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王女の思惑 女性護衛騎士の憂鬱  作者: 樫本 紗樹


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約束

 スカーレットはグレンとメイネス王国の歴史書を翻訳する時、紅茶を淹れるようになった。訳した言葉を発声するので喉が渇くのだ。最初は果実水を用意していたのだが、彼に出来れば紅茶がいいと言われて、彼女も楽しく淹れていた。

 ライラの部屋を出た後、スカーレットは紅茶の準備をしてから部屋へと向かう。その部屋は二人の勉強部屋となっており、歴史書や辞書の原案などは置きっぱなしにしてある。元々関係者以外立ち入り禁止の場所なので盗難の心配もない。

 スカーレットが扉を叩くと中から返事があった。彼女は申し訳なさそうに扉を開ける。

「ごめん、遅くなって」

「いつも私が待たせているのだから気にしなくていいよ」

 グレンは読んでいた書類から視線をスカーレットに移して微笑む。仕事量は圧倒的に彼の方が多い。王太子の側近と近衛兵では元々仕事量が違うが、彼女は近衛兵の中でも仕事量が少ないのだ。これは彼女がアリス専属護衛騎士である事に所以している。

 スカーレットは用意してきたポットから紅茶を注ぎ、グレンと自分の前に置く。椅子の位置は最初の時からずっと斜めである。彼女は椅子に腰掛けると笑顔を彼に向けた。

「先程母のメイネス語が聞き取れたのよ」

「ライラ様とメイネス語で会話をしたの?」

「流石に話せなかったわ。それに早口になると聞き取れなかった。メイネス語が早口なのは本当?」

 ライラが最後に話したメイネス語は結構な早口だった。レヴィ王国の王侯貴族は早口で話す人がいないので、スカーレットは母に騙されたような気もしている。

『本当だよ。実際はこれくらいで話すとアレックスに聞いた』

 グレンの早口にスカーレットは目を瞬く。ライラの時もそうだったが、理解するよりも先に言葉が流れていってしまい追えなかったのだ。そんな彼女の様子を見て彼は微笑む。

「ただ、パウリナ殿下はおっとりと話す。私が普段訳している感じだ」

 グレンはリチャードと共にパウリナに会いに行ったので、パウリナの話し方はわかっていた。母国から連れてきた通訳がいたのだから普段通り話していたはずだ。当時は公国語しかわからなかったので、何となく内容がわかる程度ではあったが彼は聞き取れていた。

 一方スカーレットは安堵する。グレンが普段訳している早さなら聞き取れそうだった。

「だけど、パウリナ殿下とメイネス語で話す機会なんてあるかな。パウリナ殿下はしっかりとレヴィ語を覚えてきそうだけれど」

「母とエミリーみたいに内緒話に使えると思う」

「レティはパウリナ殿下と内緒話をするような仲になろうと思っているの?」

 グレンは驚いて思わず聞き返した。スカーレットは近衛兵として、エドワードから指示された仕事をしているはずだ。それはパウリナと内緒話するような関係ではない。

「パウリナ殿下はこちらに友人もいなくて不安だろうから、支えたいと思って」

「それは近衛兵として?」

 近衛兵は国王及び王太子の直属だ。エドワードやリチャードから指示があれば、パウリナに侍る可能性はある。王妃ナタリーに表向き護衛はいないが、監視している裏方専門の近衛兵がいるのは有名な話だ。

「アリスに近衛兵は辞めてしまいなさいと言われていて悩んでいるの」

 スカーレットは視線を伏せた。アリスが結婚してからパウリナが嫁いでくるまでは一年以上の期間がある。実際、リチャードとパウリナの婚約は整ったものの、結婚については詳細未定。パウリナが完璧にレヴィ語を覚え、二人の交流が十分になされるまでという曖昧な条件なのだ。

 スカーレットはキアーラから話を聞いた後、アリスに色々と言われたのだ。アリスはスカーレットの能力を買って側に置き、公務についても色々手伝って貰ったと。それはスカーレットを一生近衛兵にしておく為ではなく、女性の社会進出に役立つと思ったからだと。

「アリス殿下はレティに何を言ったの?」

 グレンに優しく問われ、スカーレットは悩みを打ち明けた。アリスはエドガーと結婚をし、将来スミス公爵夫人となる。しかし彼女が色々と政治に口を挟むのはリチャードの為にならないので、表に立つのは憚られる。しかしスカーレットなら王家の血を継ぎながらも王族ではないので、決してリチャードの邪魔にはならない。国王及び王太子に仕える近衛兵ではなく、女性の代表として国政に参加して欲しいと言われたと。

 スカーレットの話をグレンは静かに聞いていた。彼女は王家の血を継ぎながらも自由な立場である。そしてそれを活かせる能力も持ち合わせている。本人はそれを自覚していないが、周囲は色々と勝手に期待をしているのだ。しかし彼としては彼女がやりたい事だけをやらせたい。

「近衛兵は関係なく、パウリナ殿下と仲良くしたい?」

「えぇ。メイネスの色々な事に触れていたら親近感がわいてしまったの」

「女官では仲良くとは違うだろう。母のように茶会で隣に座りたい?」

 グレンは優しい声で問いかける。スカーレットの迷いに手を差し伸べるように。彼女は彼のその厚意を素直に受け取り、ゆっくりと自分の気持ちと向き合う。

「アリス主催の茶会に護衛として侍っていたけれど、私には難しいかもしれない」

「アリス殿下主催の茶会は堅苦しいで有名だ。ヨランダ殿下のように柔らかい感じでいいのではないだろうか」

 アリス主催の茶会は教養が必要だが、ヨランダの茶会は特に必要ない。流行や噂話など話題が軽いのだ。しかし児童養護施設の公務を始めるので、こちらの茶会の雰囲気も今後は変わるかもしれない。そしてスカーレットは幼なじみ限定以外のヨランダの茶会に参加した事がなかった。

「ヨランダの茶会は幼なじみ同士しか知らなくて」

「政治の話は一切しないらしい」

「どうしてグレンが知っているの?」

「アレックスが見た話を聞いた」

 グレンの言葉にスカーレットは訝しげな表情をした。エドワードはナタリーとアリスの監視はしても、ヨランダの監視はしていないはずだ。それなのにアレクサンダーがヨランダの茶会を監視していたとなると、話が変わってくる。

「勘違いしないでほしい。陛下の命令ではなく、アレックスの好奇心だ」

 スカーレットの疑いを晴らそうとグレンは焦ったような声を出した。勘違いでヨランダのエドワードに対する信頼がなくなった場合、自分に何かが降りかかってくるのを恐れたのだ。

「兄上は何をしているのよ」

「女装時に色々な令嬢と話を合わせる為の情報収集らしい」

「本当に自由なんだから」

 スカーレットは呆れたようにため息を吐いた。グレンは疑いが晴れて一安心し、彼女に微笑みかける。

「レティも自由にしていい。パウリナ殿下とどうかかわるか、レティの負担にならない方法がいいと思う」

「グレンは私が近衛兵なのをどう思っているの?」

「レティが楽しいなら続ければいいけれど、意味を見出せないのなら辞めていいと思う」

「けれど、辞めてしまったら私には何もないわ」

「児童養護施設の公務をするだけなら、私の婚約者という肩書だけで十分だ」

 グレンは笑顔だ。スカーレットは何と返していいのかわからない。戸惑う彼女に、彼はより笑みを深くする。

「今度の休みに王都へ行かないか? 最近勉強ばかりだから息抜きもいいと思うのだけれど」

「勉強ばかりという程でもないわ」

「いや、結構しているよ。美味しい物でも食べに行こう」

 スカーレットは本当に勉強ばかりしているつもりはなかった。しかしグレンとの関係を見直すなら、部屋に籠って歴史書を翻訳するよりは、王都を一緒に歩いた方が前向きになれるかもしれない。

「わかったわ」

「約束だよ。それじゃあ翻訳を始めようか」

 グレンはそう言って紅茶を口に運ぶ。スカーレットも頷いて、二人はメイネス王国の歴史書の翻訳を始めた。

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