19. 世界の鍵 三
つい手がビーカーの中に伸びようとしたところで、今度はにいなに止められました。
「だめ! 一人でいっぱい食べたらずるいよ。みんな一口ずつね」
にいなは人差し指にちょこんとだけ世界を掬いました。そして、「うーん。これは、何とかの成分と、何とかの成分が――」とぶつぶつと言っているふっくんのくちばしの中に指を入れました。
一瞬きょとんとしたふっくんは、「うまーいぞ!」と天井まで飛び上がっていきました。
今度はみいなが平助のくちばしに世界を持っていきます。
「あっし、人生でいろいろなものを食べてきましたが、世界を食べるのは初めてなんですぜえ」
平助は目をきょろきょろとさせながら、少しずつ後ずさって行きます。
「平助、大丈夫だよ。これとってもおいしいよ」
みいなは平助を安心させるように笑顔を作りました。
「それはそうかもしれないんですが、あっし、あっしは……」
すると猫ちゃんがたたっとやってきて、みいなの指から世界を舐めとってしまいました。
にゃーあああ。
猫ちゃんは幸せそうに鳴いて、机の上をうねうねと寝転がりました。喉からもゴロゴロと嬉しそうな音が聞こえてきます。
「ああ! あっしの世界があ……」
平助は泣きそうな声で叫びました。
みいなはもう一度、人差し指で少しだけ世界を掬って、平助の口元に持って行きました。平助は今度は取られないように素早くみいなの指に近づきました。そして覚悟を決めると、おっかなびっくり世界を舐めました。
「うっうう……」
平助は呻き声を上げました。目には大粒の涙を浮かべています。
「平助、大丈夫!?」
「あっし、こんな美味しくてあったかいものを、今まで食べたことないですぜえ」
「あったかいかな?」
ほんのりとあったかい気はしますが、それほどでもなくない? とみいなは首を傾げました。
「違うんです。温度があったかいって言うんじゃなくて、心があったかいんでございやす。こんなに優しいものを食べたのは、あっし、人生で初めてですぜえ。あっしらカラスは、何でも食べるとか、ゴミを漁るとか言われていますけど、本当はあっしらだって、温かくて、美味しくて、心のこもったものが食べたいんですぜえ。こいつは、お二人の心そのものだ。あっし、嬉しくて嬉しくて。ううう」
平助はついにぽろぽろと涙をこぼしました。
にいなとみいな、そしてふっくんは、しんみりとしました。
誰だって美味しいものが食べたいのです。それは、人間も、動物も同じことです。
すると、それまで机の上でごろにゃんしていた猫が、すっと立ち上がりました。きりっとした顔でビーカーの横に立つと、世界の入ったビーカーに前足をかけて、中に頭を入れようとします。
「だめだよ、猫ちゃん。味見はおしまい。これは鍵にするんだからね」
にいなはやんわりと猫ちゃんをビーカーから引き離そうとしましたが、猫は意外なほど力強くビーカーにしがみついています。胴体を持ち上げられた猫は、びよーんと伸びました。
「みいな、見て! 猫ちゃん、お餅みたいに伸びた!」
にいなはみいなの方を見ながら言いました。すると、首を振った反動で思わず力がこもってしまったようです。猫はさらに伸びて、ガタンとビーカーが傾いてしまいました。
あっと思った時にはもう遅く、机にビーカーの中身がこぼれてしまいました。
「ああ! もう! なにやってるの!」
みいなは慌てて世界をかき集めて、ビーカーに戻そうとしました。
ですが、ううん? と首を捻りました。
カスタードクリームくらいの固さだと思っていた世界は、思いのほかしっかりとした感触でした。おもちゃのスライムよりしっかりした触り心地です。
みいなは世界をすべてかき集めて、一つの塊にしました。
「お餅みたいだね」
にいなは世界を突いてみました。
ペタペタと手で触っていると、世界がつるっとしたような気がします。
「よし、こねてみよう」
にいなは腕まくりしました。
「ええ、ビーカーに戻そうよ」
「でもみいな、これ、このままじゃ鍵にならないよ? きっとパンみたいにこねて、クッキーみたいに型で抜くんだよ!」




