スミス家にて
グレースはグレンとスカーレットが迎えに来るのを自室で待っていた。本当はスカーレットの所に行く予定だったのだが、翌日グレンに確認したスカーレットから手紙が届いたのだ。手紙には平民の格好をして出かけるので馬車では出かけないが、それでもいいのなら迎えに行くと書かれていた。グレースは平民の格好をして王都を歩くという未経験の話に魅力を感じて、すぐに平民の格好をして待っていると返事をしたのだった。
「貴方は呼んでいないけれど」
しかし、地味目の化粧で完全に平民に紛れる自信を持っていたグレースの前に現れたのはジェームズである。グレースは不満さを隠す事無く彼にあたる。
「その格好ならスミス公爵家のグレース嬢とは誰も気付かないね」
ジェームズの言葉にグレースは表情を歪める。彼女は父親似の地味な顔に劣等感を抱いていた。母も兄二人も、幼なじみ達も皆華やかな顔をしている。彼女は両親や兄二人から溢れんばかりの愛情を注がれて育っているので、内面は真っすぐに育っていた。それでも美人と言われる母フローラに似なかった事を恨んでいないと言えば嘘になる。十二歳の時に使用人の陰口を聞いてから、自分は美人でも可愛くもないと知ってしまった。しかし彼女はそれでくよくよする性格ではない。社交界へ出るまでに化粧を必死に勉強した。しかし母親に似せた化粧をした姿を綺麗と褒められても、劣等感は拭えていない。
「今日はケイトと約束していないわよ」
ケイトとグレースはお互いの家を行き来する仲である。ケイトがスミス家に遊びに来た際は、ジェームズが迎えに来たりもする。しかし今日は当然ながら約束はしていない。グレースは平民が使用する銀貨を入れた斜め掛けの鞄の紐をぎゅっと握りしめた。
「ケイトは今日サージの所へ行くと言っていた」
「そう、前に進む気になったのね」
五人で茶会をした後も、ケイトは煮え切らない感じだった。それでもグレースにはサージの好意に嘘偽りを感じなかったので、さり気なくケイトが前向きに考えられるよう寄り添っていた。グレースはケイトがグレンへの気持ちなど早々に捨てて、幸せになって欲しいと思っている。ケイトが前に進む気になったのが嬉しくてグレースは思わず微笑む。その笑顔を見てジェームズは呆れ顔を浮かべた。
「グレースは人の幸せばかりだな」
「自分の幸せも探しているわよ。巡り合えていないけれど」
「公爵令嬢の嫁ぎ先は限られるから難しいだろう」
ジェームズの言葉にグレースは不可解なものを見るような視線を送る。
「私が結婚したいと思った相手なら、たとえ無名の画家でも家族は許してくれるわ」
「それは流石にリアン様が反対すると思うけど」
「政略結婚が普通の時代に恋愛結婚をした父に、反対なんて出来るはずがないわ」
「それは違う。フローラ様は確かに公爵夫人としては難があるけれど、家柄には問題がなく、スミス家に反対する理由がなかった。だが相手が無名の画家なんて不幸になりそうな結婚を許すとは思えない」
頭ごなしに否定をするジェームズが、グレースには面白くなかった。彼女は冷静な判断を持って結婚相手を探しているという自負がある。
「私が結婚を考える人よ? 結婚当時は無名でも将来有名になる画家に決まっているわ。むしろ私が有名にするわよ」
「随分具体的だけれど、候補の画家がいるのか?」
「そのような人がいたら困っていないわよ。ジミーはケイトの幸せだけを考えてなさい」
グレースは不機嫌そうに顔を横に向けた。彼女は両親や兄達からも結婚について色々と言われている。決して急かされてはいないが、何故相手が見つからないのか皆が不思議に思っているのはひしひしと伝わっていた。フローラがリアンを格好いいと思っているように、いつか素の自分を可愛いと言ってくれる人が現れて欲しいのだが、彼女は化粧をせずに人前には出られなくなっている。
「私はケイトだけでなく、幼なじみ全員の幸せを願っている。だから今日の件は良くないと思う」
「何が良くないのよ。あの二人は丸く収まるべきでしょう?」
「グレンはレティの気持ちが変わるのをずっと待っている。余計な口出しをするべきではない」
「レティには少し強引にならないと、知らぬ間に寿命を迎えてしまうかもしれないわ」
グレースは決して大袈裟ではないと思っている。スカーレットが何故あれだけの美貌を持ちながら自信がないのか、グレースには理解が出来ない。しかもグレンのスカーレットに向ける好意は誰が見ても明らかである。スカーレットさえ向き合えば丸く収まるのだ。
「流石にその前にグレンが動く。横から口を挟むな」
「そう言われても、レティには色々と言ってしまったわ」
「どうして」
ジェームズは眉を顰めている。グレースは無言で彼を見つめた後、視線を伏せた。
「私はきっと結婚出来ない。だからせめて二人には幸せになって欲しいの」
「まだグレースは十八歳だろう?」
「もう十八歳よ。アリスをはじめ皆が独身だから感覚がおかしくなるけれど、普通は結婚しているわ」
グレースは社交的なので、幼なじみ以外にも付き合いは広い。しかし同世代の女性達は次々に結婚していく。成人した十五歳から多くの夜会や舞踏会に足を運んでいるのに、自分だけが取り残されてしまった気分だった。
「あのリックさえも婚約が調ったからな」
「そうよ。ジミーも本気で探したら?」
「私は結婚準備として、サージにケイトを任せたんだ」
ジェームズの言葉にグレースは驚いた。目の前の男が結婚する気があったとは思ってもいなかったのだ。
「私のケイト好きは有名だから、ケイトが家にいる間は誰も嫁いでくれないだろうと思って」
「ケイトが嫁いだくらいでは無理よ。少なくとも私は嫌」
グレースは心の底から拒否をしているとわかるような表情で首を横に振る。その表情にジェームズは苛立った。
「レヴィ王家と所縁のあるリスター侯爵家嫡男で、将来の宰相候補。王太子殿下の友人でもある私の何処に不満がある」
「妻よりケイトを優先しそうな所」
グレースは冷めた視線をジェームズに投げかけた。彼の妹好きは有名であるが、その加減は幼なじみ以外には正しく見えていないかもしれない。彼女は彼の婚約者が現れた時、絶対に説明しようと心に決める。
「だからサージに任せたと」
「絶対に任せられないわよ。結婚しても定期的に会いに行くわ。断言してもいい」
「ケイトは一生私の可愛い妹だから会いに行くだろう。だが優先するのは妻だ」
言い切ったジェームズをグレースは怪訝そうな目で見つめる。彼女はケイトと仲良く付き合ってきた分、彼の異常な妹愛を目の当たりにしてきた。到底他の女性が入る余地など感じられないが、それを指摘しても今は平行線だろう。彼女は彼と無駄にやり取りをしている場合ではないのだ。
「そう、そういう女性が見つかるといいわね。私は市へ行くから帰って」
「本当に行くのか?」
「行くわよ」
「仕方がないな。今回だけにしておけよ」
そう言いながらジェームズはグレースに手を差し出した。彼女は意味がわからず首を傾げる。
「お金が必要なの?」
「誰が金銭を要求するか。グレースが妙な行動をとらないように監視役としてついていく」
「嫌よ。ジミーといたら目立つから遠慮するわ」
グレースは栗毛に鳶色の瞳なので、服装と振舞いにさえ気を付ければ平民に混じるのは容易い。しかしジェームズはレヴィ王家の血縁だけあって金髪碧眼である。顔立ちも悪くはない。むしろ常に表面的な対応の父親よりも表情が豊かな分、爽やかに感じる。
「グレン達と落ち合う場所は私しか知らない。どうやって一人で行くつもりだ」
ジェームズにそう言われ、グレースは言葉に詰まった。彼女は王都を歩いた事がなく、市がどういうものかも知らない。そのような知らない場所で二人を探すのは至難の業だろう。
「最初からジミーも一緒に行く気満々で来たのね」
「グレースなら絶対に行くと思ったから。それに王都を歩いてみるのも楽しそうだ」
「そう、それが私も楽しみなの。誰も王都を歩こうなんて誘ってくれなかったから、その発想がなかったのよね」
グレースは無邪気に微笑む。グレンとスカーレットに丸く収まって欲しいのは本音だが、それと同じくらい王都を歩くのを楽しみにしていたのだ。彼女の笑顔につられてジェームズも微笑む。
「グレンに言われて変装道具は用意してきた。王都の市を楽しもうか」
「私ではなくケイトと行けばいいのに」
「ケイトは楽しめない」
ジェームズの言葉にグレースは納得する。ケイトが平民の格好をして王都を歩く姿は想像出来ない。そして平民の格好がしっくりきすぎている自分に、彼女は自虐的な笑みを浮かべた。
「私だけ変装をしなくてもいいのね」
「変装用の化粧をしながら変装していないとは、どういう思考?」
「化粧は女性の身だしなみなの」
「それを言うなら私の変装も、平民の楽しみである市を楽しむ為の身だしなみだ」
ジェームズは楽しそうに微笑んだ。グレースも考えるのが馬鹿馬鹿しくなって笑みを零す。そして二人は王都の市へ向かって歩き出した。




