E-16 フーヴェル 湖へ
フーヴェルは痛みを堪えながら、湖にカスタジェを探しに向かっていた。
夜天に薄く輝く星々と、
それを照らすように鎮座した青い月の下、
フーヴェルはカスタジェを探すため、杖に支えられながら、
星明かりが木々に遮られた、薄暗い森の中へと進んでいた。
足が重い、腕が重い、頭が重い、胸も腹も絞られるように痛む。
それでも一歩ずつ、猫背になりながら、
フーヴェルの細い足は上がらずに、地面を擦る音を立てながら進んでいった。
(カスタジェ様はきっと無事・・・)
(そうですよね?)
(私を置いて倒れたりしたら)
(私が"あの苦痛"に耐える理由はどうなるのですか?)
(私は・・・)
湖の手前まで進んだところで、
前方20m程の木陰から、草木をかき分ける音をさせながら、
細長いシルエットの人影が森道にゆっくりと進み出てきた。
フーヴェルは前方の人影に気がつくと、すぐに足を止めた。
顔の見えない人影は森道脇の木の側に立ったまま動かずに静止していた。
やがて揺れる木々の間からかすかに星明かりが差し込み、一瞬だけ人影の顔を照らしだした。
それは、長い金色の髪を垂らし、真剣な目に強い光を宿していた。
人影はテンゼルフィーだった。
フーヴェルはテンゼルフィーとわかってまた歩き出し、少し息苦しい口調で問いかけた。
「カスタジェ様はどこですか?」
テンゼルフィーは微動もせず、静かに声を出す。
「この先の湖だ」
それを聞いてフーヴェルは無言で湖に向かって歩き出した。
そのまま歩いてテンゼルフィーのいる木を通り過ぎんとして、声をかけられた。
「行ってどうする?」
フーヴェルは前を向いたまま立ち止まり、口内の唾液を飲み込んでから言葉を返した。
「カスタジェ様を連れて帰ります」
少し顎を上げながらテンゼルフィーは冷たい声で囁いた。
「その姿でか?」
テンゼルフィーは更に続けた。
「カスタジェ様に余計な心配を掛けるだけだ。
君が何をしたか、知られることになるぞ」
フーヴェルは杖を持った己の腕を見て、次に己の足に目をやった。
臓物の痛みで上がらなくなったせいで、引き摺った足からは赤い液体が色づいていた。
空いた手で自分の顔を塞ぎ、目を覆った。
額に手が触れたことで、額の傷が痛み出した。
(その通りですね・・・)
(こんな姿をカスタジェ様の前に晒せない)
(あの方は、きっと気づいてしまう・・・)
額にあてた手を下ろし、フーヴェルはゆっくりと息を吐いてから、声に詰まりながらも口を開いた。
「私は姿を隠します。だから、
あなたがカスタジェ様をお送りしてください」
テンゼルフィーはこたえた、
「承知した。だから君は帰れ」
フーヴェルの言葉は強まった、
「無事を確認するまで帰りません」
テンゼルフィーの言葉にも苛立ちが浮かぶ、
「邪魔なだけだ。君には君の役目がある、忘れてはいないだろう?」
フーヴェルは心の内で自嘲した。
(役目ですって・・・?)
(この役立たずの私が)
(己が弱いことを私が一番よく知っているのに)
フーヴェルは心を落ち着けながら平静を装った、
「昨晩、"引き受け"をしたの、カスタジェ様の眠った後で」
そう言ってフーヴェルは咳払いをした。
テンゼルフィーは淡々とした声でこたえた
「ひどい有様だな」
フーヴェルからの返事は少し弱々しかった、
「初めてだったからよ。次はもっと上手くやれるわ」
テンゼルフィーはフーヴェルに接近し、顔を近づけた。
「やれるのか?」
フーヴェルはテンゼルフィーの顔を見上げた、
「心配しないで、大丈夫だから」
テンゼルフィーの平静な顔はゆっくりと崩れていき、
いつもの見慣れた優しくて、少し困ったような顔が現れた。
「そうは見えないよ、フーヴェル」
そう言ってテンゼルフィーはフーヴェルの肩を優しく掴んだ。
目と顔に熱を感じてフーヴェルは顔を下に向けた。
(ああ、抱きついて心行くまで泣き叫びたい)
(テンゼルフィーはいつだって優しいから)
(でも甘えてはいけない・・・)
(私が笑って"引き受け"をしないと)
(テンゼルフィーから笑顔を忘れてしまうような気がする)
フーヴェルは平常通りの声を心掛けて口を開く、
「ふふっ、相変わらず心配症ね。まだ慣れてないだけよ。
でも、そうね。カスタジェ様に心配させてしまうからあなたが迎えに行って。
私は隠れるから」
テンゼルフィーは少し迷いを見せた、
「それなら早く帰って休むべきじゃないか?」
フーヴェルは微笑を浮かべる
「それはダメよ、カスタジェ様の無事を確認するために、
苦労してここまで来たのよ。
弟子として、このまま帰るなんて出来ないもの」
テンゼルフィーはフーヴェルをじっと見つめ、やがて小さく頷いた。
「わかった。カスタジェ様は私が送ろう。君は・・・」
そう言いかけてテンゼルフィーはフーヴェルを抱きかかえた。
少し慌てたフーヴェルをよそに、
テンゼルフィーはそのまま木陰まで運んで、膝をつきながらゆっくりと下ろした。
フーヴェルが小声で呟く、
「重くなかった?」
テンゼルフィーが真剣な顔でフーヴェルを見つめた。
そのまま数秒して、声を発した、
「すまない、気にしてなかった」
フーヴェルは微笑を浮かべた、
「いいの、忘れて」
テンゼルフィーは少し困った顔を浮かべた。
「忘れたら、次も重くなったかわからないだろう?」
フーヴェルは少し語気が強くなった。
「テンゼルフィー」
テンゼルフィーは困った顔のまま、頷いた。
「わかった。忘れるよう努力しよう」
フーヴェルも頷いた。
「是非そうして」
テンゼルフィーはフーヴェルの様子を数秒見ていたが、
少し安心したのか、困り顔を解いてスックと立ち上がった。
「カスタジェ様をお送りしたらすぐ迎えに来る、
いい子で待っていてくれると助かる」
フーヴェルは少し笑った
「私がいい子じゃなかったことがあったかしら?」
テンゼルフィーはまた困り顔を浮かべた、
「言いつけを守らなかった記憶がたくさんあるが、並べようか?」
フーヴェルは笑って首を振った、
「ふふっ、そうよね」
テンゼルフィーは回転して湖の方に向いた。
そのまま立ちながら左手で顔を押さえながら掠れそうな声で呟いた。
「・・・、・・・・・・。・・・」
フーヴェルは聞き取れなかった、
「今なんて?」
フーヴェルの言葉は置き去りにしてテンゼルフィーは湖の方角へ走り出した。
風のように音も微かに。




