●3 輝きを失って緊急会議。
三人称。
その夜。
リュド王太子殿下は、何事もなく、睡眠をとっていた。そう、その瞬間まで。
何かの喪失を、確かに感じて飛び起きた。
胸に手を当てて、それが何かと考え込んだが、わからない。
しばらく呆然としたリュドは、諦めて、再び寝ようとしたが、叶わなかった。
何故なら、とんでもない知らせが入ったからだ。
「王太子殿下の宝玉の輝きがっ! 失われました!!」
王族の証でもある宝玉の輝きが失われた。一大事だ。
罪でも犯してしまえば、当然の失脚だが、リュドには心当たりがない。なんせ、今まさに就寝中だったのだから。
夜警の騎士達が気付き、瞬く間に王城勤務の者が空を見上げて、言葉を失う。
一番星よりも強く輝く宝玉の一つが、確かに色褪せてしまったのだから。
どういうことだと、解明が急がれた。
もちろん、原因となる罪は犯していないと主張するリュド。力が強い故に、誰かに怪我をさせることも自制していたために、心当たりは皆無だった。
「では、『運命の番』に出会っていたのですか? かの昔、とある王弟が認めなかったせいで『運命の番』も宝玉の輝きも失った事例がありますが」
知らせで自宅から戻ってきた宰相が尋ねる。
ある王弟は『運命の番』を名乗る相手を嘘だと拒んだせいで、失った事例があった。
「『運命の番』を騙る者などいない!」
偽る者だっているわけがない。虚偽はそれこそ罪だ。
「いたら覚えて……あっ…………」
そこでようやく、先程の喪失感が過ぎる。
意識を向ければ、胸にある喪失感。
「……そんな……まさか」
いち早く憂いて、か細い悲鳴を溢す王妃。
『運命の番』を失ったということ。
『番』を失くした竜人の末路を、王妃は、この場にいる全員は、知っている。
空気は重くなった。
「いえっ……そんな……だって、なぁ……? 何かの……間違いですよ……」
ドクドクと嫌な胸の高鳴りが、喪失感の中に響くようで、リュドは胸を押さえ込んだ。
その響きが、喪失感が莫大だと思い知らせるようだった。事実だと思い知らせる喪失の大きさ。
「(知らないうちに、『運命の番』と出会っていただと?
――――しかも……オレは拒絶された?
――――『番』に……拒絶……――)」
その事実だけで、意識が遠のきそうになる。
「殿下!」
「リュド! しっかりしろ!」
宰相と父である国王に呼ばれて、ハッと我に返るリュド。
「該当する者を絞り出すために、先ずは昨日会った者を答えろ。同時に他に原因がないか、調査を行う」
厳しい声で国王は、指示を飛ばした。
慌ただしく動く周囲。
聴取を受けに行くリュドを見送った国王は、絶望的な現状に目を伏せた。
朝までリュドが前日に会った人物を聞き出しては、しらみつぶしに確認をする。
リュドの『運命の番』の可能性を。
前日、リュドは三人の令嬢と戯れた。
可能性は著しく低いが、その三人の令嬢も取り調べをした。
何が原因か定かではない以上、なんらかの間違いを願って。
例えば、その令嬢の一人が、『運命の番』で不運にも、『番認識』が出来ず、ただの恋だと勘違いしている――――とか。
しかし、リュドの呟きで、調べる前から望み薄だと思った。
「……そんなに会って、いない……」
そんなに。
つまりは、333日。
それほど会っている令嬢達ではない。
『運命の番』を見付けることを早々に諦めたリュドは、より相性のいい令嬢を吟味していたのだ。
一人、また一人と侍らせて、一線を越えないだけで、存分に戯れた。
飽きたり、相手がいやに本気になれば、ポイ。
だから、昨日の令嬢達は、最近のお気に入りにすぎないのだ。
結果、違った。
『運命の番』かどうかの問いに、戸惑いを強くして、“違う”と答えたのだ。
王城の女使用人もまた、すれ違った者を全員調べたが、恐れ多いと首を振った。
通常、『運命の番』は男女の組み合わせだ。同性の事例はない。
今回がそれなのかと疑いを向けると、頭を抱えていたリュドが、ハッと息を呑んで顔を上げた。
「……ミューラン。ミューラン・レイパードにも会った……」
蒼白な顔で、その名を絞り出す。
その場の空気が凍り付く。
ミューラン・レイパード伯爵令嬢。
リュドに、ご執心と噂の令嬢。
懲りずに、毎日リュドに会っていた令嬢。
どんなに手酷く追い払われても、次の日も会いに来る。
そんな彼女が『運命の番』なのか?
残された可能性はそれだけだ。
リュドはぐわんぐわんと意識が揺れて、身体がよろけて躓いて崩れ落ちた。
その様子を見て、可能性が高いと確信した国王は指示を下す。
ミューラン・レイパード伯爵令嬢を緊急招集せよ、と。
それが正午のこと。すぐに登城してきたミューラン・レイパード伯爵令嬢は、令嬢らしからぬ質素なワンピースドレス姿だと報告を受けて、国王は心痛に顔を伏せた。
これは可能性を否定すると言う方が難しいことになった。
「リュド。お前は自室で待機せよ」
「!! な、何故ですか! 父上! わ、私の、『番』なのかもしれないのに!!」
蒼白の顔のリュドは、すでに満身創痍状態にしか見えない。
「だからこそだ。なおのこと、事実確認をしてからがいい」
「ッ……!」
圧をかける国王は、『運命の番』だからこそ会ってはいけないと暗に伝える。
『番』を失くした者の末路は酷だ。ましてや『運命の番』を失くしたとなれば……。
最悪、もう二度と会わない方がマシかもしれない。
ミューラン・レイパード伯爵令嬢。
ドクドクと嫌な心音を響かせる胸を押さえて、リュドは彼女を思い出す。
白豹の獣人の令嬢。
出会ったのは、慣例の顔合わせの時、二年近く前だろう。
その時、彼女は何も言わなかったはずだ。自分だって、特別なものを感じたわけではない。
そのはずなのに。
それなのに。
胸が引き裂かれそうだ。
毎日のように城へ足を運び挨拶をしてきた彼女に、自分はどんな顔をした?
どんな言葉をかけた?
感覚が大きく揺らぐようだった。
ミューラン・レイパード伯爵令嬢への仕打ちを、リュドは自覚していた故に、今、呼吸もままならない状態に陥った。
事態が事態だけに、緊急のため大会議室を開けて、重鎮から学者までが立ち会う場となった。
重々しい空気の中、異質なのは場違いにも質素なワンピースドレスに身を包んだ令嬢。ミューランだ。
しかし、令嬢の身分に恥じず、背筋を伸ばして、真っすぐに前を見据える姿勢。一切の物怖じをしていない白豹の獣人だった。
同行した父親のレイパード伯爵は、青ざめている。やや視線を落として、大柄な白虎の獣人なのに、頼りなさげだ。
「レイパード伯爵令嬢。緊急の招集とはいえ、なんだその格好は? 理由を述べよ」
格式の挨拶を済ませたミューランに鋭く問い詰めたのは、潔癖症の鷲の獣人の公爵だ。
登城にも相応しくない質素なミューランのワンピースドレスに眉をひそめている。
「レイパード伯爵家から出ていこうとしていたため、この格好のままで参りました。緊急招集ですから、着替える時間も惜しいと考えてのこと。事態は一刻を争うのではないでしょうか。違うのですか」
ミューランはあくまで冷静で、しれっと言い返す。
顎を決して下げず、前を向き、毅然としていた。
家から出ていこうとした。
ミューランの格好が、間違いなく“家出”を物語っており、一同はどよめく。
視線が突き刺さるレイパード伯爵は、身を小さくした。
「招集を受けた理由に心当たりがあるのですか? レイパード伯爵令嬢」
宰相が、問う。
「はい。昨夜、『運命の番』の解消を獣神様に願った結果、ここに呼ばれたと理解しております」
臆面もなく言い切ったミューランの返答。
ざわっと津波が押し寄せるかのように動揺が広がった。
ミューラン・レイパード伯爵令嬢こそが、リュド王太子殿下の『運命の番』だった。
そして、解消を願ってしまったのだ。
レイパード伯爵は、椅子に座っているにも関わず、倒れかけた。
「なんてことを!!」
「一体自分が何をしたかわかっているのか!!」
重鎮達から、ミューランを非難する声が上がる。
「静粛に!!!」
それを止めさせたのは、国王陛下だ。
「『番』の解消の権利は、本人だけの手にある。本人の意思だ。他者が口を出せぬのは、百も承知だろう」
威厳ある声に告げられて、一同は押し黙った。
『番』の継続も解消も、他人が左右することは出来ない。本人の意思が尊重されるべきなのだ。
それは絶対的ルールでもある。
神が決めたことだ。だから『運命の番』の解消の救済処置まである。
「して……何故、そうなったか、解明したい。レイパード伯爵令嬢。そなたは、リュドを想っていたはず」
せめての悪足掻き。
解明して、たった一つでも救いの手を見付けられないかという思いで、国王は尋ねた。
「どなたでしょうか?」
ミューランは、そう質問を返した。
「何?」
「一体どこの誰が、そんなことを仰ったのですか?」
「は……?」
国王達は、理解が遅れる。
ミューランの質問の意図に。
「私が王太子殿下を恋い慕っていた事実など、最初からありません」
大半が息を呑み、またはヒュッと息を吸い込んだ。
「い、いやだが、聞いたぞ。毎日のように会っていた……と……」
誰かが反論しかけて途中で気付く。
毎日会っていた理由を。
恋しくて会っていたわけではない、と。
「私も見たことがある! どんな言葉をかけられても、次の日も殿下の元に通っていたではないか!」
気付かない誰かが、言い切った。
「私は挨拶をしただけです。『333日の救済措置』のためでもありましたが、私は挨拶以上のことをしたことがありません」
その言葉を聞いて、レイパード伯爵はガツンと頭を殴られる衝撃を受ける。
何度、ミューランから聞いただろう。
王太子殿下には、挨拶しかしていない。
そう聞いていたのに、信じなかった。
その結果がこれだ。吐きそうになって口を押さえた。
「先程、私に“何をしたかわかっているのか”と言葉を投げた方がいらっしゃいますね。
答えは――――もちろん、わかっています。
私は333回、王太子殿下と顔を合わせました。年月にすれば二年近くです。その間、毎日私は思い悩んでいました。私の選択がこれほどの混乱を招くと理解して、悩み苦しみました」
娘の言葉が重くのしかかる。レイパード伯爵は、恐る恐るミューランに目をやった。
視線が合う。ミューランの軽蔑の冷たい眼差しだ。
「家族さえも、挨拶しているだけの私が、王太子殿下に恋心を暴走させていると思い込んでいましたので、酷く孤独でした」
心臓を握り潰される苦しい思いを受けたレイパード伯爵。
知らなかった。
娘がそんなに苦しんでいるなんて。
知らなかった。それでは済まない。
娘はもう決断をした。
今が、この結果だ。
王太子殿下は『運命の番』を失い。
王家は王太子を失い。
自分は、娘を失う。
2024/02/02◇