなことは気にならなかった。それよりも心が痛かった。


(僕はこいつの何を見ていたんだろう……)


 惨めだった。裏切られた気分だった。


「…………あぁ、お前、お館様の言葉そのまま受け取っただろ?」


 だからだろう、シュウエンリッヒのこの言葉を聞いても何も感じず、何も感じようとはせず、彼は踵を返しその場を立ち去ろうとした。


「あ、ちょっと待てって」


 慌てて追いかけてくるシュウエンリッヒを無視して歩を速める。立ち止まったら泣いてしまいそうだった。


「おい、待てって!」


 肩を掴まれ、強引に振り向かされる。しかしケーニッヒは意地でもシュウエンリッヒの目を見ないようにした。


「あ~もう! いいか、よく聞けよ! お館様は動けない。だからその代わりに俺たちに動け。よろしく頼む。そういうことだぞ、あれは!」


「え?」


 思わぬ言葉についシュウエンリッヒの瞳を見てしまう。澄んだ漆黒の瞳には、偽りも嘲りも全くなかった。


「どういう……こと?」


「ええと、男爵は侯爵よりだいぶ格は落ちるが、れっきとした貴族なんだ。そして貴族には貴族同士の繋がりがある。複雑なやつがな。それは分かるか?」


「なんとなく?」


 シュウエンリッヒから、ちゃんと説明しようとする意思が伝わってくる。だからだろう。気が付けばケーニッヒは素直に答えていた。


「よし。それでだ…………」


 ちゃんとケーニッヒから声が返ってきたのが嬉しかったのだろう。シュウエンリッヒは少し微笑みを浮かべてからその先を続けた。


 彼の話によると、ラウルが侯爵として動くと、他の貴族たちが動きかねないということだった。その理由はケーニッヒには良く分からなかったが、それでも男爵側に他の貴族が付いた場合、侯爵にとっても、そしてケーニッヒ達にとっても歓迎できることではない事だけは分かった。


「侯爵ってのはさ、良くも悪くも肩書がデカすぎるんだ。しかし逆に言うと、いい目くらましにもなるってことさ」


「つまり侯爵が動かない事自体が目くらましで、それに隠れてシュウとか、レイオス隊長とか、キリュウさんとかが動くってこと?」


「ま、そういうことだ。細かいことはこれから詰めていくだろうが、秘密裏にいろいろ動き回ることになるだろう。ま、俺たちの世界じゃ良くあることさ」


「じゃ、じゃぁ、僕たちは見捨てられたんじゃなくて?」


「当たり前だろ? そのためにお館様はこの場に皆を集めて話をしたんだから」


「あ、はは……そう……なんだ」


 結局涙が出てきてしまうケーニッヒ。しかしそれは悔し涙ではなく、悲しい涙でもなく、嬉しい涙だった。


◇◇◇


 耳に痛いほどの静けさが漂う暗闇に、ぽつり、ぽつりと灯りが灯る。それは見た者に暖かさと、安堵感を与える優しい光の輝きだった。


「は?」


「へ?」


「なんで?」


 気の抜けたような問いかけ。それも無理はない。その灯りは農民達の間から漏れ出ていた。正確に言えば、農民の数人が掌に炎を生み出していたのだった。

 彼らはゆっくりと農民達の間を進み出る。そしてジュラや、ライオスら先頭集団より前へ出たとき、その炎を天へと放り投げた。

 弧を描いて飛んで行く炎。それらが一か所に集まった時、炎は一つに融合し、破裂音を伴って肥大化する――


 眩いばかりの灯り。先ほどまでに倍する光量が辺り一面を明るく照らし出す。浮かび上がったのは円形の巨大な空間だった。


「ここが、目的地だ」


 揺れ動く炎の明かりの下で、ケーニッヒが静かに呟く。その彼が見つめる先には…………


「レオルグ・シュタイナー!!!!!!!!」


 ジュラが憎悪を込めて、その男の名を叫んだ。


◇◇◇


 ジュラや、ケーニッヒたちがいる空間よりもはるかに小さな空間。壁に設置されたランプが辺りを弱弱しく照らし出す。

 その灯りの下で対峙する二人の人影。侯爵を刺し貫いた化粧の男と、侯爵の護衛部隊の長、レイオス・アルフレアであった。


「なかなか迫真の演技でしたね」


「遊びすぎだ、まったく。冷や冷やしたぞ……」


「あ、やっぱり?」


 けれどその二人の間に険悪な雰囲気は全くなかった。


「いやぁ、途中でまずいなって気付いて、最後は結構急いだんですけど……大丈夫でした?」


「たぶん大丈夫だろう。ぎりぎりではあったがな」


 そう言ってレイオスは白い手拭と、皮でできた袋を放り投げる。


「お! ありがとうございます。実は結構気持ち悪くて……」


 男はさっそく袋を開け、中の液体で顔や手を洗い始める。


「これ真水ですよね? しかも冷えてる。あ~気持ちい…………さすが、レイオスさん。これがうちの親父とかだと、ぜったいそこらの川の水そのまま汲んできますよ!」


「いや、さすがにキリュウさんでもそれはないんじゃ……」


「いやいや、絶対あります!」


 そう拳を握って力説するのは、誰であろう、シュウエンリッヒ・イザナギであった。


「そっちの部屋に着替えがある。後は少しゆっくりするといい。何はともあれ、良くやった」


「ありがとうございます」


 シュウエンリッヒを労い、その場を後にするレイオス。彼にはまだ仕事が残っていた。


「ふぅぅい~ だれたぁ~~ 久しぶりにきつい任務だったぁ~」


 レイオスが去った後、その場にへたり込むシュウエンリッヒ。彼はそのまま横になる。途端に重くなる瞼……


「しっぱい……してないよ…な……」


 眠りに落ちる寸前、彼の脳裏に一つの懸念が浮かんだ。


◇◇◇


「し、城の医師団に速く見せ――」


「それでは間に合わん!!」


 男爵の提案をラウルの傷口を見ていたキリュウが一蹴する。自尊心の塊である男爵は、こんな時だというのにその物言いに一瞬むっとした表情を見せる。


(黒髪が偉そうに……)


 男爵自身に大した才能はないが、それでも神霊術師の端くれに変わりはない。そして貴族の術師にありがちな、黒髪に対する侮蔑意識をこの男爵もまた、しっかりと持ち合わせていた。


「ぐ……ぐほ」


「お館様!」


 しかしそこで、ラウルが苦しげにうめき声を上げ、続いて大量の血を吐きだした。


「く、まずい」


 悲鳴を上げるシルファと、顔色を変えるキリュウ。


「仕方ない、ここで処置をする」


「そんな無茶な!」


 キリュウの下した決断に否を唱える男爵。それはあまりにも無謀……というよりも暴挙に近い。


「応急処置だけだ! シルファ」


「は、はい!」


「くそ、何を勝手に!」


 毅然とした態度で答えるシルファ。二人が男爵の言葉に従う意思がないとみると、悪態をついた後、男爵は責任逃れを始める。


「知らんぞ。私はちゃんと止めたからな。どうなっても、そ、それはお前達の責任だからな!」


 その男爵の言葉に対する二人の答えは冷ややかなものだった。シルファは何も答えず、ただじっと何かに集中している様子を見せ、キリュウはというと――


「責任がない? まさか。男爵、ここはあなたの領地だ。そして暴動を起こしたのも、侯爵を刺したのもあなたの領民だ。それであなたに何の責任もないと?」


「そ、そ……それは………」


 キリュウの剣幕に気圧されたように黙り込む男爵。そんな男爵へとキリュウは畳み掛ける。


「男爵、先ほど言ったはずだ。後でじっくり話を聴かせてもらうと……」


「くぅ…………」


 ここまで言われれば、男爵は黙り込むしかない。それに侯爵を刺した男の言った言葉もある。非常に危ない状況に立たされたことに、嫌でも気付かされる……


「と、とにかく……侯爵をここから動かすな! すぐに医師団を連れてくる」


 男爵はそれだけ言うと、逃げるようにその場から走り去ってしまった。

 そして残された護衛兵と侍女達……


「ええと……我々は…どうすれば?」


「付いて行けばいい。そなたらの主はあの男であろう」


 そうキリュウが答えると護衛兵たちは慌てて男爵を追いかける。命令されるのに慣れすぎて、自己判断力がほとんどないのだろう。


「あなた達も。ここは私たちだけで大丈夫です」


「でも……」


「すぐに私たちの仲間も駆けつけるでしょうから」


 シルファに言われ、こちらは少しだけ迷った後、頭を下げてからその場を後にする侍女達だった。


「さて、もういいぞ」


 丘に自分たちしかいないことを確認し、キリュウが声をかける。その言葉で立ち上がったのは……


「なんか、変な違和感が……」


「当たり前でしょ? 痛覚遮断してると言っても剣がぶっ刺さってることに変わりはないんだから」


 普通に声を出す侯爵。なんと曲刀が突き刺さったまま起き上がり、そのまま立ち上がってしまった。


「見られる前に移動するぞ」


 そしてそれを当然のこととして受け入れるキリュウ。


「その前にぃ、私の処置が先じゃなぁい?」


 シルファもまた平時用の口調に切り替える。


「そうでした。よろしくお願いします」


 そして相変わらずなぜか、シルファに敬語を使うラウル。


「はぁい、任されまぁした♪」


 概ねいつも通りであった……


◇◇◇


 シルファが手を向けると、たちまちそこが凍りつく。そうしてシルファは曲刀の突き刺さった所と、突き抜けた箇所を氷漬けにして固定した。


「うん、これでOKよぉ。でも見られたら困るからぁ、ちゃんとキリュウ君が運ぶのよぉ?」


「え?」


 驚いた風にシルファを見やるラウル。それを何を当たり前のことを――とでも言いたげな表情で見返すシルファ。キリュウも慌てて言いつのろうとするが……


「いや、でも…なんと言いますか…男を運ぶのはちょっと……」


「何か言ったかしら小僧?」


「い、いえ、何でもありません!!」


 二秒で撃退された。見た目はどう見ても十代にしか見えないシルファだが、実は三人の中で一番年上だったりする。それも圧倒的に…………

 ラウルも、そしてキリュウもシルファに逆らえないのはそこ辺りに理由があった。すなわち圧倒的な人生経験の差。シルファにしてみれば、三十そこそこしか生きていない二人は、赤子にも等しいのだった。


 こうしてしぶしぶながらキリュウがラウルを抱え、レイオスがあらかじめ拵えていた秘密の通路を抜ける。その先には……


「お?」


「あらま」


「あらぁ」


 無邪気な表情で眠りこけている一人の青年。


「こうしていると、まだまだ子供ねぇ」


 嬉しそうにシュウエンリッヒに近づくとその頬をつんつんし始めるシルファ。


「えい。つんつん♪……つ~んつんっ♪」


 実に楽しそうであった。


(う…………うらやましい!!!!!!!!!!)


 ラウルを下ろす間に出遅れてしまったキリュウが心底悔しそうに拳を握りしめる。


(はぁ………まったく)


 その様子に、内心で溜息を付くのを堪えられなかったラウル。彼は未だに曲刀が突き刺さり、その部位が氷漬けにされたままだったりする。


(どうでもいいけど、いい加減これ何とかしてほしい……)


 ラウルの心の叫びは、シュウエンリッヒに夢中になっているシルファとキリュウには全く届かなかった。


「こんなところで寝てたらぁ、風邪ひいちゃうぞ♪」


 そう言いながら、シルファはシュウエンリッヒの腕の下へと手を入れる。


「そ、それなら自分が運びます!」


「はぁ?」


「いえ、なんでもありません……」


 うなだれるキリュウと、そんなキリュウをほっといてさっさとシュウエンリッヒを抱き上げるシルファ。


(この過保護ぶり。血がつながっていないといっても……養い親としてどうなんだ?)


 そして相変わらずそんな二人(三人)を眺めるラウルだった。


◇◇◇


「抜くわよ」


 シルファが手を触れただけで氷は氷解し、彼女はそのまま曲刀を一気に引き抜いた。そして改めて傷口を確認する。


「さすがね。ほとんど血が出てない……それに場所も予定通り……たぶんだけど、ほとんど傷ついてないんじゃないかしら」


 ラウルの傷口はシルファが氷を氷解させた時と、服を脱がせた時の二回、彼女が作り出した不純物が一切混じっていない純水で綺麗に洗い流した。

 もともとラウルが吐いた血も、流れ出した血もあらかじめ用意していた物で、彼自身の物ではない。

 ちなみに、彼が襲撃が始まってから盛大に吐血するまで、一切声を出さなかったのは口に仕込んだ血のせいだったりする。


 そして今、シルファが褒めているのはシュウエンリッヒの手際だった。彼は普段扱いなれていない得物を用いて、指示されていたところを寸分の狂いもなく刺し貫いて見せた。心の臓のすぐそばを通り、肋骨の隙間を縫って、その他の臓器を一切傷つけることなく。しかも婉曲した刃を持つ曲刀でそれをやってのけたのだ。まさに神業としか言いようがない。


「こんな芸当ができるのはこの子をおいて、まず他にいないでしょうね」


 優しげにシュウエンリッヒを見やるシルファ。逆に言うと、だからこそシュウエンリッヒにその役目が負わされた…………

とそこで、何かをアピールするかのようにキリュウが自分の顔を指さし始める。


「ああ、あなたにできるのは当たり前でしょ。わざわざ言うことでもないじゃない。むしろ剣に関しては、あなたにできない事をこの子ができた方が問題。そうでしょ? 剣聖の名を継ぐ者よ」


 心底呆れた表情でシルファが呟く。その前に寝かされたラウルもまた同じ表情で口を開く。


「まるで子供だな。まったく……」


「悪うございましたね!」


 悪態を付くキリュウの前で、突然ラウルが顔をしかめた。


「――いっつ!」


「どうやら痛覚が戻り始めたみたいね。じゃあ、急いで始めるとしますか!」


 宣言と同時、部屋を明るい蒼の光が満たした。その光源は波打つシルファ髪の毛。薄水色だったのが、今は何処までも続く蒼穹の様な蒼へと変わっている。そして彼女が閉じていた瞳を開くと、そこには輝く蒼き瞳が。彼女がそっとラウルの傷口に指を触れた瞬間――――彼の負った傷は完全に癒えていた。


「相変わらず見事ですね」


 ラウルが自分の傷を、正確には傷のあった場所を指でなぞりながら感嘆の息を漏らす。シルファも満更ではない様子で自分の仕事の出来栄えを確認していた……………のだが、


「か、完全に治しちゃってどうするんですか!?」


 珍しく慌てた様子でキリュウが突っ込む。


「あ…………」


 思わず顔を見合わせるラウルとシルファ。


「………………………やりすぎちゃった。てへ♪」


「かわいく言っても駄目ですよ……」


「どうすんだ……これ……」


 今頃男爵があわてて医療団を集めていることだろう。今後のことを考えるとラウルの傷は重いほうがいいのだ。少なくとも見た目だけは…………


「ええと……もう一回傷、つける?」


「……………………はぁ…」


 そろって溜息を漏らすラウルとキリュウであった………


◇◇◇


シュウエンリッヒは目覚めの前の心地良い微睡の中にいた。そしてゆっくりと意識が浮上し――


「――?」


 最初彼は自分が今どこにいるのか分からなかった。暖かく、柔らかな感触が頭を支え、目の前には決して大きくはないが、形の良い山が二つ。


「あらぁ、目が覚めたぁ?」


 そう言って彼を覗き込んでくるのは……


「え、え? シルファ…………?」


 同年代――とシュウエンリッヒは思っている――に膝枕されている事にようやく気付く。


「ご、ごめん!!」


 そこは年頃の男の子。顔を赤くして慌てて飛び起きるシュウエンリッヒ。その様子をシルファは優しい眼差しで見つめる。


「いいのよぉ。気にしなくて。疲れたでしょ? 何だったらぁ、まだ横になっていてもいいのよぉ?」


 そう言いながらシルファが叩くのは自分の膝。要は彼女が言いたいのは、自分の膝で横になりなさぁい。ということ。シュウエンリッヒの答えは当然……


「い、いや、もう大丈夫……ありがとう」


「あら残念。どういたしまして」


 全然残念そうに見えない笑顔でシルファが答える。と、そこでようやくシュウエンリッヒは、今ここにいるのが自分とシルファだけでないことに気づいた。


「お館様……父さん」


 そして彼は自分がやったことを思い出した。


「お、お館様。傷の具合は大丈夫でしょうか?」


 慌てて問いかけるシュウエンリッヒだったが、養父とラウルが何やら深刻そうな顔をしているのを見て、さっと青ざめる。


「俺……何か失敗しましたか?」


「いや、失敗したのは……」


「私だったりして……」


 気まずそうに答えたシルファ。未だ難しい表情のラウルとキリュウ。しかしいまひとつ事情が呑み込めないシュウエンリッヒは、ただ三人の顔を交互に眺めるのみ……その様子に気づいたラウルが、シュウエンリッヒに事情を教えてくれた。


「あ~確かにそれは…………」


 今回のことはラウルがこの地の反乱――もしくは暴動――に巻き込まれて大怪我を負うという所が肝心であった。

 そしてその暴動の首謀者であるゴーウェンとレオルグ、化粧の男と男爵の関係を匂わせて、政治的にも、精神的にも二人を追い詰めていくというのが彼らの立てた計画。

 実際には男爵と化粧の男――いうまでもなくシュウエンリッヒ――の関係は単なる濡れ衣であり、ゴーウェンのこともこちら側がそうなるように仕向けたのだが、その事を知らない男爵側は一方的に弱みを握られることになる。

 何と言っても実際にゴーウェンに依頼を出したのはレオルグであり、それを許可したのは男爵なのだから。

 ここで肝心なのは、男爵側にも、そしていずれ情報が伝わるであろう他領の有力者たちにも、侯爵側の自作自演の可能性を決して疑われてはならない事であった。それがばれれば、ラウルの信用は一気に地に落ちることになる。

 それが分かっていたから振りではなく、本当に剣を突き刺してまで侯爵に怪我を負ってもらったのだが……


「…………………………」


 微妙な沈黙。そもそもそんな無茶なことが出来たのは、シルファという絶対的な治癒能力を持った高位神霊術師がラウルのそばに控えていたからである。あらかじめラウルの痛覚を遮断して、痛みを全く感じないようにしたのもシルファだった。

 そしてラウルに剣を突き刺したのはシュウエンリッヒ。彼はキリュウや、レイオスにこそ及ばないが、侯爵配下の中でもトップクラスの剣の腕を持っていた。

 シルファがいる限りラウルの命が危うくなることはまずあり得ず、シュウエンリッヒがそこらの連中に後れを取ることもあり得ない。

 ラウルを刺し貫く部位だけは文字通りの神業となる為、一抹の不安があったが、それが失敗したところでやはりシルファがいることで結局は何も問題もない。

 何よりシュウエンリッヒはその神業を見事にやってのけた。全ては完璧にお膳立てされた上での事件だった。

 しかしそのことが逆に今、彼らを危ぶめている。完璧すぎるシュウエンリッヒの仕事はラウルに最小限の傷しか与えず、強すぎるシルファの治癒はその傷を完全に癒してしまった。実際のところ、シルファはほんの少し力を込めたに過ぎない。


「…………ええと、どうします?」


 シュウエンリッヒの声が虚しく響く。誰にも名案は浮かばなかった。


◇◇◇


「頼む! お願いだ、もう許してくれ」


「勘弁してくれ! 俺たちが悪かった」


「知ってることは全部話す! 今までやってきたことも! だから命だけは……」


 口々に謝罪の言葉を発し、命乞いをし、懇願する男達。

 黄金色に輝く空間。そこでは奇妙な光景が繰り広げられていた。


 男たちが三人、壁に埋め込まれ、悲鳴を上げている。一人は地面から首だけを生やし、もう一人は天井から首だけが突き出ていた。さらにもう一人は壁から体の右半分だけが飛び出ている。そして他に二体の人型の石像……

 高位の大地の神霊術師であるレイオスにとって、人を地面に埋め込むことも、土の性質を変化させて泥沼にするのも、さらには押し固めるのも造作ない事であった。そんな事よりも……


(大の男が涙と鼻水塗れで泣き喚く……見ていて気持ちのいいものではないな……というか正直気持ち悪い!)


 偽らざるレイオスの感想だった。彼は顔をしかめながら、それでも気を取り直して駄目押しの一言を述べる。


「貴様たちは今までそう懇願する父を、母を、子を、赤子を……助けたか?」


 その答えは彼ら自身が一番よく知っていた。


 父親を――笑って切り刻んだ。


 母親を――犯し、刻み、売った。


 子を――女は犯し、男は刻み、どちらも売った。


 赤子を――親の前で刻み、獣の前に放り投げた。


「もちろん知っていることは全部話してもらう。侯爵、男爵御二人の前でな。もちろん依頼主が誰なのかも含めて…………命乞いならその場でしろ!」


 そう言うとレイオスは指を鳴らす。途端に彼らの身が呪縛から解放される。もはや立つことも、睨めつけることもできずに、悪名高い五人の傭兵団はその場に崩れ落ちるのだった。


◇◇◇


「あ~気持ち悪かった」

 部屋の入口を術で塞ぎ、念のため硬度を最大まで上げる。これでまず逃げられない。


「まぁ、逃げる気力が残っていればの話か……」


 シュウエンリッヒにまざまざと力の差を思い知らされ、今レイオスによって散々脅されたのだ。しばらくは大人しくしているだろう。


「さて、後は…………」


 一人呟き、彼は最後の仕事をする為にその場を後にするのだった。


◇◇◇


 怒号が飛び交い、罵り合う声が声高に叫ばれている。空間を満たす大音響に一人一人が何を言っているかさっぱり理解できない。そこではレイオスの想像していた通りの光景が繰り広げられていた。

 農民達が二つに割れて対立しているのだ。その間にはぼろぼろになって気絶する男が一人…………


「隊長!」


 目ざとく彼の姿を見つけた部下が走り寄ってくる。念の為にと、農民達の中に紛れ込ませていたレイオス配下の護衛兵の一人だった。


「状況は?」


「は! 正直あまり良くはありません。ケーニッヒ殿、ライオス殿が必死に抑えようとしているのですが……」


「そうか。どちらが優勢かは……まぁ見ればわかるわな」


「はい…………」


 何を叫んでいるのかまでは分からないが、何で対立しているのかは予想できる。あの場で横たわるレオルグを殺すか、あるいは殺さないかということだろう。

 レオルグには既に意識はなく、暴行の跡が生々しく残る。その事に同情はしない。それだけの恨みをかってきた……言わば自業自得である。


「……いかがいたしましょう?」


「そうだな……」


 レイオスは思案顔で対立する農民達を見やる。ライオスとケーニッヒが抑えているが、どう見ても多勢に無勢。特に農民達のリーダー的存在に成りつつあったジュラが殺す側についていることも辛いところだ。


「まぁ、不利だよな……」


「ええ……」


「ジュラとやらの事情も分かるが……後々のことを考えれば殺させるわけにはいかないか。すまんがシルファを呼んで来てくれ。そろそろ手が空くはずだ」


「了解しました」


 自分の手に負えそうもない以上、ここはシルファに任せるべきだ。そう判断してのレイオスの言葉だった。


◇◇◇


 シルファが到着した時、状況はさらに悪化していた。とにかく冷静な者達が少ないのだ。興奮が興奮を呼び、一種異様な雰囲気になっている。


「殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ!!」


 誰が言い始めたのかは分からないが、空間を満たさんばかりの大合唱。


「あらぁ…………」


 シルファでさえもそれ以上二の句を告げられない。


「鎮圧しようと思えば出来るのですが……」


 レイオスも圧倒されていたのだろう。部下の前だというのに、つい癖でシルファに敬語を使ってしまっている。


「レイオス隊長、どうにかして冷静な者と話をする必要があるかと」


 あえて隊長という言葉を強調してシルファがレイオスへと提案する。これは彼女なりの警告だったのだが……


「しかし、今我々が出て行っても話をできる状態ではありません。なんとか彼らの頭を――ぐきゃぶ」


「隊長?」


 レイオスの部下が、レイオスの突然の意味不明な叫びに訝しげな視線を向ける。


「な……なんでもない」


 そう答えるレイオスの目にはうっすらと涙が溜まり……


「それで、レイオスたいちょう、彼らの頭を、……何でしょうか?」


 シルファだけが何事もなかったかのように会話を続ける。


「あ、ああ……彼らの頭を冷やさなければならない。シルファ、何かいい手はないだろうか?」


 ようやく自分がシルファに敬語を使っていたことに思い至り、言葉使いを訂正するレイオス。シルファの実年齢はトップシークレットなのだ。知っているのはレイオス、キリュウ、ラウルの三人だけ。


「それならぁ、いい手がありますよぉ?」


 ようやくシルファも平常運転へと切り替える。そして彼女は一つの策を提案した。にんまりとした笑顔を添えて………………


◇◇◇


「た、隊長……なんだか自分、罪悪感が…………」


「い、言うな……胃が痛くなる……」


「ちょっとだけぇ、乱暴だったかしら?」


 先ほどまでとは打って変わり物音一つしなくなった静寂の中、レイオスとその部下が胃の辺りを抑えながら深刻そうな顔をしていた。

 それに対し、シルファは口ではそう言いつつも全く気にした素振りを見せない。彼らが一体何をしたかというと…………


「それにしてもぉ、見事な石膏像ですねぇ~」


「うぐ……」


「これなんかぁ、お口を開いたままですよぉ?」


「あぐ……」


「あ、こっちはぁ、目を瞑っちゃってますねぇ~」


「えぐ……」


「こっちにも、あっちにも、真っ白い石膏像さん♪ あ! イケメン発見!!」


「シルファさん……止めてあげてください。隊長が……隊長が!!」


 という訳であった。


 レイオスの神霊術で石膏像にされた農民達の間を通り抜け、シルファ達は三体の石膏像の前で足を止める。

 そこにあったのは、ジュラ、ケーニッヒ、ライオスの姿をした石膏像。レイオスは、その中のケーニッヒにだけ軽く手を触れた。するとたちまち色彩を取り戻し、ケーニッヒに生気が宿る。


「だからそれでは――って…………あれ?」


 何やら大声で力説している最中だった様子のケーニッヒ。彼は自分に起こったことが全く理解できずに目を白黒させていた。


「な、なるほど……そんな事が出来るもんなんですね……」


 一通りの状況を説明され、感嘆の息を漏らすケーニッヒ。


「ああ。まぁ、あくまでも一時的なものだ。石膏化させただけで、命に別状はない」


「それを聞いて安心しました。この二人もできたら解いてほしいのですが……」


 そう言ってケーニッヒが目を向けるのは未だ石膏像のままのジュラと、ライオス。


「その前に確認しておこう。君のお兄さんは信頼できる人物なのか?」


 実の弟に向かっての質問。しかしこれはしなくてはならない質問だった。


「我々と君の繋がりは何があろうとも絶対にばれてはいけない。その秘密をちゃんと守れる男か?」


「大丈夫です。兄は、そして父も信頼できる人物です。僕が責任を持ちます」


 じっと見つめ合う二人。その瞳の内側まで探ろうとするレイオスと、挑むように視線を向け続けるケーニッヒ。ふとレイオスの顔に笑みが浮かんだ。


「分かった。君を信じよう」


◇◇◇


 石膏化を解かれたライオスとジュラ。二人を前にケーニッヒがこれまでの大体のあらましを告げる。


「侯爵側の……」


「護衛部隊の長をしています。レイオス・アルフレアです」


「同じく侯爵騎下、シルファ・ロイドです」


 二人が自己紹介を行う。その間もジュラの視線はレオルグへと据えられたままだった。


「あなた方も、あの男を許せと言うのか?」


 感情が削げ落ちたような低い、低いジュラの囁き声。答えるレイオスも慎重に言葉を選ぶ。


「許せとは言いませんが、殺してもらっては不都合なのは確かです」


「殺すなというのは、許せと言われているようなもんだ! 少なくとも俺には……」


 明らかな憎悪。抑えきれない敵意と怒り。


(無理もないとは思うが……さて、どうしたものか)


 弟であるケーニッヒや、父親であるライオスですら止めきれていないのだ。他人であるレイオスでは……そう考えたのは、しかし彼だけだった。


「あなたに、二つ選択肢を与えましょう」


「シルファ?」


 どうやら彼女には何か考えがあるようだった。


「選択肢? そんなもん一つだ。あいつをぶっ殺す!」


「それが選択肢の一つ。もう一つは……」


 ジュラの怒りもシルファにとっては大したことではない。何事もないかのように続ける。


「大事な人を取り戻すか」


「どう…言う事だ」


 大事な人――そう言われてジュラがのってこない訳がない。


「怪我を負った娘達。私ならその怪我をすぐ治すことが出来る。心の方も多少時間はかかっても治す手立てはあるわ」


 ここで初めてジュラがはっきりとシルファと視線を合わせた。少しの欺瞞も見逃さないというように、じっとシルファへと視線を据える。逸らすことなく、見返すシルファ。


「…………本当か」


 どれだけの時間そうしていただろう。やがて発せられたジュラの言葉は、絞り出すような声音であり、祈るような響きが含まれていた。


「それを決めるのはあなたよ。私たちはレオルグの身柄を確保したいの。もちろん目的は男爵やレオルグを懲らしめる為。その材料なのよ、あの男の身柄は」


 シルファが真剣な眼差しで答える。その言葉には労り、慈しみが込められている。


「選べと……俺に。レオルグへの復讐か、それとも……ユラ達か」


「そう言う事」


 しばし逡巡する様子を見せるジュラ。やがて……


「ユラ達を治せる保証は……あんたは医者なのか?」


 その言葉に、シルファは胸を張って答える。


「いいえ、私は瘉者ゆしゃの力を持つ者よ」


「瘉者?」


「見てれば分かるわ」


 それだけ言うと、シルファは何かの準備を始めるのだった。



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