結婚の目的
スカーレットのメイネス語習得はゆっくりと進んでいた。似ている公国語を把握しているグレンは、個別でエミリーに公国語との違いを確認していた。そして自分がスカーレットに教えようと思っていたのだ。その考えを察したエミリーは協力的だったが、スカーレットはまだグレンの努力を知らない。
公務引継ぎの為に、アリスとヨランダは馬車で児童養護施設へと向かっていた。以前約束をしていたグレースも同乗しているが、そのグレースに話があると言われてスカーレットも今回は軍服を着たまま馬車に乗り込んでいた。
「本当に信じられなかったわ」
グレースはあの後でケイトと共にリスター家へと向かい、顔合わせの場に参加してもいいとミラから了承を貰った。婚約はケイトの早とちりで、ただの顔合わせだから親友が一緒にいた方がいいだろうとミラが判断をしたのだ。勿論グレースはケイトが不安そうだから一緒に行くと言ったのであり、あわよくば自分が狙っているなどとは一言も告げなかった。断りたいケイトも一切言及しなかった。
しかしいざ顔合わせをすると、サージはケイトしか見ていなかった。元々ジェームズから話を聞いて興味を持っていた所、ケイトの見た目も好みだったようで、にこやかに話しかけていた。その間、グレースは完全無視をされており、非常に面白くない一日だったのである。
「それで、ケイトは話を進めるの?」
「愛される方が幸せになれると思うと言っておいたけど、その後なんて知らないわ」
グレースは不満そうに言い捨てた。サージは彼女好みの容姿をしていたが、ケイトに振られた後に狙う程ではない。彼女はこの縁はなかったと容赦なく切り捨てていた。
「今日は児童養護施設について色々学んで帰るわ。手応えのない外出ほど時間の無駄はないから」
元々ケイトの為にジェームズとミラが整えた場所だ。グレースが文句を言うのは違うだろうと他の三人はわかっているが、グレース自身もそれはわかっている。わかっていても吐き出さずにはいられなかった。
「本当にスミス領に行くの?」
「どうせ結婚出来ないのなら、せめて領地で働くべきでしょう?」
「結婚出来るか決めるのは未だ早いと思うけれど」
アリスにそう言われ、グレースはつまらなさそうな視線を向ける。普段は敬語を使うグレースだが、それは監視役がどこにいるかわからない為だ。馬車の中なら大丈夫だろうと、グレースは幼なじみの立場を取っていた。
「アリスはお兄様がいたから暢気に言えるのよ」
「リックは決まったけれど、他の弟達はどうかしら」
「現時点で恋愛感情がないのだから、ないわ」
グレースはため息を吐いた。そして視線をスカーレットに向ける。
「そう言えばレティはメイネス語を覚え始めたと聞いたけれど」
「陛下からの命令でね」
スカーレットは直接エドワードから指示があったわけではない。しかし、裁量を任せると言われていた兵長オリバーから急にこういう話が出てきたと言われれば、それはリチャードではなくエドワードからの命令である。
「あぁ、近衛兵関係。パウリナ殿下の女官という道もあるかなと思ったのに、それは難しいかしら」
「女官になりたいのなら私が推薦してあげるわよ」
「確かにアリスの推薦なら通りそう」
「女官よりも、弟に嫁いで公爵夫人になった方が楽だと思うわよ」
黙って聞いていたヨランダが口を挟む。次男ウォルターは総司令官になる道を歩んでいる為、彼に嫁いでも公爵夫人にはなれない。しかし三男四男なら爵位を賜る前にこの世を去らない限り、公爵夫人の地位は約束される。
「私は末っ子だから、アリスのようなお姉さんに憧れていて。だから年下の子は全員弟にしか見えないのよね」
グレースは言い訳ではなく本心でそう言っている。幼なじみ同士の態度から、姉のように振舞っていたのは他の三人もわかっているので納得した。
「それならジェームズは?」
「ケイトと政治以外に興味のない男に嫁いで何が楽しいのよ」
「少なくとも私は遠慮するわ」
「ヨランダが嫌な人を押し付けないでよ」
グレースが笑顔でそう言い、ヨランダも笑う。和やかな雰囲気になった所で馬車はゆっくりと止まった。最初にスカーレットが降りて、他三人が降りる為に手を差し伸べる。アリス、ヨランダと続き、最後にグレースが降りる。
「レティが男性だったら、年下でもありだったかもしれない」
「兄は独身よ」
「アレックスは嫌。あの自信満々な感じが鼻につくから」
グレースが笑顔で言うのでスカーレットも微笑む。わかってはいたが、アレクサンダーとグレースには縁がないのだろう。しかしスカーレットもグレースが領地へ行ってしまうのは寂しい。アリスがスミス家に嫁げば今までのように会えなくなる。その次に気が合うのはグレースなのだ。
「グレースには王都にいて欲しいな」
「あら。レティにお願いされたなら女官の道を選ぼうかしら」
「本当に?」
スカーレットは児童養護施設の中へと歩き出していた足を止めてグレースを見る。グレースは微笑みながら頷く。
「それでも一度領地へ行って年頃の独身男性を調べてくるけれど」
「グレースなら一人でも強く生きていけそうなのに」
「勿論独身のまま生きていけるわよ。家族は私に甘いから生活費も死ぬまで出してくれると思う。けれど、この人と思える男性と家族になってみたいの」
グレースは微笑んだ。スカーレットは聞いた言葉を噛み締める。結婚は生きていく為にするものという先入観があったのだ。彼女の両親は休戦協定の一環で結婚している。しかし恋愛結婚としか思えない仲の良さだ。何故そのような先入観を抱いていたのだろうと、彼女は首を傾げる。
「公爵家長女なんて色々面倒なのだから、夢くらい見ていないとやっていられないわ」
「グレースは自由に生きている気がするけれど」
公爵家の独身女性はレヴィ王国に現在二人しかいないので色々とあるのかもしれないが、スカーレットにはグレースが苦労しているようには感じられなかった。
「本当に自由なのはレティでしょう? この公務にしても、メイネス語にしても、わざわざ面倒を抱えなくてもいいのに、どうして受けてしまうの?」
「それは皆が国の為に働いているから、私も国の役に立ちたくて」
「真面目ね」
「二人とも、ゆっくり歩いていないで早く」
先に歩いていたアリスが振り返ってグレースとスカーレットを呼ぶ。グレースは笑顔でごめんなさいと言って歩き出す。
「個人的な話はまた今度ね。今は学ぶ時間だもの」
「わかったわ」
スカーレットも微笑を浮かべてグレースと共にアリスとヨランダの元へと向かう。グレースはヨランダ以上に熱心にアリスの話を聞いていた。女官の道にしたのではなかったのかとスカーレットは思いながら、彼女も問題なく引き継ぐ為にアリスの説明を漏らさないよう真剣に耳を傾けた。




