H-20 ある男 目覚め再び
男は鼻腔をくすぐる匂いで目が覚めた。
顔を上げると女が調理台に向かい、何かを調理していた。女は男に気づくと食欲があるか、とだけ聞いた。
その表情は笑顔でも嫌がるでもなく、無表情だった。
「貰う」
男は一言だけボソリと呟き、女の準備を見つめた。
澱みなく迷いなく動く彼女の様は、堂に入ったものだった。男は関心しながらも、それをただ眺めた。
「用意出来ました、席にどうぞ」
そう言った女の目は、怪しく強い光を持ちながら男を見つめ、顔に表情が薄いのが相まって男は若干たじろいだものの立ち上がり、指定された椅子に腰を下ろした。目の前のテーブル上にはスープとパンが二人分用意されていた。
男が着席するのを見届けて、女は向かいの椅子に腰を下ろした。女は前を見ている、のだが、男は目線が合わないことに違和感を感じていた。
「なあ」
「なんでしょう?」
「ありがとう、でいいんだよな?
あんたが助けてくれたんだろ?」
「助け上げたのは港の皆さんです。
後でお礼を言ったほうがいいですよ」
男は頭を掻きながら横を向いた。
「ああ、わかったよ、
また酒でも奢らされるんだろうな」
数秒がそのまま流れたが、男は正面を向きながら鋭い目を女にむけた。
「だが、あんたは何だ?
何で見ず知らずの俺の面倒を見る?
この港町から出たことが無い俺が、
あんたを見たことが無ぇ。ヨソモンだろ。
ヨソモンがなんでわざわざ俺を助ける?」
女は正面を向いたまま、少しだけ寂しそうに見えた。
「そうすべきだと思ったからです」
男は言葉に詰まり、顔を背けながらテーブルに握った拳を下ろした。木製の机への打音と食器の振動の音が室内を支配した。
「俺にはわかんねぇ話だ」
それでも女の表情に変化は無く、淡々としていた。
「私がそうしたかっただけです。
迷惑でしたら謝ります」
男は上向きながらかぶりを振った。
「いや、そういうわけじゃねぇんだ。
まあいい」
そう言って女の方を向き直った。
「これ、食っていいんだよな」
女の声に熱はない。
「どうぞ」
男は無言で食べ出した。
パンは柔らかく、スープは美味かった。
男はがっつくように食べ続けていたが、女が料理に全く手をつけないのを見て、揶揄うように言った。
「食わないなら俺が全部食っちまうぞ」
女は心ここに在らずといった様子だった。
「どうぞ」
「そうかい、じゃあ頂くぜ」
空腹だった男は笑みを浮かべながら女の前の皿を自分の側に掻き寄せた。
再び食事を始めた男は、思い出したように女に訊いた。
「そういやあのガキはどうなった?
助かったのか?」
「ええ、ご心配無く。いまは家族と一緒にいます」
女のこたえは簡潔だった。
それを聞いて男は、はにかみながらも喜んだ。
「そうか、無事なら良かった。
慣れねぇことはするもんじゃねぇなと思ってたが、 そうか。無事か。
無駄骨ってことも無かったわけだ」
「あなたは、ひとつの命を救いました」
男は女を見ると、初めて目線が合った。
目が光を反射する、美しい光がそこにあった。
男は完全に停止した。




