008)インターミッション(3)
「夏原さんについては。誰かを憎むとか、そう言ったことが想像できません」
「緒野さんの言う通りだわ」
私が言ったことに、秋河さんは細く小さく答えた。
本心なのか分からない感じに聞こえたけど、何だか、秋河さんがひどく傷付いているように見えたから深入りできなかった。
夏原さんは、私達のような事務しかできない女子社員からすると憧れの存在。
後輩に優しいし、技術を持ってキチンと仕事をこなしている。
モテる噂も聞いているし、同性の目からみても文句の無いステキな女性。
飲み会の席で一度、夏原さんが羨ましいと、本人に愚痴ってしまった。
自分には何の取り柄もないし、誰にでもできるぐらいの仕事しかできないと。
「緒野さんなら、今からだって何にでもなれるじゃない」
夏原さんはにっこり笑った。
「でも、私のようになるのはオススメしないよ。私は、会社にいる間だけじゃなくて、家に帰ってからも仕事のことを考えてる。休みの日も。そうでないと、クオリティを保てないから。そんな人生、楽しいと思えないでしょ?」
私は言葉を無くした。
クオリティを保つ努力を怠らない日々は、きっと、孤独で辛くて厳しいはず。
そこまでの取り組みを想像もせずに、安易に羨ましいと言ってしまった自分が恥ずかしかった。
「でも。それでも、私は仕事が楽しいんだ」
プライベート全てを使ってでも、そう言える夏原さんの横顔は美しかった。
辛さも厳しさも知った上で、仕事が楽しいと言える人生って、どんな風なんだろう。
それはそれで、やっぱりステキ。
そう言えば少し前に、田乃崎君の物件なのに何故か、夏原さんが南里課長に叱られてたことがあった。
あれは確か、七月の初めくらいだったと思う。
夏原さんを散々罵った後で、営業の奥山さんまで呼びつけて、更に説教が続けられた。
南里課長に解放された後の二人は、身体が痩せて薄くなってるように見えた。
夏原さんが、誰かを憎むことは想像できないと、さっき言ったけど、相手が南里課長なら分からない。
あんなに長時間説教されて、南里課長を憎む気持ちが生まれてもおかしくない。
南里課長は夏原さんに刺されたりしても、文句を言えないと思う。
だけど、襲われたのは南里課長じゃない。
南里課長は工事課の人間だから。
だけど、そもそも何で田乃崎君の物件なのに、夏原さんがあれほど叱られてたんだろう?
ふと、柏居さんの言葉が脳裏に蘇った。
「雪下課長は、田乃崎君のミスを他の人に押し付けて、尻拭いさせてるんだよ」
もしかしたら、あれも田乃崎君の尻拭いだったの?
だとしたら、説教される原因を作ったのが田乃崎君で、押し付けたのは雪下さんということになる。
人の心の中は分からない。
憎しみとは無縁に思える夏原さんにも、私達には見えない黒い感情があるかも。
むしろ、少しくらいあって欲しい。
夏原さんの憎しみの矛先が、その二人へ向かうという筋書き。
秋河さんに告げてみたが、秋河さんはあまり興味を示さなかった。
私には、無理に無関心を装ってるようにも見えた。
〔009 へ続く〕