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神秘の泉  作者: hiko
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第4話 過去への旅路

「なぁ、一緒にならないか?」


 頬をかきながらジュラは幼馴染に告げる。恥ずかしすぎて視線を合わせられない。斜め上を見上げながらの告白だった。


◇◇◇


「この場所だったね……」


「ああ」


 ジュラとユラ。二人が今いる場所は、数日前ジュラが幼馴染である彼女に告白をした場所だった。二人以外では弟のケーニッヒだけが知る、三人だけの秘密の居場所。幼いころ遊んだ花畑……


「きれいだな……」


「うん」


 決して広くない空間に色とりどりの花が美しく咲き誇っている。見つけた時は此処まで綺麗ではなかった。今彼の隣に居る女性が、時間と愛情を込めて育んだのだ。あるいは彼女と共に見ているから余計に美しく思えるのか……


「――ふ……」


「どうかした?」


 急に蘇ってきた光景に思わず笑みを漏らしてしまうジュラ。並んで腰掛ける幼馴染が問いかけてくる。

 肩が触れ合うくらいの距離。ほんのり甘い香りがした。


「いや、情けない告白だったよなって思ってさ……」


「あぁ、あの時の?」


 彼女は懐かしそうに、そして嬉しそうに微笑む。


「そんなことない。嬉しかったよ……まぁ、目を見て言ってくれたらもっと良かったけどね?」


「――うぐ」


「あはは、気にしてないよ。こうして君と一緒に居られるんだから……」


 そう言うと彼女はジュラの肩に自分の頭を預けてきた。鼻をくすぐる甘い香りが強くなり、女性特有の体の柔らかに心臓がものすごい勢いで鼓動を刻む。


「もうすぐだね。待ち遠しいよ」


 彼女の声が、言葉が、心地よく胸に響く。舞う花弁が二人を祝福してくれているようだった。


 あの日、目の前で花を摘んでいた幼馴染は、彼の告白に行動で答えを返した。花を手にしたまま彼に駆け寄ると、そのまま両手で彼の顔を包み込み、唇を押し付けてきたのだ。頬に触れる花弁のくすぐったさと、唇に感じる彼女の唇の柔らかさ。鼻孔を擽る花の香りと彼女の香り。驚き、そして歓喜。

 その後すぐに二人は互いの両親の下へと報告に向かった。仲良く二人で手をつないで……

どちらの家でも二人の婚姻は歓迎され、次の日には集落中が知る事となった。


 ――明るく、元気で、皆に人気のあるユラ。


 ――兄貴肌で面倒見のよいジュラ。


 人気者同士の婚姻に、集落中が沸き、喜び、祝福した。

 その後すぐ、ユラは花嫁修業を始めた。ユラの母親はもちろん、ジュラの母親も指導に加わった。料理を教え、裁縫を教え、母の務めを説いた。

 一方で、ジュラも男たちの手を借りて、新しい住居の作成に取り掛かった。集落の若い男たち総出で作業を続け、十日ほどで住居は完成した。


「いよいよだな。あ~羨ましいぞ! こん畜生!」


「ユラが生娘なのも今日までか……俺の青春が……」


「ユラがこいつのモノに……こいつのモノ……いっそこいつを亡き者に……」


 若い男達が集まると、ついつい下世話な話題となってしまう。彼らはジュラとユラの婚約を心から祝福し、心からやっかみ、羨ましがった。それほどまでに若い男達からのユラの人気は絶大だった。


「撲殺?」


「いや、刺殺でも……」


「生ぬるい。ここは生き埋めだろう」


「…………」


 ジュラが思わず身の危険を感じるほどに……


◇◇◇


「すごい……すごいよ」


 出来たばかりの住居を前に涙ぐむユラ。今日から二人の新しい家。これから二人が夫婦となる証……

 真新しい柱に、真新しい茅葺き屋根。中に入ると天井からススキやチガヤのいい匂いがする。


「気に入ったか?」


「うん、気に入った!」


 少し照れくさそうにジュラが訪ねると、ユラは元気いっぱいに答えてくれる。その顔は本当に嬉しそうで、ジュラも心の奥底から喜びが沸き上がってくる。


「幸せにする」


「うん!」


 飛付く様にしてジュラに抱き着くユラ。二人は熱い抱擁を交わす。そっと唇を触れ合わせる。それだけの軽いキス。しかしそれだけでユラは満たされる。ジュラは幸福を感じる。


「ジュラ……」


「ん?」


 ユラが耳元でそっと囁く。


「優しくしてね? 今夜は……」


「――んな!!」


 絶句し顔を真っ赤に染めるジュラ。そんなジュラを愛おしげに眺めるユラ。

 新居が出来、今日から二人はここに住む。今夜が二人が夫婦として初めて迎える夜。幸せな夜となる…………………………はずだった。


◇◇◇


 皆が騒いだ。皆が飲んだ。日々の嫌なことを忘れ、新たな夫婦の誕生に喜び、嫉妬し、祝福した。いつもより少しだけ豪華な食事。穀物から作った集落秘蔵の酒。

 不作などに備えて集落で溜めている貯蓄を少しだけ放出した。主役はもちろんジュラとユラ。ジュラはいつもとあまり恰好は変わらない。しかしユラは……


「きれい……」


「いいな~ いいな~」


 ジュラの隣で微笑むユラ。彼女はその身に純白の花嫁衣装をまとっていた。それはジュラが必死にやりくりして溜めたお金で用意したもの。ジュラがユラに内緒で、知り合いの商人に頼み込んだのだ。その商人は今、ケーニッヒや、ライオスらに囲まれて赤ら顔で談笑している。


「あれはなぁ、俺からの……気持ち! きもちらの!」


「――あ~、じゃぁジュラが貯めたお金足りなかったの?」


「そう! あんな金額で……は、はだよめ衣装準備できるわきゃないでしょうが!!」


「なるほどね~」


「いいがぁ、ぜったいに言うなよ! これは秘密。ひみちゅなの~」


「………………」


 相当酔っぱらっているのだろう。その商人の声はとても大きく、当然……


「聞こえてるんだが……」


「あはは、聞こえない振りしてあげよう。ね?」


 ジュラと、ユラにもばっちり聞こえているわけで。


「足りてなかったのか……」


 そのことに少なからずショックを受けている様子のジュラ。心なしか顔が赤くなっていた。


「気にしない、気にしない。気持ちだけで充分私は嬉しいよ?」


 そしてそんなジュラを慰めるユラ。


「け、見せつけちゃって」


「あ~やだやだ」


 当然の義務と権利として、そんな二人を周りは精一杯はやし立てる。


「さて、そろそろお開きにしようか。明日も早いことだし。何より今夜は……その……なんだ、大事な夜……だしな」


「っちょ、お父さん!?」


 父親でもある集落長の言葉に今度はユラの顔が真っ赤になる。


「そうだな! ジュラ励めよ?」


「おい!」


 更に男達がジュラをからかい、集落は笑いに包まれる…………


◇◇◇


「ずいぶんと賑やかなようだが、何かいい事でもあったか?」


 招かれざる客が訪れたのは、その時だった。ここから運命の歯車が狂い始める……

数人の大柄な兵を引き連れ現れたのはこの地の領主の一人息子。自己顕示欲が強く、我儘で女好き。悪名高い最悪な男の、最悪なタイミングでの登場だった。

 突然の予期せぬ訪問者に場が静まり返る。誰もが固唾を呑んで見守る中、集落長が前へと進み出る。


「これはレオルグ様。本日は私の愚娘とここにおりますライオスの息、ジュラの結婚の日であります。少しばかりのお祝いをしておりましたとこです」


 深く頭を下げる長に続き、その場にいた皆が頭を垂れる。


「そうか、それはめでたいな。私も何か贈り物をせねばならぬか。しかしその前に……」


 男はそう言うと並べられた食事の前へと歩を進めた。


「だいぶ食料に余裕があるようだな。これは税を引き上げるべきか?」


「な!?」


「っつ――」


 途端にざわめきが起こる。奴らは収穫した作物の大部分を税として持っていく。なのに、まだ自分たちから搾り取ろうというのか。誰もがそう内心で憤慨し、憤りを感じていた。


「お待ちください。それは緊急時の為にと、皆で少しずつ貯めておりました非常用の物でございます。本日はめでたき場ということで、その中からほんの少しだけ放出したにすぎません。税を上げるのだけは、なにとぞご勘弁を……」


 さすがに集落長をしているだけあって、ユラの父親は内心の動揺を表に出さない。そのまま落ち着いた態度で穏やかに、丁寧に話しかけると再び頭を下げた。慌てて周りの者達もそれに続く。しかし……


「ほぅ、非常時か。ならば今がその非常時ではないのか?」


「……どういう意味でございましょう?」


 その声音に、笑みに、残虐な響きを感じ、不吉な予感を覚えたのは、ユラの父親だけではなかった。そんな者達が注意深く固唾を呑んでレオルグの答えを待つ。その沈黙に気を良くしたのか、レオルグは上機嫌で語り始めた。


「いくつもの集落から城に嘆願が届いておる。なんでも今年は何故か食料が不足し、食うに困っているという話だ。畏れ多くも父上に税を軽くするよう求める不届きな声も上がっている」

「それは……」


 何故かではなく、彼や彼の父親が何かと理由を付けて税を引き上げたり、臨時に徴収したりするからだ。だがそんなことを面と向かって言えるわけがない。

 レオルグはなおも続ける。次第に口調も演技がかった物となり、身ぶり手振りも大げさになってきた。


「しかし残念なことに税を抑えることは非常に難しい。我々もこの領地を運営していかねばならぬのでな。ある程度の収入がなければそれがままならなくなってしまう。それではそなたらも困るであろう?」


 それはそんなことを露程も感じていない口調だった。ただ自分よりも立場の弱いものをいたぶって楽しんでいるだけの、優越感を感じる為だけの行い……


「よってそなたらの備蓄に頼らせてもらいたい。今困窮に苦しむ隣人たちへとその富を分けてもらいたい。配分は私が責任を持って行おう。非常時の為の備蓄なのであろう? 今がその時だと思わないか?」


 到底受け入れられる話ではない。この場に居た皆が感じたことだった。


「それだけは、それだけは勘弁していただきたい。ここにあるのも決して十分な量ではなく。私たち集落の者が食べるだけで精一杯なのです」


 集落長の声音にも焦りと焦燥が混じり始めた。やると言えばやる。できてしまうのが支配者だ。命令されてしまえば、それがいかに理不尽なことでも彼らに否ということはできない。彼らに残されたのはただ慈悲を請うだけ……


「なにとぞ、なにとぞご慈悲を……」


 いっそ哀れと言えるほどの集落長の懇願。地に座り、頭を地べたに擦り付ける。他の者たちも、彼がなぜそこまでするのか痛いほど分かっていたので、彼に倣い地べたに頭を擦り付ける。


「なにとぞ……なにとぞご慈悲を」


 たった数人の人間を前に、集落に住む民全員が、大人から、子供まで例外なく跪き、頭を垂れる光景。ただしそれは、この地方においては別段珍しいものではなかった。


「そうか。そこまで言われたならば致し方あるまいな。今日は婚姻というめでたき場でもある。あまり無粋なことを言うものでもなかろう」


 一通りいたぶってようやく満足したか。誰もがそう考え、胸をなでおろす。しかしレオルグの言葉はそこで終わらなかった。さらに酷く、無慈悲で残酷な言葉がその口から紡がれる。


「ならば代わりと言っては何だが、今城の人員が少し不足していてな。特に侍女の数が足りていない。よってこの集落から数人出してもらおうか。それで備蓄分の食料は見逃してやろう」


 さも名案とばかりに告げるレオルグ。その笑みには残酷さが増し、若い娘達を嘗め回すような視線がそれに加わった。


「お、お待ちください!」


 慌てて止めに入ろうとする数人の男達。そんなものが名案な訳がない。連れて行かれた女達がどんな目に合わされるか……


「何を待てというんだ? 食料を出す気になったのか?」


「いえ……そうでは」


「なら問題あるまい。そうだ、そこの女も連れて行こう。城で花嫁としての作法を学ばせてやる」


 そう言ってレオルグが指さす先にいたのは……


「そんな……ユラを!?」


 はたしてその叫びはジュラの物だったのか、父親の物だったのか、それとも……


「連れていけ」


 レオルグの無慈悲な命令が響き渡る。


「お待ちください!!」


 なおも食い下がる男たち。すでに女達の間からは悲鳴や、啜り泣きの声が上がり始めていた。


「お、お待ちください!! 今日、今日ようやく結ばれたばかりなんです」


 懇願の声はジュラの物。その声音には必死さと恐怖が滲み出ていた。


「そう言えばそんな事を言っていたな。女、生娘か?」


「――っつ」


 余りにも直接過ぎる質問。配慮も考慮も何もない。ただ思いついたから聞いた。そんな感じだった。


「どうなんだ、ん?」


 答えられないユラをいたぶる様に問い続けるレオルグ。絡みつくような、そしてねっとりとした視線でユラの全身を嘗め回すように見つめる。


「そ、それはあまりにも無慈悲すぎます。どうか――」


「黙らせろ」


「ジュラぁ!!」


 止めに入ろうとしたジュラをレオルグの命令を受けた兵達が黙らせる。蹴られ、殴られ、踏みつけられ、傷だらけになるジュラ。悲痛なユラの叫びが木霊する……


「言う。言います! だから止めてぇ!!!!!!」


「やめろ……で?」


 面白くてたまらないといった風な表情を浮かべるレオルグ。対してユラの目からは、すでに幾筋もの涙が流れていた。


「――です」


「ん? 聞こえんぞ。男の耳でも切り落とそうか?」


 笑いながら脅すように告げる……だけでなく剣まで抜いて見せるレオルグ。


「き――です……」


「聞こえな~い」


「生娘です!!」


 両手の拳を握りしめ、涙を流しながら、それでもユラはレオルグに面と向かって言ってのける。しかしレオルグのお遊びはまだ終わらない。


「そうか。じゃぁ、確かめてみよう」


「え?」


「なん……だ…と」


 事もあろうかレオルグはそのままユラを連れて行こうとする。その向かう先は……


「いや…いやぁ! ジュラ、ジュラ……いやだよ!」


「まって…くれ、待て! レオルグ!!」


 兵をふり払い襲いかかろうとするジュラ。ライオスもそれに続こうとするが……


「動かないでもらおう」


 剣の抜く音が聞こえた。振り向いた先では三人の兵がそれぞれ剣を子供たちへと突き付けている。


「お、お母さん……」


 恐怖で泣くことも出来ない子供たち。


「や、止めて! お願いだから!!」


 母親達の悲痛な叫びがそれに続く。兵たちは笑いながら剣を子供たちに寄せていき……


「ひっ!!」


 うっすらと触れたところから血が流れ出す。


「この子供たちの父親はいるか?」


「わ、わたしで…す」


 名乗りを上げる父親達。今度は何をされるのかと恐怖する中、告げられたのは……


「その男と、隣の男を抑えつけて動けないようにしろ」


 嫌な沈黙が下りる。息子、娘へと視線を向ける父親たち。そしてジュラとライオスへと視線を移す……


「すまんジュラ……ライオス」


◇◇◇


「離せ!!!!!!離してくれ! 頼む! 離せよ!」


「すまん、すまん……」


 叫び、暴れるジュラ。それを涙を流しながら押さえつける父親達。レオルグがユラを連れて行ったのは、あろう事かジュラとユラの出来たばかりの新居だった。

 開け放たれた扉から時折聞こえてくる悲鳴と喘ぎ声。ジュラを呼ぶユラの声と、レオルグの笑い声。時折殴りつけるような音がそれに混ざる。


「…………」


 どれくらいの時間がたったのだろう。声も枯れ果て叫ぶことも出来ないジュラ。顔は涙と鼻水と泥で汚れ、目は真っ赤に腫れ上がっている。いつの間にか家の中からも声が聞こえなくなっていた。静かな沈黙。やがてレオルグが姿を現す。上半身は裸で、下にだけ衣服を付けていた。続いて兵たちによって運ばれてきたのは……


「……ユ……ら?」


 純白だった花嫁衣装はあちこちが引きちぎられ、裸体となったユラの上に無造作に掛けられている。その衣装も所々が赤く染まり……

 誰も動けなかった。ライオスも、ケーニッヒも、ジュラでさえも。そのままユラはレオルグの乗ってきた馬車へと放り込まれる。続いて数人の女たちも……

 止められるものは誰もいなかった。

 ユラと、数人の年若い娘がいなくなった後の集落で、ジュラがゆっくりと起き上がる。向かう先は彼の新居。中へと足を踏み入れた彼が見たのは、めちゃくちゃになった家具と、皺くちゃになった寝具。そして鼻を突くジュラのモノでも、ユラのモノでもない臭い……


「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!!!!!!!!!!!!!!!!」


 枯れ果てたはずの彼の喉から、血を吐くような叫び声が響き渡る。やがてそれは唸り声へと変わった。ジュラはそのまま気を失うまで叫び続けていた。


◇◇◇


 それから数日後、物のように一つの荷車に詰め込まれ、変わり果てた姿の娘達が戻ってきた。どの娘の瞳にも生気はなく、赤く腫れ上がった瞼にはくっきりと涙の跡が残っていた。爪が全て剥がれ落ちた娘や、耳を片側だけ失った娘。乳房を噛み千切られた娘もいた。どの娘も全身に痣が残り、無事な者は一人もいない。皆ぐったりとしていて、治療もろくになされていなかった。

 運んできた兵士たちは、集落の入口に物のように娘たちを放り出すと、続いて米を一俵だけ地面に卸す。それが、娘たちが失ったものの対価だった。

 この地方では麦は取れても米は取れない。雨が少なく、晴れの日が多い為、環境が稲作に適さないのだ。だからこの地方では米は高級品であり、なかなか手に入れることは難しい。しかし、この時米を見て喜んだものなど一人もいなかった。怒りのあまり貴重な米俵を蹴りつけても、鉈を突き刺しても誰一人咎める者などいない。結局その米は誰の胃袋に入るわけでもなく、怒りのはけ口として地面にばら撒かれ、踏みつけられるのだった。


 帰ってきた娘たちの中には、ユラの姿だけがなかった。連れて行かれた娘たちはどの娘も見た目の良い娘ばかりであったが、その中でもユラはとりわけ器量が良かった。

 ようやく傷が治り始め歩けるようになったジュラは、すぐに納屋に閉じ込められた。そうでもしなければすぐにでも領主の下へ飛び出して行ってしまいかねないからだ。そうなればまず命を失うことになる。


「本当に何もしないのか?」


「……耐え忍ぶ。我々にできるのはそれだけだ」


 何度も繰り返されたライオスの問いと、集落長の答え。娘があんなことになったのに彼は長としての役割を手放さなかった。彼はこの集落を纏める長だ。たとえ本心ではどう思っていようとも、集落を守る義務がある。


「そうか」


 そしてライオスもそれなりの経験を積んでいた。集落長との付き合いも長い。故にただそれだけで理解する。納得はできないが理解する。だからこそライオスは、集落長と共に村の若者たちを宥める役目を負った。たとえそれで誰に恨まれようとも……


 けれども、それから数日経ってもユラは帰ってこなかった。その間も手酷い痛めつけられ方をした娘たちの傷は日増しに悪化していくばかり。そんな中でついに集落長がうごいた。


「すまんが、後を頼む」


 彼は後をジュラに託すと、娘の様子を探りに行く為ではなく、集落にいる傷ついた娘達の治療の為に――薬を得る為に、一人領主の城へと向かった。

 長はジュラの暴走を抑える為にあえてジュラに後を託したのだろう。その日からジュラを抑える役は代理としての肩書と、弟のケーニッヒになった。

 それから数日後、城の兵士が一人の女性を運んできた。変わり果てた姿のユラであった。彼女はこれまで帰ってきた娘たちの誰よりも酷い姿だった。美しく艶やかだった髪は老婆のように真っ白になり、左腕の手首から先が失われていた。その瞳は真っ白に濁り何も映さず、何より心が壊れてしまっていた。口から涎をたらしケラケラと笑い続けるユラ。そしてその腕に抱くのは彼女の父親の生首だった。

 誰もが、ジュラでさえ彼女に何も言えなかった。誰もが今度こそ駄目だと思った。もう誰もジュラを止められない。いや、ジュラだけではなかった。誰もが気が狂いそうなほどの怒りを感じていた。

 しかし暴動寸前の若者たちを止めた人物がいた。静かにユラに近づいた彼女の母親だった。


「お帰り」


 彼女はそう告げると、そっと変わり果てた娘と、かつて夫だったモノを抱きしめた。夫だったモノは答えず、娘は抱きしめられていることにさえ気づかない。その姿に集落に住む民皆が涙した。


 その後ユラの母親は、ジュラに対して娘のそばにいてほしいと頼んだ。ジュラはその願いを叶え、畑に行くとき以外はユラのそばにずっと付き添った。畑に行くことは、少しでもジュラや、集落の皆の気持ちを落ち着かせようと老人たちが考えた苦肉の策であった。

 数日間はそれで何事もなく過ぎた。ジュラは終始無言で、まるでその身に怒りを溜め込んでいるかの様に、日増しに凄味を増していった。誰も彼に近づけなくなり、ジュラも誰にも近づかなくなった。弟のケーニッヒでさえ、彼に話し掛け辛くなってしまった。


 そして今日の出来事が起こる。ラウルの姿を、上品な衣服に身を包む明らかに貴族然とした彼の姿を見て、男たちが、母親たちが、心の内底へと必死に覆い隠した貴族に対する恐怖と、怒りを思いだし、瞬時に燃え上がらせてしまった。

 その場はラウルが立ち去った事で事なきを得たが、けれどもその後もジュラ達男の怒りも、母親たち女の恐怖も収まらなかった。

 結果男たちが暴走した……


◇◇◇


「以上が今、私たちに起こっている出来事です。侯爵に泥を投げつけた子供は、連れて行かれた娘の中に姉がいた子供です。また反乱の中心は我が兄でしょう。しかし彼を止められなかったのは私です。どうか罰するならば私を罰して頂きたい!」


 語り終えると深く、深くケーニッヒは頭を下げた。地面にぽつり、ぽつりと雫が落ち、滲んで広がっていく。後には地面に広がる染みと、沈黙だけが残った……


 ケーニッヒの自分を罰するよう求めた声は、どんな理由があろうとも暴動や反乱は首謀者が無条件で罰せられるという彼の常識に基づいての言葉だった。

 それに対し、この場にいるラウル以下クロイツェル侯爵領から来た者達は、彼が一体何を言いたいのかすぐには理解できなかった。彼らにしてみれば、明らかに悪いのはレオルグの側であり、領民達の怒りも正当な物だと皆が理解していたからだ。故に彼らを罰する理由に思い至らなかった。

 このように、二つの領地には法と、住む者たちの認識共に大きな隔たりがあるのだった。

 クロイツェル領の者達にとっては、そんなことよりも寧ろ、レオルグをはじめ、領主側の行いが信じられず、その悪逆さ、非常さにケーニッヒの話の途中から憤りを露わにする者たちが続出した。その都度ケーリッヒの言葉が聞こえなくなり、近くにいた同僚たちに窘められるという一幕も見受けられた。

 クロイツェルに住む者皆がそういった訳ではないが、今ここにいる者たちはラウルが選りすぐった者達であり、考え方もラウルに近い。彼らはレオルグらの行動に大いに憤り、罵るのだった。


 しばし場を騒々しさが支配した後、ようやく侯爵が口を開く。その言葉は重苦しい響きを伴っていた。


「皆の怒り、憤り、私も同じ気持ちだ。何より私も娘を持つ身。万が一にも我が娘に同じことが起こったらと考えると気が狂いそうだ。一人の親としては今すぐにでも協力を申し出て、圧政に苦しむ民を一人でも多く救いたいと思う」


 その言葉に集まった者たちが次々と頷きを返す。

 ケーニッヒもまたラウルの言葉に全身全霊で耳を傾けていた。だから侯爵が「一人でも多く救いたいと思う」と述べたときは、思わず歓喜に震えた。しかしすぐに気づく。


(一人の親としては……? では侯爵としての判断は?)


 その心の声が聞こえたわけではないだろうが、侯爵はその疑問にすぐに答えた。


「しかし私はクロイツェルに住む領民全てを預かる身である。彼らを……あるいは彼女らを、子供らを危険に巻き込む決断をする訳にはいかない。私の気持ちは先に述べた通りだが、私は動くことができない。また、動くつもりもない。…………私からは以上だ。皆はそのつもりでよろしく頼む」


 最後にそういって侯爵は頭を軽く下げた。


 ケーニッヒを襲ったのは深い絶望と、そして失望だった。この人ならばと感じていた。侯爵の人となりを見て、周りにいる人達を見て、きっと力になってくれると思っていた……しかし期待は裏切られた。崩れ落ちそうになるケーニッヒ。しかしその時、彼の耳に囁き声が聞こえてくる。


「ま、妥当なところだな」


「まぁな。それよりも俺は、お館様が自分が何とかするとか言い出さないかそっちの方が不安だったよ」


「確かに」


「あの方なら言い出しかねんもんな」


(なぜだ? 僕の話を聞いたときはあれほど憤っていたじゃないか。怒ってくれていたじゃないか……なのになんで……)


 やるせない気持ちで泣きそうになりながら、ふとケーニッヒは今の声に聞き覚えがあるように感じ、声がした方へと視線を向ける。


「…………うそ……だろ」


 そこにいたのは、彼をここまで導いてくれた人物だった。


「シュウ……なんで……」

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