第3話 対面そして……
「…………」
言葉が出ないとはこのことか。そんな思いとともにケーニッヒは目の前の光景をただただ見つめていた。一体全体これは何なのか。ケーニッヒの想像を、常識を軽く覆す光景がそこには広がっていた。
◇◇◇
暗かった為にケーニッヒは気づくのが遅れたが、キリュウと合流した場所はケーニッヒの暮らす集落からほど近い、森の入口付近だった。すぐ近くには二頭の馬がつながれており、おそらくはシュウエンリッヒとキリュウの馬なのだろう。いつの間にかコノハは再びシュウの左肩に留まり、羽を休めていた。
「場所は?」
「先ほど待っている間に確認してきた。行こう」
二人は短く言葉を交わすと、ケーニッヒの目の前で驚くべき行動に出た。
「な……なにを?」
ほんとに今日何度目だと言いたくなる驚きを口に出しながらもケーニッヒはその驚愕を隠せない。二人はこの闇夜の中、あろうことか馬に跨ったのだ。足元もよく見えない所での乗馬、しかも二人が馬首を向けたのは森へと向かう道……
「危険だ! 自殺行為だ!!」
「何を騒いでるんだ?」
ケーニッヒの言葉に、心底何を言っているか分からないといった、きょとんとした表情を見せるシュウエンリッヒ。
「こんな真っ暗闇の中で灯りもなしに馬に乗るなんて、いや灯りがあったとしても夜に森に入るなんて、しかも馬で!! いったい何を考えているんだ!」
ケーニッヒにとっては心底信じられない行動であり、常軌を逸しているとしか思えない行動だった。夜の森は人の領域ではない。どこから獣に襲われるかわからないのだ。ましてや馬に乗ってである。ケーニッヒでなくてもどうかしていると感じたであろう。しかしシュウエンリッヒから返ってきたのは静かな笑い声であった。
「そっか、暗いか。俺たちにとってはこれで十分なんだがな。見ろよ?」
そういってシュウエンリッヒは上空へと指を向ける。その先にあるのは天に輝く月。昼の太陽に比べるととんでもなく貧相で儚く、そして美しい闇の月光。美しき夜の女王
「月が隠れているならともかく、俺たちにとっては月明かりだけで十分明るいんだよ」
「いやでも……そうだとしても夜の森は」
信じられない事だが、ケーニッヒにはほとんど真っ暗闇にしか見えない森の中がこの二人にははっきりと見えているらしい。しかし夜の森の危険性はそれだけではない。
「凶暴な獣達だって……」
夜に夜目が聞く獣に襲われたらまず助からない。ケーニッヒにとっては常識だったのだが……
「大丈夫だって。獣は人よりもよっぽど敏感で臆病なんだ。子育て中とか滅多な時でもない限り自分より強いやつには襲いかからない」
「強いって……」
近くに住むケーニッヒには、この森に住む獰猛な肉食獣に何種類も心当たりがある。実際毎年少なくない数の犠牲が集落に出ているのだ。農作物だったり、家畜だったり、建物だったり、そして人だったり……
「まぁ、心配するなって。それにいつまでもぐずぐずしているわけにもいかないだろ?」
「うぐ…それはまぁ、そうだけど……」
「だったら覚悟を決めろ。覚悟ないものには何も成し遂げることはできないぞ」
急に低い声音となってそう告げるシュウエンリッヒ。その言葉はケーニッヒを叱責するようでもあり、同時に何か自分に言い聞かせているような口調でもあった。
「わ、分かった……」
ようやく覚悟を決めてシュウエンリッヒの後ろへと乗るケーニッヒ……だったのだが…………
「うそ!無理!やっぱ無謀だって無理無理死ぬーーーー」
「喋ると舌噛むぞ。あと手離すと落ちるぞ?」
何気に怖いことをさらっというシュウエンリッヒ。ケーニッヒは慌てて腰へと抱きつく。
「う~ん。しかし男に抱きつかれてもあんま嬉しくないな……やっぱ少し離れて?」
自分で言っておきながらそんなことを突然言い始めるシュウエンリッヒ。慣れているのか馬上でも普通に喋れている。それに比べケーニッヒはいろいろと限界だった。彼は答えを返すこともできずに、その代わりにきつく、ひたすらきつくシュウエンリッヒに抱きつくのだった。
◇◇◇
「はぁ、はぁ、はぁ、はあ、ぜぇ、ぜぇ、はぁ……」
身も心も疲れ果てたケーニッヒが地べたに横たわる。今彼らがいるのは、しばらく森の中を突き進んだ先にあった少し開けた空間だった。森を抜けたわけではないので辺りをぐるりと木々が囲んでいる。全身に汗をかいて息も切れ切れなケーニッヒに対し、残りの二人は全く汗もかかずに平気な顔をしている。
不思議なことに獣たちに襲われることはただの一度もなかった。恐ろしげな唸り声や、強暴そうな遠吠えなどは度々聞こえたので近くにいないわけでは決してないのだろうが……
「さてさて、誰が来るかな……」
「レイオスさんか、シルファあたりでしょ。たぶん」
「わからんぞ。そこをあえて裏をかいて――」
全力で突っ伏しているケーニッヒをよそに、親子は誰が迎えに来るかの話をしているようだ。シュウエンリッヒが挙げた二人は今回の護衛部隊の隊長と、副官を任された人物だった。
「裏をかいたわけではないが、迎えは私だ」
そう言ってまたしても突然男が現れる。もはやびっくりする余裕もないケーニッヒ。しかし男が近づき、顔が月明かりに照らし出されると、男の顔にどこか見覚えがあるような気がして……。
(ええと……だれだっけ? どこかで見たような……)
「何やってんだおまえは。お前が出てきてもし何かあったらどうする?」
「そうですよ。謹んでくださいお館様! あと父さん言葉!」
(お館様?…………………………ってラウル・クロイツェル!!!!!!!!)
がばりと音がしそうなほどの勢いで飛び起きると、ケーニッヒは慌てて頭を下げる。
「お、おはちゅにお目にかかります! ケーニっ――」
「あ、噛んだ」
「噛んだな」
「ああ、噛んだ」
シュウエンリッヒやキリュウだけでなく、ラウルまでもが突っ込みを入れる。思わず泣きそうになってしまうケーニッヒだった。
「そんなことよりさっさと行くぞ。いい加減腹ペコだ」
そんなケーニッヒを放っぽいて、キリュウは先ほどラウルが現れた方向へとさっさと歩き出してしまう。当然のごとくそれに続くラウルとシュウエンリッヒ。後に残されたのはケーニッヒただ一人。
「…………………お前? 行くぞ?」
確かにラウル・クロイツェルその人だった。一度遠目に見ただけだったが、つい昼間の出来事だ。間違いようがなかった。そんな相手に敬語を使わないばかりか命令口調で話す黒髪隻眼男に、敬語を使ってはいたが臆することなく嗜めた黒髪美青年……
(いったいぜんたい何がどうなってどうなったらこうなったんだ?)
全く機能しなくなった彼の頭脳がようやくそれだけの言葉を思考に浮かべると同時、彼の意識はぷっつりと途切れた。
「あ、倒れた」
◇◇◇
「あらぁ、目覚めたぁ?」
どこか間延びしたような口調で問いかけてくる水色の髪の小柄な女性。ケーニッヒは自分が一体どこにいるのかもわからないままとりあえず返事を返す。
「……ここは?」
「地面の下よぉ。とりあえず起きたら連れてくるよぅ言われたんだけどぉ、おきられるぅ?」
普通の女がこういった話し方をすればイラッと来そうなものだが、不思議とこの女性に関してはそういったところがなく、むしろしっくりくる。不思議な雰囲気の女性だった。
「ああ」
答えつつ、起き上がるケーニッヒ。途端に尻に激痛が奔る。
「いっっつぅ……」
思わず尻を抑えてしまった後、今の自分の体勢を思い出し、思わず赤面するケーニッヒ。そして思う……
(こういった人に見られたくない時に限って、人が来るんだよな……)
そして案の定現れたのは……
「ケーニッヒ気づいたかっ……って…………」
入ってきたまま固まるシュウエンリッヒ。そして……
「ぐふ…は、な、なに……その…恰好。いや、もうダメ……あははは…」
腹を抱えて盛大に、それはもう盛大に、苦しそうに笑い転げる。今のケーニッヒの格好といえは、中腰で両手で尻を抑えたままの恰好なわけで……
「そんなに笑わなくてもいいじゃないか」
「いや、ごめんごめん。でも……くっ……くくく」
口を尖らせるケーニッヒに謝りながらも、再び思い出し笑いを始めるシュウエンリッヒ。
「まったく……」
そう言うケーニッヒの頬も未だ赤いままだった。
一通り笑い転げて、ようやく満足した様子のシュウエンリッヒに続いて、ケーニッヒも部屋を出た。部屋の入口には布で簡単な仕切りが設けられており、それを潜ると…………
「…………」
言葉が出ないとはこのことか。そんな思いとともにケーニッヒは目の前の光景をただただ見つめていた。一体全体これは何なのか。ケーニッヒの想像を、常識を遥かに超える光景がそこには広がっていた。隣ではどこか得意そうな表情のシュウエンリッヒがケーニッヒの反応に満足そうにうなずいている。
今二人がいるのは、巨大な円形の空間だった。壁には等間隔にランプが置かれており、光源はそれだけ。その仄かな光に照らし出された床も、壁も、天井も、全てが土でできていた。驚くほど平らで滑らかで、しかしまぎれもない土の匂い。土の感触……
「これってまさか…いやそれよりもここって……」
床に手を置き、その手で感触を確かめてみる。
「地面の下さ。というよりも中だな。さっき言われてたろ?」
確かに起き抜けに地面の下がどうとか言われたような気がする。しかしこれはあまりにも……
「すごいだろ?」
「ああ……」
その言葉に素直にうなずくことしかできなかった。
紛れもない地下の世界。辺り一面、天井も地面も壁も全てが土でできている。
「森の中にこんな空間があったなんて……」
「あるはずないだろ? 作ったんだよ」
「は? 作った?」
思わず周りを見回してみる。広い。とてつもなく広かった。
(これを……作った? 人が?)
地面に居住空間を作る。確かにそれが可能な者はいるだろう。土の神霊術師、それも高位の術師ならばおそらく可能だ。しかしそれをこれだけの規模でとなると、そんじゃそこらの術師にできることとではない。今、彼の目の前に広がっている空間は馬車三台を丸々収めてもまだ余裕を残した巨大な円形の空間だった。
(確かに自然にできたにしては、不自然なほど形が整っている……)
そ円形の空間を中心に、等間隔に入口が並んでいた。その全てに布が被せられており、その為中の部分までは分からないが、おそらく先程までいた小部屋に似た部屋がそこにはあるのだろう。
「すごい……けど、誰がこんな……」
「ああ、レイオスさんだよ。たぶん後で会えるよ」
「そう……なんだ」
という事はつまり、これだけの力を持った神霊術師が侯爵の配下にいるという事だ。それだけの人物を従えているクロイツェル侯爵とは、はたしてどれだけの人物なのか。恐れにも似た感情がこみ上げてくる。
(そういえば、そんな侯爵に馬鹿とか、お前とか言ってた某黒髪隻眼男がいたな……)
思わず思い出さなくてもいい光景を思い出してしまい。ケーニッヒは慌てて頭を振る。
(ダメだ。あれを思い出すとまた頭がどうかなってしまう……考えるな……考えるな……考えるな……)
人は自分の想像力を、限界を超えた事態には対処できない。そういった事柄を回避するためには、時には逃避というのも必要なはずだ。ケーニッヒは激しく頭を振りながらそう自分に言い聞かせた。
(何してんだ? こいつ……)
その様子をシュウエンリッヒが呆れたような、どこか冷めた眼差しで見つめていたとか、いないとか…………
◇◇◇
巨大な円形の空間に胃袋を暴力的なまでに刺激する芳醇な香りが漂う。その香りの元《鍋》を囲み、皆で食事をとっているのだが……
「そっちの肉のが大きくないか?」
「父さん、恥ずかしいからやめてくれ」
何とラウル・クロイツェルその人までもが同じ鍋を囲んで食事をしているではないか。そしてこともあろうに例の某黒髪隻眼男は領主の器から一際大きな肉の塊を掻っ攫うと、そのまま口の中に放り込んでしまった。
「誰も注意しない……俺がおかしいのか? おかしいのは俺なのか?」
ケーニッヒの頭を抱える行動も、もはや恒例になりつつある。
「気にしたらぁ負けですよぉ?」
そうケーニッヒに声をかけたのは最初彼が目を覚ませたときにそばについていてくれた女性だ。
「シルファさんは気にならないんですか?」
ケーニッヒの問いかけに薄水色の髪を持つ女性は少し首を傾げると、
「最初は驚きましたけどぉ、今はもう慣れちゃいました♪」
相変わらずのおっとりとした口調。それに今度は満面の笑みと、語尾に何かが付いてくるという、おまけ付で答えてくれた。
「そ、そうですか……」
果たして簡単に慣れるものなのか。そんな疑問を覚えつつも、ケーニッヒの口と腕はしっかりと働き続ける。気づくと手元にあった椀の中身は、いつの間にかなくなってしまっていた。
「お替りはぁ、いかがぁ?」
「あ、すみません」
シルファがケーニッヒから椀を受け取り、鍋の中から追加の分をよそってくれる。
自分みたいなただの農民が、侯爵と同じ席で、同じ鍋を食べてもいいものなのか。そんな迷いも無くは無かったが、当の本人がそんなことは気にするなと強引に輪の中に連れてきてしまった。何よりこんな美味しそうな匂い――実際かなり美味しい! ――を前にして食べないという選択肢はケーニッには無かった。
「はい、どうぞ♪」
そして手元に椀が戻ってくると、再び勝手に手と口が動きだす……
(ああ……何してるんだろう僕……)
思わず料理の美味しさに、そして満腹感と幸福感に当初の目的を忘れてしまいそうになる。
(みんなごめん……こんな事してる場合じゃないのに………………でも、旨い!!)
自己嫌悪と幸福感が交互に押し寄せてくる中、結局ケーニッヒは三回お替りした。
◇◇◇
「お、おいしかったです。御馳走様でした」
恐縮しながらお礼を述べるケーニッヒ。本当に胃袋は現金なものだ。
「お粗末様でした。いや悪いな。食料がもう少しまともならもっと美味しいものを食べさせてやれたんだが……」
「悪かったですね、まともな食料を調達できなくて……」
ラウルの言葉に近くにいた男性がふて腐れてみせる。
「いや、別にそういったつもりで言ったわけではないんだが……」
「ええ、どうせいいですよ。俺はキリュウさんや、シュウ坊みたく狩りはうまくありませんからね」
その後も何やら拗ねる男性をラウルが必死にフォローしている。拗ねて見せている男性も本気ではないらしく、顔に笑みが浮かんでいて、どうやらラウルもそれを知った上で付き合っている様子だった。しかし、ケーニッヒにとっては全く持ってそれどころではなかった。
「あ、あの……まさか、この食事は……?」
いきなり立ち上がったケーニッヒに皆一様に驚いたような表情を見せていたが、今のケーニッヒには全く気にならない。それよりも今の彼には肝心なことがあった。そして得られた答えは……
「……? ああ、作ったのは私だが?」
本日二度目となる処理容量不足による気絶。ケーニッヒは、来た時と同じ部屋へと運ばれていくのであった。
◇◇◇
「はぁ……何やってんだろ俺は……」
最初に運ばれた部屋と同じ部屋、同じベット。ただ今度は一人きりだった。
あれからどれだけ時間が経ったのだろうか。一応現状ではジュラ達に見つかる心配はなさそうだが……それでも、未だ不安を抱えて自分の帰りを待っているであろう母親達のことを考えると胸が痛い。つい流されて食事までごちそうになってしまった……
侯爵はああ言っていたが、今までケーニッヒが食べたものの中でも断トツで一番おいしかった。何よりケーニッヒはあれだけ大きな肉がごろごろ入った食事を食べたことがない。
「あ~~あ~~あ~~」
そこまで思い出したとき、またしても嫌悪感が彼を襲う。そう、確かにおいしかった。極上と言っていい味だった。そんなおいしいものを自分だけが食べてしまった。他の者たちが大変な時に……
「何してるんだ? お前?」
頭を抱え、転げ回っていたケーリッヒの頭上から、冷ややかなシュウエンリッヒの声が降ってきた。
「自己嫌悪」
「あ、そ」
なんだかシュウエンリッヒの態度が最初のころと比べると大分変化したように思う。最初といってまだそれほどの時間がたったわけではないのだが……
「そんな生産性のない無駄な事してる暇があったらやるべきことをしたらどうだ? お前は何のためにここにいる?」
上からのぞく漆黒の瞳に見据えられ、ケーニッヒは何も言うことができなかった。シュウエンリッヒの瞳からはケーニッヒを気遣う気持ちと、それ以上に無駄な時間を過ごすケーニッヒに対する叱責が込められていた。
「そうだった。すまん……」
それはここまで導いてきてくれたシュウエンリッヒに対する謝罪か、それとも母親達待つ者への謝罪か、あるいは…………
「皆お前を待っている。あんな感じだが、お館様も、俺の親父も、それ以外にもあの場にいる者たちは皆一筋縄ではいかない相手ばかりだ。後はお前がどれだけ交渉できるかだな。がんばれよ」
それだけ言うとシュウエンリッヒはさっさと出て行こうとする。
「ありがとう」
その背中に心からの感謝を述べる。シュウエンリッヒは振り返ることなくひらりと右手を振ってそのまま部屋を後にした。
◇◇◇
先ほど食事をした場所は綺麗に片づけられていた。そしてそこでケーニッヒを待ち構えていたのは四人。クロイツェル侯爵領領主ラウル・クロイツェル、キリュウ・イザナギ、シルファ、そして土色の髪をした男性だった。
その男性はレイオス・アフレイアと名乗った。護衛部隊の長なのだという。この四人がこの集団の中心人物なのだろう。ということは、ラウルを除いた三人が彼の側近ということか……
キリュウに関してはもしやと感じていたが、シルファがここにいるのは正直意外であった。
「さて、それでは話を聞かせてもらおうか」
まず口を開いたのはラウルだった。キリュウも、シルファも、レイオスも口をはさむ気配はない。四人が四人とも公私をきっちり分けられる人物なのだろう。キリュウでさえも真剣なまなざしでラウルのそばに控えている。
食事の時のわいわいがやがやした雰囲気は全くなく、肌にまとわりつくのは重苦しい雰囲気と、重厚なプレッシャー。これがクロイツェル領という国内有数の富を持つ大領地を支えるトップの威厳というものなのかもしれない。
「改めまして、シューミッテ男爵領で農民として奉公いたしております、ライオスの子ケーニッヒでございます。本日はお伝えしたきことと、お願いしたき議がございまして御前に参上仕りました――」
気を取り直し、しっかりとした挨拶から入るケーニッヒ。その口上は、集落で物知り、本好きで知られているだけあって見事なもの。城でもなく、玉座があるでもなく、会談の場所としてはいささか不適切な場所であったにもかかわらず、ケーニッヒは最後まで公の場で、殿上人であるラウル・クロイツェルに対する礼儀を貫く。
その姿は自領で農民達と接する機会の多いラウルの目から見ても、明らかに他と違う、知を秘めた者の見事な立ち振る舞いであった。
そしてケーニッヒは静かに語りだす。ここ数日の間に起きた出来事を、今回の事件の元凶を…………
◇◇◇
「……話は大体分かった。すまないが少し時間をもらえまいか? 簡単に判断できることではないのでな」
ケーニッヒの話を一通り聞き終えたラウルが、重い口調でケーニッヒに告げる。ケーニッヒもすんなりいくとは思っていなかったので、そのことに否はなかった。
「それでは先ほどの部屋で待たせていただきます」
頭を下げ、ケーニッヒはその場を後にした。
「さて、どう思われますか?」
ケーニッヒが去った後、ラウルがシルファへと問いかける。しかしその口調は侯爵が家臣へ向けるものではなかった。
「貴族の役割を勘違いしておる者のなんと多いことよ……」
そして、そう答えるシルファの口調もまた先ほどまでの口調とは違う。どこか威厳を感じさせる女王然としたものだった。その影響か身に纏う雰囲気までもががらりと変わっている。
「さりとて知ってしまった以上放っておくわけにもいくまい。特にお前さんの性格ではな」
「おっしゃる通りで……」
向けられた視線の先でラウルが申し訳なさそうに頷く。
「良い、お前さんはそれで良い。後は妾達の仕事よ」
シルファのその言葉に、キリュウとレイオスも力強く頷く。
「お前さんは望むことをそのまま口にすればいい。その望みを形にするのが妾達の役目。面白くなりそうではないか」
シルファは獰猛に微笑む。その笑みは、見た目愛らしい小柄な女性が浮かべたとはとても思えない、凄味のあるものだった。
「分かりました。ならば私も役目を果たしましょう。レイオス、皆を集めてくれ」
そう言って立ち上がった時には、ラウルの眼に迷いはなかった。
◇◇◇
円形の広間に人が続々と集まってくる。夕食を取った時にはいなかった面々も多く、一体どこに隠れていたのかと思わせる人数だった。
「他領を移動するのに護衛をぞろぞろ引き連れていくのは不都合も多いからな。あの連中は陰で動いてる奴らだよ」
ケーニッヒの表情から彼の疑問を読み取ったのだろう。まさにケーニッヒが聞きたかったことを隣にいたシュウエンリッヒが教えてくれた。
「不都合?」
「いろいろだよ。地元民への配慮だったり、その地の有力者を刺激しない為だったり、あとは、身動きしやすいように……かな」
「なるほど……合理的だな」
ふむふむと頷いていたケーニッヒだったが、ふと何かに気づいたような顔でシュウエンリッヒに問いかける。
「ってことはシュウは陰で動く側なのか? 侯爵と一緒に行動してはいなかったみたいだけど?」
実際彼がケーニッヒたちの集落に表れたのは、侯爵たちが立ち去ったしばらく後のことだった。それも踏まえてのケーニッヒの質問だったのだが……
「いや、俺は護衛の方だよ。親父もな。一緒に行動してなかったのは……その……まぁ……な」
シュウエンリッヒにしては珍しく歯切れの悪い言葉。
(やばい、触れちゃ不味い話だったか……)
触れられたくない話題、もしくは話しづらい話題なのであろうことに即座に気づいたケーニッヒ。話題を変えるべきか、それとも何か他に言うべきか。慌てて考えるが、あれこれ迷っているうちに再びシュウエンリッヒが口を開いてしまった。
「まぁ、大したことじゃないんだが、昔住んでいたんだ。この近くに」
「え? どの辺に?」
思わず聞き返してしまってから、ケーニッヒは盛大に自分を心の中で罵った。
(馬鹿か僕は。どう考えても何か言いづらい事情があるに決まっているだろ!! なのに何も考えなしに……)
ほとほと自分が情けなく感じるケーニッヒ。そんなケーニッヒにはお構いなしでシュウエンリッヒは続ける。
「山の麓」
その言葉だけで理解した。理解できてしまった。
「そっか……ごめん」
ここ辺りに山は一つしかない。そしてその麓には集落はない。今は……
七年前だったか、八年前だったかに集落は隣り合う山ごと燃え尽きてしまったのだ。
ケーニッヒが聞いた話によるとかなり高位の神霊術師が関係していたらしい。その炎は雨が降ろうとも、風が吹こうとも全く衰えることを知らず、結局燃やすものが完全になくなるまで燃え続けた。そして今も、その地は草一本生えてこない不毛の地となっているらしい。
そんなことが自然に起こるとは思えない。誰かが、何かの目的で行ったことだろう。そしてそんなことができるのは、ほんの一握りの最高位の炎の神霊術師のみだ。
「そういえば、侯爵たちとの交渉は上手くいったのか?」
「うぐ……」
物思いに耽っていたところで、シュウエンリッヒに痛いところを付かれたケーニッヒ。今度はケーニッヒが黙り込む番だった。
「……まだ返事聞いてない」
「そっかぁ、ってことはこれからだな。みんなを集めたってことは変なことに巻き込まれないうちに、どっか遠くへ移動するってとこかな~」
「な!?」
「それとも向かってくるなら、防衛の為にさっさと殲滅するとか?」
「なな!?」
「それとも~」
ケーニッヒの表情が真っ青になったのを見て取ると、ようやくシュウエンリッヒはおとなしくなる。
「冗談だ」
「性質の悪い冗談はよしてくれ……」
「ちょっとしたお返しだ」
一連のシュウエンリッヒの言動は、言葉通りケーニッヒに対するちょっとした意趣返しと、そして悪くなりかけた雰囲気を変える意図をもって行われたことだった。
「そっか……お返しか」
ほっと胸を撫で下ろしつつも、ちょっとだけシュウエンリッヒに対して、申し訳なく思うケーニッヒであった。
◇◇ ◇
集まった一同の前へとラウルが進み出る。傍らにはレイオスが控え、少し距離を置いたその後ろにキリュウとシルファが従っていた。これが、今この場における彼ら四人の立ち位置であった。
「こうして集まってもらったのは皆に聞いてもらいたいことがあるからだ」
静かにラウルが語り始める。その声音は特別声を張り上げている様子は見られないが、しっかりと集まった者達全員に響き渡っている。
「この地で今、何が起きているのか。何が行われているのか。今ここに我々がいる意味を、意義を私とともに考えてもらいたい」
一人一人の顔を見て語りかけようとするかのように、集まった者達をゆっくりと見回しながら話しかけるラウル。その振る舞いと声音からは侯爵としての威厳が滲み出ていた。
今、この場にいるのは侯爵からの信頼厚い精鋭ばかりだ。そして精鋭だからこそ彼らの侯爵への忠誠も厚い。彼らは侯爵の言葉を一言一句聞き逃さないよう全力で耳を傾けていた。その結果、広場は張りつめたような緊張感と、一人一人から立ち上る熱気で埋め尽くされていた。
そしてその中でも一際強い緊張感を持って侯爵の言葉に耳を傾けている青年がいた。他でもないケーニッヒである。これから侯爵が語る言葉で彼の今後が、集落の今後が決まるといっても過言ではない。ケーニッヒが求めるのは、第一にジュラたち集落の男たちと侯爵がぶつからないことだ。それは今この場所にいる限り果たされるだろう。となれば次に彼が望むのは、いかにして男達の怒りを鎮めるかということだった。
さらに欲を言えば、自分たちの今の現状、特に領主の横暴に対して何らかの形でラウルに協力を得られたらと考えていた。
このままの現状が続けば、近いうちにまた今回のようなことが起こるかもしれない。それだけ領主の施政は領民を苦しめ、領民の不満はいつ爆発してもおかしくないレベルまで蓄積されてしまっている。
というか、現にちょっとした勘違いで盛大に暴発してしまっている。この状況を回避できるのは、なんとかできるのは今をおいて他にない。そしてそれができるかどうかは侯爵の決断にかかっている。祈るような気持ちでラウルを見つめるケーニッヒ……
(ケーニッヒも必至だな…)
横に並ぶ青年の決意に満ちた瞳を伺い見ながら、シュウエンリッヒは今回のことについて彼なりに考えを纏めていた。
(この地を治める領主は男爵ということだから、侯爵が動けばことはすぐに収まるだろう。ただし、それは侯爵が動ければの話だ。現状で侯爵が直接動くのはまず無理だろう。ケーニッヒには悪いが侯爵には表だって動けない理由がある。となると必然的に侯爵とは無関係を装って動かなければならなくなるわけだが……はてさて……どうしたものか)
これといった案が浮かばない。そもそもケーニッヒたちが抱える事情とやらも、実はまだ詳しくは知らないのだ。
(まずはそれを知ってからだな。知った上で出来る事と出来ない事の線引きをするってとこか)
ラウルもシュウエンリッヒと同じ事を考えたようで、緊張で強張るケーニッヒへと視線を向けると彼に話を振った。
「私の意志を述べる前に、皆には現状この地で何が行われているのか、直接この地に住む者の口から聞いてもらいたい。ケーニッヒよ、先ほど私たちにしてくれた話。もう一度この場でしてはもらえまいか」
途端に無数の視線がケーニッヒへと注がれる。一農民でしかないケーニッヒには、この視線の量はきついものがあるだろう……しかし、それでもケーニッヒは唇を噛みしめ、毅然とした態度で前へと進み出るのだった。
(さて、できれば彼の望みを叶えてやりたいが……)
ラウルは緊張で顔を強張らせる青年を見やりながら、何かいい解決策はないかと思考の内で模索する。素直で、真っ直ぐで気持ちの良い青年だ。
振り落とされそうになりながらも必至で慣れない闇夜の乗馬を乗り切った――実際にはシュウエンリッヒにしがみ付いていただけだが
二度も気絶するほど必死になって助けを求めた――二度とも直接の気絶の原因はラウルだったが
あまりにも真剣で、必死で。ラウルからすると逆にどこか危なっかしい。だから彼は話を聞く前に食事を与えた。何事も心に余裕がなければ上手くはいかない事を、ラウルは経験で知っていたからだ――三杯もお替りしたのはさすがにどうかと思ったが
(………なんか、憎めん青年だな)
思わずため息を漏らしてしまったことに気づき、慌てて周りを確認するラウル。ラウルのため息に気づいたのは三人だけだった。
◇◇◇
皆の注目を集めながらケーニッヒは前へと進み出る。誰もがケーニッヒの語る言葉を聞くために押し黙り、広場は痛いほどの静寂に包まれていた。先ほど侯爵たちと四人で対面した時以上の緊張感を抱きながら、ケーニッヒは静かに語り始める。彼の身近な人たちに起きた、悲しき記憶へと思いを馳せながら……
◇◇◇
ちょうど同じ頃、森の近く……
「駄目だ見つからん!」
「こっちもだ……くそ! 奴ら何処に行った!!」
手に手に松明の炎を掲げ、男達が駆けずり回っていた。その顔には汗と焦りが浮かび、不安げな表情も見え隠れしている。
「くそ……どういうことだよ!?」
男たちは当初、侯爵達が乗っていた馬車の轍を追いかけていた。それは間違いなく侯爵たちへと続く道標であるはずだった。それがある所を境に綺麗さっぱり無くなってしまっていたのだ。
「何らかの方法で痕跡を消したのかもしれない……」
「神霊術師か……」
「相手は侯爵だ。神霊術師が一人ぐらい同行していたとしておかしくない」
大貴族たる侯爵ならば、お抱えの神霊術師もいるだろう。なにより侯爵自身が神霊術師なのだ。馬車の痕跡を消すくらいの事はやってのけるのかもしれない……
そんな彼らの予想は半分正解で、半分外れだった。
侯爵には確かにレイオスという大地の神霊術師が同行していた。ただ彼が消したのは馬車の痕跡ではなく馬車その物。彼は、三台もの馬車を地下へとそのまま移動させたのだ。そしてそのまま地下を進み、より安全な森の真っただ中の地下部分に、巨大な簡易居住地を作り上げた。
「まさか奴らもうこの辺にいないんじゃ……」
そんな事とはつゆ知らず、不安げな表情を見せ始める農民達。
「それはない。馬車で夜道を歩き続けるとは思えない。暗くなった所でどこかで休息に入っているはずだ……何としてでも探し出す」
そう語るジュラの口調は不自然なほど感情がこもっていなかった。そしてその瞳は冷え冷えとした憎しみが宿っている。その眼差しで見据えられた男はたちまち恐怖に襲われ、慌てて目を逸らす。
「逃がしてたまるか……」
そんな男の様子には目もくれず、ジュラはただ自身の中の憎しみに身を任せていた。
「貴族なんか、俺がぶっ殺してやる……」
彼をそこまで掻き立てるモノ……それは心の底から這い上る深い、深い憎悪だった……