結婚の打診
王都にある児童養護施設には五十人ほどの子供達が暮らしている。平和になったとはいえ、親を事故や病気で亡くしたり、色々な事情で捨てられたりする子供は後を絶たない。エドワードが即位してから出来たこの施設は、以前はナタリーの管轄であったがアリスが成人後はアリスの公務となった。
月に一度、アリスはこの施設を訪れていた。子供達も彼女が来る日は楽しみで、いつも施設の前で待っている。馬車から降りたアリスは子供達に笑顔を向けながら施設へと向かう。スカーレットも馬を木に繋いでから、皆の後ろをついていく。
施設の中にある広間でアリスは子供達と会話を楽しむ。生活に困った事がないか確認をするのだ。一般家庭よりも児童養護施設の方が裕福な暮らしになっては、わざと捨てる親が出てくる可能性もある為、決して豊かな暮らしではない。それでも生きるのが辛いと思わないよう調整をする為に、アリスは定期的に通って様子を確認していた。そしてここを訪れる時のアリスは王女とは思えない質素な格好をしている。王女という立場を隠してはいないが、なるべく距離を縮めたいという彼女の意思だ。アリスが子供達と楽しく会話しているのをスカーレットはただ見守っていた。
何事もなくアリス達は訪問を終えてレヴィ王宮へと戻ると、アビゲイルが馬車止めで待機していた。普段なら部屋で待っている侍女に違和感を覚えたスカーレットは、すぐに馬を降りるとアビゲイルに近付いた。
「何かあった?」
「陛下からの呼び出しが」
スカーレットは驚きながら、馬を厩舎に預けた。そして馬車から降りてくるアリスに手を差し伸べる。アリスも降りた先にアビゲイルを見つけて首を傾げた。
「おかえりなさいませ。陛下から第三広間へ、と承っております」
レヴィ王宮では本日議会が開かれている。その会場が第三広間だ。
「流石にこの格好では行けないわ。着替え次第行くと伝えて頂戴」
「畏まりました。伝言後お部屋に向かいます」
アビゲイルは一礼すると王宮へと入っていった。アリスとスカーレットも、アリスの私室へと急ぐ。
「どうして父が呼び出すのよ。あの人、おかしいのではなくて?」
昨日男性達が集まって、リチャードが王太子のままという話になったと近衛兵の間で報告があった。その為、スカーレットはアリスの王位継承権問題はなくなったのだと思っていた。一方アリスもその報告をエドガーから聞いていたのだ。
「陛下は我々の想像を超える方ですから」
「最近平和で暇だから、と思っていそうで嫌だわ」
アリスは着ていた服を素早く脱ぐ。スカーレットは衣裳部屋でどれを選ぶべきか迷った。彼女は侍女も兼業しているが、衣装選択は基本アビゲイルの仕事であり、スカーレットにはどれが相応しいのかわからないのだ。
「レティ、何をしているのよ」
下着姿になったアリスはやや苛立ちながら衣裳部屋に入ってきた。スカーレットは困った表情を浮かべる。
「どれになさいますか?」
「本当にレティは侍女に向いていないわね」
「紅茶は淹れられます」
スカーレットの言葉を無視してアリスはひとつのワンピースを手に取った。
「ドレスを着る時間が惜しいからこれで行くわ。宝石箱を全部出して頂戴」
アリスはそう言うと衣裳部屋から出ていく。王女は基本的に着替えさせてもらうものだが、彼女は一人で着られるものなら誰の手も借りない。スカーレットは衣裳部屋の奥にある宝石箱を複数載せてあるカートをアリスの部屋へと移動させる。そうしているうちにアビゲイルが戻ってきた。
「ワンピースで行かれるのですか?」
「ドレスなんて面倒よ。そもそも議会に急に呼び出す父が悪いわ」
「確かにそうですね。施設に行く日だと陛下はご存じだったはずですから」
アリスの日程は彼女専属の女官が決めている。女官はエドワードに報告しているわけではないのだが、何故か情報は筒抜けだ。彼女は父親の行動が信じられないが、手の打ちようがなく諦めるしかない。
アリスは話しながらワンピースに着替える。アビゲイルも話しながらスカーレットが運んできた箱から着替えたワンピースに似合う宝飾品を選ぶ。アリスが鏡台の前に腰掛けると、アビゲイルは手際よく化粧を直し、髪を整え、宝飾品を着けていく。この間、スカーレットはただ見守るしか出来ない。
「レティ。父が呼び出した理由は何だと思う?」
アビゲイルに準備を任せているアリスがスカーレットに問う。
「貴族達の前でアリス殿下の意思確認をされるのではないかと」
「リチャードが王太子だと私も受け入れたと報告をする為?」
「いえ、多分違うと思います」
スカーレットは二人を見守りながら必死に考えていた。彼女にはエドワードの思考などわからない。目の前だけでなく少し先までも見て、いくつもの可能性を考えて行動をする。そのような性格のエドワードにとって、アリスの発言は想定内だっただろう。しかしスカーレットはエドワードもリチャードが王太子だと決めていると感じていた。もしアリスを王位に据えたいのならば、数年前に行動しているはずだ。
「案外アリス殿下の言葉が当たっているのではないでしょうか」
スカーレットの言葉にアリスは嫌そうな顔をし、アビゲイルは首を傾げた。アリスは小さく息を吐くと鏡越しのアビゲイルに視線を向ける。
「父が暇そうだと言ったの」
「あぁ、あり得ますね」
アビゲイルは手を動かしながら答える。レヴィ王国の歴史は平和な時代が少ない。しかしエドワードの治世上、大きな問題はなかった。戦争もなく、自然災害も最小限で、国力は上がるばかり。昔は貴族達も各派閥に分かれて対立していたものだが、今はそれさえもない。勿論、気が合わない者同士のいがみ合いはあるが。
「陛下は帝国時代のシェッド問題を、とても楽しそうに考えておられたと父から聞いた事があります」
「ノルの話なら間違いないわね。父は母の故郷に何をしているのよ」
「王妃殿下は母国よりもレヴィを重んじておられますから」
「そうね。詳しく聞いた事はないけれど、いい思い出がないみたい」
アビゲイルが鏡を持ち、アリスの後姿を映す。それを見てアリスは頷くと立ち上がった。
「行くわよ。父の期待を裏切ってやるわ」
「行ってらっしゃいませ」
アビゲイルは笑顔で扉を開けた。アリスとスカーレットは無言のまま第三広間へと向かう。第三広間の扉前には近衛兵が両脇に控えていた。アリスの姿を確認し、一人が扉を叩く。
「レティはここで待機するように」
もう一人の近衛兵にそう言われスカーレットは頷く。その間に確認を取った近衛兵によって扉が開かれた。部屋の中の視線が一斉にアリスに集まる。
「あぁ、呼び出して悪かった。こちらへ」
エドワードは全く悪そうに思っていない笑顔でアリスに声を掛ける。大広間なのに良く通る声だと、アリスは呆れながらエドワードの傍まで歩いてく。
「一体何用でございましょうか」
「ここにいる皆が、アリスの気持ちを知りたいと言い出したから」
エドワードは笑顔のまま机を囲んでいる者達を見回す。定例会議なので国王と王太子、其々の側近以外にも宰相と各大臣、それとジョージが参加していた。そして大臣達がどこかそわそわしているようにアリスには感じられた。
「いい歳をして結婚をしないのか、という話なら遠慮したいわ」
アリスはエドワードに勧められて椅子に腰掛けた。そして大臣達を順に見回していく。彼女は福祉関係の公務をしているが、公務上大臣との接点はない。福祉関係の仕事はエドワードの側近フリードリヒの管轄だからである。勿論舞踏会で顔を会わせた事はあり、彼女は全員を把握していた。しかし大臣の誰も発言をしようとしない。
「あら、本当に私の結婚の話だったのかしら」
アリスはそんなはずはないと思いながら、それを顔に出さずに微笑む。父親に似て目が笑っていない笑顔は怖い。
「いや、リチャードの結婚についてだ」
全員が黙ってしまった所で声を発したのはジョージだった。彼は早く会議を終わらせたかっただけだが、大臣達は彼に心の中で感謝する。
「それはおめでたい話ね。私より先に結婚したとしても文句は言わないわ」
「相手はローレンツ公国。娘を嫁がせるか、婿として来てもらうか、どちらでも構わないという話だ」
ジョージの言葉をアリスは笑顔で受け止めるが、悪態を吐きたい気分だった。ローレンツ公国は先代王妃の出身国ではあるが、エドワードの生母ではないのでリチャードと血縁関係はない。そしてローレンツ公国の雲行きが怪しいという話を彼女は耳に挟んでいた。
「相変わらず随分と上から目線ね。ローレンツ公国と関わるくらいならメイネス王国にした方がましよ」
「丁度メイネス王国からも打診が来ている。こちらは娘を嫁がせたいだが」
「そのどちらかを王太子妃として迎えるのに私が邪魔、そういう事かしら」
アリスは冷めた視線で全員を見回す。彼女はすぐ降嫁をしてもいいとは思っているが、正直どちらの娘もリチャードの妻として相応しいとは思えない。そもそもリチャードが相手を自由に選べるという話は貴族なら誰も知っている。ここにいる大臣の娘達は全員リチャードの相手になり得なかったのだが。
「リチャードが会わずに決められないというので、一度こちらに来てもらう話になった。その世話を頼みたい」
笑顔のままでやり取りを聞いていたエドワードが発する。アリスは横に腰掛けている父に、ゆっくりと首を回した。
「何故私が」
「将来レヴィ王妃になれるか見極める適任者が他に見当たらなかった」
意見を聞きたかったのはこれかと、やっとアリスは理解をした。確かに王位継承権を要求した姉に王太子妃を選べとはおかしい。しかしアリスが認めた女性が王太子妃になるのなら、リチャードが王太子のままでもいいという所だろう。結局ここにいる誰も女性が国王になるのを望んでいないのだろうと思うと彼女は少し悔しかった。
「二人とも不適合と思った場合は、どうされるのでしょうか」
「その場合はアリスが王位に就けばいいのではないか」
あまりにも軽く発せられた言葉に、その場にいた全員の視線がエドワードに向けられる。しかし彼はそれをものともしない。
「どうだ、アリス。悪くない話だろう?」
エドワードは笑顔だ。アリスは父の笑顔が憎かったが、この場で親子喧嘩をする気にはならない。
「かしこまりました。お受け致します」
アリスは笑顔で答えた。エドワードも満足そうに頷く。彼女は自分の事なのに一言も発しないリチャードに落胆をしながら、第三広間を辞した。