地球の食資源は終わり!?
第4章「自動漁船とAI養殖ドーム」
海から、人の気配が消えていた。ドローンが飛び交い、波間に白い影がスッと滑っていく。それは人間ではない。自律航行型の漁船。1隻で複数の漁場を周回し、魚群センサーとAIアルゴリズムによって最適な漁獲タイミングと量を自動で判断する。「人の手がないほうが、海は穏やかに保たれるようになったんです」港の端で僕にそう話したのは、元・漁師の男性、辻浦さん(72)だった。彼がかつて船を出していた湾には、今は巨大な半透明のドームがいくつも浮かんでいる。中を覗くと、銀色の魚が群れをなして回遊していた。
「AI養殖ドーム《ブルーハウス》です。 水温、酸素、成長速度、餌の摂取量、全部自動。病気も出ない。人も、もういらない」彼は、まるで機械のマニュアルを読むように言った。そして、ぽつりと続けた。「…でも、魚の目が、違うんだよな」ドーム内の魚たちは、すべて完全設計型の海洋生物=マリン・シンセフィッシュだった。野生種をベースに遺伝子を再構成し、成長スピードと味、栄養を最適化。
病気にも強く、天敵にも怯えない。人間の好みに合わせて進化した“食べるための生命”だった。「俺たちが育ててきたのは、生き物だった。でもこれは…パーツだな。魚の形をした、栄養パーツ」
「海が静かになった」と人は言う。確かに、過剰漁獲は止まり、生態系は安定化した。生物の回復が確認され、「人類がようやく海と共存できるようになった」と国連は称賛した。だが、その“安定”の正体は、違っていた。天然魚の漁獲は2043年に禁止された。 生態系保護の名のもとに。代わりに出回るのは、ドーム産・深海培養・ナノフィッシュの三種。どれも人間の舌に最適化され、栄養素と安全性は折り紙付きだ。しかし、僕の舌には、それが「正しい味」とは思えなかった。その夜、港町の食堂で寿司を頼んだ。AIが管理したシャリ、ドーム産マグロ、バイオ海苔。温度も酸味も、完璧。いや、完璧すぎた。隣の席にいた親子が、こんな会話をしていた。
「お母さん、マグロって、昔は泳いでたの?」「泳いでたよ。でも、いまのは“育ったやつ”だからね」“泳いでた”という言葉が、もはや回想でしか語られない時代。 海の魚は、記憶の中の存在になりつつある。翌朝、僕は港の裏にある、かつての船着場へ向かった。 使われなくなった網、錆びたブイ、潮風に削られた木の看板。そこに、1匹の野生のアジが引っかかって死んでいた。そして、その死骸の横に、警告板が立っていた。「本区域内での天然魚捕獲は法律で禁止されています。違反者には罰金および信用スコアの減点措置が適用されます」僕は背筋が冷えた。野生の魚は、“法律で保護された存在”ではなく、
“市場経済に不要なもの”として排除されていたのだ。
「いつから、魚が“生き物”じゃなくなったんだろう」僕がそう呟くと、斜め後ろで声がした。「それ、10年前に俺も言った。でも、魚は黙って食われてただけさ。
生き物として扱われたことなんて、本当は一度もなかった」それは、ブルーハウス開発元の技術責任者だった。彼は淡々と続けた。「これは“優しい暴力”なんですよ。魚にも、海にも、漁師にも…そして消費者にも。でも、みんな疲れきってたから、抵抗する力もなかった」海に人はいない。
でも、魚もいない。そこにあるのは、“最適化されたタンパク質の形”だけだった。 効率化、安定、持続可能性—それらの名のもとに、かつての海は穏やかに死に絶えた。
「食べる」って、こんなに静かな行為だっただろうか。 僕は、寿司のネタを見つめながら、ふとそう思った。そのマグロは、完璧だった。でも、それはもう「魚」じゃなかった。それは、人間が“魚の役を演じさせたもの”。 海から生まれたのではなく、海を模した箱の中で設計された存在。僕は、その寿司をゆっくり口に運び、心の中でつぶやいた。「海はまだ、食べものをくれる場所でいてくれるのか?」
第5章「深海資源と培養魚」
深海には、まだ人類の知らない“栄養”が眠っている。2042年、国際深海協定が改定され、各国の民間企業に対して**「深海2000m以下のバイオ採取」が解禁された。 きっかけは、“ネレウス菌”と呼ばれる微生物の発見。これを基に開発されたのが、世界初の「無動物タンパク質」─《アビスプロテイン》だった。肉より高栄養、魚より低コスト。しかも、温室効果ガス排出ゼロ。メディアはこぞってこう報じた。「地球最後の食資源、ついに解禁」 「“食べる未来”が、深海からやってくる」僕が初めて深海培養プラント《アビサルドーム-04》を見たのは、太平洋の沖合いだった。海底1200mに建設された、全自動の培養施設。そこでは、ネレウス菌と特殊な藻類を混合培養し、1日300トンのタンパク質を生成していた。
「水も土地もいらない。餌も不要。これが、“本物の持続可能”だと、あなたは思いませんか?」そう語ったのは、開発企業・アマリス・バイオの若きCEOだった。 だが、僕の頭には、ひとつの疑問が残っていた。「これ、本当に“誰のための持続可能性”なんだ?」現地の島に戻ると、漁師たちの反対看板があちこちに立っていた『深海は誰のものか?』『海底の盗掘にNOを』『バイオ食が文化を殺す』「もう、漁ができんのです」70歳になる漁師の男が、静かに言った。「ここら一帯、“海洋安定域”として立入禁止になってな。魚の群れも遠ざかって、もう何も獲れん。しかも、“あなたの仕事は非効率です”って、AIが通知してくるんだ」
都市では、《アビスフィッシュ》と呼ばれる人工魚が人気だった。筋肉繊維だけをタンパク培養し、見た目はマグロそのもの。脂のノリ、色、味、全て完璧に“再現”された。しかも、骨も鱗も寄生虫もない。子どもでも安心して食べられる。スーパーでは、こんなコピーが踊っていた。『本物より、安心で、おいしい。』『天然魚の味、以上。』僕は違和感を覚えながら、それを口にした。舌は喜んでいた。でも、心は沈黙した。「これ、本当に“魚”なのか?」
後日、独立系の研究者グループが発表した報告書を入手した。その内容に、僕は背筋が凍った。・深海ドーム近辺の熱水噴出域が破壊
・共生関係にあった微生物群が絶滅の危機
・周辺海域で生殖障害を持つ海洋生物が急増
「深海は、いま人類の**“新しい植民地”**になっている」そう語ったのは、報告書を書いた環境科学者の一人だった。「開発は表向き“食のため”と言うけど、実際は、タンパク質ビジネスを制したい国と企業の争奪戦なんです」
その裏付けとなる事件が起きたのは、まもなくのことだった。 複数の海底施設が、他国の無人採掘機によって破壊された。名目は「誤操作」。だが、その資源エリアは、未申告の深海栄養鉱脈だった。政治家も研究者も黙っていた。メディアは「一時的トラブル」と報じた。でも、現場で働く労働者たちは、SNSにこう書いてた。「ここにあるのは、命じゃない。カネになる“栄養分”だけだ」 「地球の最果てが、最初に食い尽くされるとは思わなかった」帰路の船の上、僕は小さな干物をかじっていた。地元の老人がくれた、昔ながらの手作りサンマの干物だ。 固くて、塩辛くて、骨があって、少し苦味もあった。でも、その味には、なぜか「生きものの記憶」があった。
ふと、先日取材した若きCEOの言葉が思い出された。「これが本物の“サステナブル”ですよ。天然資源に頼らない、安全で効率的な未来なんですから」でも僕は、今ならはっきり言える。「それは、“本物の魚”の上に立っている未来じゃない」持続可能って、何を“持続”させることなんだろう。効率? 供給? 企業の利益? 人類の延命?それとも、人間が“自然と共に生きる感覚”そのもの?答えはまだ出ない。でも僕は、この干物をかじりながら、確かにこう感じていた。「持続可能性は、数字だけでは測れない。それが“続いてほしい”と心から思えるかどうかだ。」
第7章「蜀の共有社会(気が泣き未来)」
朝、目覚めると、スマートデバイス《TONGUE》から通知が届いていた。「おはようございます、暁牧人さん。今日のあなたの最適朝食は:▸ タンパク質:ラボ培養卵スクランブル 87g▸ 糖質:スマート穀物パン 35g▸ 野菜:AI推薦ベジジェル 60g▸ 飲料:微炭酸クロレラウォーター ※自由選択オプションは1日1品までです」 僕は画面を見ながら、しばらく動けなかった。食べたいものは、朝の気分で決めるものじゃなかったのか?
ここは、蜀都市圏。 2049年、国連主導で構築された世界初のフード・シェアリング都市国家だ。食料はすべて、AIが生産と分配を一括管理。 人種・国籍・経済力に関係なく、すべての住民に「必要な栄養」が公平に与えられる。人類の長年の夢だったはずだ。飢餓も偏食も、自己責任も格差もない。 完璧な栄養バランスと、地球負荷ゼロの社会。でも、僕の心の奥には、ずっとある感情がくすぶっていた。「食べることって、本当に“管理”されるべきなのか?」その日のランチタイム。僕は、通称「食卓セントラル」へ向かった。 都市の中心にある巨大なフード配膳ドームだ。入口で認証を済ませると、ベルトコンベア式のトレイが滑ってきた。その上には、僕用に調整された昼食—香りのしない白いジェル食と、薄いシリアルプレート。味は悪くない。むしろ、悪いと感じる理由がない。なぜなら、AIが“僕が嫌いな味を避けてくれている”から。
でも、その「親切さ」に、僕はどこか冷たいものを感じていた。食堂の隅に、ひとりの男がいた。妙に古びた服を着て、なにかのスプレー缶を握りしめている。周囲は気づかないふりをしている。彼が、壁に文字を描いた。『味覚は自由だ』 警報が鳴り、すぐに複数のフード・セキュリティドローンが飛来した。男は無言で拘束され、連行されていく。誰も驚かない。誰も声を上げない。それが、この都市の「安定」の正体だった。僕はその夜、秘密裏に開かれているという“未認可フードの地下食堂”へ向かった。誘ってくれたのは、地下のフードアーティスト・リンだった。かつては国営栄養設計師だったが、今はこの都市の「味のレジスタンス」として活動している。「見せたいものがあるの」案内された先に、信じられないものが並んでいた。
・バターが香る手焼きパン・塩気の効いた手漬けの梅干し・火で炙った牛肉の脂のにおい どれも、「数値で設計された味」ではない。人間の手と好みで作られた、雑味とぶれのある“生きた味”だ。僕はそれを口に入れた瞬間、思わず涙が出た。「これは俺が“食べてた”味だ!」リンが囁いた。「私たちは、自由を“美味しい”と感じることを、禁止された。栄養を与えられる代わりに、“欲しい”を奪われたの」
蜀では、食料の選択は、“ワガママ”とされる。個人の嗜好は「不公平な浪費」だ。文化・伝統・好み・郷土料理—すべてが「非効率」の名のもとに排除された。代わりに登場したのが、「最適食 AI」人類の健康と長寿のため、毎日すべての食事が計算されて出される世界。
数日後、リンは拘束された。 地下食堂も、消えた。僕の端末には、次の通知が届いていた。「今後、自由選択オプションの使用は制限されます。 健康スコアが低下傾向のため、味覚刺激調整を施します。 ご理解と協力をお願いします。—蜀AIセントラル」「気が泣いている」と、祖父が昔言っていた。 “気”は、感じる力のこと。それが静かに泣いている時、人は異変に気づかないまま進んでしまうのだと。今のこの都市に、涙は見えない。 悲鳴も怒号もない。でも、何かが、静かに泣いている気がした。そして僕はこの章の終わりで、ひとつだけ確信していた—「食べたい」という欲望は、生きることの最後の自由だ。それが失われたとき、未来はもう、“食卓”ではなくなる。




