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カワセミの少女

夏休みが明けた高校の初日。休み明けの教室はどこか気だるげで、でも友人同士が出会えた喜びにあふれていた。時生との件も重なって、いつものサボタージュに使う場所を使う気になれず海里は教室の机に座って、次の劇の台本を読んでいた。賑やかな空間は逆に一人になるには最適なことを、海里は知っていた。

今回の劇のタイトルは『KINGFISCHER GIRL』。カワセミの少女を主人公として、カラスの青年との恋をメインにした群像劇だ。配役を決めるのは一週間後。何の役でもいい。とにかく経験値の欲しい海里は、劇に出演したかった。まずは物語を頭に叩き込む。そして次に主要キャラの履歴書を海里なりの解釈で作る。台詞を覚えるのはそれからだ。授業中、演劇用の創作ノートを広げて海里は役柄の理解を深めていくのだった。ノートというアナログな手法は便利なもので、はたから見れば真面目に授業に集中しているように見えるから不思議だ。

低音の唸り声のような轟音が空から聞こえてくる。海里の集中は途切れ、シャーペンを置いてふと窓の外を見た。清々しいほどの空の青を分断するように、長い飛行機雲が白々と線を引いていた。夏休みの一般開放日に会ってから、時生との連絡は断っている。母親の言った言葉を鵜吞みにするわけではないが、確かに今は距離を置いた方が互いのためだと思った。そのまま空を眺めているのもいいが授業中では目立つ姿の上、劇の役理解を深めたいので海里は再び目線をノートに落とすのだった。

昼食、海里は迷った末に屋上に向かうことにした。暗い非常階段をかつん、かつんと足音を立てながら上って行く。最上階の屋上へと続く扉には立ち入り禁止の札が掛かっているが知ったことではない。この場所はまだ時生にも教えていない秘密があった。扉のノブをある一定のリズムで揺すれば呆気なく開くのだ。早速実行に移して、海里は扉を開けることに成功した。

がちり、と重そうに鉄の扉を解放すれば目の前には広がるのは一面の青。高校は街の高台に位置し、視界を遮る高いビルは周囲に存在しない。一歩踏み出して、屋上に出るとそのやってやったぞという満足感に気分は晴れた。貯水槽の影に腰を下ろして、自作の小さなお弁当を食べる。今朝は少し早起きして自分の好きなハンバーグをミニサイズでこしらえた。それをさらに半分に箸で割って口に放り込む。好きな味付けに満足して海里は一人、頷くのだった。少食の海里は早々に食べ終えて、再び台本を手に取った。ページをめくりながら、どこまで読んだかを確認していると不意にスカートのポケットから振動が起こる。朝に担任教師に提出せずに隠し持っていた携帯電話だった。

「…。」

ぱちりと折り畳み式の携帯電話を開くと、そこにはメールの着信アリとの表示があった。メールの送信者の欄には、喜一の名前が表記される。

『一ノ瀬ちゃん、こんにちは。特に用はないけど、メールしてみました。元気?』

喜一は海里を気遣ってか、日に一度はこうしてメールをくれた。

『元気ですよ。いつもありがとうございます。』

心配を嬉しく思いながら、海里は返信用のメールを認めて送信する。ポケットにしまった携帯電話は生き物のように温かく感じられた。


時生はポートレート用の写真を求めて放課後の校内を、カメラを持って徘徊していた。

人のいない図書室。運動部の声が響くグラウンドの片隅。一人の城と化した写真部の部室。

生活空間をモチーフにしようと決めたものの、どこか決定打に欠けている。思えば、四月からのおよそ五ヵ月は常に海里の気配が隣にあった。ふう、と溜息を吐いて時生は廊下に続く窓に頬杖をついて休憩をする。空を見、そして視線を階下に泳がせた。丁度、中庭の真上で行き交う人の顔がよく観察できた。

「…海里。」

中庭で初めて接触を試みたベンチに海里が腰掛けていることに気が付いた。デジャヴのように彼女は台本を眺めている。真剣な眼差しに思わず見惚れてしまう。時が止まったような錯覚を伴って見つめていると、不意に海里が台本から顔を上げた。視線が交わるその前に時生は膝を折ってしゃがみ込み、校舎に隠れてしまう。心臓が暴れるように脈打っていた。しばらく落ち着くのを待って、再びそろそろと窓の外を見るとすでに海里の姿はなかった。少し、ほっとする。海里の姿を目では探してしまうのに、いざ目の前にすると避けてしまう。そんな挙動がここ最近続いて、メールでもご無沙汰だった。会って話したいのに何を話せばいいかがわからず、自分はこんなにも意気地なしだったのかと思う。

「帰ろう。」

何度目かになる溜息を吐き、時生は荷物をまとめて廊下を歩き始めるのだった。

帰路につき、かぜよみ荘の前に着くと海咲が階段の下段付近で座っていた。その手には一本の煙草が携えている。

「おー、時生くん。おっかえりー。」

「ただいまです、海咲さん。…喫煙するんですね。」

海咲は苦笑しながら、唇に煙草を当て吸い込む。その慣れた手つきに、喫煙歴の長さを知る。

「これねー。きーくんの悪癖が移っちゃったんだ。」

「そう言えば、上田さんが吸っている煙草と同じような匂いがします。」

喜一が時々ベランダに出て喫煙をしているのは、風の流れで階下に降りてくる煙草の匂いで知っていた。

「ごめんね。迷惑だった?」

「いえ、僕はそんなに気にしないので。」

そう言いながらも服に匂いが染みつくのは嫌で、都度、干してあった洗濯物を取り込んでいるのは内緒だ。近所づきあいは円滑に行いたい。

「嗅覚でもきーくんを覚えていたくて、煙草を分けてもらって吸い始めたの。」

「上田さん、愛されているんですね。」

優しく目を細めながら満足そうに紫煙を吐く海咲を見て、時生は感心したように言う。

「うん。超、愛してる。」

海咲は鈴を転がすような声で笑いながら答え、煙草を携帯灰皿に押し付けた。そして立ち上がると、時生にねだるように肩に手を回す。

「ねーねー、きーくんが帰ってくるまで部屋に入れてよー。」

「上田さん、いないんですか?」

うん、と頷き、海咲は暑そうに団扇のように手で扇ぐ。

「スマホで連絡したら、まだ大学のゼミにいるって。あーつーいーよー。」

「残暑厳しいですよね。部屋を片付けるので、五分待ってください。」

そう言って時生は室内に入って見られたくないものを片付け、海咲を招き入れるのだった。

「あー。文明の利器、最高ー。」

早々にクーラーをつけて涼む海咲に、時生は麦茶をコップに注いで出す。

「今更なんですけど、他の男の部屋に入って上田さんに怒られませんか。」

「平気、平気。時生くんは子分だから。」

あっけらかんと笑う海咲に時生はがくりと肩を落とした。

「…せめて弟分でお願いします。」

しばらく取り留めのない会話を交わし、時生は専門学校に提出するプリントがあるからと机に向かった。しばらく時計の秒針の音が響くような静かな時間が過ぎる。スマホを眺めていた海咲は眠気が生じたのかクッションを抱きながらウトウトとし始めた。

「ねえー…、時生くーん…。」

「はい?何です、海咲さん。」

海咲は間延びした声で、時生に言う。

「きーくんがさ…、最近、元気ないんだあ。」

「…。」

時生は机から顔を上げて、海咲を見る。海咲は瞳を伏せ、もう夢現のようだった。

「何だか、笑う顔が無理してる気がして…心配…。」

「美咲さん。それは本人に言った方がいいのでは、」

次の瞬間には、海咲は睡魔に負けて眠りに就いていた。時生はやれやれと小さな溜息を吐いて、タオルケットを海咲にかけてやった。

およそ一時間後。玄関のチャイムが鳴り、応対するとそこには喜一が立っていた。

「ごめんね、八尾くん。海咲、回収しに来たよ。」

「どうぞ。寝てますけど。」

時生が部屋の中に案内すると、喜一は海咲の肩をゆすって起こそうと試みる。

「海咲? みーさーき、起きろー。」

海咲は、うー、と子犬のように唸るが起きる気配はない。やがて喜一は観念したのか、海咲の膝裏と背中を抱えて時生の部屋を出る。まるで寝てしまった子どもを抱える父親のような力強さだった。

「八尾くん、ありがとね。」

「いえ。じゃあ、えーと。おやすみなさい。」

おやすみ、と小さな声で囁いて、二階の自分の部屋に行こうとする喜一に時生は思い出したかのように声を掛けた。

「あの。海咲さんが、何か心配してました。その、上田さんのことを。」

「心配?」

立ち止まって、喜一は時生を見る。時生は頷いた。

「最近、元気がないって。」

「そうか、海咲が…。」

そう言うと一瞬、ほんの一瞬だけ喜一は痛みを我慢しているかのように表情を歪ませて海咲を見た。が、すぐにいつもの喜一の笑顔に戻る。

「ありがとう。何でもないよ。」

「…海咲さんに言ってあげてください。」

そうするよ、と苦笑しながら、今度こそ本当に喜一は海咲を抱えて部屋に戻っていった。


雨が降ると、劇団星ノ尾の地下にある練習スタジオは湿気が酷い。今日はそんな雨が夕方からしとしとと降る、新しい劇の配役決定まであと四日という日だった。

海里は海咲と共に、役を入れ替わり立ち代わり台本の読み合わせをしていた。今は海咲がカワセミの少女を演じ、海里がカラスの青年に声をあてていた。海咲の高い女性らしい声が囀るように言葉を紡ぐ。

「…今回の海咲さん、気合が入ってますね。」

一段落を終えて、海里は海咲に話題を振る。いつになく海咲は主役の獲得に必死だった。

「うん。私、今回の劇『KINGFISCHER GIRL』のお話、大好きなんだ。」

「何か思い出があるんですか?」

海咲は愛しそうに台本のタイトルの文字を指でなぞる。

「『KINGFISCHER GIRL』はね、私ときーくんが童話学のゼミで研究している話なの。この話を劇にするって聞いたとき、本当に嬉しかった。だから今回は絶対に、主役が欲しい。」

台本を胸に抱えてぎゅっと抱きしめる海咲を見て、海里は頷く。

「そうなんですね。頑張ってください。」

海里は、応援してます、と言葉を紡ごうとして海咲に止められる。

「だめだめ!海里ちゃんも、全力で役を取りにこないといけないんだからね?」

「!」

目を丸くして、海里は海咲の想いを汲み取って微笑んだ。

「わかりました。負けませんよ。」

二人は互いの健闘を誓うように笑い合い、再び台本を開いて読み合わせをするのだった。

夜、七時の門限を前にした海里を見送った海咲は、午後九時まで自主練習をしてスタジオを出た。鍵をかけ、戸締りを確認して地上に続く階段を上る。雨は晴れていたが、熱気と相まってその分だけ湿気がすごかった。じっとり浮かぶ汗を不快に思いながら海咲は帰路に就く。河原が望める土手沿いの道を歩きながら、海咲は空を見上げていた。白い月と星々が黒く濁った雲から覗く。テレビの砂嵐を何倍にも薄めたかのような光が零れていた。

「―…、」

口から吐いたのは、『KINGFISCHER GIRL』の劇で歌われる挿入歌だ。カワセミの少女の唄は童話の全集でも何度も読み、歌詞は空で言える。メロディーをつけたらどうなるのだろうと思っていて、今回、やっとその全容を知ることが出来た。優しく鼓膜に響く子守歌のようなメロディーに海咲は、一気に気に入ってしまった。機嫌よく口ずさみながら、土手を歩き次に思うのは喜一のことだ。

童話学の授業で教授が最初に何の物語が好きかのアンケートを取った。滅多に同じものを答える人がいないと言われているアンケートで、海咲と喜一は同じ物語を選んだ。その物語こそ、『KINGFISCHER GIRL』だった。

「…私がカワセミの少女を演じることになったら、きーくんはどんな顔をするかな。」

驚いて、そして自分のことのように喜んでくれるはずだ。その様子を想像し、うふふ、と口元に手をあて海咲は微笑む。

深い水中のような蒼をメインに、泡のように白いレースがあしらわれたドレスはきっと美しいだろう。そして歩いたそばから星屑が零れるような銀色の靴を履いて、劇場を統べるのだ。衣装班から聞いた話を思い出して、海咲はうっとりとするようだった。

役も、ドレスも、そして喜一の反応も。全部を手に入れたい。

海咲は鞄から台本を取り出した。ぱらぱらとめくると、そこにはいつにない量で赤ペンの文字が書き込まれている。大丈夫、頑張れる。海咲の心は、深い海中にあり光の手の鳴る方へと向かうようだった。


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