――光は、あの日、俺を置いていった。
「ルーク! みてみて!」
木の上から手を振る少女は、公爵家の令嬢だった。
本来なら、泥で汚れることも許されない存在。
だが今は、ただのルシアだ。
俺は庭師の息子だ。
公爵家の庭を整える父の手伝いで、幼い頃からこの屋敷に出入りしている。
父の手は、いつも土で荒れていた。
身分の差なんて、子供の頃は関係なかった。
少なくとも、俺たちの間では。
「お嬢さま、降りてください。危ないです」
「今は二人きりよ。敬語禁止!」
彼女は笑って、枝から飛び降りる。
ふわり、と。
小さな身体が腕の中に落ちてくる。
軽い。温かい。
土と花の匂いが混ざる。
抱きしめる資格なんてない。
それでも、手は自然と彼女を受け止めていた。
「ちゃんと捕まえられたでしょ?」
無邪気な笑顔。
俺はずっと、この距離でいられると思っていた。
庭師の息子でも、
彼女の隣に立っていいと、勝手に信じていた。
そのときはまだ、知らなかった。
この手が、もう二度と届かなくなる日が来るなんて。
⸻
その日の夕方。
ルシアは泣き腫らした目で俺を見た。
「王都に行くんですって」
「え?」
「光魔法の素質があるかもしれないから、って。検査するんだって」
唇を噛む。
「パパもママも嬉しそう。私の気持ちなんて聞かないの」
震える声。
「家出するわ」
「……は?」
「王都なんて嫌い。みんな嫌い。ルーク、一緒に来て」
断れるわけがない。
俺は彼女の騎士だ。たとえ子供でも。
二人で町外れの立ち入り禁止の洞窟へ向かった。
真っ暗で、冷たい風が吹き抜ける。
「ここで暮らしましょう。誰も来ないわ」
「無理だよ。みんな心配する」
「ルークは私のこと好きじゃないの?」
「好きだけど……」
言いかけて、止まる。
もし本当に光の素質があるなら。
もし王都に行かなくても済むなら。
もしこの洞窟で何かが起きるなら。
――俺を選ぶ力かもしれない。
一瞬だけ、そんな最低な願いが胸をよぎった。
彼女が特別なら、
その“特別”が、俺の側にとどまる理由にならないかと。
自分でも気づかないふりをしていた。
「……ルシアがいなくなったら、みんな悲しむ」
本当は違う。
いなくなるのが怖いのは、
みんなじゃない。
俺だ。
「意味わかんない!」
彼女は怒って奥へ進む。
足場の石が崩れた。
「待って、危ない!」
空が消える。
「ルシア!」
落ちる。
衝撃。
暗闇。
土と血の匂い。
目を開けたとき――
青い光の円に包まれたルシアが宙に浮いていた。
水のように揺れる魔力。
優しくて、でも冷たい。
触れれば溺れそうな光。
「ルシア……?」
そのとき。
洞窟の奥から、声が響く。
ルーク
ズットイッショダヨネ
ドウシテ
コワイカオスルノ
ワラッテヨ
それは彼女の声に似ていた。
けれど、温度がない。
あの声は、
本当にルシアのものだったのか。
それとも、
俺の願いが形を持っただけだったのか。
青が、ゆっくりと白へ変わる。
圧倒的な光。
祝福のはずなのに、
息が詰まる。
胸の奥が冷える。
その光は、俺を透き通らせるように貫いた。
理解してしまう。
俺は、そこに含まれていない。
選ばれたのは、彼女だけ。
あれは祝福じゃない。
選別だ。
光は、彼女を高みへ引き上げる。
そして同時に、
俺を地上へ置き去りにする。
⸻
目を覚ましたとき、俺は自分の部屋にいた。
窓の外が騒がしい。
扉が乱暴に開く。
父が興奮した顔で叫ぶ。
「ルーク! 聞いたか! ルシア様が光魔法を開花された! 王都に召し上げだ!」
父の荒れた手が、俺の肩を強く掴む。
その手の感触がやけに現実的だった。
胸の奥が、静かに凍る。
あの洞窟で、俺は知っていた。
あの光は、俺と一緒にいるための力じゃなかった。
あれは――
俺を置いていく光だった。




