しなくていい我慢はしない
児童養護施設公務の引継ぎの為にアリス、ヨランダ、グレース、スカーレットは王宮の一室に集まっていた。王女の公務とはいえ実務の細かい部分は担当部署が管轄している。それでも大まかな資金や人の流れをアリスは把握しており、命令や議論もしていた。今日はそれについてである。
「基本的には母の元で働いてきた人達が引き継いでいるから、妙な事を言ってくる担当者はいないわ。それでも不正がないようにしっかり見張る必要はあるわよ」
「不正?」
「簡単に言うと横領ね。児童養護施設の職員達も真面目な人ばかりだけれど、魔が差す時もあるでしょうから」
「それで毎月通っているの?」
「そうよ。それと母が人は余裕がないと体罰に走ると言って、施設職員の給金はそれなりにいいの。その調整は間違えないで」
アリスの言葉にヨランダは首を傾げる。
「お母様は皇女でしょう? どうして体罰なんて言葉が出てくるの?」
「多分シェッドの孤児院でそういう事件があったのだと思うわ」
アリスは体罰など受けた事もないし、そのような場面に遭遇した事もない。しかしその話をしていたナタリーは神妙な表情で、理由を尋ねるのは憚られた。シェッドは寒冷地方故に度々食糧難に陥っていたという話は聞いていたので、そういう余裕のなさなのだろうと勝手に自己判断をしていた。そしてヨランダもアリスの仮定に納得する。
「以前お母様からレヴィは本当に豊かでいい国だけれど、お父様の治世になってからより素晴らしくなったと聞いたわ」
「戦争を終わらせたのは祖父のはずだけれど」
アリスは冷めた表情で呟いた。エドワードが国王として素晴らしいのは彼女もわかっているのだが、どうにも人間性が引っかかる。しかもヨランダに嫌われないようにとアリスとは違う接し方をしており、その努力を知っているナタリーが娘にいい父親だと言っているだけにも聞こえてしまうのだ。
「裏で動いていたのは陛下だと父に聞きましたよ」
姉妹の会話を黙って聞いていたグレースが口を挟む。しかしアリスはグレースにも冷めた視線を送る。アリスにはグレースの父リアンがエドワードを過大評価しているようでならないのだ。
「レティは真相を知っているの?」
「父は機密だと言って何も教えてくれないわ。だけど母があれだけ陛下に心を開いていないから、多分何かしていたとは思う」
「それは母に対する父の態度のせいではないの?」
「それだけなら王妃殿下が受け入れている以上、何も問題がないと思うの。だから他に引っかかっている部分があるのだと思うわ。教えてはくれないけれど」
「歴史の闇を掘り起こすのはやめた方がいいと思います。戦争が綺麗なはずがないではありませんか」
アリスとスカーレットの間にグレースが割って入る。言い出したのはグレースではないかとアリスは思ったものの、グレースはエドワードに対して嫌悪感を持っていないのだ。多分父親の影響があるのだろう。これ以上話すのは得策ではないとアリスは諦めた。
「確かにそうね。皆が綺麗な心を持っていれば戦争なんて起こるはずがないわ」
「公国が戦争を起こさないといいわね」
ヨランダの言葉に全員が彼女を見つめる。
「どうしてそう思ったの?」
「そのシェッドとの戦争は食糧難が発端でしょう? 公国は現在食糧難なのだから、レヴィに襲い掛かってきてもおかしくないと思って」
「でも公国には軍隊がないわ」
「この前難民の話が出たでしょう? 農民が大量に押し寄せてきたら難民と言うより戦争みたいだなと思ったの」
「確かに鍬や鋤は武器にもなるかもしれない」
「くわ?」
ヨランダとアリスのやり取りにスカーレットはその可能性もあるのかと言葉を発した。しかし聞き慣れない言葉にグレースが思わず聞き返す。
「農具よ。だけどその辺りも含めて陛下は対策していると思うわ。陛下はいくつも可能性を考えるはず」
「レティに父を語られるのは妙なのだけれど」
「父がそういう人間だから。陛下は多分父より多くの可能性を考えると思うのは自然だと思うけれど」
「そう言われると納得するしかないわね」
「戦争や難民の話はとりあえず置いておきませんか?」
「そうね。予算の話をしましょう」
グレースに指摘され、アリスは再び引継ぎに戻る。そしてアリスの話をヨランダとスカーレット、そしてグレースも真剣に話を聞き、今日の引継ぎは終了となった。
アリスが呼び鈴を鳴らし、アビゲイルが部屋へと入ってくる。そしてアリスに言われて四人分の紅茶と焼菓子を用意すると、再び部屋を出ていった。
「ところでレティ、足は大丈夫?」
紅茶を飲んで休憩をしているとグレースがスカーレットに話しかけた。スカーレットは思い当たる事がなく不思議そうにグレースを見返した。
「足? 怪我なんてしていないけれど」
「あれだけ歩いて私は二日も足が痛くて仕方がなかったわよ」
グレンの心配をよそにグレースは王都の市を堪能した。初めて見るものばかりで興奮していたせいか、歩く苦痛など感じもしなかったのだ。しかし帰宅後から違和感が出始め、翌日は筋肉痛で歩くのが辛い状況になっていた。
「私は昔から歩いているから慣れているわ」
「凄いわね。ねぇ、次はいつ行くの? 次は歩く距離を考えるわ」
次と言われてスカーレットは言葉に詰まった。グレンの休みも市の日も決まっているので、次に出かける日は決まっている。しかし次は二人で出掛けたいと彼女は思ったのだ。
「私と二人で良ければ、次の休みでもいいけれど」
「荷物持ちはいた方がいいと思うの」
グレースは公爵家で育っているので、王都の市では自分が普段使い出来るものはないと見ながら思っていた。それでも今後視察予定の領地の児童養護施設へいいお土産になるのではないかと、色々と買いこんでいたのだ。
「荷物なら私でも持てるわ」
「レティに持たせるのなら、侍女について来てもらうけれど」
「何処に行くの? 私も行きたい」
「ヨランダは無理よ。父が公務以外で王宮外に出さないもの」
二人の話を黙って聞いていた二人だが、ヨランダの言葉をアリスが即座に否定する。
「どうして? ウォルターお兄様は出入り自由と聞いたわ」
「ウォルターは赤鷲隊隊員だから別なの。リチャードでさえも簡単に出られないのよ」
アリスの言葉にスカーレットは引っかかった。確かパウリナが宿泊していたサリヴァン家に赴いたはずだ。それにパウリナとの茶会でもお忍びでと言っていた気がする。ただエドワードが妻と娘を溺愛しているのは有名な話なので、息子と対応が違うのをアリスなりに誤魔化そうとしているのだろうと、スカーレットは黙っておくという選択をした。
「私がスミス家に嫁いだら、遊びに来る名目で王宮を出て途中寄り道をすればいいわ」
「それなら少しの我慢ね」
「ただし王家の馬車は近衛兵が警備するわ。買収するなりしないと難しいと思うけれどね」
喜んだヨランダの顔が一気に落胆に変わる。しかしスカーレットを見て笑顔を浮かべた。
「レティだけが警備すればいいのよね?」
「児童養護施設へ行く時でも私だけはないのだけど」
「それはレティの腕の見せ所でしょう? 何か言い訳を考えておいてね」
ヨランダの無茶振りにスカーレットは表情を消した。それは近衛兵の仕事でもなければ、腕を見せる所でもない。
「レティ、嫌なら嫌と言っていいのよ。近衛兵は我儘王女の言いなりになる必要はないわ」
嫌そうにしていると感じたアリスがスカーレットに助け舟を出す。スカーレットはその言葉を受けてヨランダに向き直った。
「ヨランダが陛下を説得すればいいと思う」
「難しい事を言わないで」
「少なくとも陛下は私よりもヨランダの話を聞くと思うわ」
「そうよ、ヨランダ。レティは近衛兵ではあるけれど父と近くないの。それとヨランダの護衛もやらないのだから、頼り過ぎてはいけないわ」
「お姉様だけ卑怯ではないですか」
「私がレティを側に置いたのは当時のレティが迷子に思えたからよ。今のレティは進むべき道が見えてきているのだから邪魔をしないの」
アリスに説教されてヨランダは不貞腐れる。一方スカーレットはそのような事情を初めて聞いたので驚きを隠せなかった。
「アリスが私を近衛兵にしてくれたの?」
「レティは色々と我慢してしまうから好きな事をして欲しいと思ったのよ。残念ながら剣を振るう機会はなかったけれど」
「それはない方がいいわ」
「そうね。だから今後もしなくていい我慢はやめなさい」
アリスに優しくそう言われスカーレットは頷いた。そしてグレースの方を向く。
「王都へ行くならグレンと出かける日以外にして欲しい」
「わかったわ。レティの予定に合わせる」
スカーレットには少し勇気が必要な言葉だったが、グレースは何ら気に留める様子もなく快諾した。むしろ楽しそうな笑顔を浮かべている。
「私もエドガーと結婚した後で連れて行ってね」
「勿論いいわよ」
「三人して卑怯だわ。私も王都へ行ってみたいのに」
「ヨランダも王都で暮らしている誰かと結婚する事ね」
アリスの言葉にヨランダは悔しそうな表情をする。それを見てグレースとアリスが微笑む。スカーレットもつられて微笑んだ。




