告白
グレンは仕事を終えて王宮内を歩いていた。他の側近二人と違い、彼は馬車を使わずに乗馬で通っている。理由はスカーレットが乗馬を嗜むからだ。彼女は横乗りも出来るが、軍服を着ている時は男性同様に跨り、アリスが外出する際には馬車と並走している。婚約者が乗れるのに自分が乗れないのが嫌で必死に練習した。それと馬を預けるのが赤鷲隊厩舎なので、帰りがけに彼女に会う可能性が増えるのだ。ちなみに赤鷲隊隊員でもない彼が赤鷲隊厩舎に馬を預けるのは、彼の父カイルがかつて赤鷲隊副隊長を務めていた縁である。
レヴィ王宮にはジョージが借り上げた一角がある。ここは彼と彼の家族及び使用人しか通行が許されていない。しかしグレンの母エミリーはジョージの妻ライラの侍女として今もここに暮らしている。グレンも六歳までは母と共に暮らしていたので、今は王都にあるハリスン家別邸に暮らしていても誰も通行を咎めない。
その一角でスカーレットの姿が見えず、グレンはため息を殺して廊下を歩く。突き当りの扉を開ければ赤鷲隊厩舎まですぐだ。彼女の仕事は終わる時間が一定でない。元々アリスとは仲が良いので、公的な時間が終わった後に私的な時間として夕食を共にする時もある。婚約者とはいえ結婚を保留にされている状態なので、彼は彼女と二人で会う約束を取り付けられないでいた。
グレンが開けようとする前に扉が開いた。そこにはスカーレットがいて、驚いたように目を丸くする。彼は諦めていたのに会えた喜びで表情を緩めた。
「お疲れ様」
「お疲れ様」
「少し話せないかな」
挨拶だけでそのまま部屋に戻りそうなスカーレットにグレンは声を掛けた。彼女は少し迷った後無言で頷く。
「外のベンチにしようか」
グレンはそう言いながら扉を開けた。いくら婚約者でも未婚の男女が部屋に二人きりは褒められる事ではない。そもそもグレンはスカーレットの部屋に一度も誘われていなかった。
二人はそのまま無言でベンチまで歩いていった。王宮と赤鷲隊兵舎の間にあるその場所は人通りが少ない。空は徐々に群青に染まり始めているが、まだ明るさはある。二人はそのベンチに横並びで腰掛けた。
「アリス殿下の発言だけど、本気ではないよね?」
「近衛兵は情報を一切漏らしてはいけないの」
グレンの問いにスカーレットは淡々と答えた。実際近衛兵は任務で得た情報を近衛兵以外の者に話してはいけない決まりがある。国王及び王太子の唯一の軍事力であるこの組織は、元々他の人間を信じず独自に動く。他者に協力を求めない、とても閉鎖的な組織だ。
「従姉妹としての意見は?」
「それも答えられない。アリスの人生はアリスのもので、私は関与出来ないから」
アリスが幼い頃からエドガーと仲がいいと、近くで見ていたスカーレットは知っている。エドガーから聞くリチャードの様子に不安を覚えたアリスが、公務をすると言い出したのは成人した十五歳の時。元々アリスはリチャードと大差のない教育を受けていた。娘の可能性を広げる為にエドワードが指示した事だ。これはアリスだけではなく、エドワードは子供六人に対して教育環境を平等に整えた。ただし嫌だと言えば無理強いはしていない。その為第二王子ウォルターは勉強を適当に切り上げて赤鷲隊へと入隊し、ジョージの元で日々軍人としての腕を磨いている。
「アリス殿下を国王にするのは難しいと思う」
「前例がなくて誰もわからないだけよ」
アリスの本意をスカーレットは口にしない。それがたとえ誰であったとしても。彼女は近衛兵という仕事に誇りを持っていた。
「もしもアリス殿下が陛下になられた場合、レティは近衛兵として一生側に仕えるつもり?」
グレンは真剣な眼差しをスカーレットに向けた。彼はアリスが国王になれるとは思っていない。リチャードの側近になって三年だが、幼い頃から知っている仲。リチャードなりに王太子として努力している姿を見てきた。近くにいない貴族達からの評判は確かに良くない。それはエドワードと比べてしまうからで、リチャードだけを見れば問題はないはずだ。しかしそれはスカーレットが言ったように、国王として前例のない優しい性格だからである。前例のない性格と性別。どちらを皆が選ぶのか、グレンにはわからない。
一方スカーレットはグレンの質問にすぐに答えられないでいた。彼女はアリスが国王になる気がないと知っている。だからアリスが即位した場合など考えていなかった。だが、ここで考えていないと言うわけにはいかない。
「グレンと結婚をしたら続けられないわ」
「私はレティが望むのなら止めない。伯父を説得出来るかはわからないけれど」
伯父と聞いてスカーレットの脳裏にウォーレンが浮かぶ。両親は彼女が剣を振りたいと言った時、受け入れてくれた。しかしウォーレンは常に煩かった。綺麗な肌を日に焼くな、傷を作るな、不要な筋肉をつけるな。何故婚約者の伯父からそのような文句を言われなければならないのかと思うが、ハリスン公爵家当主であるし、そもそも一般人と違う感性で生きている人なので彼女は聞き流していた。だが嫁いだら聞き流せないだろう。
「あの人を説得するのは難しいと思う」
「私はレティが好きだ」
突然の告白にスカーレットは驚きを隠せない。しかしグレンの表情は真剣だった。決して冗談に出来る雰囲気はない。彼女は初めての告白にどう対応していいのかわからず無言でいると、彼は困ったように笑った。
「ごめん。困らせるとわかっていて黙っていたけれど、どうしても伝えておきたくて。私はレティが望む道を歩いて欲しい。ただ、レティの横に私以外の男性が立つのは嫌だ。公爵夫人の肩書が嫌なら、次期公爵の権利は弟に譲る」
「グレン」
スカーレットは窘めるような声色で婚約者の名を呼んだ。いくら人気がない場所とはいえ、言葉にしていいものではない。しかしグレンはまっすぐに彼女を見つめている。
「私は親に決められたからではなく、心からレティと結婚したい。レティを好きだからこそ、私を異性として意識していないのもわかる。だから三年の猶予も受け入れた」
グレンも親が決めた婚約者という立場に甘んじていたわけではない。彼なりにスカーレットと仲良くなろうとした。しかし舞踏会に誘っても参加してくれない。贈り物をしても反応が薄い。彼にとって彼女が誰も異性として意識していない事が唯一の救いだ。
「どうして急に」
「アリス殿下が即位された場合を考えた。色々な事が大きく変わるだろう。しかし私の気持ちは変わらないと、それだけは伝えなくてはと思った」
グレンはリチャードの気持ちに気付いている。ただ本人が隠しているので彼も黙っているだけだ。そもそもスカーレットは絶対に王太子妃という立場を断るだろう。だがリチャードが王太子でなくなった場合、公爵になるのが順当だ。そうなると立ち位置が同じになってしまう。従兄妹という問題があるにせよ、推奨されていないだけで禁止はされていないのだ。
スカーレットは戸惑いを隠せなかった。グレンはいつも優しく接してくれる。彼女にとっては兄のような存在だった。だが目の前にいる彼はどこか異性を感じたのだ。
グレンは戸惑っているスカーレットを見て内心困りながら、それでも彼女の手を取った。彼女は慌てて手を引こうとしたが、彼はそれを強く引き留める。
「レティ。今度の舞踏会用の宝飾品を贈らせて貰えないだろうか」
「わ、私は近衛兵としてしか出席しないから」
「それなら仕事に邪魔にならなさそうな耳飾りを贈るよ」
グレンの笑顔はスカーレットが今まで見た事もないような優しさに満ちていた。彼女は何故急に彼がこのように言い出したのかわからず、無言のまま彼を見つめていた。彼は更に目を細めてから彼女の手を膝の上に戻すと立ち上がる。
「そろそろ帰るよ。またね」
「えぇ、気を付けて」
空は闇に包まれかけていた。スカーレットは今話をしていたのはグレンだろうかと、彼の背中が見えなくなってもベンチから立ち上がれずにいた。