童話のifは異世界で 4
「これでやることは終わりか?」
「いえ? むしろこれからが本番ですよ」
「本番?」
困惑している瞭雅を他所に、赤ずきんは大きな樹の幹を背に腰掛けた。その隣をぽんぽんと叩くので、瞭雅はそれに応じて座る。
「暗くなるから拠点に行くんじゃなかったのかよ」
「外じゃなきゃいけないことをしましょう」
「いけないこと?」
「オオカミくんに今から三つ、質問をしたいと思います」
「……それ、外でやらなきゃいけないことか?」
「えぇ、危ないですので」
質問をするだけなのに危険が伴うなんて、一体どんな内容を訊いてくるつもりなのだろうか。
「オオカミくんって……」
そこまで言って、赤ずきんはぐっと顔を瞭雅に寄せてきた。思わず瞭雅は仰け反ったが、それでも赤ずきんの顔は近く、ほのかに良い香りが漂ってくる。鼻腔が刺激され、瞭雅はなんとも言えない気分になるが、赤ずきんは気にも止めぬ様子で質問を続けた。
「もしかして、リョナラーだったりします?」
「……はい?」
危険だと聞いてそれなりに覚悟はしていたが、実際訊かれたのは瞭雅の趣味嗜好のこと。しかも、よりによってリョナラーかどうか。あまりの突拍子のなさに面食らう。
「何を、どうして、どんな根拠から導き出したか知らんが、俺には断じてそういう趣味はない。てか、俺グロ系無理だし……」
過去一度だけ見たことのあるスプラッター映画を思い出した。三十分もせず気分が悪くなって視聴を断念した記憶がある。それから瞭雅はグロ系は無理だと自覚していた……はずだったが、ここで初めて大きな違和感を覚えた。
「あれあれあれ? おかしいですねぇ……死体を目にしても動じなかった貴方の『無理』は、一体どれほどハイレベルなのでしょうか」
「あ、あれはローブで傷口とか見えなかったし……」
「でも、人が目の前で死んだんですよ? 血はたくさん出ていましたよ? 貴方ならここからでも、かすかな鉄の匂いも感じたはずです。ここはフィクションですが、今の私たちにとっては紛れもないリアル。たとえ映画などで耐性がある人でも、現実で死を目の当たりにしたら多かれ少なかれ動揺するでしょう。耐性のない高校生なら、言うまでもありません。大丈夫だった理由、ご自分でもわからないのでしょう?」
図星を言い当てられ押し黙る。あの時の瞭雅には自分の悪癖への嫌悪感ぐらいしか思考になかったが、確かにそれではおかしい。あれは死体への、人が死んだことへの忌避感をある程度抑圧することはできるが、綺麗さっぱり消してくれるほど便利なものではないのだ。
じゃあ、死体を見て動じなかったのは、人が目の前で殺されて何とも思わなかったのは何故だ?
《《自分でもわからない》》。否定できなくなった瞭雅を見て、赤ずきんは愉しげに笑った。
「じゃあ次。私のことはどう思っていますか?」
「なっ、なんだよ! その質問‼︎」
さらに距離を詰めてくる赤ずきん。それを避けるために瞭雅も仰け反ったが、身体が後ろに寄りすぎた重心に耐えられず、瞭雅の背は地についた。目の前に整った赤ずきんの顔がある。押し倒される体勢になり、瞭雅は自身の顔が熱くなっていくのを感じた。赤ずきんの良い匂いがぶわっと広がり、何故か喉が無性に渇きを訴えてくる。
「ねぇ、どう思ってるんですか? 可愛いですか? 好きですか?」
「変なやつとしか思ってねぇよ!! 離れろよ!」
このまま匂いを嗅いでいると変な気を起こしそうになるので、必死に赤ずきんの肩を押し返そうとするが、上手く力が入らない。
「ふーん」
疑うような目をしながら赤ずきんは瞭雅に預けていた体重を起こした。お陰で匂いは薄くなったが、顔の火照りと喉の渇きは解決してくれないようだ。
「いきなりなんなんだよ! 終わったなら早く行こうぜ。喉渇いたし腹減った! 肉だ、肉が食いたい」
宣言通りに瞭雅の腹が大きく鳴った。それを聞かれた気恥ずかしさと、顔の赤みを隠すように勢いよく立ち上がる。だが、まだ座っている赤ずきんに下から袖をそっと引かれた。
「待ってください。まだ最後の質問が残ってますよ。……あの猟師のこと、貴方はどう思いましたか?」
また意図の掴めない問いに瞭雅はうんざりしながらも、今に始まった事ではない。早々に諦めて、瞭雅は先程の獲物を思い浮かべた。
──どうって、そりゃあ……
「美味そうだったよ」
──は?
口をついて出た言葉が自分のものだと信じれなくて、瞭雅は左手で口を覆った。既に音になって霧散した言葉は当然そこにはなく、あったのは空腹の証だけだった。
──腹が減った。
自分の身体に何が起こったのか未だに理解が出来ない。ただおかしくなってしまったことだけはわかる。そして、その原因も大方見当はついていた。瞭雅は赤ずきんを睨みつける。
「お前……あの薬!」
言葉を発するために口を開ける度、漏れ出た唾液がダラダラと地面に染みを残した。少し距離を取ってるにも関わらず、赤ずきんのクラクラするほど美味そうな匂いが、鼻にずっと纏う。明らかに様子がおかしい瞭雅を前にしても、赤ずきんはいつもと何ら変わらない様子で、クスクスと面白おかしそうに笑っていた。
「惚れ薬ですよ、狼くん。私を食べちゃいたいぐらいメロメロになってしまう薬です。どうですか? 私、美味しそうですか?」
こんな状況下でもタチの悪い冗談を飛ばす赤ずきんに、我慢のならない怒りを覚えた。
──腹が減った。腹が減った。腹が減った。
「ああ、ホントに食ってやりたいほど美味そうだよ! ふざけてんのか‼︎」
──腹が減った、腹が減った、腹が減った、腹が減った、腹が減った。
「ふざけてませんよ。貴方のため、そして私のためです。助手がいつ暴走するかもわからない猛獣だなんて知られたら、雇い主である私の沽券に関わりますからね。貴方のその『狼』には、ちゃんと首輪をつけてあげないと」
──腹が減った腹が減った腹が減った腹が減った腹が減った腹が減った腹が減った腹が減った腹が減った腹が減った。
「い、みっ……わかん、ね」
──腹が減った腹が減った腹が減った腹が減った腹が減った腹が減った腹が減った腹が減った腹が減った腹が減った腹が減った腹が減った腹が減った腹が減った腹が減った腹が減った腹が減った腹が減った腹が減った腹が減った。
「わからなくて結構。貴方に必要なのは、理解ではなく覚悟です。次に目覚めたときに襲い掛かるであろう底なしの飢餓感に、理性のあるまま耐え抜く覚悟。それだけあればいい」
──どうしようもなく、腹が減った。
「さあ、始めましょうか──狼くん狼くん、どうしてあなたのお口はそんなに大きいの?」
──なら、すべて喰らってしまえ。
「おま、え……」
「私を喰うため? でも残念、貴方の相手は私じゃありませんよ」
思考が『食欲』で埋め尽くされ、言語がもはや音としか認識できなくなった最中、背後から音がした気がした。
「ねぇ、しら────」