ゆっくりでいい
グレースの手紙を手に、スカーレットはいつもの部屋でグレンを待っていた。普段ならあまり気にしないのだが、今日は髪を整えて薄化粧もしている。耳には彼と王都で購入した耳飾りが光っていた。
「ごめん、遅くなった」
「気にしないで。私は今日休みだったから」
エドワードがリチャードに王太子として相応しい仕事の量を増やしたので、側近達も忙しさに追われている。それがリチャードを育てたいからなのか、アリスと結婚をするエドガーに嫌がらせの意味が込められているのか、スカーレットは判断しかねていた。気になって兵長オリバーに聞いてみた所、多分どちらも外れていないという答えが返ってきたが。
「グレンはウォーレンと近々会う?」
「議会なら明日あるけど、何かあった?」
「グレースからウォーレン宛の手紙を預かっているから、渡してほしくて」
そう言ってスカーレットは手紙をグレンに差し出した。彼は手紙の内容が見当つかず、緊張した面持ちを浮かべる。
「グレースが一体伯父に何の用?」
「化粧品を売って欲しいらしいわ」
スカーレットの言葉を聞いてグレンは安堵した。流石に二人の婚約についてウォーレンに訴えるはずはないだろうが、グレースならやりかねないとも思えたのだ。
「また急だな」
「ウォーレンがグレースの化粧を褒めていたと言ったら喜んでしまって」
そういう事かとグレンは頷く。ウォーレンの美意識が非常に高い事は貴族の中では有名だ。ウォーレンに綺麗だと認められ、彼が手掛ける化粧品を手に入れれば自慢になる。ただウォーレンは見た目だけの綺麗さだけでは納得しない。美を鼻にかけるような性格が滲み出ていると醜いとはっきり言ってしまう。しかしウォーレンはグレースを幼い頃から知っている故に化粧の努力を理解していて、あの夫婦から綺麗な娘が育つとは思わなかったと評しているのをグレンも聞いた事があった。
「グレースは将来をどうするつもりなのだろう」
「女官になると言っていたわ」
「独身を貫くつもりなのか?」
「将来の出会いに期待している感じだった」
「そう」
スカーレットにはグレンの表情はどこか浮かない感じがした。彼女は首を傾げる。
「どうかした?」
「いや、将来パウリナ殿下の横にグレースが居れば心強いだろうと思って」
「エミリーやミラ様のように?」
スカーレットの問いにグレンは頷く。以前リチャード達とも話した内容だが、実際グレースが適任である。グレースならパウリナを小国の王女だなんて蔑む事もなければ、私が王太子妃になりたかったのにと僻む事もない。
「確かにグレースが側に居れば心強いわよね。だけどアリスが居てくれると思うわ」
「友人と義姉では距離感が違うだろう?」
「そう? 母とナタリー様は友人だと思うけれど」
「あの二人は夫が兄弟だ。今回は夫の姉になるから事情が違う」
そう言われるとそうかとスカーレットは納得する。
「パウリナ殿下とグレースは仲良くなれそう。女官ではいけないの?」
「グレースも今は公爵令嬢の肩書があるけれど、エドガーが爵位を継げば当主の妹だ。その肩書でどこまで茶会に参加出来るか」
グレンの心配をスカーレットはいまいち理解出来なかった。そもそも彼女は茶会の経験が圧倒的に足りないのだ。
「エミリーでも良さそうだけど」
「母はやらない。レティが参加するのなら可能性はあるけれど」
「茶会かぁ。グレンと結婚後は参加しないといけないのかな」
スカーレットは憂鬱そうな声色で呟いた。今のグレンは爵位がないので逃げられそうな気もするが、将来的には茶会を催す側にならないといけないのだろう。しかし彼女は正直気が進まなかった。
一方グレンはスカーレットの言葉に驚いた。長らく婚約していたが、結婚後の話は滅多にしない。それがこれほど簡単に彼女の口から出てくるとは思わなかったのだ。
「レティの好きにすればいいよ。別にしなくても困らないだろうから」
「グレースがハリスン家は生真面目な家柄だったけれど、今はそうでもないと言っていたわ」
「伯父と父と母、皆が自由過ぎるから」
グレンは微笑んだ。ウォーレンは年齢性別不明の格好をしながらも、宰相としての仕事は手を抜かない。カイルは赤鷲隊副隊長を定年まで勤めあげた後で国政に参加しているが、それはジョージがより自由に動けるようにしているだけだ。しかもウォーレンから爵位が回ってきたらすぐに息子へ譲ると言って憚らない。エミリーはカイルと結婚をしたが公爵家に嫁いだつもりはないとライラの侍女を務めながら、都合のいい時だけハリスン家の嫁の仮面を被る。
「それにハリスン家は女性運が今までなかった。女児は産まれないし、嫁いできた女性は長生きが出来ない。それを塗り替えたのが母なのだけれど」
領地ハリスンにある領主館は血塗られた屋敷と呼ばれていた。それは過去の殺傷事件に起因している。あまりに女性が長生きしない故に一夫多妻が当たり前になっていたせいで、妻同士が争ったのだ。ウォーレンの母もそのような人間で、だからこそ彼は独身を貫いている。平民であるエミリーなら、という期待は当たり、彼女は四人出産後も自由に生きている。ただ、女児には恵まれなかった。
「だから自由でいい。その方が楽しいよ。私はレティと笑顔で暮らしたい。ハリスン家の家名なんて気にしなくていい」
「そういう訳には」
「ハリスン公爵家も伯父も関係ない。私がレティを好きだから結婚をしたい。単純にそれだけの話」
グレンは真剣な表情をスカーレットに向けている。彼女は言葉に詰まってしまった。無意識に話していたのだが、元々は自分が結婚後の話をしたからこの流れになったとやっと気付いたのである。
「母が正しいのだとすれば、レティもハリスン公爵家に嫁いだなんて思わなくていい。その方が長生き出来るだろうから私は嬉しい」
困惑しているスカーレットを察して、グレンは笑顔でそう言った。彼女は困ったように微笑む。
「色々な人が自由にすればいいと言うから、正直困る」
「私はレティとの結婚を諦めるつもりはない」
「それは、うん。諦めなくていいよ。だけどもう少し待ってほしい」
スカーレットは未だに自分の気持ちがあやふやだった。ただグレンと同じ感情ではないのは何となくわかっている。だから未だ結婚の時期ではない気がしていた。困惑はしているものの、どこか照れているような感じがする彼女の初めて見る表情に、彼は嬉しそうに微笑む。
「延長期間はまだある。レティが納得出来るまで待っているからゆっくりでいいよ」
「ありがとう」
グレンの表情が柔らかいので、スカーレットは微笑む。彼は彼女の前向きに検討が思いの外早くて嬉しかったのだ。しかしこれ以上押す所ではないだろうと、彼は歴史書をテーブルに広げる。
「そろそろ始めようか」
「えぇ」
二人は和やかな雰囲気のまま、メイネス王国の歴史書の翻訳作業を始めた。




