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神秘の泉  作者: hiko
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第9話 結末……そして傷跡

 男爵は走っていた。突き出たお腹を揺らし、玉の様な汗を浮かべて、ただひたすらに全力で。


「くそ、くそ、何故こうなるのだ! なぜこうなった!! 無能な護衛共め」


 この時の男爵の頭にあったのはただ己の保身のみ。レオルグの事すら今の男爵の頭にはなかった……


「このままでは私は破滅だ…」


 男爵にも分かっていた。このままでは責めを負うのは男爵だ。このまま侯爵が命を落としでもしたら、最悪侯爵家が兵を差し向けかねない……

 何より今回の事が公になれば、領民を抑えられない無能者というレッテルを貼られてしまう。それは男爵にとって到底納得できることではなかった。


「なんとかせねば…どうする……どうすれば……」


「何事ですか、この騒ぎは?」


 あまりにも考えに没頭するあまり、いつの間にか城へと足を踏み入れていた事に気付きもしなかった男爵。そんな男爵を出迎えたのは、二十歳以上も違う、年若い彼の後妻だった。


「あ、ああ……セルシアか」


 三十を過ぎてるとは思えない艶やかな肌と美貌。溢れんばかりの色香を身に纏う女がそこには立っていた。

 彼女は、元々は男爵の前の妻、レオルグの実母に仕えていた使用人の一人だった。そんな彼女の美貌に惚れ込んだ男爵が、半ば無理やり自分の女としたのだ。その美貌は衰えることを知らず、今もなお男爵の心を掴んで離さない。


「とにかく医者だ。医者を呼び寄せよ!」


 男爵は声高に近くにいた下男に命じると、妻を伴って執務室へと向かう。


「不味い事になった」


 部屋に入るなり、事の次第をまくし立てる男爵。


「なんとかせねばならん。何とか……」


 しかしいい方法など浮かばない。焦りばかりが募り、額から流れる汗がうっとうしい。


「あるではないですか。簡単に収める方法が……」


「な……に?」


 黙って男爵の話を聞いていたセルシアが事も無げに言ってのける。


「今回の事はレオルグ殿が考えた事なのですよね?」


「そうだが……それで?」


 男爵にしてみれば藁にも縋る思いだった。しかし、続いた彼女の言葉は思いもよらないもの……


「そしてあなたは何も知らなかった。今回の事は全てレオルグ殿が独断で行ったこと」


「な……にを……?」


「悪いのはこんな事を企んだレオルグ殿であって、あなたにもこの男爵領にも罪はありませんわ……」


「被せろと……あの子に全部」


「あなたはこの男爵領の主なのでしょう?ならば為政者として、時には厳しい判断も下さなければなりません」


「しかしあの子は次の……」


「次代ならば、すでに此処に……」


 そう言ってセルシアは自分のお腹をさすって見せる。


「まさか……」


「ええ。あなたの息子です。あなたと私の……」


 妖艶な微笑みを浮かべて彼女は男爵へとしなだれかかる。


「私とお前の……」


 男爵の瞳が揺れ動く。まるで彼の心の揺れを表すかの様に。


「全ては上手く行きますわ。あなたは精一杯侯爵に尽くすの」


「尽くす?」


「ええ。侯爵を味方に付ければこの領地はもっと大きくなるでしょう。もっと豊かになるでしょう。それは全てあなたのもの……」


 それははたして天使の囁きか、それとも悪魔の囁きなのか。次第に男爵の瞳に火が燈る。欲望という名の炎が。


「私のもの……」


 男爵は夢想する。今よりも豊かな領地に君臨する己の姿を。そしてその隣には……


「あなたと私と、そして生まれてくるこの子の為にも、侯爵を敵に回す訳には行きません。決断を……私達の為に」


「私とお前の為……」


「ええ、私と、愛する我が子。そして愛するあなたの為に」


 セシリアがゆっくりと男爵の上に覆い被さり、口付けをせがむ。唇を舐めまわし、舌を絡め、首筋に歯を立てる。

 離れた時には男爵の心は決まっていた。


◇◇◇


「医師団の準備が整いました」


「分かったすぐに向かう」


 男爵の待つ執務室に待ち望んだ一報が齎されたのは、それから間もなくの事だった。


「この場にレオルグ殿がいないのは、今となっては幸いでした」


「そう……だな」


 決して嫌っていたわけではない。次の男爵として多少の期待もしていた。ただ男爵にとって息子の価値は、自分自身や、セルシアよりも低かった。ただそれだけのこと。


「行ってくる」


 男爵が部屋を後にし、ゆっくりと扉が閉まる。後に残されたのは年若い後妻ただ一人。


「この領地はあなたの物よ……」


 そう言うと、彼女は己の下腹部を愛おしげに撫でるのだった。


◇◇◇


「急いで丘へ向かう!」


 集められた医師団は総勢八人。金や女をあてがって集めた男爵お抱えの医師団だった。人間性はともかく、腕だけは確かな者達ばかり。

 その顔ぶれに満足げに頷き、勇んで丘へと向かおうとする男爵……しかし――


「悪いがその必要はない」


 それを止める者がいた。


「お前は……」


「侯爵は我々が安全な所へとお運びし、そこで治療を受けている」


 入ってきたのは黒髪隻眼の偉丈夫。そしてその後ろに土色の髪の男性が続く。


「レイオス殿……どういうことですか?」


「言った通りだ」


「お前には聞いていない!!」


 答えたのはキリュウだった。先ほどからレイオスは一言も口を開いていない。そして男爵の言葉を無視するようにキリュウは話し続ける。


「お前には聞いておきたいことがある」


「お…おま……お前だと! 貴様黒髪の分際で男爵たるこの私に!! 無礼であろうが!!」


「男爵……」


 この時になって初めてレイオスが口を開く。しかしその口調はどこか男爵を非難するようなものであり、それがことさら男爵の機嫌を逆なでする。


「レイオス殿! そなたの部下であろう。躾はきちんとするべきだ! このことは後で問題とさせていただく。たかが一兵士如きが貴族たるこの私に……」


 男爵は侯爵配下の最上位はレイオスだと勝手に思い込んでいた。護衛部隊の長を務めるのだからその勘違いも無理はない。その勘違いをレイオス当人が正す。


「残念ながらこの男は私の部下ではありません。侯爵直々の臣です。そして位は私よりも上にあります」


「な……そんな馬鹿な……」


 レイオスの言葉に顔色を失う男爵。レイオスは続ける。


「現状では侯爵の代理にして、全権を預かっているのがこの男です。この男が攻めろと言えば私をはじめ、侯爵領全軍が動きます……その事胆に銘じた上で発言するように。先程の件はあなたの言うように問題になるでしょう。あなたの侯爵に対する無礼な物言いとして」


「そんな馬鹿な話が……」


「あるんだよ、それが。お前の常識が何処でも彼処でも通ずると思わないことだ」


 駄目押しとばかりにキリュウが告げる。今度は男爵に言い返すことはできなかった。


 今回の部隊編成は侯爵直属がレイオス、シルファ、キリュウの三人。それ以外は侍女も護衛兵も含めて、全員がレイオスの管轄下であった。

ただし侯爵直属の序列はキリュウ、シルファ、レイオスの順番。例外はシュウエンリッヒとニーナの二人だけだ。


「さて、とりあえずは言っておこう。侯爵の事は心配いらない。高位の癒者が同行しているからな」


「ゆ…癒者……」


「治癒術に特化した神霊術師の事だ。今はその癒者の下で治療に当たらせている」


 それぐらいは男爵も知っていた。いかにその数が少ないかも。さすが大貴族たる侯爵領といったところか……


「ならば私をそこへ連れていけ……連れて行って頂きたい」


「断る。お前を侯爵の下に連れて行く気はない。それに言ったはずだ。聞きたいことがあると」


「は?」


 まさか断られるとは思っていなかった男爵。しかし続く言葉は男爵に更なる衝撃を与えた。


「今回の侯爵襲撃について何か申し開きがあるか?」


「……え? 言っている意味が良く……」


「今回の侯爵への襲撃。貴様とレオルグの企みだという事は既に掴んでいる」


「――っ!! ど、どこでそんな出鱈目を……」


「ほう……出鱈目。息子の言葉なのにか?」


「え……」


「連れてこい」


 そう言われて入ってきたのは、侯爵領の兵士と思わしき人物と……


「……レオルグ…………」


 彼の息子だった。そしてさらに実行犯であるゴーウェンらもそれに続く。


「さて、先程の話もう一度この場で話せ」


 それらの証人達に向かってキリュウが命ずるのだった。


◇◇◇


(まずい、まずい……先手を取られた。くそ! レオルグの奴……ペラペラと……)


 男爵の、そしてキリュウらの前で洗いざらいぶちまけるレオルグ。それだけでなく、いつの間にか男爵が命令したことにされていた。


「ちょ、ちょっと待て。提案してきたのはお前だろうが!!」


「でも、やれと言ったのは親父だ!!」


「ふざけるな…あれはお前が――」


「煩い」


 キリュウの呟きと同時、レオルグと男爵の間を何かが奔り抜ける。恐々とそちらへ視線を向けるレオルグと男爵……


「ひっ――」


 そこには、置かれていた彫像の首に深々と突き刺さる一本の刀。いつ動いたのかも、いつ抜いたのかも男爵達には分からなかった。

 ゆっくりと二人の間を通り抜け、彫像に歩み寄るキリュウ。どれだけの切れ味を持っているのか……その彫像は、貫かれた部分以外一切罅も切れ目も入っていなかった。ゆっくりと刀を抜き……そして…………


「こうなりたいか?」


 振り向いたキリュウの背後で、彫像が斜めにずれる。見ていたにもかかわらず、刃の軌跡を伺う事すらできなかった。気が付けばすでに斬られた後。その事実に今更ながらに男爵の背筋が凍りつく。

 目の前の男がその気になれば、自分達は気付く間もなく切り捨てられる……その事にようやく気付いたのだ。


「考えたのが息子だろうと、父親だろうと、正直言ってどうでもいい。大事なのはこの地が俺達に牙をむいたことだ」


 キリュウが語りかけながらゆっくりと男爵、レオルグ親子の下へと足を運ぶ。

 ここでようやく男爵は悟る。自分たちは決して手を出してはいけない者達に手を出してしまった事。そして自分と妻の考えなど何の役にも立たなかった事を……


「貴様ら親子含めてこの城に居る全員……今ここで切り捨ててやろうか?」


 いとも容易くそれをやってのける男が、やってのけられる男が、二人の父子の前に立っていた。







 その日、クロイツェル侯爵領とシューミッテ男爵領の間で一つの協定が結ばれた。その内容は以下の通り。


 一、シュラークの丘を侯爵領とし、ここに侯爵領駐留部隊を常駐させる


 一、今後男爵家の私財は全て侯爵家が管理するものとし、施政についても侯爵領から派遣される代官の指示を受け入れる事とする


 一、男爵家の人間がシュラークから町外へと出るには、必ず代官の許可と武官の同行を必要とする事とする


 一、侯爵領は男爵領の発展と繁栄に力を尽くす事とする


 一、侯爵領と男爵領では、商人に限らず人の行き来を自由とする。但し、事前に両領地の施政機関へと申し出る事とする


 一、十五歳以下の子供には教育を受けさせる義務を課す。それに伴い侯爵家と男爵家が必要な補助を行う事とする


 一、この協定は有効期限を定めない


 最初の三つについては、今回の事に対する男爵家への制裁であり、監視である。そして次の三つについては侯爵家、並びに侯爵領が男爵領の発展と繁栄に力を尽くす事を謳っていた。

 男爵家以外については男爵領に暮らす者たちにとってもメリットのある協定であり、この後、領民達からはおおむね歓迎されることとなる。


◇◇◇


「軽い、それに使いやすい!」


「クロム鉱石製の鍬だからな。軽いのはもちろん、丈夫だし、錆びにくい。握り手の部分も改良されてるから手に馴染むだろ?」


 シュウエンリッヒの見ている前で、目を輝かせながら鍬を振り回すケーニッヒ。彼だけでなく、周りには似たような感じで、侯爵領の発達した農具に見惚れる農民達の姿があった。

 協定締結後、さっそく侯爵家が配下の商人達を動かし、大々的に資本の投下を図った結果だった。

 その形は様々で、農具、調理道具などの日用雑貨から、米、野菜、果物などの食料。更には質のいい鉱石や、結晶などの鉱物資源に、それらを加工する加工技術まで多岐に渡る。

 その一方で、男爵領の質のいい麦や、珍しい工芸品などが高価で侯爵領へと出荷された。さらに侯爵領から様々な分野の技術者が男爵領を訪れ、地下、鉱物資源の調査を行い、農業指導、新種の研究など様々な分野での協力、支援が行われる事になっている。

 男爵領と侯爵領では、様々な面においてその技術力にかなりの差がある為、しばらくは侯爵領から大量の物資が男爵領に流れ込むことになるだろう。それに伴う各種弊害――男爵領の技術者や、製品が受ける損害等々――への対応に、レイオスやキリュウら武官までもが駆り出されている状態だった。


(もうすぐしたら領地から代官や、文官、駐留部隊が来るからそれまでの忙しさかな……)


 シュウエンリッヒ自身と、シルファについてはそれらの労働から外されているので、こうしてのんびりとケーニッヒ達との時間を過ごすことが出来ている。


(まぁ、領地は今頃大騒ぎだろうな~)


 ぼんやりと自領のことへと思いを馳せるシュウエンリッヒ。代官を誰にするか、駐留部隊の部隊長は? その部隊は?……


(うわっ……問題山積みだね~ 俺関係ないけどさっ)


「ねぇねぇ、これはどう使えばいいの?」


「うん? あ~これはね……」


 一人ぼんやりとするシュウエンリッヒの下に、調理器具を持った女性が一人、駆け寄ってきた。


 彼女はそもそも最初のきっかけとなった、あの男の子の姉だった。彼女もすでに傷が癒え、大分明るく振る舞えるようになっていた。


(強いよね。ほんと……)


 長年押さえ続けられてきたせいか、それともこの地の土地柄か。レオルグによって傷を負った娘達も、その家族も少しずつ明るく振る舞う様になり、集落もだいぶ活気付いていた。


(それでも完全には傷は癒えず……か)


 だが、ふとした時にその傷跡が覗いてくる。娘たちの多くは袖の長い上着と長いズボンを身に着け、決して肌を露出させなくなった。そして……


(幸せになるはずだった場所……か)


 男たちの手によって解体されているのはジュラとユラの住居。忌まわしい出来事の後、結局誰も住まないまま解体する事となった。ジュラにとっても、ユラにとっても、その他にとっても辛すぎる場所だった。


 男たちの間でも少しぎくしゃくした空気が流れる時がある。ジュラと、そして彼を抑えつけていた父親達だ。


(子供を人質にされていた……って言ったところでジュラは許せないだろう。理解はできても心が……)


 こうしてみると、なんと傷痕の多い事だろうか……


「早く忘れたいんでしょうね……だから皆必要以上に騒ぐ」


 一人物思いに耽っているシュウエンリッヒの下へ、シルファが歩み寄ってくる。


「……まるで心を読んだみたいなセリフだね?」


「別に……ただあなたの顔を見ればなんとなくね……」


 そう言うと、彼女は悪戯っぽく微笑んでみせた。


「シルファ……」


「ん?」


「普通の話し方も出来たんだね」


「…………」


 なんとなく照れくさくなり、話題を逸らすシュウエンリッヒ。彼はふと思い浮かんだ疑問をシルファに投げかけてみる。


「元通りになると思う?」


「無理でしょうね。表面の傷は治っても心の傷までは完全には癒えない。されたことは忘れないでしょうし、したことも忘れられない」


 思っていた以上に残酷で、想像以上に深刻な、根の深い問題。


「そっか……中々思い通りにはいかないね」


 先行きの不透明さに思わず溜息を漏らすシュウエンリッヒ。


「当たり前でしょ? 私たちは神でもなんでもないの。只のに・ん・げ・ん。貴族だろうと農民だろうと商人だろうとね」


 冗談交じりの口調で発したシルファの言葉。しかしシュウエンリッヒはそれを冗談とは受け取らなかった。


「貴族って何だろうね……」


「――さぁ……ただ、私は責任と義務を果たす者の事だと思ってる」


 だからシルファも自分の思う所を吐露した。


「責任と義務……」


「あなたも一応貴族なんだから。忘れちゃだめよ?」


「了解~」


 最後に茶化して、二人は笑いあうのだった。


◇◇◇


数日後、男爵領内のとある場所で、顔を突き合わせて相談する侯爵領の幹部達の姿があった。


「我々もいつまでもこの地に滞在する訳にはいかない」


 臨時の執務室でそう口にするラウルの下には、領地から何通もの書類が届けられていた。

 彼の帰還が予定よりも大幅に遅れたことに加え、今回の協定締結によって領地での政務が大混乱に陥っているのだ。書類は留守を任せた者達からの帰還を促す物。


「特にこれだ」


 そう言ってラウルが寄越した一枚の書類を眺めるキリュウ、レイオス、シルファの三人……


「あちゃぁ……」


「これは……」


「……ほとんど脅しねぇ~」


 そこにあったのは、領地に居る、ラウルも、ついでにキリュウも逆らえない人物からの帰還命令であった。


「という訳で、あまり時間が残されていない。さっさとやるべきことを済ませよう。よろしいですね?」


「仕方ないわねぇ~」


 ラウルはシルファにだけ確認すると、さっさと歩きだす。キリュウと、レイオスは何も言わずにその後に続いた。

 そもそも彼らがここまで帰還が遅れた最たる理由はあの泉にあった。様々な理由から、あれをこのままここに残していく訳にはいかなかったのだ。

 しかし、だからといってすぐに傷ついた領民達からあの泉を取り上げる訳にもいかなかった。


 その解決策として、ラウルは領地から一流の瘉者を何人も呼び寄せ、莫大な資本を投下して領民の生活水準の底上げを図った。

 商人たちに農具や日用品をばら撒かせたのも、実はその一環だったのだ。


「レイオス」


「――は。地と地、血と血、地と血、血と地。一つとなりて道と成せ」


 レイオスが言霊を唱える同時、空間が歪み、気づくと四人は人気のない細い通路にいた。


「うん。だいぶ上手になったわねぇ」


 満足げに頷くシルファ。


「ありがとうございます」


 レイオスにこの古の業を教えたのはシルファだった。そして四人の目の前には黒き剣と蒼き盾の交差する紋章。その紋章が描かれた扉は、四人が近づくとひとりでに開く。


「さてと、どこに有ったかしらぁ」


 そう言ってシルファは次々と本を開いては戻すという作業を繰り返し、お目当ての本を探し始める。本に書かれた内容が分かるのはシルファだけだ。したがって他の三人はすることがない。仕方がないので、彼ら三人は、邪魔にならないよう椅子に腰かけて、紅茶と御菓子を楽しむ事にした。



「これはぁ……あ、懐かしいわねぇ~ でも今探してるのはこれじゃないっと。次はぁ……」


 なかなか目当ての物は見つからない。結局彼女が必要な本二冊を抱えて戻ってきたのは、実にラウルが四杯目の紅茶へと手を伸ばした時だった。


「あ~な~た~た~ち~はぁ、人が必死になって探している最中に、なぁにをしてくれてやがるんですかぁ?」


 笑顔が怖い……笑顔が怖かった。


 何故か頬や、鼻の頭に引っ掻き傷を拵えた三人を引き連れ、シルファがその部屋を後にする。そしてそのまま彼らはその通路を突き進み、例の泉へとやってきた。


「あらまぁ、先客」


「あ、ほんとだ」


 数人の見るからに怪しげな風貌の奴らが、幾つもの瓶の中に泉の水を汲み、蓋をしていた。向こうもすぐにラウル達に気づく。


「あ? お前らも汲みに来たのか? 残念だったな。ここは俺様の物だ。怪我したくなけりゃぁ、とっととおうち帰んな」


 周囲が下卑た笑いで追従する。


「ここは、確か侯爵領で、許可なく立ち入ることは禁止されていたはずなんだがな」


 ラウルのその言葉は倍する笑いによってかき消される。


「だからなんだってんだ。そんなん守る方が馬鹿なんだよ! ここは侯爵とかのじゃねぇ、俺が金持ちになる為の俺様のテリトリーなんだよ!」


「そうか……知らない訳ではないんだな? なら容赦する必要はない。キリュウ、レイオス」


「下がってろ。俺一人で充分だ」


 前に出たのはキリュウ一人、レイオスは言われた通り後ろに下がって控えている。


「は、馬鹿か。かっこ付けたところで、一人で何が――」


 男は言い終わらないうちに地面へと倒れ伏していた。


「え?」


「は?」


 ぽかんとした表情で見つめる他の者たち。彼らは誰一人としてキリュウの動きを目で追えていない。


「遅い……未熟」


 そう呟いた時には、キリュウの姿は再び掻き消え、また一人倒れ伏す。

 結局最後の一人が倒れ伏すまで、彼らは目の前の光景を、我が身に降りかかった出来事を全く理解できないままだった。


「準備運動にもならないな……手ごたえなさすぎだ」


 げんなりした表情で呟くも、体を動かせたことは満更でもない様子。ちょっとだけレイオスが羨ましげに見つめていた。


「さぁて、また変なのが来ないうちに、さっさと済ませてしまいましょうか」


 シルファが二冊の本――ただの書ではなく、いずれも古代語で書かれた魔道書――を開く。そして彼女は古の業を発動した。


 シルファの唱に合わせる様にして、辺り一帯の景色が歪む。何故か壁が波打ち、半透明になり、その先が透けて見えた。二つの景色が混ざり、溶け合い、再び離れ、そしてその時には例の泉は綺麗さっぱり消滅していた。その場からも、人々の記憶からも……


 以降この地では、本当に必要とする者、心から欲する者の前には、不可思議な泉が現れる。そんな話が人々の間で囁かれるようになった……その泉は何時しか『神秘の泉』と呼ばれるようになった。


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