童話のifは異世界で 5
◇
「一時間ぶりですね、ご機嫌いかがですか?」
「……あ?」
脳に風が吹き込むような感触が巡った。それは『目覚める』なんて生易しいものではなく、悪夢から無理やり引き摺りだされたような感覚だった。気分は最悪。だというのに意識はこの上なくクリアで……だからこそ、飽くことなき絶対的な飢餓感を、真正面から受け止めることを余儀なくされた。
「うぁ、ああ……」
「ご機嫌よろしくないようですね」
──何だこれ、何だこれ、何だこれ!
「なっ、んなんだよぉ……これぇっ!」
あまりに酷い苦痛に、瞭雅は絶叫しながら瀕死の虫のようにのたうち回る。これなら意識が戻らないままでいたかった。そう願っても正気を失うことはなく、飢えは瞭雅を蝕み続ける。
「どういうわけか、私たち人間がこちらの『世界』に訪れる際、何らかの特殊能力が宿るんですよ。その飢餓感は、貴方の能力の副作用ですね。貴方に宿ったのは、おそらく『すべてを喰らうモノ』──文字通り、『世界』のすべてを喰らうことができるようになります。例外なく、ね」
苦痛に打ちひしがれながらも、脳は至って鮮明で、赤ずきんの話も問題なく頭に入ってきた。
「どう、すりゃ……いいんっだ‼︎」
「空腹を満たすのに、『食べる』以外のことやりますか? そうですね……この樹なんてどうですか? なかなか立派ですし、多少はお腹に溜まると思いますよ」
赤ずきんは近場に生えてあった巨木をポンポンと叩く。
「ふっ、ざけてんのかっ‼︎」
「至って真面目ですよ。言ったでしょう、すべてを喰らうことができるって。貴方が喰らうのは、樹という物質ではなくて、樹という概念であり存在です。別に口を開けて樹に噛みつけと言っている訳ではありません。貴方はその飢えに任せてただ、目の前の樹を喰らえばいい」
──喰うのは概念であり、存在?
「ほら、お腹空いているんでしょう? 概念に美味しいも不味いもありませんよ。食欲を満たせればなんでもいいんです。少しは楽になれますよ」
──楽に……なれる?
「……さあ、召し上がれ」
一瞬意識が途切れたような感覚がしたが、瞬きはしなかったはずだ。樹から目を逸らしもしなかった。なのに、一瞬にして大木は姿を消した。根の方までゴッソリと。そして同時に、底なしに思えた空腹もいくらかマシになっていた。
「グッドボーイ。よく食べられました」
呆然としている瞭雅に向けて、拍手をおくる赤ずきん。
「これ、ホントに俺が?」
「えぇ。いい食べっぷりでしたね」
信じられない。散々おかしなことに巻き込まれていたが、まさか自分もそっち側になるなんて。
「てか、なんでこんな荒れてんだ⁉︎」
今まで余裕がなかったから気づかなかったが、周囲を見渡してみると凄惨な光景が広がっていた。あっちこっちに倒木が転がっている。辛うじて立っているものも、黒焦げになっていたり、何か鋭利なもので引っかかれた痕があったりと、一戦でも交えたのかと思うほどの荒れようだ。
「貴方のやんちゃのせいですよ」
「俺ぇ?」
疑いの目を向ける瞭雅に、赤ずきんは人差し指で二度首元を突ついてみせた。そこに何かあるのかと自分の首を触ってみると、何やら硬いものが。大半が革でできていて、所々は金属製。首の周りを囲うような形をしていて、小さな穴が規則的に空いているようだ。
そして、喉仏あたりに位置するところから赤い鎖が生えていて──その先は赤ずきんの手元に繋がれていた。首元にあるが故に全貌は見えないが、何がつけられているかは明らかだった。
「何なんだよ、この首輪!」
「お気づきでないかもしれませんが、尻尾と耳もありますよ」
「はぁ⁉︎」
まさかと思いつつも、恐る恐る頭と尻に手を伸ばす。
──もふっ
もふもふもふもふ……
「お似合いですね、オオカミくん?」
「ハハッ……」
もうどうしようもなくて、瞭雅は乾いた笑みを漏らした。
「マジでどうなってんだよコレ」
「貴方の能力の副産物でしょうね。五感を含めた身体能力や治癒能力も、大幅に上がっているはずです。耳や尻尾は一時的なもので、しばらくしたら引っ込むと思いますよ」
「へぇ……」
自分のことについて話されているはずなのに、あまりの現実味のなさにまるで他人事のようかに思えた。というか、指摘されるまで気づきもしないほどに身体に馴染んでいるのだ。
「目の色も変わってますよ。狼の眼──見事な金色ですね」
「……」
「今ちょっとカッコいいとか思いました?」
「うるせぇ!」
勢いよく誤魔化す瞭雅を、揶揄するように赤ずきんは笑った。
「で、結局この首輪はなんだよ」
「貴方の理性を繋ぐ首輪です。それに繋がれてる限り、暴走する心配はありません。また暴れ回れたら困るので、外さないでください。鎖は消せますし、ね?」
赤ずきんがひとつ指を鳴らすと、赤い鎖は忽然と姿を消した。これなら、チョーカーに見えるだろうか。触ってみた感じはザ・首輪って形だったが……。
「……ったく、わーったよ」
渋ってみせたが、もとより外すつもりはなかった。首輪なしにあの飢えに再び襲われたら、またこの惨状をつくり出してしまうだろう。街中なんかで暴走したらと思うとゾッとする。フィクション故、厳密には同じ人ではないとはわかっていても、共喰いはさすがにゴメンだ。
「物分かりのいい助手は好きですよ。さっ、拠点へ向かいましょうか。調査は明日から始めましょう」
赤ずきんは瞭雅の返答に満足げな顔をして立ち上がった。この後拠点とやらに行って、一晩休んだら調査が始まる。実感は未だわかないし、赤ずきんもだいぶゆるい感じだから忘れてしまうが、これからする調査には帰れるかどうかが賭かっているんだ。気を引き締めなければならない。
「なあ、調査って具体的に何すんだ?」
「明日はそうですね……午前中はスノウに会ってみましょうか。彼女、結構怪しいんですよね。この『世界』には魔術と呪術があるんですが、不死になれたりするほど何でもありなものではないはずなんですよ。何か裏がありそうです」
まるで白雪姫が悪事でも働いているような言い方に疑問を抱く。主人公がそんなことをするだろうか。そう首を傾げていると、赤ずきんの説明を思い出した。
「……あっ、そうか! 原作とは違う結末になるから、白雪姫が悪役の可能性もあるのか」
「よく気づきましたね」
「それで、いきなり会ってどうすんだ? ……まさか拷問して全部吐かせようとも?」
だいぶ飛躍した考えだと自覚しているが、赤ずきんならやりかねない。容赦なく白雪姫を撃ち抜いたし、なんてったって相手はいくら傷つけても治る不死身なのだから。
「いえいえ、私がそんな酷いことをするような女の子に見えますか?」
うん、スッゲェ見える、という言葉はグッと飲み込む。
「じゃあどうすんだよ」
瞭雅の問いに、赤ずきんは口元に微笑を漂わし──否、戯笑で歪めた。言葉では否定したがもうわかる。これは何か、えげつないことでも企んでいる時の笑みだ。
「会って────殺しに行きましょうか」