充実の日
レヴィ王国とローレンツ公国は前レヴィ王妃がローレンツ公国出身という関係であるにもかかわらず、付き合いは深くない。前王妃ツェツィーリアが現国王エドワードの実母ではないというのも大きいが、そもそもツェツィーリアが王妃だった頃から大した関係はなかったのだ。政略結婚とはいえ王宮内の派閥争いの結果であり、前国王ウィリアムは結婚相手三人の実家を特別贔屓はしなかった。結婚相手の実家が我が物顔で政治に口を挟むと碌な事にならない。それをわかっているエドワードも、どれほどナタリーを愛していても彼女の母国に対しては国同士の付き合い以上の贔屓はしなかった。そしてレヴィ王国は国王の力が強く、たとえ王妃といえども実家に支援をと願っても聞いて貰える可能性は低いのだ。実際、ツェツィーリアが王妃時代にローレンツ公国から彼女へ食糧等の支援要請があったのか、エドワードは知らない。そもそもエドワードが王位を継いで長く、その間は届いていなかった。だが、何も連絡がないから安心というわけでもなく、エドワードは常に動向を探っていた。
緊急議会が開かれ、リチャードはローレンツ公国にどう対応するべきか提案をする。議会に集まった人々はローレンツ公国に詳しくない者も多く、先日の襲撃事件が何故起きたのかさえわからない。その辺りからリチャードは淡々と説明をしていった。
そしてリチャードの提案は通り、第二王子ウォルターはその決定事項を伝える為にローレンツ公国との国境にある青鷲隊の砦へと向かう。一方、アレクサンダーは山脈を越えてシェッド連邦の中央へと向かって行った。ちなみに山脈越えでシェッドへ向かう場合も保存食を持ち込むしかない。山の中は当然、シェッド中央にある女神マリーの都へ到達するまでは食事が期待出来ないのだ。
アリスは馬車で児童養護施設へと向かっていた。いつもならスカーレットは乗馬で馬車を守るのだが、大事を取って今日は馬車に同乗している。それでも軍服を着て、腰に剣を下げていた。
「アレックスは今頃山脈を越えているかしら」
本来ならアレクサンダーの仕事をアリスは知らない。しかし今回は行き先がシェッド連邦の中央だった為、アナスタシアに手紙があれば渡すようにとエドワードから言われたのだ。
「食事が辛いから急ぐと言っていたわよ」
シェッド連邦も立て直してきているとはいえ、レヴィ王国程裕福ではない。また、一神教であるルジョン教の国だからこそ、その宗教に属していない人間には冷たい部分がある。アレクサンダーは色々と器用にこなすが、ルジョン教徒になりすますのは難しいと諦めていた。簡単に偽れる気がしなかったのだろう。嘘が露見するかもしれない危険を冒すよりは、最初からレヴィ人なので違うという体の方が楽だという判断だ。
「そうね、乾燥苺を渡したら喜んでいたわよ」
「そうなの? グレンも魚の塩漬けを渡したと言っていたわ」
ローレンツ公国へ潜入するよりはシェッド連邦へ行く方が楽ではある。だが今回エドワードから指定されたのが山脈越えだった故に、難易度が高くなってしまった。レヴィ国内は馬で駆ければ問題なく、宿も食堂も充実している。しかし国境を越えてシェッド中央までは徒歩になる。連邦内ならば辻馬車もあるだろうが、基本的に連邦内はルジョン教徒である事が大前提なので使いにくいのだ。
「私にも声を掛けてくれたら干し葡萄をあげたのに」
「大丈夫、私の所から持っていったよ」
話を聞いていたグレースがそう言うと、スカーレットが答える。今回のアレクサンダーの行動は別段隠されていない。シェッド皇妃アナスタシアに手紙を届けに行く、からである。本来なら使節の者が馬車で運べばいいのだが、急ぎであった事と、アナスタシアから公国語をわかる者がいたら紹介して欲しいという要請が元々あった為に、アレクサンダーの任務となった。勿論、公国語をわかる者の部分は一部しか知らない情報だ。表向きではリチャードが提案したので、その近衛兵が手紙を持って行くのだろうくらいに思われている。
「ところでヨランダがいなくてもいいの?」
「仕方がないわよ。体調不良なのだから」
ヨランダは熱を出して寝込んでいた。児童養護施設の訪問日を変える事は難しくないが、公務内容はヨランダに伝わっただろうと判断をしたアリスは、自分が時間を持て余していたので日程を変えずに決行したのだ。
「睡眠時間を削って色々と勉強をしたみたい。無茶はしないようにグレースからも言っておいて」
「わかったわ。この後でヨランダの所へ寄ってみる」
そう話していると馬車が停まった。完全に停止したのを確認して、スカーレットは馬車から降りる。そしてアリスとグレースに手を差し伸べて二人を下ろした。
「きしさまだ」
「騎士さまー!」
普段なら聞こえない声にスカーレットは戸惑った。グレースはこの前話した通りでしょと言わんばかりの表情だ。アリスもにこやかにしている。
「騎士さま、王女さまを守ってくれてありがとう」
目をきらきらと輝かせた少女にそう言われ、スカーレットはどう対応すればいいのかわからない。それでも対応しないのは良くないだろうと微笑みを返す。その姿に子供達はきゃあきゃあと騒ぐ。施設の職員は何とか宥めようとしているが、子供達はなかなか静かにならない。
「ぼくに剣を教えて、騎士さま。今度はぼくが王女さまを守るんだ!」
棒を持った少年がスカーレットに話しかけた。それを聞いたアリスはしゃがんで少年と視線を合わせて微笑む。
「気持ちは嬉しいけれど私はもう少しで王女ではなくなるのよ」
「王女さまが王女さまでなくなるの?」
少年は不思議そうな表情を向けている。降嫁を知っている歳ではなく、その仕組みを説明しても理解しそうな感じもしない。アリスは微笑み続ける。
「そうなの。だからレヴィ王国の皆を守る騎士になるのなら応援をするわ」
「うん、騎士さまみたいに悪者をやっつける!」
アリスを襲った男を悪者と断定するのは難しい。しかし子供にそれを説くのはより難しい。
「そうね。やりたい事を見つけたのはいいと思うわ。彼女に基礎を教えて貰うといいわよ」
アリスの提案にスカーレットは驚きを隠せない。アリスはスカーレットに笑顔を向ける。
「いいでしょう? 児童養護施設に軍人希望者がいても」
「それはそうだけど」
軍人は騎士階級に生まれた男性が多いが、平民でも貴族でも目指す道はある。特に今は戦場に行く事がないので、体力に自信がある平民からすると非常にいい就職口でもある。
「折角この事業に携わるのだからレティの得意分野も発揮したらいいわよ。道はひとつではないわ。いくつでも欲張っていいの」
アリスはスカーレットに微笑むと、子供達に視線を移す。
「騎士様が特別に剣を教えてくれるそうよ。興味のある子は彼女の言う事をしっかり聞いてね。朗読が聞きたい子は私について来て」
そう言ってアリスは施設の中の方へと子供達を連れて行く。その後ろをエドワードが手配した護衛がついていく。少年の何人かはスカーレットの所に留まっているが、最初に声を掛けてきた少女がどうしようか迷っている。少女が剣を持つのは抵抗があるだろうが、それでもその迷いに手を差し伸べたいとスカーレットは思った。
「見学だけでもいいよ」
スカーレットの言葉に少女が嬉しそうな表情で頷くので、彼女もつられて微笑む。そして色々な棒を持った少年達に、彼女も木の枝を持って素振りの仕方を教えた。いつもならアリスの護衛だけで終わるのだが、この日は彼女にとってとても充実した日になったのである。




