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003)工事課事務職 緒野の野心(2)

「は?」


社員が襲われたなんて、思ってもなかった話を聞いて、きっと私はとんでもなくマヌケな表情を見せただろう。

恥ずかしい。


無意識では、誰かの部署異動とか、そういった類いについての聞き取りだと思ってたような気がする。


話について来れそうにない私を放っておくことに決めた様子で、秋河(あきかわ)さんは一方的に話を続けた。

「襲われたのは今週月曜の夜。ほら。前期の引渡し物件について、本社の審査が入ることになったから。その対応で、その日は、ほとんどの社員が残業したじゃない」


火曜日に行われる審査通知が、前の週の金曜日に届いた。

売上が下がってるウチの支店への、本社からの嫌がらせに思える。

工事課も、土日の休みを返上して書類を整えたのだから忘れる訳がない。


審査前日の月曜は、最終日の追い込みで支店全体が必死だった。

普段、自宅勤務を選択してる社員も全員呼び出されてたのを思い出す。

いつもは夜八時で解錠出来なくなるロックシステムが、その日は無効化されたほど、ほとんどの社員が遅くまで残ってた。


「夜の九時頃までは、襲われた社員の姿を見た人がいるの。だから、九時以前に帰宅した人は、加害者では無いと考えてる。まあ、入退出管理のシステム上、人の出入りの全てを記録出来ていないから。何時に帰宅したか、はっきりと確認出来ない社員もいるわ。一旦帰宅した社員が戻ってきて、被害者を襲った可能性もあるし」


私達社員が出入りに使っている通用口は、普段施錠されてる。

社員は全員入館証を渡されていて、カードリーダーへかざすことで解錠されるシステムだ。


扉の解錠が目的となっていて、誰がいつ出入りしたという情報管理には重点が置かれてない。


会社としては扉の解錠に関わらず、入退出時に、カードリーダーへ入館証を読み取らせるように指導してる。

だけど強制はされてないから、私を含め、みんなの意識は低い。

扉が開いてる時に、開いた扉から出入りすれば、入館証をかざしてない者の入退出は記録に残らないのだ。


あの日はロックシステムも機能してなかったから、深夜であっても入館証さえ持っていれば、社屋への出入りは出来たはず。


ちょっと待って。

この会社内で襲われたの?

犯人はこの支店の社員?


驚き過ぎて、声にすることが出来ない。


この面談も犯人候補を絞るのが目的なの?


緒野(おの)さんは八時に会社を出た記録が残ってるけど、間違いないかしら。その後も、会社に戻って来たりしていないわね?疑ってるように聞こえたらごめんなさい。確認するように言われてるから、一応聞かせて」


大袈裟かもしれないけど、犯人扱いされて、私はやっと我に返った。


「あの、誰が襲われたんですか?」

「まずは、質問に答えてくれる?」

やっぱり女帝だ。

自分のペースは崩さない。


「えっと。八時半には家に着いていたと思います。その後も、会社には来ていません」


無言で見返してきた秋河さんの細い瞳を、この時ほど忌々しく感じたことは無い。


「もしかして、柏居(かしわい)さんが襲われたんですか?」


誰かが襲われたと聞いて、連絡の無い柏居さんを一番に想像した。


「柏居さんは大丈夫よ。柏居さんには、昨日から、警察の対応をして貰ってるの」


警察。


今朝から見慣れない人間が廊下をウロウロしてたのは、警察だったのか。

本社の人かと思ってたけど、目が合って、こちらが『お疲れ様です』と言っても、軽く会釈してくるだけだから、何だろうって思ってたんだ。


「じゃあ、誰が襲われたんですか?」


そう言えば、柏居さんだけでなく、今朝から設計課の人を誰も見てない。


いや、入社一年目の真名部(まなべ)君が、事務室から足早に出て行くところは見た。

今思い返すと、やけに青白い顔色をしてたし、表情も強張っていた。


だけどその時は、どこかでミーティングでもしてるんだろうと、余り気にしてなかった。


「襲われたのが誰か、襲われてどうなったかについて、言ってはダメだと言われてるの」

秋河さんの言い方は冷たかった。

「何故ですか?」

「さあ。捜査に係わるからじゃないかしら」


こんな時Dr.ディアスなら、上手く相手を誘導して、聞きたい情報を引き出すのにと悔しく思う。


私は机に肘を付き、両手で側頭部を挟み込んだ。

Dr.ディアスが考えをまとめる時の仕草だ。

肘が机に当たった時、勢い余って大きな音が出てしまった。


「ど、どうしたの?」

秋河さんにとって予想外の動きだったからか、音に驚いたからかは知らないけど、動揺しているのが伝わってきた。

だけど構わなかった。


私は真剣に、今までの秋河さんの質問を思い返して、分かってることをまとめた。


襲われたのは設計課の誰かである見込みが高い。

と言うか、襲われたのは設計課の誰かで間違いないと思う。

襲われた被害者候補から除外できるのは柏居さんと真名部君だけ。


「犯人は工事課の人なんですか?」

聴取のしつこさから導き出した答えだった。


秋河さんはふっと力が抜けたように笑った。

それを見て、見開いた自分の瞳からも力が抜けていく。


「そんなこと、分からないわよ。私は支店長命令で、社員の聞き取りをしているだけ。社員同士のいざこざを把握して、報告するのがミッションなの。緒野さんは工事課の事務員だから、工事課の人達のことを重点的に聞いただけよ」


「でも、犯人は社内の人間だと考えているんですよね?」

「残念ながら、その可能性は高いと思うわ」

秋河さんは心の底から残念に思ってる様子だった。


もし本当だったら、私だって辛い。


「さっきの、Dr.ディアスでしょ」

沈黙の後で突然言われて、私の思考が停止した。


「海外ドラマの『サスペクト・イメージ』でしょ。私も見てるわ。もうすぐ始まるシーズン3、楽しみなの」

「はい。私も楽しみにしてます」

つい、つられて答えてしまった。


不謹慎だと充分分かってたけど、推しの話は止められない。

さっきの沈んだ気持ちは、二人共どこへ行ってしまったのだろうと思うくらい、しばらくドラマの話で盛り上がってしまった。


秋河さんの推しはDr.ディアスの同僚のリアム刑事だそうだ。

若くて爽やか、マッチョな要素まで兼ね備えたイケメンで、あのドラマを見てる女子のほとんどは彼を推してると思う。

私はリアム刑事のような王道の王子キャラよりも、知的なDr.ディアスのほうにしか興味は無いけど、王子に惹かれる気持ちも分かる。


「こんなこと、話してる場合じゃないわ」

被害者に申し訳ないと、秋河さんは苦々しく言って、照れた様子で少しだけ笑った。


目の前にいる秋河さんから女帝イメージが消えて、私は親近感を覚えた。

「秋河さん、私達で犯人を推理してみませんか?」

私は思い切って言ってみた。


女帝がどんな反応をするかドキドキだった。

だけど、こんな機会は二度と来ない。


「それもいいかもしれないわね。緒野さんも、推理しながらのほうが話しやすいこともあるでしょうし」

真顔で考えていた秋河さんの答えに、ほっとして息を吐いた。


「だけど、口止めされていることは話せないわよ」

「分かりました」


私は内心、ちっと舌打ちした。

ガードは硬い。

やっぱり女帝は女帝だ。


「だけど、推理すると言っても、被害者が誰か明かせないのに、どうやって推理するつもり?」

尤もな意見なだけに、私は返す言葉に詰まった。


そう思うなら、被害者が誰か教えてくれたらいいのにと思う。


「まずは、被害者の身近な人達に動機があるか、考えてみるのはどうですか?」

「被害者の身近な人達?」

秋河さんは不審げに私を見返した。


「はい。先ほどからの、秋河さんの話から、被害者は設計課の誰かだと考えています。間違ってますか?」


私の問いかけに、秋河さんは答えにくそうに唇を左右へ動かした後で、ぼそっと言った。

「間違ってないわ」

女帝から一つ情報を引き出せたことに、私は満足して微笑んだ。


この調子で秋河さんをコントロールできないかと、私の中に野心が芽生えた。


〔004 へ続く〕

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