私からの愛を試すため、婚約者は私の書いた小説を燃やした
「ねえトリイ、僕のこと好き?」
貴族学園のとある昼休み。
婚約者であるライナス様と中庭のベンチで談笑していると、不意にライナス様がそんなことを訊いてきた。
「はい、もちろん好きですよ」
それに私は、今日もそう答える。
するとライナス様は「ふふ、そっか」と、ほっとしたように微笑まれた。
ライナス様はどうも極度の心配性らしく、毎日こうやって私からの好意を確かめずにはいられないのだ。
ライナス様のことが好きだというのは、嘘ではない。
私たちは所謂政略結婚の間柄だけれど、こうして一緒に生活していくうちに、段々とライナス様に対する愛情が私の中で芽生えてきた。
若干情緒不安定なところがあり、同い年なのに手のかかる弟のような存在ではあるものの、家族愛だって愛情の一種には違いないだろう。
どの道結婚したら、家族になるのだから。
「あ、そうだライナス様! 最新話を書いたんで、また読んでいただけませんか?」
バッグから原稿の束を取り出し、ライナス様に渡した。
私は子どもの頃から本を読むのが大好きで、この学園の文芸部に入ってからは自分でも小説を書くようになったのだけれど、最近はライナス様にも読んでいただいているのだ。
「ああ、うん」
ライナス様は私の原稿を、苦笑いしながら受け取る。
「えーと、どれどれ」
そしてパラパラと原稿をめくり始めた。
私はライナス様が読み終わるのを、無言でじっと待った――。
この最新話は、当初からずっと暖めていた伏線を回収する重要な回。
ハッキリ言って自信作だ。
きっとライナス様にも、衝撃を与えられるはずだわ――!
「ふうん」
「……!」
だが、ライナス様は伏線回収に該当するページを読んでいる際も、眉一つ動かさなかった――。
「うん、今回もとっても面白かったよ」
「……」
程なくして原稿を私に返しながら、笑顔でライナス様がそう言った。
「あの、どの辺が面白かったでしょうか?」
「え? どの辺って……」
途端にライナス様が目を泳がせる。
「え、えーっと、そうだなぁ……。あっ! 忘れてた! 次の授業は剣術だったんだ! 僕、準備しなきゃ。また明日ね、トリイ」
「あ、はい……」
ライナス様は逃げるように、校舎のほうに駆けて行った――。
「お疲れ様です」
「おう、トリイ、今日も早いな」
その日の放課後。
私が文芸部の部室に入ると、今日も部長のダニエル先輩だけは既に部室にいて、一心不乱に小説を書いていた。
「ダニエル先輩のほうが早いじゃないですか」
「ハハッ、まあ俺は、半分ここに住んでるようなものだからな」
「ふふ、そうですね」
ダニエル先輩はとにかく小説を書くことに人生の全てを懸けており、授業中以外はほとんどこの部室で小説を書いている。
部室の一角はダニエル先輩の集めた資料で溢れかえっており、最早この部室はダニエル先輩の家と言っても過言ではないだろう。
「あ、あの、ダニエル先輩、最新話を書いたので、また読んでいただけますでしょうか」
私は若干震えながら原稿の束を取り出し、ダニエル先輩に渡す。
「おお! もう書けたのか! ――では、失礼して」
私から丁寧に原稿を受け取ったダニエル先輩は、メガネをクイと上げながら原稿に向き合う。
その目は真剣そのものだ。
この、ダニエル先輩に原稿を読んでもらう時が、一番緊張する。
誰よりも小説に対して真摯な先輩は、決してお世辞は言わない。
時には容赦のないダメ出しも飛んでくる。
だが、だからこそダニエル先輩に面白いと言ってもらえた時は、思わず飛び跳ねたくなるくらい嬉しい。
私が小説を書いているのは、ダニエル先輩に認められたいからというのも、理由の一つかもしれない。
そもそも私が小説を書くようになったキッカケは、先輩が書いた小説を読んで、人生観を変えられるくらい感動したことだったから――。
「おお! 凄く面白いじゃないかトリイ!」
「――!」
と、私がダニエル先輩との想い出にトリップしている間に、先輩は原稿を読み終えたらしい。
大きな黒い瞳を爛々とさせながら子どものようにはしゃぐ先輩に、私はテーブルの下の拳をグッと握り締めた。
ヨシッ!!
「まさかブリーフ脱税マンの正体が、騎士団長だったとはなぁ。この俺の目をもってしても見抜けなかったぞ」
「ふっふっふ、そこは連載開始当初から温めてた、とっておきの伏線でしたからね! やっとこのシーンが書けて、感無量でした!」
「はは、そうだろうな。そういうシーンを書いてる時が、一番楽しいよなぁ」
ダニエル先輩は太い腕を組みながら、うんうんと頷く。
先輩は文学科に在籍しているにもかかわらず、騎士科の生徒並みに立派なガタイをしている。
そのギャップが何とも愛らしい。
「……ただ、ブリーフ脱税マンとの戦闘シーンが、あっさりしすぎている気もするな」
「――!」
一転、鋭い目をしながら、先輩がボソッとそう呟いた。
あ、あぁ……。
「ここは因縁の宿敵との決戦という最大の見せ場なのだから、もう少し文字数を割いて、じっくり描写してもいいと思うぞ。そのほうが、読者に与えるカタルシスは増すからな」
「た、確かに……」
ぐうの音も出ない正論に、私はただただ頷くことしかできなかった。
実は私もその点は、自分で書いていて同じことを感じてはいたのだ。
だが、戦闘描写が苦手な私は、どうしてもその辺はサラッと済ませてしまう癖がある。
でも、先輩みたいに多くの人を感動させる小説が書きたいなら、そうも言ってられないわよね……!
「わかりました! 戦闘シーンを加筆してみます!」
「うん、頑張れよ。――トリイ、お前は才能がある。たゆまぬ努力を続けていれば、きっと歴史に名を残すような作家になれるさ」
「せ、先輩……!」
不意打ちのダニエル先輩からの極上の褒め言葉に、私の胸がいっぱいになる――。
「ハッハー! 今日も青春してるねぇ!」
「「――!!」」
その時だった。
部室のドアをスパーンと豪快に開けながら、顧問のスティーヴン先生が現れた。
「……先生、ドアはゆっくり開けてくださいと、いつも言ってるじゃないですか」
ダニエル先輩が呆れ顔で溜め息を零す。
あはははは……。
「ハッハー! ゆっくり開けたらインパクトに欠けるじゃないか!」
「教師の登場にインパクトは不要でしょう。ドアが壊れたら、また先生がご自分で修理してくださいね」
「そ、そんなぁ、冷たいこと言わないでおくれよ、ダニエルくぅん」
「ふふふ」
こんな感じで今日も私は、充実した学園生活を送っているのだった――。
「えー、それはトリイ様ウザいですね~」
「――!」
そして部活が終わって一人で帰る途中の廊下。
校舎裏のほうから、女子生徒の声が聞こえてきた。
あの声は、男爵令嬢のアントニアさん……!?
「そうなんだよ。毎日毎日、興味のない小説を読まされるこっちの身にもなってほしいよ」
「――!?」
アントニアさんと一緒にいるのは、ライナス様――!
「私だったら、絶対ライナス様を不快にさせるようなことはしませんよぉ。結構私、空気読めるほうなんでぇ」
「ふふ、君はトリイと違って可愛いね」
私の胃が、鉛を飲み込んだみたいにズグンと重くなる。
ライナス様、私の小説読むの、そんなに嫌だったんだ……。
――薄々感じてはいた。
真剣に読んでくれるダニエル先輩と比べたら、ライナス様は明らかに上の空だったもの……。
でも、将来的に夫婦になって長い人生を共に過ごすことになるなら、夫となるライナス様にも、私の趣味のことは最低限理解はしていてもらいたいというのが本音だった。
きっと私は死ぬまで、小説を書くのはやめないと思うから……。
「……多分トリイは、僕のことなんか本当は好きじゃないんだろうな。いつも『好きですよ』っていう言葉にも、心が籠ってるようには感じないし」
そ、そんな……!
わ、私は本当に、ライナス様の、ことを――。
「あ~、じゃあ、トリイ様の愛情を試すのに、イイ方法がありますよ~」
「イイ方法? 何だいそれは! 是非聞かせてくれよ!」
この瞬間、私の本能がこれ以上聞いてはいけないと警鐘を鳴らしてきた。
私は逃げるように、こっそりこの場から立ち去った――。
「ねえトリイ、僕のこと好き?」
「――!」
そして翌日の昼休み。
いつもの中庭のベンチで、ライナス様がいつもの質問をしてきた。
「……はい、もちろん好きですよ」
それに私は、今日もそう答える。
だが、昨日のことがあったせいもあり、どこかたどたどしい言い方になってしまった。
「ふうん、そっかぁ」
そんな私に対して、ライナス様は無色透明な瞳を向ける。
くっ……。
「あ、あの、ライナス様、昨日読んでいただいた最新話、ちょっと加筆してみたんですけど、また読んでいただけますでしょうか?」
私は震える手で原稿を取り出し、ライナス様に差し出す。
ライナス様が私の小説に興味がないと知った以上、もうこうやって小説を読んでもらうのはやめたほうがいいのかもしれない。
……でも、結婚してからもライナス様の前で一切小説の話をしないなんて、私にはきっと無理。
それではただの仮面夫婦になってしまう――。
私はライナス様とは、ちゃんと心が通じ合った夫婦になりたいと思っている。
――だからこそ、できればライナス様にも、私の小説を好きになってもらいたい。
……これって私の我儘なのかしら?
「フフ、ああ、これね」
「?」
ライナス様は口端を吊り上げながら、私の手から奪うように原稿を取った。
ラ、ライナス様……?
「――!! な、何をなさるんですかッ!?」
そしておもむろに懐から取り出したライターで、原稿に火をつけたのである――。
そんな――!!
「ああッ!! 原稿がッ!! 私の原稿がぁッ!!!」
私は咄嗟にライナス様から原稿を奪い返し、振り回して火を消そうとする。
しかし無情にもなかなか火は消えず、やっと消えた頃には、原稿の半分以上は燃え散ってしまっていたのであった――。
「あ……あぁ……、私の……、原稿……」
私はその場で両膝をつきながら、僅かに残った原稿の束をギュッと抱きしめる。
酷い……!!
なんでこんなことするの……!?
この原稿は私が苦労して生み出した、子どもも同然なのに……。
「ねえトリイ、僕のこと好き?」
「――!?」
だがライナス様はそんな私の顔をグイと覗き込みながら、いつもの質問をしてきたのである――。
「僕のことが好きだったら、許してくれるよね? トリイは小説よりも、僕のことが好きなんだもんね?」
「そ、それは……」
そういうことなの……?
ライナス様のことが好きだったら、こんな仕打ちをされても許さなくてはいけないの……?
それは本当に――愛と呼べるものなの?
――くっ!
「――許せません」
「――! ……何だって?」
「許せないって言ったんですッ!」
「っ!?」
私は立ち上がって、ライナス様と対峙する。
「私の原稿を虐待するような行為、いくらライナス様だって許せません! 私に謝ってくださいッ!」
「……チッ、やっぱりそうか。君の僕を好きだっていう言葉は、噓だったんだな」
確かに、そういう意味では噓だったのかもしれませんね。
私は自分にも必死に噓をついて、ライナス様のことが好きだと思い込もうとしていたのかもしれない――。
今思うと、何とも愚かなことをしていたものだわ。
「うふふ、ほらぁ、私の言ったとおりでしょ、ライナス様ぁ?」
「――!」
その時だった。
アントニアさんがどこからともなく現れ、ライナス様にしなだれかかった。
……そういうことだったのね。
昨日アントニアさんが言っていた私の愛情を試す方法っていうのが、これだったのね――!
「うん、やはりトリイは僕の婚約者には相応しくなかったようだよ。僕のことを本当に愛してくれているのは、君だけだアントニア」
「ええ、そうですよライナス様ぁ」
二人は私の前で熱い抱擁を交わす。
その光景を見ていたら、私の中で急速に熱が冷めていくのを感じた。
なんで私、この場にいるんだろう?
この無駄な時間は、何なんだろう……?
「そういうわけだ、トリイ。今この時をもって、君との婚約は破棄させてもらうよ。今日から僕はアントニアと、真実の愛を築く!」
「わぁい、ライナス様ぁ、嬉しいですぅ」
「……そうですか、承知いたしました。どうぞお幸せに」
最早一秒たりともこの場にいたくなかった私は、軽くライナス様に頭を下げて、背を向けようとした。
「くっ! 何だよその態度はッ!?」
が、ライナス様に胸ぐらを掴まれ、至近距離で怒鳴られた。
うるさいなぁ……。
「唾を飛ばさないでいただけますか? 汚いので」
「なっ!? こ、このアマァ!!」
ライナス様が右の拳を振りかぶる。
ああもう、どうなってもいいわ――。
「フンッ」
「ぶべら!?」
「っ!?」
「きゃああッ!? ライナス様ぁ!?」
その時だった。
ライナス様の拳が私の顔に当たる直前、誰かがライナス様の顔面をブン殴り、そのままライナス様は壁際まで吹っ飛ばされた。
なっ!?
「……ダニエル先輩」
そこにいたのは他でもない、ダニエル先輩その人だった。
な、なんでダニエル先輩が、ここに……。
「な、何をするんだ貴様ッ! 高貴なこの僕の顔に、傷を付けやがってええええ!!!」
鼻血をダラダラ流しながら、ライナス様が憤慨する。
「それはこっちの台詞だ。――トリイは将来の国宝だぞ。そのトリイに手を上げるような真似、俺は決して許さん」
「な、なにィ!?」
「ダ、ダニエル先輩……」
嗚呼、ダニエル先輩ダニエル先輩ダニエル先輩……!!
「――しかも作家にとって命とも言える原稿を燃やすとは……! この罪、万死に値するぞ」
「ハッ! そんな文字が書かれただけの紙切れに、何の価値があるって言うんだよ!? 小説に興味がない人間からしたら、そんなもの、ただのゴミなんだよぉ!」
こ、この人は――!!
「――ああそうかよ。じゃあもうこれしかねーな」
ダニエル先輩はおもむろに、懐から何かを取り出した。
ダニエル先輩……?
「あぁ? これって……? ぶべ!?」
「――!」
ダニエル先輩は取り出したものを、ライナス様の顔面に投げつけた。
――それは白い手袋だった。
ま、まさか――!!
「決闘だ。俺は今この場で、お前に決闘を申し込む」
ダニエル先輩――!
「む、無茶ですダニエル先輩! ライナス様は騎士科の生徒ですよ!?」
文学科のダニエル先輩とは、剣術の経験があまりにも違いすぎる――!
「ハッ、いいだろう! この勝負受けた! もう今さら吐いた唾を飲むなよッ!」
ライナス様はダニエル先輩の投げた手袋を懐に仕舞って、決闘を受理してしまった。
あ、あぁ……。
「ハッハー! イイねイイね青春してるねぇ!」
「「「――!!」」」
その時だった。
どこからともなくクネクネした変なダンスをしながら、スティーヴン先生が現れた。
よりによってこのタイミングでスティーヴン先生!?
嫌な予感しかしないッ!!
「この決闘、ボクが立会人になるよぉ! ここに偶然木剣があるから、これを使ってくれたまえ」
先生は何故か持っていた二本の木剣を、ダニエル先輩とライナス様に渡す。
偶然木剣を持ってるなんてことあります???
「ありがとうございます、スティーヴン先生」
「フンッ、瞬殺してやるよ!」
木剣を握ったお二人が、殺気を纏いながら対峙する。
ど、どうにかして、今からでもこの決闘をナシにできないかしら……。
「オイ、決闘やるらしいぜ」
「おっ、ダニエル先輩とライナスじゃん」
「――!」
が、ぞろぞろとギャラリーが集まってきて、瞬く間に人だかりが出来てしまった。
あ、あぁ……。
「ハッハー! ではルールを確認するよ! とはいえルールは至ってシンプル! 降参するか、ボクが戦闘不能と見なしたほうは負け。以上だ。何か質問は?」
「ありません」
「僕もありません! 早く始めましょうよ!」
くっ、これは最早、後には引けない空気だわ……。
「よろしい! そういえば決闘には賭けが必須だよねぇ。二人はこの決闘に何を賭ける?」
「そうですねぇ。じゃあ僕が勝ったら、僕に舐めた真似をした、そこの二人には退学してもらいます」
なっ!?
ライナス様は私とダニエル先輩に、交互に木剣を向ける。
そんな――!
「ライナス様! それはあんまりです! 私はまだしも、ダニエル先輩まで退学だなんて――」
「いや、それでいい」
「っ!?」
ダニエル先輩ッ!?
「その代わり、当然俺が勝ったら、トリイに舐めた真似をした、お前ら二人にも退学してもらうぞ」
ダニエル先輩はライナス様とアントニアさんに、交互に木剣を向ける。
ダニエル先輩……。
「ああいいとも。僕が負けることなど、万に一つもないからなッ!」
「わぁい、ライナス様、頑張ってくださぁい」
「ダニエル先輩……」
私はダニエル先輩に近寄り、その凛々しいお顔を見上げる。
「心配すんなトリイ。俺は絶対に勝つ。――お前が見守ってくれてるならな」
「えっ……!?」
ダニエル先輩は私の頭をポンポンしながら、太陽みたいに微笑んだ。
い、今のは、どういう???
「ハッハー! 青春が爆発してるねぇ! ――では決闘、始めぇッ!!」
「オラァアアッ!!」
「っ!?」
「離れてろ、トリイ」
「は、はい!」
開始と同時に斬り掛かってきたライナス様。
私はダニエル先輩の邪魔にならないように、慌ててこの場から離れる。
こうなったら、私にできるのはダニエル先輩が勝つように祈ることだけだ。
――お願いします、神様。
どうかダニエル先輩を守ってください――。
「オラオラオラオラァ!!」
「動きが雑だな」
「「「――!?」」」
が、ダニエル先輩はライナス様の目にも止まらぬ斬撃の嵐を、その場から一歩も動かず、最低限の動きだけで全て受け切っている。
す、凄い……。
素人の私でもわかる。
二人の間には、圧倒的な実力差があるわ――。
でも、文学科のダニエル先輩が、どこでこれ程の剣術を……?
「ハッハー! 実はダニエルくんは、一年生の時は騎士科の特待生だったのだよぉ」
「っ!?」
いつの間にか隣に立っていたスティーヴン先生が、私の疑問に答えてくれた。
ダニエル先輩が……騎士科の特待生!?
「でもある日ボクが書いた小説を読んだ途端、小説に目覚めてしまったらしくてねぇ。文学の勉強がしたいからと、奨学金を返金してまで二年生から文学科に転入してきたんだよ。いやはや、これもある種の青春だよねぇ。うんうん」
「そ、そんなことが……」
ていうか、スティーヴン先生って普段は文芸部でも騒いでばかりで顧問らしい指導は何もしてくれないから、文芸のことは何も知らない名ばかり顧問かと思ってたけど、実は有名な作家だったりするのかしら……?
今度私も、先生の書いた小説読ませてもらおうかな。
「ぐああああ……!! 何故だ……!! 何故僕がこんな素人にいぃぃ……!!」
自分が今戦っている相手が、元騎士科の特待生だとは夢にも思っていないライナス様は、全身汗だくになりながらも一心不乱に剣を振っているが、そのことごとくをダニエル先輩は涼しい顔で捌いている。
ここまで一方的だと、段々ライナス様が哀れに思えてくるわね……。
「……そろそろ終わりにするか」
「ぬあっ!?」
その時だった。
ダニエル先輩がライナス様の剣を弾いて、遥か彼方に飛ばしてしまった。
……勝負ありね。
「ヒイ!? ま、待ってくれ!? 実は今日は、ちょっと体調が悪かったんだッ! だからこの勝負は、一旦保留に――!」
うわぁ。
クソダサいですね、ライナス様……。
「問答無用――。心身共に、一から鍛え直すんだな」
「ぐえっ!?」
そんなライナス様の脳天に、ダニエル先輩の木剣が直撃した。
ライナス様は泡を吹きながら、気を失ったのだった――。
「そこまでぇ! この勝負、ダニエルくんの勝ちぃ!」
「「「わああああああああああああ」」」
中庭を歓声が包んだ――。
「そんな!? ライナス様!? これ、マジで私も退学なんですか!? ねえ!? 何とか言ってくださいよ、ライナス様あああああ!!!」
気絶したライナス様にすがりついて慟哭するアントニアさん。
これぞ自業自得ね。
「お前の原稿の仇は討ったぞ、トリイ」
「――!」
ダニエル先輩が私に近寄ってきて、頭を優しく撫でてくれた。
ああ、ダニエル先輩――。
「はい、本当にありがとうございました。――私この原稿、もう一度書き直します! 今度はもっと面白くしてみせますので、完成したら、また読んでいただけますか?」
「ああ、もちろんだ」
ダニエル先輩の笑顔は、まるで天使みたいに眩しかった――。
「ハッハー! 青春だねぇ!」
「わあ、このお話とっても素敵!」
「――!」
ふと寝室に入ると、娘のアガサがどこから見付けたのか、随分前に私が書いた私小説を読んでいた。
「ねえねえお母様! これがお父様とお母様の馴れ初めなんでしょ!」
アガサがとてとてとこちらに駆け寄ってきながら、キラキラした瞳で原稿を差し出す。
「ふふ、そうよ。小説にするにあたって多少は脚色したけど、概ねその通りだったわ」
「そうなんだぁ。でも、お母様って意外と鈍感だったのね? お父様からの好意に、全然気付いていなかったなんて」
「そ、それは……!」
そう言われるとぐうの音も出ない。
こうして小説として見ると、夫からの私に対する情愛は読者には火を見るよりも明らかだが、当時の私はまったく気付けていなかったのだ。
実際あの後私と夫が婚約者になるまでには、実に半年以上の月日が掛かった……。
夫には、随分やきもきさせたかもしれない……。
「よお、二人で何してるんだ?」
「あっ、お父様、おかえりなさい!」
その時だった。
夫が仕事から帰って来て、いつも通りいの一番に私たちの顔を見に来た。
「お母様が書いた、二人の馴れ初め小説を読んでたの!」
「ああ、これかぁ。前に編集部からの依頼で書いた、短編の私小説だよな?」
「ええ」
私が作家としてそこそこ名が通ってきた頃、スティーヴン先生の急病で空いた原稿の穴埋めに、一日で書いたのがこの私小説なのだ。
これが意外と評判で、私の作家としての知名度を更に上げることになったのは、何とも皮肉な話である。
「この小説、俺は好きだぜ。だってこれには、俺とトリイの青春が詰まってるもんな」
「ふふ、そうね」
「わあ、いいなぁ。ねえお母様! 私も小説書いてみたい! 私にも、小説の書き方教えて!」
「――!」
ああ、やはり血は争えないものなのね――。
「ええ、いいわよ」
私はアガサの頭を優しく撫でる。
「やったぁ」
「はは、よかったなぁ、アガサ」
夫がアガサを抱き上げる。
愛する家族と、愛する小説――。
今の私の周りには、大好きなものだけが溢れている。
――私は世界一の、幸せ者だわ。
拙作、『聖水がマズいという理由で辺境に左遷された聖女』がコミックグロウル様より2025年5月8日に発売された『虐げられ聖女でも自分の幸せを祈らせていただきます!アンソロジーコミック』に収録されています。
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