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012)営業課営業職 奥山係長の憤り

奥山(おくやま)係長、お疲れ様です」

田乃崎(たのさき)が戸惑い気味の声を出して、私に頭を下げた。


「あなた達、何してくれたのよ」

怒鳴り付けると、田乃崎と一緒に帰って来た月元(つきもと)真名部(まなべ)は、三人できょとんとした表情をした。


「ご近所の人に、堀市(ほりいち)様の家族構成や、仕事のこと話したの誰?家の購入額まで知ってたって、激怒されてたわよ」

フロア中に響き渡るほどに声を張り上げながら、私は冷静に三人を観察した。


田乃崎はきょろきょろと月元と真名部の顔を見比べて、僕は何も知りませんアピールをしている。


真名部は少し俯いて、口をつぐんだまま動かない。


自分に関わりの無いことで糾弾されたなら、直ぐに反論してきそうな月元が黙っている。


設計課の中で、堀市様の家族構成を知っていそうなのは、月元か田乃崎、他には夏原(なつはら)だ。

月元は建物の確認申請に携わっているし、田乃崎と夏原は物件の担当者だった。


三人の内の誰かだと当たりは付けていたが、月元に間違い無さそうだ。


現地での準備を、設計課だけに任せるとロクなことがない。

接客慣れしていないから加減というものを知らないのだ。


「明日からの見学会を、中止にするって言ってるわ」

月元と田乃崎が、えっと声を上げた。


本人達にしてみれば、たった今、苦労して準備を終えてきたばかりの見学会が中止と聞かされたのだ。

驚くのは当たり前の反応だ。


だが、真名部は何も感じないのか、眉一つ動かさない。


「これから、堀市様のところへ謝りに行くから。月元主任、一緒に来て」

「私ですか?」

月元がぎょっとして、たじろぐのが見えた。


この期に及んで、関係無い振りをするつもりか。


「この際、誰が個人情報を漏らしたかなんて、重要ではないの。本来なら、設計課長に同行してもらうところだけど、出張だから」


家永(いえなが)課長代理が、もう少しで戻ってきます」

月元が弱々しく言った。

「課長代理は、この物件に関わってないじゃない」


ああ、嫌だ。

何でこんな噛みつくような勢いで、人に言葉をぶつけなければならないのだろう。


問題が起きる度に矢面に立たされるのは営業だ。

設計課の面々は、そんな営業の苦労など全く考えない。


お客様のご要望を相談に言っても、ウチではあまり前例が無い内容だと、ほとんど検討もしないで、できないと平気で撥ね付けてくる。

じゃあ、できない理由をお客様に説明してくれと言っても、それは営業の仕事だと返してくる始末だ。


図面の間違いですら、訂正とお詫びに行くのは営業の仕事だと、当たり前のように思っている奴らに、何でこっちが気を使わなくちゃいけないのか。


そんな設計メンバーの、普段の態度が頭の中で重なり、ついつい口調もきつくなる。


「あの、僕も行ったほうがいいですか?」

田乃崎が恐る恐る声を上げた。


「ぞろぞろ行っても仕方ないから、君は来なくていいわ」

あからさまにほっとした田乃崎にも、冷たい視線を投げ付けてやった。




「あの、すみませんでした」

堀市様の住むアパートからの帰り、月元が消え入るような声で言った。


月元はこれ以上ないくらいに、助手席で小さくなっていた。

元々肉付きの良くない身体が、更に萎んで見える。


日頃は威勢が良いくせに、失敗した時は自分の存在を消すことに必死になるタイプのようだ。


幸いにも、堀市様から怒りはほとんど消えていた。

電話で私に怒鳴ったことで、ある程度気持ちがすっきりしていたようだ。

明日からの見学会も、予定通り行う了解が得られた。


「饅頭。食べな」

赤信号で止まった時、黒糖饅頭を袋から取り出しだ。

手土産を用意した和洋菓子店でついでに買った饅頭だ。


月元は遠慮がちに手を伸ばしてきたので、食べないかと思ったが、すぐに包みを破いて口に入れた。


少し安心した。

ずっと萎縮されたままでも困る。


「今度、新しい事業部ができるって聞いてる?」

お盆前の営業会議で、支店長から発表された内容だ。

設計課からは、課長と課長代理しか出席してなかった。


「知りません」

「今度の四月から、賃貸住宅事業部ができるのよ」


ウチの会社は住宅と賃貸住宅、店舗などの設計、施工を手掛けている。


その内、店舗事業は今現在も、別部門として事業部が作られているが、個人住宅と賃貸住宅は同じ事業部内で仕事を回している。


これからは住宅と賃貸を切り離して、本格的にアパートの建設事業に乗り出す方針なのだ。

賃貸住宅の契約件数がここ数年で伸びてきたから、必然の流れと言える。


アパート建設事業と言っても、アパートを運営する大家さんになるのではない。

これまで通り、賃貸住宅の設計、施工を行うのだ。


「住宅事業部が分裂するってことですか?」

月元の声が大きくなった。

「まあ、そうとも言えるわね。何?嫌なの?」


月元は設計課の仲間と一緒に、仲良く仕事がしたいタイプには見えない。

典型的な一匹オオカミだ。

今の設計課の形が変わっても気にしないと思っていた。


「いえ、あの。新しい事業部ってことは、役職も増えるってことですよね」


なるほどと思った。


確か月元は、毎年課長への昇格試験を受けている。

毎年受けていると言うことは、毎年落ちているということだが。


「課長になるチャンスってこと?」

ズバリ聞いてやると、いえ、私はあのと、ごにょごにょ言っている。


「チャンスなんてあるかしら?設計課なら、まずは課長代理が候補に上がるんじゃない?」

課長代理の家永(いえなが)が昇進するのが順当だ。


だけど、営業の立場としては、アパートを何物件もこなしている夏原が課長になってくれると助かる。

会議の後、営業だけでそんな話をしていると、戻って来ていた家永に聞こえてしまったのだろう、物凄い形相をしていたのを思い出す。


心配しなくても、夏原はまだ課長職の昇格試験さえ受けていないのだから、家永が追い越されることはないというのに。


それに、本社から課長職の誰かがやってくることも考えられる。


どちらにしても、昇格試験に合格もしていない月元に話は来ない。

「いえ、私は別に」

月元は否定して、何かを考え込んでいたかと思ったら、突然叫ぶように言った。


「奥山係長こそ、チャンスじゃないですか。課長職の昇格試験には合格してるって聞いてますよ」

月元の言葉の勢いが、私の胸の内を抉るように響いてきた。


何と言うか、油断していたところを殴られた感じがする。


課長職の昇格試験に合格した後に、私は係長へ昇格した。

その時は営業課には既に課長が二人在籍していたから、一時的な措置なのだろうと考えていた。


しかしそれからも、課長の入れ替わりはあっても、私が課長へ昇格する気配は一向に無い。


嘘か本当か知らないが、係長という役職は課長になれない者、又は課長にさせたくない者を留めおく役職だという噂を耳にしたことがある。


確かに注意していると、課長になる者は主任から課長へ昇格している者が多い。

それに比べて、係長が課長になったケースは私の知る限りでは皆無だ。


うっかり試験に合格させてしまったが、課長職に就かせる気の無い社員には、係長職をあてがうという決まりがあるに違いないと、最近は課長への昇進を考えないようにしていた。


考えてしまうと、否応なしにジェンダーの問題が浮上する。

自分が女性だから昇進できないなら、これまで築いてきた営業実績が虚しく思えてくる。


「営業職は営業実績が数値化されてるから。昇進に、上司が気に入る、気に入らないは関係ないですよね?設計職は、上司に気に入られてないと昇進できませんけど」

月元は生き生きと話し続けた。


さっきまで縮んでいた身体が、二倍くらいに膨らんで見える。


「営業実績だけで出世できるなら、私はとうの昔に、部長になってるよ」

黙らせるつもりで言ったことだったが、月元の闘志に火を着けてしまった。


「やっぱり!私も変だと思ってました。何で奥山さんは、ずっと係長なんだろうって」


面倒くさい。

お前に言われなくても、私が一番思ってることだよ。


「きっと、女だからですよ。女性活躍推進法が施行されてから、もう何年も経っているのに、建築業界は遅れてるんです。特にウチの会社は。上層部は何をやってるんだか」


一人で熱くなっている月元を無視して、運転に集中する振りをした。


それでも全社的に見れば、女性管理職は増えている。

ただ、営業職で部長以上に就いている女性は、会社全体の中でも片手で数えられるほどしかいない。


女性営業部長を本社で見かけたことがある。


定年間際の女性だった。

ずっと仕事一筋で生きてきた人だと聞いた。

本当にそうなんだろうと感じるほどに、部長の顔には苦労を背負ってきたことが滲み出ていた。


結婚も子育てもせず、生活の全てを仕事に捧げなければ、女性は社会で地位を築くことができないのだとしたら、そんな地位は欲しくないと、私はその時思った。


昇進のために、女性だけが私生活での色々を諦めなくてはならないなんて、どう考えてもおかしい。


「雪下課長のような人を課長にしておいて、本当に優秀な人材を昇進させないなんて。ウチの会社は終わってますよ」

同調するつもりは無いが、月元の意見ももっともだ。


雪下課長には困っている。


担当者時代の考え方が抜けていないのか、何事にもキャパが狭すぎる。

一度に二つ、三つ質問すると、途端に不機嫌になって怒り出すから話が進まない。


建物の技術的な詳細については、営業が説明するよりも、技術職から説明したほうが、重みが出る。

それに、図面に記載の無い現場対応での納まりが必須であることなどは、設計課長としてお客様に説明して欲しいと頼んでも、いつも却下される。


(いち)担当者でいる間はそれで通っていたかもしれないか、課長という立場は課や物件の全体を把握して、いろんな事態が起こる前に対応する必要があるのだ。


それがお客様へ説明することでもあるのに、全くその必要性を理解していない。

課長がそんな態度だと、部下達も同じ対応をするようになるのだ。


それに、課長には他の課と連携を取るという大切な役割もある。


雪下課長の場合は営業課や工事課と連携するどころか、何の根回しもしないで、いきなり支店長へ話を持っていく。

支店長から突然、決定事項だけを聞かされる私らの立場にもなって欲しい。


そんなだから、支店長の愛人だなんて噂されるのだ。

飲み会の席で自分から否定していたが、愛人でも何でもいいから、仕事はちゃんとやってくれと思う。


知識や経験はあるみたいなのに、自分の興味が惹かれることにしか快く動かない。

自分の意見ばかり主張する。


自分の意見ばかり主張する点は月元も同じか。


女性の一級建築士には、自己主張の強い者しかならないのではと思う。


夏原は、二人とは違うと言う営業マンもいるが、ここぞと言う時の主張の強さは、夏原も二人に引けを取らない。

普段が穏やかだから、余計に驚かされる。


ただ、夏原の場合は主張するだけの理由があることが多い。

必要があって主張することなら、逆に主張するべき時なんだと思う。


ただ、どういう状況であろうとも、建築士先生の自己主張は、営業にとって煩わしいものには違いないのだ。


車内の時計は午後七時になろうとしている。

まだ西の空は明るい。

渋滞しているが、七時半までには会社に戻れそうだ。


「あっ、真名部がいる」

月元が窓の外を見て叫んだ。


そちらへ目をやると、流れる景色の中に、建物へ入ろうとしている真名部の姿があった。


ちょうど角を曲がるために、車の速度を落としている時だったから、入口横の銘板に記載された『岩見(いわみ)道場』の文字がハッキリと読めた。


「あいつ。残業しないで、道場に通ってたのか」

月元が憎々しげに独り言を吐いた。


「柔道なんてやってるような、体格はしてなさそうだけど」

真名部はどちらかと言うと華奢なほうだ。

不思議に思ってそう言うと、月元も頷いた。

「剣道じゃないですか?」

それなら有りそうだ。


真名部の秘密を知った月元には、今度は真名部批判のスイッチが入ってしまった。

会社へ着くまでの間、散々毒を吐かれた。


その受け答えと受け流しのために、私はどっと疲れる羽目に陥った。


〔013 へ続く〕

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