016)工事課事務職 緒野の推理
「緒野さんは、設計課で起きていた事件のことを聞いてる?」
秋河さんに言われて、私は眉を寄せた。
「事件って何ですか?」
「そっか」
知らないのねと言って、秋河さんは私に異物混入事件の概要を語ってくれた。
話を聞いて私が一番驚いたのは、この事実を柏居さんが知ってたということだった。
私には何でも打ち明けてくれてると思っていたけど、私の勘違いだったんだと寂しく思う。
「攻撃の方法が、直接的になってますね」
柏居さんのことは一旦心の片隅に追いやって、飲み物へ何かを入れる行いと、観葉植物を落とす行為、そして今回の襲撃事件を関連付けて考えてみた。
Dr.ディアスのドラマでも、徐々に犯行が進行していく展開も少なくない。
「その出来事全てが同一犯かは、まだ分からないけど、今回の事件も合わせると、エスカレートしているのは確かだわ」
険しい顔で言う秋河さんの横顔を盗み見た後で、私はホワイトボードへ視線を移した。
私の中で、被害者の第一候補は雪下さんだ。
雪下さんは私から見ても、誰かに嫌われていても仕方ないと思える人だから。
だけれど、観葉植物を落とされた場に雪下さんはいなかった。
異物混入事件と観葉植物落下事件の、両方に関わりがあるのは家永さんだ。
では、今回の被害者も家永さんだろうか。
ちょっと待って。
今、何かが思考を止めた。
何か引っ掛かることがある。
そうだ。
秋河さんは、容疑者としての柏居さんについて聞いてきた時『自分よりモテる相手が許せないのでは?』という主旨の発言をしてた。
その時の言葉を読み解く限り、襲われたのは女性だ。
今回の事件の被害者は女性だけど、異物混入事件と観葉植物落下事件の被害者には男性もいる。
だとしたら、犯人は、設計課の人達を無差別に攻撃してるのか。
でもまだ、三つの事件が同一の犯人と決まってるわけじゃない。
決まってるわけじゃないけど、三つの事件が同じ犯人だったら、やっぱり犯人は設計課内にいるんじゃないかと思う。
最初に戻って、設計課メンバーを加害者という目で見てみよう。
まず雪下さん。
雪下さんにとって憎むべき人物はいるだろうか。
設計課内には見当たらない。
家永さんはどうか。
月元さんとよくバトルしてるのは見る。
でも月元さんが相手の場合は、バトルしない人のほうが少ないから判断材料として乏しい。
夏原さんは分からない。
あの人が誰かを襲うとか、考えられないことだけは言える。
ドラマなんかだと、一番怪しくない人が犯人だったりするけど、これは現実だから違うと思いたい。
私が思うに、月元さんが加害者だったら、多分誰も驚かないだろう。
伊津さんも同じだ。
申し訳ないけど、この二人はいつ爆発してもおかしくない怒りを抱えているから。
菱山さんは適応障害と診断されてから、めっきり影が薄くなってしまってるけど、元々は誰にでもはっきりモノを言う意思のしっかりした人だった。
加害者になる可能性は残る。
田乃崎君は、う~ん。
無いでしょう。
真名部君は何を考えてるか分からない。
分からないから加害者候補にはなる。
残りは柏居さんだけど、私が信頼を寄せてるほどには、柏居さんに信頼されてないと判明したばっかりだから判断が難しい。
私に見せてない顔を持ってるかもしれないけど、普段の柏居さんを見てる限りでは白だと思う。
「秋河さん」
色々考えてみても、結論は同じところへ戻ると気付いた私は、改まって秋河さんの名前を呼んだ。
「人が人を攻撃する要因は、嫌悪や憎しみより、恐れのほうがより強いトリガーになるんです」
「サスペクト・イメージね」
格好良く決めたかったのに、ドラマの受け売りだと、すぐさま秋河さんに見破られてしまった。
仕方無く認めることにする。
「そうです。動機が恐れだとしたら。立場の弱い者が、立場が上の者を襲うという筋書きもあるんじゃないかと思います」
「そうなると、容疑者は誰なの?もちろん仮定で、だけど」
「雪下さん以外の全員です」
怒られるか、鼻であしらわれると思ったのに、秋河さんはぎょっとしてから、妙に難しそうな表情を作った。
「じゃあ、雪下さんは容疑者ではないってことか。確かに。雪下さんには、彼女を恐れる理由が無さそうだわ」
「えっ?」
後半部分に反応して叫ぶと、秋河さんも同じようにえっと驚いて、私達は顔を見合わせた。
「襲われたのは、雪下さんではないんですか?」
てっきり、私はそう思ってた。
「いえ、それは」
この期に及んで口ごもる秋河さんに、いい加減イライラしてきた。
「じゃあ、お聞きしますけど。被害者の名前を伏せることに、何の意味があるんですか?今現在の容体を隠すのには、理由があると思います。被害者が元気だと知られたら、再度犯人に襲われるなんて、ドラマではよくある話ですし。もし亡くなってたとしたら、死人に口無しで、犯人を安心させてしまう。でも、被害者が誰か分かったところで、何も変わらないじゃないですか」
「死人に口無しなんて、いくら何でも言い過ぎよ。それに、被害者の名前を伏せる意味ならあるわ」
きゃんきゃん吠えるように言葉を並べてしまった私に、秋河さんはきっぱりと言った。
「今だって、緒野さんが犯人じゃないことが、確定したじゃない」
「はあ?」
私の口から奇声が上がった。
秋河さん世代の言い方なら、すっとんきょうな、とでも表現するのだろうか。
私が犯人かもなんていう意識を持ちながら、私と話してたのか、この人は。
「そうは言っても。緒野さんが名女優ばりの演技をしてたら、無実確定でも無いんだけど」
秋河さんはぎこちなく笑顔を向けてきた。
冗談だと示したいのだろうが笑えない。
「秋河さんは、犯人を見付けようとしてるんですか?」
「違うわよ。犯人を推理しようって言い出したのは、緒野さんじゃない」
そう言えばそうだった。
「言ったでしょ。支店長命令で、社員同士のいざこざを調査してるって。Aさんが誰かに襲われたって聞いたら、Aさんの周りだけにフォーカスが当たるでしょ。それは避けたかったの」
先ほどの勢いが恥ずかしくなり、私はしょんぼりと肩を落とした。
「それはそうと、緒野さんの中では、真名部君も容疑者候補に入っているのね」
秋河さんの言い方には、何か想うところがありそうに聞こえた。
「緒野さんは同世代だから、よく話してるんじゃないの?」
「それが。私はあまり、話したことが無いんですよね」
もう少し接点があっても良さそうなのに、真名部君は若手社員だけの飲み会にもほとんど参加してこない。
「今年入社した子達は、独特の世界感を持った子が多いのかしら。総務一年目の平川君も、掴み処の無い子なのよね」
同期をひとまとめにして捉えるほうが、世代の離れた秋河さんには楽なのかもしれないけど、乱暴な意見だと思う。
工事課に今年入った越田君は、明るくて親しみやすい。
掴み処のない性格の子が二人いるからといって、全員がそうであるとは限らないと言いたくなったけど堪えた。
「真名部君の教育担当は夏原さんよね。二人は信頼し合ってたのかしら」
はっきり言って、工事課の越田君と越田君の教育担当ほど、良好な関係が築けてるようには思えない。
「そんな風には見えませんでしたけど」
「そうなんだ」
思い出した光景を打ち消すように、秋河さんは首を振った。
「それにしても。緒野さんと話せて良かったわ。私は他人に興味が無いけど、緒野さんは人のことをよく見てるのね」
「でも結局、容疑者らしき人を絞れませんでした」
「でも。人に興味が持てるのは才能だわ。何かの役に立つといいわね」
結局、被害者が誰かすら、秋河さんから教えてもらえないまま面談は終了した。
ただ、その日の夕方には、被害者の名前と容態がネットニュースに流れた。
〔017 へ続く〕